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「それにしても、足立さんって本当に大胆だよね」
「そうしないと浅野さんはいつまでも相手にしてくれないんです」
「そんなことないよ」
浅野さんは再び私の髪にキスをする。体を起こして唇を髪から耳へ。耳から首へ。
「っ……」
きっと私は首が弱いことを浅野さんにはバレている。耳の下に触れるだけの優しいキスを、うなじにはちゅっと音を立ててキスをする。『軽く扱いたくない』と言っておいて、本当は焦らされているのではないかと思えてくる。このままでは本当に引かれてしまうくらい大胆なことをしてしまいそうだ。
体を反転させて浅野さんの方を向くと、今度は私が浅野さんに抱きついた。喉仏に吸い付くようにキスをする。
「キスマークがついたら恥ずかしいんだけど……」
浅野さんの焦った声が頭の上から聞こえてくる。
「浮気防止です」
「浮気なんてしないよ」
「知ってます……」
絶対に私を裏切らないって分かってる。これは浮気防止なんかじゃない。浅野さんを独占したいって願ったら思わず強くキスしてしまったのだ。
「今日は僕外回りなんだけどな」
「ずっとマフラーしてれば大丈夫です」
「ほんと、こんな無茶苦茶な子だとは思わなかったよ」
「浅野さんの前だとこうなっちゃうんです」
たくさん触れたい。たくさん触れてほしい。自分でもどうしようもない。
「好きです」
浅野さんの鎖骨にキスをしながら呟いた。
「浅野さんが好き……」
「うん……」
私の溢れる好きの気持ちに言葉で返してはくれない。未だに浅野さんの口から私を「好き」だとは言ってくれたことがない。それでもいい。今は浅野さんを急かしたくない。
「待ってます」
浅野さんから好きって言ってくれるまで。
私の言葉に浅野さんはまた「うん」と答えた。ただこうして抱き締め合って、キスをして、それだけでも十分幸せな時間だ。
この関係は恋人だとはっきりしていない。けれど今の浅野さんは今まで見たことがないくらい甘くて優しい。会社にいるときや優磨くんといるときの態度と、私と二人きりの時とでまるで違う。あの冷酷でセフレまでいた浅野さんが、私といるときは昔の浅野さんに戻ったようだ。たくさん笑ってくれる。たくさん触れてくれる。女の人と連絡を取ることもない。誠実で私を大事にしてくれる。これが私の望んだことだった。
今はまだ恋人未満で構わない。
出勤前にコンビニで慌てて買ったパックのクラッシュゼリーを吸いながら片手でキーボードを打つ。浅野さんの家を出るギリギリまでベッドの中にいたから結局朝ご飯は食べられなかった。自分の車で直行の浅野さんはのんびりできても、私はメイクをして髪を整えたら始業時間ギリギリだった。
『間に合った?』と浅野さんからのLINEに返信するとまたすぐに通知音が鳴る。今度は潮見からだ。
あれ、潮見今フロアにいるのに。
『髪型とカーディガンで誤魔化してるけど昨日と同じ服なのバレバレだよ!』
潮見のメッセージを読んで浅野さんの家に泊まったことがバレて顔が赤くなる。下ろした髪を今日は結んで、会社のロッカーに置きっぱなしのカーディガンをずっと着て誤魔化していたけれど潮見にはお見通しだ。
「外回りいってきますー」
フロアのドアから潮見がスマートフォンを持ちながら顔を出して私に手を振っている。それに笑いながら手を振り返した。
浅野さんとの関係が進展したことを潮見には報告している。「だから最近優しくなったんだ」と納得していた。確かに浅野さんは笑うことはまだまだ少ないけれど女性社員とも目を合わせるようになった。雰囲気が柔らかくなったと言われている。
そうなると心配なのは浅野さんの魅力に他の女の子が気づいてしまうことだ。今江さんは重要ではない報告をして資料を何度も浅野さんに見せに行っている。それに浅野さんが気づいているかは分からないけれど、私は内心穏やかじゃない。
再びLINEの通知がきて見ると『ギリギリまで放さなくてごめんね』と浅野さんからのメッセージだ。句読点も顔文字も使わないシンプルなメッセージだけど彼の気遣いが嬉しい。
『今日の予定は?』
もう何度目かの質問に私は今日の予定を返信する。仕事の内容から退勤後の予定まで。といっても家に帰るだけで予定も何もないのだけれど。
浅野さんは私が何をしているのか聞いてくることも増えた。普通なら束縛されていると嫌がるのかもしれないけれど、浅野さんがそう聞いてしまう理由がわかるから私は正直に伝える。私のことを大事にしてくれるからこそ、過去の恋人のように裏切られるのが怖いのだ。どこで何をしているのか聞かずにはいられない。
自分でも言っていたように浅野さんはワガママで面倒くさいかもしれない。一度決めたら今朝のように遅刻ギリギリまで私を放さないし、内緒で優磨くんのカフェに行くと言葉では言わないけれど不機嫌になる。嫉妬してくれるのは嬉しいけれど、優磨くんに会いに行ったんじゃなくて仕事で新作ドリンクのポスターを持って行っただけなのに。優磨くんも「美紗さんを泣かせたら俺が奪います」なんて冗談で言うものだから優磨くんにまで警戒しているようだ。
私が浅野さん以外に気持ちがいくわけないのに。不安にさせるようなことは絶対しない。
『キスマークはすぐ消えたよ』
そんな報告を少しだけ残念に思ってしまった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ブックカフェのカウンターに座って抹茶ラテを注文する。
店長が私の前にカップを置くと「今日は浅野さんと待ち合わせですか?」と問う。
「はい、お店の前に車で来てくれるので、浅野さんは中に入っては来ないんですけど」
店長も私と浅野さんが良い雰囲気になったのを知っている。お店での優磨くんとの会話で察したようだ。
「そういえば今日は優磨くんお休みですか?」
「ええ、出勤予定だったんですけど、急に休みになっちゃって」
「体調不良ですか?」
「ご家族に何かがあったみたいで、どうしても来れなくなったって連絡があって」
「そうですか……ご家族が怪我か病気でもされたんでしょうかね……」
「そんな深刻な様子ではなかったですよ。でも大変な事態とかで」
優磨くんがどうしても休まなければいけないとは城藤家で何かがあったのかもしれない。
「御曹司は大変ですね……」
店長がふと呟いたのに驚いた。
「あの、優磨くんが城藤家の人だってご存知なんですか?」
優磨くんはスタッフに知られたくないと言っていたのに。
「まあ名前でわかりますよね。採用したときには気づいてました。ヘラヘラしてるように見えて頭が良いし品のある子だし」
「確かに……」
一見するとどこにでもいる学生なんだけど、優磨くんにはどことなく品がある。
「バカな金持ちの息子って訳じゃないから付き合いやすいですしね。本人が自分から言わないから私も他のバイトには言ってないですけど」
「その方が優磨くんも助かると思います」
LINEの通知がきて浅野さんがカフェの前に着いたようだ。
「じゃあ私はこれで」
「ありがとうございました。デート楽しんできてくださいね」
店長に笑顔を返してカフェを出ると、前には見慣れた車が止まっている。4年前に見たものとは違う車にしたようだけれど。
「お疲れ様。待たせてごめんね」
「いいえ、店長と楽しく話してましたから」
「優磨は?」
「今日はお休みみたいです」
浅野さんは暫く考えてから「そう」と呟いた。
「行こうか」
「はい」
今から大手企業が開店したレストランに偵察も兼ねた食事にいく。これがデートといえるかはわからないけれど、浅野さんがそうしたいならそれでいい。どこに行ったって、何をしたって浅野さんとなら幸せなのだから。