8.素敵なおじさまの失恋話
彼はシェリートニックをあおるように飲み干すと、バーテンダーに向かってグラスを差し出した。
「同じものを……いやダンロップを頼む」
バーテンダーは無言で空になったグラスを引き下げると、カウンターの下からピカピカの新しいグラスを取り出した。
カラカラと氷を入れて、シェイカーに次々と酒を入れていく。
「ダンロップ?」
「シェリートニックに、ホワイトラムとアロマチックビターズを加えたもの。ほろ苦さが加わって、落ち込んでいるときにはおすすめのカクテルだよ」
それを聞いて、ちひろは驚くしかない。
まったく彼からは落ち込んでいる風情を感じなかったからだ。
「おじさまも……何か辛いことがあったんですか?」
バーテンダーがシェイクしたカクテルをグラスに移していく。
透明な氷がカラリと揺れたタイミングで、イケオジが呟いた。
「……辛いというわけじゃないが、少し感傷的になってしまってね」
「え? どういう……?」
極上スーツに身を固め、胸に薔薇を挿しておしゃれなカクテルを優雅に飲むイケオジに、悲哀さなんてまったく見いだせない。
首を傾げるちひろに、彼は困った笑いを浮かべる。
「今日、昔好きだった女性の結婚式に出席したんだよ。……彼女は学生時代の後輩でね」
「結婚式……」
先ほどの綺麗な花嫁を脳裏に浮かべる。
(もしかして……彼女がおじさまの、かつての想い人?)
イケオジは自嘲気味に、ははっと笑った。
その拍子に、後ろに流していた艶やかな髪が頬に落ちてくる。
「当時はおれなりに気持ちを表してきたつもりだけど、どうにもうまく伝わらなかったみたいだ。残念だが、こればかりは運命だと思っている。今は彼女の幸せを願うばかりだ」
「おじさま……」
平静なふりをしているのに、目元に悲しそうな影が落ちる。
それが、ちひろの心を締めつけ、苦しくさせた。
心配げな表情のちひろに、イケオジは乾いた笑いを浮かべた。
「辛気くさい話だな。おれの話はこれくらいにしよう。それより君の今後のことを考えてみないか? すぐに就職先が見つかるとは限らないし……」
憧れの先輩にフラれてしまった自分の思い出と、彼の侘しそうな顔が重なって、どうしようもなく悲しい気持ちになっていく。
大人の彼が見せる器の広い優しさに、ちひろの胸からモヤモヤとした感情が溢れ出てしまった。