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「足立さんは潮見さんの言うように一途だと思ったから」
「え?」
浅野さんは前を向いたまま私に言った。
「自分を安売りしたり傷ついてほしくないんだ」
「私に傷ついてほしくないんですか?」
一途だと思ってくれて今まで以上に意識してしまう。傷ついてほしくないって言われて期待してしまう。
「足立さんのように好きな人を大切にしたいって思ってくれる子は、同じくらい足立さんを想ってくれる人といなきゃだめだ」
目が潤むのを感じた。鼻の奥がつんと痛む。
私が想ったのと同じくらい私のことを想ってくれる人と……。
「足立さんだけをちゃんと見て、一途に想い返してくれるくらいの人とね」
「そんなこと……許されるんでしょうか?」
私の言葉に浅野さんは振り返って不思議そうな顔をしたけれど
「足立さんに好かれる人は幸せだよ」
と珍しく優しい目をして言うから、ついに大粒の涙が私の頬を伝った。
あなたを想うことは罪深いんです。私は純粋なんかじゃない。清らかじゃない。真っ黒に汚れてズルい。浅野さんにそう言ってもらえる資格なんてない。なのに私に好かれる人が幸せだと言うのなら、私はあなたを幸せにしたい。
「浅野さんが好きです」
ついに言ってしまった。私を見る浅野さんは目を見開いた。
「………」
「私は浅野さんが好きです」
黙ったまま突っ立っている浅野さんにもう一度想いを伝えた。
「足立さん酔ってる?」
「酔ってません!」
フラフラするし頭も痛いけれどこの気持ちは酔った勢いで湧いたものじゃない。
「ずっと前から好きでした」
あなたの隠れた優しさが。油断したときに見せる笑顔が。
「それとも今熊田くんから助けたことで勘違いしてる?」
「違います! 本気です!」
「足立さんは酔ってるし、僕がピンチに助けたことでそういう気持ちに向いちゃったのかもしれない」
「違うんです! 私ずっと……」
あなたが好きだった。
下を向くと涙がぽたぽたと地面に落ちてシミになる。
「今日のことも今の気持ちも明日になれば忘れるよ」
「………」
今度は私が黙る番だった。浅野さんは私を受け入れないどころか、この気持ちを勘違いだと否定する。
「僕を愛さない女に興味はないよ」
「え?」
この言葉を聞いて私はぐしゃぐしゃな顔のまま浅野さんを見た。
愛さないなら興味はないってどういうこと? 私はたった今告白したというのに。
「今の君は雰囲気に飲まれてるんだ」
「そんなこと……」
「素面なら全然起こらない感情だ」
何を言っても今の私をこの人は否定する。
「お酒は控えな。足立さんは酔うと泣き出すタイプみたいだし、熊田くんみたいなのに狙われたら困るでしょ?」
「………」
言い返すことができなくなった私から離れて道路に近づく。手を上げた浅野さんの前には一台のタクシーが止まった。
「乗って」
「嫌です」
まだ話は終わっていない。やっと気持ちを少しでも伝えたのだから。
「どうして気持ちを聞いてくれないんですか!?」
「………」
受け入れてもらえなくてもいいからこの人に最後まで知ってほしい。あなたを大事に想う女だっていることを。
「浅野さん!」
浅野さんは私の腕を強引に掴んだかと思うとタクシーに押し込んだ。普段の浅野さんからは想像できない強引な行動に抵抗する暇もなく、タクシーの後部座席に転がるように乗せられた。そして手に一万円札を押し付けられる。
「これで家まで帰りな」
手の中で丸まるお札を見て一瞬で怒りが頂点に達した。
「浅野さん!」
「怖いんだ」
「え?」
「出してください」
屈んで運転手にそう伝えると浅野さんはタクシーのドアを強く閉めた。
私は慌てて窓を開けて浅野さんの名を叫んだ。
「気をつけて」
私に別れを告げるこの人は相変わらず無表情だ。
「素面でもう一度告白したら信じてくれますか!?」
「………行ってください」
浅野さんの答えを聞く前にタクシーは動き出した。
去り際に見た浅野さんが泣きそうに目を赤くして見えたのは、私が酔っているからなのだろうか。
「どちらまで行かれますか?」
空気を読んだように浅野さんの姿が見えなくなってから声をかけてきた運転手はこんなシチュエーションに慣れているのかもしれない。自宅の大雑把な場所だけ告げると私は目を閉じた。
どこかで思っていた。私の気持ちに喜んでくれるんじゃないかって。あなたを好きになる人はここにいるんだよって知ってほしかった。
『足立さんに好かれる人は幸せだよ』と言ったのに、『怖いんだ』とも言った。恋愛が怖い。そういう意味なのだろうか。またも私の言動で彼の傷を抉ったかもしれない。
それでも私はあなたを幸せにしたい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
年内は浅野さんと一度も会うことはなく、年が明けても出勤すると言っていた浅野さんは現場に行ったまま会社に来た様子はなかった。
返すつもりだった一万円だってデスクに置いておくわけにもいかない。中途半端に気持ちを伝えてしまったことで数週間もの間苦しくなった。
食堂に入って潮見が買ってきたお弁当を広げた。
「ねえ美紗ちゃん、いい加減教えてよ。忘年会の後浅野さんと何があったの?」
「………別に」
「もう、またそれ? 何もないわけないでしょ」
浅野さんに気持ちを伝えたことも潮見には言っていない。そして中途半端に逃げられたことも。
「美紗ちゃん……」
潮見が真剣な顔で私の顔を覗き込んだ。
「浅野さんと寝た?」
「は!?」
「いや、もしかして浅野さんが噂通り美紗ちゃんと一晩過ごしたけどそれっきりの人だったのかなって……」
「全然違うよ」
一晩だけでもいい。酔った頭でそんなことを期待しなかった訳じゃない。でもそれすらもなかった。
「酔ってることを心配されてタクシーに押し込まれて帰された」
「そっか……それは良いのか悪いのか、だね」
「やっぱり会社の子には手を出さないんだよ」
「じゃあ何であんなこと聞いたのかな?」
「ん?」
「美紗ちゃん実はね、さっき浅野さんと車で移動してたんだけど、美紗ちゃんのこと聞かれたよ」
「え?」
「美紗ちゃんって彼氏いるのかなって」
「はい?」
浅野さんが? 本当にそんなことを聞いたの?
頭にたくさんの疑問符が浮かぶ。
「それ潮見の作り話じゃなくて?」
「失礼な! 本当のことだよ」
潮見は頬を膨らませる。小柄で可愛らしい容姿の潮見はそんな表情も嫌みがない。
「何もなかったのは美紗ちゃんが特別だからじゃない?」
「いや、それはないよ。だってあの浅野さんが私に興味持つとは思えないから」
「あの浅野さんだからこそ、そんな質問をしてくるってことは美紗ちゃんに興味があるってことだよ」
「うーん……興味ね……」
潮見が嘘を言うとは思わないけど、浅野さんが私のことを聞いたというのも信じられない。彼が誰かに興味を持っているのかも分からない。一番距離が近いとするなら優磨くんに気を許していそうだ。私に彼氏がいるのかを聞くなんて、浅野さんにしては不自然な気がする。