バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

(6) 鼻のない天文学者

 真ん中の寝袋に部長が入り、その両隣が一年生の二人だと指定された。
 当然ながら最も重要なファクターは天候だけれど、それには恵まれた夜だった。

「星空が嫌いだっていう人に、わたしはまだ出会ったことがないよ」

 部長の言葉を受けて、頭の中で星空を嫌っていそうな知り合いを探してみた。

「確かにいないかも」

 先に田口が言ったので、慌てて頷いて同意してみせた。だが、みんな空を見上げているので、頷いただけでは気づいてもらえなかっただろう。

「ただ綺麗だなあって思って眺めるだけでいいんだよ。星空なんて。けど、こうやって眺めていると、もっと知りたいってわたしは思っちゃう。星座にまつわる神話や伝説についてでもいいし、ビッグバンだのヒッグス粒子だの科学的なことでもいい。アポロ、スペースシャトル、はやぶさ。いくら人類が宇宙に向かって手を伸ばしたところで、わたしたちにとっては星なんて、所詮眺めているだけの存在なんだから」

「宇宙旅行が実現したとしても、どうせ俺たち庶民には届かぬ夢だ。かぐやみたいな美人なら、金持ちのIT社長でも捕まえて連れて行ってもらえるかもしれないけどな」

 三年男子が茶化すのを聞いて、先輩部員たちの関係性が気になった。どちらかの先輩が部長と付き合っていたりしないのだろうかと。
 かぐや部長は、宇宙に行けるならそれでもいいかも、と笑った。

「女たらしの成金社長が飛ばすハーレムみたいな宇宙船だったとしても、チャンスがあるなら乗ってみたい」

 思い浮かんだのは、かぐや部長を含む複数の水着の美女が成金社長を取り囲む、リムジンみたいな宇宙船だった。今も昔も想像力が貧困なのだ。

「俺たちはそのロケットを下から、指を咥えて見上げているだけだよなあ」

「成金社長の下僕でいいから乗せて欲しいよ」

「途中で社長だけ宇宙船の外に放り出してやればいいんだ」

「そうね。そしたら一旦地球に戻って来て、みんなを乗せてあげる」

 それは天体観測などとは呼べない、ただただ夜空を見上げながら馬鹿話をするだけのキャンプだった。

 一番心に残っている星空は、幼い頃に母方の実家の近くで見たものだ。普段暮らしている街の空からは想像もつかないような、テレビやプラネタリウムでしか見たことがないような空を埋め尽くす星々。それは得体の知れない恐怖を感じるほどの星空だった。

 あの体験には敵わないものの、このキャンプで眺めた空も十分に宇宙を感じさせるものだった。地球が宇宙空間に浮かんでいること、そこに寝そべっている自分も宇宙の一部と化していることを感じられるほどには宇宙に近い星空だった。

 とはいえ、そもそも不純な動機で参加したキャンプだ。星空がいくら見事でも、すぐとなりで同じように寝転んでいる部長の存在が集中力を()ぐ。
 顔は正面、つまり真上を向いたまま、視界の隅っこになんとか部長を捉えることができないかと躍起になった。黒目を思い切り右に寄せて、それでもぎりぎり人の輪郭らしき曖昧なものを捉えられる程度だったけれど。

「かぐやの家の犬はケプラーっていう名前なんだぞ」

 三年生の一人がそう指摘すると、部長はその前に飼ってた犬はティコだったと笑った。

「どんだけ宇宙オタクなんだよなあ」

 自分以外の四人が笑う。
 ティコって何だ? 誰かの名前か?
 ケプラーって天文学者なんだっけ?
 ケプラーの法則ってなんだったか?

 そんなことを考えていることを悟られてはいけない。そう思うと、何故か黒目が左に寄った。もともと頼まれて名前を貸しただけで天文に興味はない。知識もほぼ皆無だ。それで当然なのに、部長の前では宇宙のことを知らないことを恥ずかしく思ってしまう自分がいた。

 だが、どうせ各務は知らないだろうと見透かされていたのだろうか。田口が口火を切って、それに三年男子二人が加わる形で解説を始めた。
 それによればティコは十六世紀の貴族で、主要な天文学者としては望遠鏡が実用化される以前に肉眼で観測をした最後の人物なのだそうだ。

「決闘で鼻を切り落とされて金銀銅で作ったギビをつけていたらしい」

「ギビって何ですか?」

「義足とか義眼とかの鼻バージョン。義足の義に鼻で義鼻」

 部長がそんなことを言ったが半信半疑だった。ギビなんて聞いたことがない。

「ティコはね、当時のデンマークの王様から贅沢な天文台をもらったんだよ。ヴェン島のウラニボリっていうんだけど、当時のデンマークの国民総生産の五パーセントを超える建設費用がつぎ込まれたと言われてる。もちろん立派な観測装置も設置されてはいたものの、当時はまだ全て肉眼による観測だったんだ。ティコの観測精度がそれ以前の誰のものよりも格段に高かったのは、鼻を取り外して顔をぴったり装置にくっつけられたからだという話もあるんだよ」

 どうやら本当に鼻がなかったらしい。
 日本でいえば安土桃山時代と重なる頃。当時はまだプトレマイオスなどが提唱した地球中心の宇宙観が広く信じられていた。地球は世界の中心にあってその周りを太陽をはじめとする他の天体が回っているという宇宙モデルは、聖書の教えとも合致するために教会や神学者にとって都合のいいものでもあったらしい。

 対してコペルニクスらが提唱した太陽中心モデルには実際の観測データとは合致しない部分もあって、広く受け入れられることはなかった。

「惑星が太陽の周りを回っていると述べた点では正しかったけれど、コペルニクスにはいくつか間違った思い込みがあったんだ。そのひとつが、惑星の軌道は太陽を中心とする完全な円だと決めつけていたこと。そして、その公転速度が常に一定だとしたこと。完全な円の軌道と一定の速度。そんな、いかにもそうでありそうな思い込みを捨てきれなかったんだな」

 ただし、惑星の軌道は楕円形だとはいえ、それはほぼ円に近い楕円なのだそうだ。おそらく机上で描いてみても、肉眼では楕円なのか円なのか区別がつかないほどに。

「でも、ティコの精確な観測結果は、当時通説だった地球中心モデルとは相容(あいい)れなかったんだ」

 残念ながらティコ自身は、自分の観測結果から正しい宇宙の形を見出すことなく、この世を去ることになる。

「ティコの死後、彼が残した観測データに基づいて、惑星軌道が楕円形であることを看破したのが、ケプラーってわけ」

 惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道を描くというのがケプラーの第一法則であり、そのとき惑星と太陽を結ぶ線分が単位時間に描く面積は一定であるというのが第二法則だ。
 ティコ自身は正しい宇宙モデルに辿り着くことはできなかったものの、その観測データを引き継いだケプラーが、旧来の地球中心モデルの誤りを正して完全なものへと導き、太陽中心モデルを完全に過去のものとした。

「だから最初の犬の名前はティコで、その後を継いだ犬の名前はケプラーなんだよ」

 最初にティコの鼻の話をしたあとは黙って聞いていた部長がそう言って話を締めたので、今聞かされていたのは天文学史ではなく犬の名前の由来についての話だったのだと気がついた。

しおり