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事故から一週間もしないうちに美麗さんのご両親から謝罪があった。初めは病院や私の家まで来て謝りたいと言っていたのを丁重にお断りして、後日こちらから城藤家に伺うことで話がまとまった。母には事故の経緯を詳しく言っていないので今更心配をかけたくなかったから。
私と接触した車の運転者へも金にもの言わせて事故を早期に収束させたようだ。私の治療費も母に知られることなく城藤が負担してくれた。
結局どこまでもお金の力で解決させるところは呆れを通り越して感心してしまう。
浅野さんに付き添ってもらって訪れた城藤邸は、もう坪数も分からないほど広い敷地で、門から数十メートル歩いてやっと玄関にたどり着ける。
松葉杖を使わなくてもなんとか歩けるようになったけれどまだ少し足に痛みがあって、浅野さんに横にいて支えてもらわなければ玄関までの砂利道は歩きにくかった。
迎えてくれた優磨くんに応接室に通されると、ご両親に土下座されてしまった。美麗さんのご両親だからさぞ横柄な人だと思っていたけれど、予想していたよりもずっと普通な人たちだった。どうしてこのご両親が育てたというのに美麗さんはああなってしまったのだろう。
優磨くんの礼儀正しく品のあるところはご両親によく似ている。この家では美麗さんが異質に思えるほどに。
元々浅野さんとの結婚を許したのも美麗さんがまともになることを期待してのことだったらしい。結局はうまくいかなかったのだけれど。
浅野さんはご両親の前で改めて美麗さんが私と浅野さんに二度と関わらないようにと約束させた。美麗さんとの結婚が破談になった時にも、もう関わらないとお互いに話し合いをしたそうだ。それが美麗さんが戻ってきたことによって有耶無耶になってしまったのだけれど。
最後にもう一度美麗さんと話がしたかった私は美麗さんの部屋の前まで案内された。あれから更に引きこもりがちになり、以前のような明るさがなくなってしまったという。
浅野さんは美麗さんが自分で選んで行動した結果だから放っておけばいいと言ったけれど、私は最後にどうしても伝えたいことがあった。
監視されているとは聞いていたけれど部屋には鍵がかけられているわけでもなく、中からも音楽が聞こえ美麗さんの動く気配がする。漏れ聞こえてくる曲はKILIN-ERRORのデビュー曲だ。それは過去に匠が美麗さんをイメージして作った曲をアレンジしたものだ。今も美麗さんは一人で苦しんでいることが堪らなくてドアをコンコンとノックした。
「美麗さん……美紗です」
「………」
中の音楽が止んだ。美麗さんの返事はない。でもそれは予想していたことだ。
「あのとき無事でよかったです。美麗さんに怪我がなくて」
「………」
美麗さんの返事は期待しないでドアの外から話し続けた。
「ごめんなさい」
私は最後まで美麗さんの味方になれなかった。美麗さんのために心を砕くことができなかった。悪意を向けてしまった。
「それでも美麗さんと過ごした時間は楽しかった」
ワガママで非常識なことばかりやっていたけれど、いつの間にか私は笑顔になっていたから。大学生活で思い出すのはいつも美麗さんとの時間だった。
「ありがとうございました」
朝まで飲んで騒いで、楽しかった時間だって存在した。友達だと言える関係だった。
私にないものを持っていた美麗さんが羨ましくて大嫌いで、大好きだった。
「美麗さんの幸せを願っています」
どうかドアの向こうのお嬢様が心から笑える日がきますように。
ドアから離れて帰ろうとする私に「美紗ちゃん、ごめんなさい……ありがとう」とその小さな声は確かに聞こえた。
門まで優磨くんが見送ってくれた。
「わざわざすみませんでした」
「こちらこそありがとう」
始終申し訳なさそうな顔をしていた優磨くんに私も浅野さんも笑顔を見せる。
「今日はいいきっかけになったの」
これでやっと私も浅野さんも前に進めるのだ。
「それは俺も同じです。いっそう城藤家で力を得ようって決めました。姉のためにも」
城藤一族の中で美麗さんの立場は危ういものになってしまう。結婚式をぶち壊して男に捨てられ、心を病んだ哀れなご令嬢。今の彼女は城藤に見捨てられたら生きていくことは出来ないだろう。
「確実な権力を手に入れて姉を守りますから」
「権力ってお前が言うと恐ろしく聞こえるな」
「どういう意味ですかそれ。慶太さんもぼやぼやしてると大事なものを奪われちゃいますよ」
その言葉に浅野さんは無表情のまま私と優磨くんの間に一歩割って入った。
「そうそう、そうやって守ってくださいね」
ニコニコと笑う優磨くんとは反対に浅野さんはむすっとしている。
「前から思ってたんだけど優磨くんって美麗さんとは似てないよね。家族なのに」
「そうですか? そっくりですよ。欲しいものを手に入れるためには手段を選ばないところとか。姉と違って頭を使いますけどね。例えば美紗さんとデートするとしたら色々なものを貸し切って……」
「もういい足立さん帰るよ」
「えっ浅野さん……」
浅野さんは優磨くんの話を遮って私の手を引くと強引に車の助手席に押し込んだ。
「慶太さん、焦ると隙を突かれますからね」
「うるさいよ優磨」
浅野さんは運転席に乗ってシートベルトを締めると車を発進させた。
「じゃあね優磨くん」
「はい、また」
窓を開け優磨くんに手を振って城藤邸を後にした。
しばらく走っても浅野さんはずっと無言だった。
「浅野さん、これからどうしますか?」
この後の予定は何も決まっていない。このままどこか食事に行くのかと思ったけれど、浅野さんは何も言おうとしない。少し考え事をしているようなので私もそれ以上何も言わないまま窓から外を眺めていた。
「着いたよ」
「え、ここ?」
海沿いを車で走ってきたけれどいつの間にか森に入り、丘を登って着いたここは花畑に囲まれたレストランのようだ。駐車場に車を止めると浅野さんはシートベルトを外して先に下り、助手席に回ってドアを開けてくれた。私も車から降りた瞬間、風が吹いて髪も花もふわりと揺れた。
「ここで食事ですか?」
「うん。でもそれは後」
浅野さんは私に向かって手を伸ばしたから、その手の上に私の手を重ねた。支えられながらレストランの横を抜けて、奥へと続く道を進むと白い建物が見えてきた。白レンガの壁の上にはアーチ状に模られたガラスの屋根がある。建物の扉の左右には高さのある細い台座が置かれ、白い花の茎が絡みつくように飾られている。
「わぁ、可愛い……」
思わず呟いた。建物の更に奥には噴水が設置されている。噴水の回りにも花が飾られ、浅野さんと二人だけのこの場所はまるで違う世界にいるようだ。
「気に入った?」
「はい、とても」
私は浅野さんから離れて白い建物の前に立った。現実離れしたここにいると、まるで自分がお姫様にでもなったようだ。
「じゃあここにしよう」
浅野さんの言葉に振り向いた。
「足立さん、ここで結婚式をしよう」
「え?」
「ここはチャペルなんだ。さっきのレストランは披露宴に使えるんだよ」
「え……え?」
戸惑う私は言葉に詰まる。
浅野さんはゆっくりと私に近づいた。
「足立さん、結婚しよう」
突然でもその言葉ははっきりと聞こえた。そうしてジワジワと目が潤んできた。
過去に傷を負った浅野さんから結婚なんて言葉が聞けると思っていなかった。期待しなかったわけじゃない。ずっと望んでいた。でももっと時間がかかると思っていた。
「君とずっと一緒に生きていきたいから」
「っ……」
顔を手で覆った。涙が止まらない。きっとメイクが落ちて酷い顔になっているだろう。
「君がそばにいてくれたら、僕はそれだけで幸せだよ」
私の体が浅野さんの腕に包まれた。
「愛してる。僕と結婚してください」
「はい……お願いします」
嗚咽しながら出した返事に浅野さんが耳元でふっと笑う。頬を私の頬にすりつけたのを合図に顔を動かして、二人の唇と唇を重ねた。