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六十七話 最後の八犬士の正体

「煎十郎様は、あの犬……というよりあの犬が逃がした八犬士にお会いしたいのでございますね?」


 静馬達の乗る馬が走り去ると、相変わらずの距離を保ったまま、乙霧が煎十郎に問う。


「……もしかしたら、友かもしれぬのです。拙者が南蛮の医術を学んだ府内で、共に過ごした……」


 神妙な顔つきで煎十郎が言葉を漏らす。


「確かに八犬士に興味を示してはいましたが、本人がその血を引いているなんて一度も……。だって彼らは決められた土地から一歩も出られないって……確かめたいんです。彼なのかどうか」

「……左様でございましたか。できれば風魔の方々より先に、煎十郎様を八犬士の元にお連れできればよいのですが……」


 叶わぬかもしれませんという言葉を言外に滲ませ、乙霧は足跡が続く木々の向こうへと眼をやる。


「行きましょう」


 強く言い放ったのは煎十郎だった。
 迷いが晴れた訳ではない。八海に瓜二つだった犬が背負った八犬士が、友である生野であるという保証もなければ、会ってどうしたいのかという答えも出ていない。一夜の婿になることが決まってはいても、煎十郎はまだ風魔の男である。頭領の命も受けずにこんな所まで来ることは、本来許されることではない。いくら静馬の口添えがあったとはいえ、静馬自身が小太郎に許可を得た訳ではないのだ。咎められても煎十郎に返す言葉はない。
 それでも煎十郎は、逃げた八犬士に会いたかった。保障がなくとも、煎十郎の中では、すでに最後の八犬士は生野と重なっていた。
 生野と京で出会ってから府内でともに過ごした六年間、ずっと疑問に思っていたことはある。
 なぜ自分は、生野と自分が似ていると感じたのだろうか?
 外見も内面も似ているとは言い難い。生野は誰が見ても美男子で、それを除いたとしても人を惹きつける魅力にあふれた男だ。日々逞しく成長し、知恵にも優れている。性格は明るく強気でありながら、他者に気配りもできる優しさを持ち合わせ、人の上に立つのが自然な男。それが煎十郎から見た生野という男。
 片や煎十郎の自己評価は、姿は過大評価で並。風魔衆としての試験を落ちただけあって、運動能力は体力を除いて人より劣り、集中して学んだ医術や植物学に関しては、ある程度の自信はあるものの、柔軟性がなく、学んだことを他に活かすなどということはできない。気弱で人見知りも激しい。生野と仲よくやっていけたのは、むしろ正反対のような存在だからだろうと思っている。
 それなのに、二人は似ていると感じていた。不思議だった。個体として違うのならば世の中での在り方、境遇のようなものが似ているのかと思ったが、それも違った。生野自身から聞いた彼の生い立ちでは……。
 生野は天涯孤独と聞いている。だが、その分彼は自由であった。生きる糧を得るために、その美貌を使う必要があったとはいえ、彼自身が選んだ道。己の外見を活かして生きると決めたのは彼。世話になる相手を選んだのも彼。煎十郎と府内に来ることを決めたのも、学ぶものを何にするかを決めたのも、八海を飼うと決めたのも、諸国を旅すると決めたのも彼自身。彼は自由に愛されているように煎十郎には見えていた。
 風魔衆にもらわれ、風魔の掟に従い、乱波の道を断念し、小太郎の命で医術を学び、小太郎の指示で里へと戻り、里のために学んだ医術の腕を振るい、そのうちに小太郎の決めた相手と結婚し子供をもうけ、その子供を風魔衆として里に差し出す。
 何度考えても、生野と似ている生き方ではない。
 だが、もしも生野が八犬士であったのならば、話に聞いた八犬家の未来のために命を捧げている八犬士の一人であったのならばどうだろうか。素性を隠してはいても、本人が隠しているつもりでも、言動からその立場が、生き方が滲み出てしまっていたのならば……。
 煎十郎が、二人が似ているように感じたとしてもおかしくはない。生野が八犬士であると仮定すると、すべてが腑に落ちすっきりとしてくる。


「行きましょう」


 煎十郎はもう一度言った。


「最後の八犬士に会いたいのです。彼は生野とは違うかもしれない。すでに風魔が討ち取っているかもしれない。それでも私は彼に会ってみたいのです。……乙霧殿、お力をお貸しくださいませんか?」


 乙霧は煎十郎を正面から見つめ、真摯に頷く。


「はい。行きましょう、煎十郎様。わたしは煎十郎様のためにも、私自身のためにも、最後まで全力を尽くす所存にございます」


 二人は犬と人の足跡を確認しながら、慎重に森へと分け入る。あの犬が足跡の続く先で倒れているのなら、二人と同じように犬の足跡を追ったと思われる風魔衆によって、八犬士はすでに討ち取られているか、捕縛されているかしていよう。普通に考えれば足跡を追うだけでは風魔衆よりも先に犬の元へたどり着くことはできないのであるが、いまは他に頼るものもない。はやる気持ちを抑え、足跡を追跡するより他ない。幸いだったのは、先に進んだ風魔衆が、犬の足跡が続く箇所の藪を切り払ったり、踏み折ったりしてくれたお蔭で、足跡を追うのが比較的容易であったことだ。
 森の中は静かだった。雨がやんだいまは、風が枝を揺する音がするくらいで、生き物が住んでいるとは思われないほど森は息を潜めていた。
 犬は相当奥まで入って行ったのだろう。足跡は続き、いまのところ争うような音も聞こえてこなければ、人が戻って来るような気配もない。黙して歩みを進める二人の耳に、やがて川の流れる音が聞こえてきた。ただ、近くでという感じではない。


「この辺りは、一夜の里の近くに雰囲気が似ております。もしかしたら崖が近くにあり、その下を川が流れているやもしれません」


 あたりの草木の様子から判断したのか、乙霧がそのようなことを言う。それから半時もかからずに、二人は乙霧の言ったような崖に出た。犬の足跡は崖の先端まで続いていたが、人の足跡はそこからばらばらに別れている。


「ここまで走り、崖の直前で力尽き、がけ下の川に転落した……風魔衆はそれぞれ別れて探索を続けている……ということでしょうか……」


 乙霧は納得のいかない様子を隠すこともなく、その場で考え込んだ。

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