第36話 ジャファルの裏切り
薄暗い部屋のどこにも彼の姿がないので、そっと廊下に出る。
『アリスさまに逆らうなど、国家に逆らうも同じ。公爵令嬢も愚かなことをしましたなあ』
『なんでも脱獄したらしいですよ。捕まったら絞首刑でしょう』
ロビーカフェテラスで紅茶を飲みながら、そんな話をしていた連中の言葉を思い出す。
(ひとりでフラフラ歩きまわるのは危険だわ。おとなしくしていよう)
すぐに部屋に戻ろうとしたら、どこからか話し声が聞こえてきた。
「……?」
隣の部屋の扉が、少しだけ開いている。
「……それで、追っ手の動きはどうなっている」
ジャファルの低い声が、扉の隙間から洩れてきた。
気になったローゼマリアは、足音を立てないよう隣の部屋の前まで移動する。
「はい。ローゼマリアさまの行方を、しらみつぶしに捜しているようです。ジャファルさまの正体も時間の問題かと」
「私の正体は、すでに知られているだろうな」
「かもしれません。派手にオークション会場へと乱入しましたから」
ジャファルと誰かが会話をしている。
(どこかで聞いた声ね、さっきの御者の男性……?)
ジャファルの乾いた笑いが響いてきた。
「まさか連中がローゼマリアをオークションにかけるなどと思わなかったからな。少々焦って、あのような行動に出てしまった」
(焦っていた……? やはりジャファルさまは最初に約束したとおり、わたくしを助けてくれるつもりだったのね。でも妙な連中によって、わたくしはオークション会場へと連れていかれてしまった。それで急いで駆けつけてくださったということ……? 一億ルーギルを持って……)
ローゼマリアの胸に、彼に対する甘やかな感情がこみ上げてくる。
そこまでしてローゼマリアを助けてくれようとしている彼に、言葉にできない新しい感情が生まれてきた。
(そこまでしてくれる理由を教えていただきたいわ)
しばらく込み入った話をしたのち、ジャファルがこう言い切った。
「明け方には、ここを出発する」
「はい。それがよろしいかと」
「ローゼマリアの両親はどうなっている?」
ジャファルの問いに、ローゼマリアの神経が研ぎ澄まされる。
息を呑んで、相手の答えを待つ。
「はい。あちらのほうがローゼマリアさまより先に見つかってしまうでしょう。なにしろ動きが単調すぎます。痕跡も残しておられるようで、現在は城下町のはずれにある安宿にいます」
(城下町のはずれ? ここは中心区だから近いわ! お父さまとお母さまに会える?)
「場所の特定をされているということか」
「はい。包囲網が敷かれているよで、捕まるのも時間の問題かと。いかがいたしますか? ジャファルさま」
ジャファルは、両親も助けてくれると約束してくれた。
きっと、なんらかの手段を用いて助けてくれるはず――
と思ったのに。
彼の返答は、まったくローゼマリアの期待とは違っていた。
「しばらく放置しておけ」