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55.ハローワークの長谷川さん

 ちひろが小さく礼を言うと、逢坂が優しく笑った。
 レンズ超しに垂れ気味の目が見え、彼がものすごく整った顔をしているのだと知れる。

(私ったら……赤い薔薇のおじさまのことが忘れられないのに、逢坂社長のことも気になって仕方がないわ。どうしよう……)

 ぼんやりと彼の顔を見返していると、わざとらしく高木が咳払いをした。

「逢坂社長。ミーティングを再開しましょう」

「そうだな。あとで残りの資料を渡す。ぜひ頑張ってくれ」

「はい」

 ちひろは頭を下げ、渡された資料の束を持って会議室をあとにした。
 気持ちを落ち着かせるため、給湯室に向かう。
 コーヒーサーバーを手に取り、中身をコーヒーカップに注いだ。

 湯気の立つコーヒーを一口含むと、ふうと息を吐く。
 今更ながら、チームリーダーたちの前で啖呵を切ったことに、心臓がバクバクとしてしまっている。

 ちびちびとコーヒーを飲むが、それでもなかなか高揚感は収まらなかった。
 そして逢坂の優しさと力強さに惹かれている自分を、少しだけもてあましてしまう。

「私って気が多いのかな? ……でも赤い薔薇のおじさまと逢坂社長って、身長とか声質とか似ているんだよね」

 赤い薔薇のおじさまのほうが鼻にかかったような甘い声で、逢坂は少し硬質的。
 だが、どちらも低く、腰に響くような痺れる声だ。
 無精ヒゲを剃ってサングラスを外せば、もっといい男になるだろうと思う。

「私って実は年上好みだったのね」

 デスクに戻ろうとしたところで、来客を告げられた。

「私に来客? 誰だろ」

 不思議に思いながら来客室へと向かう。
 そこに、ちひろにこの会社を紹介してくれた、ハローワーク職員の長谷川が座っていた。

「その後、お仕事どうかしら? 気になって会いにきたの」

 彼女が、眼鏡のチタンフレームをひとさし指で上げると、にっこりと笑った。

「そうなんですか。わざわざ、ありがとうございます」

 ちひろの目から見て、彼女はとても綺麗だと思えた。
 サラサラのロングヘアをうなじでひとくくりにし、アクセサリーは小さなダイヤモンドのピアスとネックレスだけ。

 薄めのメイクに手入れされた爪。
 白いブラウスと紺の清潔感のあるスーツ。

 以前は気がつかなかったが、左の薬指にリングをしている。

(結婚しているんだ。……当たり前か。四十歳ちょっと手前って感じだし。それにしても、品がよくて美人で、さらに心配して様子を見にきてくれるなんて、優しいひとだなあ……)

「お仕事の調子はどうかしら? 何か困りごととかあれば相談に乗りますよ?」

「ありがとうございます。困りごとではないですが、なにぶん初めのことばかりで失敗ばかりです。でも、なんとか頑張っています。この会社を紹介してくれて、本当にありがとうございました」

 ちひろが頭を下げると、長谷川が嬉しそうに笑った。

「ふふ……求職ってのは運もあるの。あなたに合う仕事が、ちょうどあのタイミングで入ってきただけ。でも嬉しいわ。中杢さんがこの会社で頑張ってくれていて」

 しばらくちひろは、長谷川と雑談をした。

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