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「ほんと……浮気最低……」

あの時あの人を止めていれば、全部がうまくいったのに。

「足立さん?」

名を呼ばれて我に返り顔を上げると浅野さんが私を見つめていた。

「………え?」

「大丈夫?」

回りを見ると潮見も熊田さんも、同じテーブルの同僚が私を見ていた。

「なんか今の言葉に恨みが籠ってたよ。もしかして足立さんも浮気経験者?」

熊田さんの指摘に慌てて誤魔化す。

「違います違います! 浮気はしたこともされたこともないですよ! すいません酔っ払ったみたいで……」

酔ったせいか浅野さんが珍しく私を見ているからか、体がどんどん熱くなる。

「熊田さんの言うとおりです」

「俺?」

「恋人がいるのに浮気をする人は誰のことも大事にできないのかもしれません」

私なら恋人以外に浮ついたりしない。

「大事な人には私だけを好きでいてほしい」

二股も三股も、一人に決められないなら全員と別れてあげた方が救われるかもしれなかった。

「私だってその人の過去もこの先の人生も家族も友達も、全部守りたいから」

大切にしようって決めた人に裏切られて消えられたら、どれだけ絶望的だっただろう。

「私なら絶対に浮気なんてしない」

裏切ったりしない。あなただけを好きでいる。

「足立さんかっこいい!」

熊田さんの声に自分が恥ずかしいことを言ったと更に顔が赤くなる。

「足立さん本当に浮気された経験ないの?」

「ないです! 本当に!」

私を見てにやつく熊田さんに慌てて否定する。

「美紗ちゃんてとっても一途なんですよ」

潮見が浅野さんに向かって話しかけた。

「潮見やめてよ……」

浅野さんの反応が見られなくて下を向いた。私が一途と言われたことに対して返答はないけれど、浅野さんが私を見ていることは分かる。前から視線を感じるから。

「ほんと、足立さんって一途だね」

熊田さんが私の顔を覗き込んだ。ニヤニヤと下品な顔をして。

「可愛いなあ」

私にしか聞こえない小さな声で囁いた。あまりの気持ち悪さに酔っているのとは違う理由で吐き気がした。

なんとか吐かずに耐えてお開きになった。店を出て二次会に行く人は繁華街を更に奥に歩いていく。

「あれ? 浅野さん帰るんですか?」

駅に向かって歩き出した浅野さんの背中に潮見が声をかけた。

「明日も出勤だから」

振り返った浅野さんは『帰るのは当たり前だ』という顔をしている。やっぱりこの人は二次会には参加しない。社内の人と最低限の付き合いだけで、深く関わることを極力避ける。

「じゃあ」

「お疲れ様です……」

私からどんどん離れていく背中を見るのが苦しい。帰ってほしくない。でも近づいて拒絶されるのが怖い。

「美紗ちゃん、行って」

「え?」

横にいた潮見が私の背中を軽く押した。

「浅野さんと駅まで帰りな。そんでうまいことホテルにでも家にでも行っちゃいな!」

「は!?」

潮見はとんでもないことを口にした。

「浅野さんを忘年会に連れてくるのも大変だったんだよ! 美紗ちゃんのために頑張って誘ったんだから!」

潮見の様子から浅野さんを連れてくるのに必死になってくれたのが分かった。

「一夜だけでもいいから既成事実を作って!」

更に背中を押されて一歩前に足が出た。

「頑張って!」

そこまで応援されては浅野さんを追うしかない。

「うん……やってみる……」

潮見に手を振って早足で浅野さんを追いかけた。

「浅野さん!」

あと数メートルに近づいた浅野さんの背中に向かって声をかけた。それに気づいた浅野さんが振り返って足を止め私を見た。

「あのっ……」

浅野さんに近づけると思った瞬間「足立さん」と声をかけられ、突然手を捕まれて後ろに引っ張られた。

「やっ!」

バランスを崩して転びそうになったとき、誰かの腕に支えられた。

「あ、ごめーん、強く引っ張りすぎたよ」

そう言ってゲラゲラと笑うのは熊田さんだった。

「どこ行くの? 俺ともう一度飲みに行こうよ」

私の腕を掴んだまま放す気配のない目の前の男は気持ち悪いほどの笑顔だ。

「いや、帰りますから」

「なら送ってくよ」

「一人で帰れます」

腕を振りほどこうとしても熊田さんの手は離れる気配がない。

「危ないよ、女の子一人じゃ」

あなたと帰る方がよっぽど危険ですと言いたい。でも刺激したらこの男はもっと危なくなるかもしれない。密着した体を離そうと腕で押しても熊田さんは私から離れない。だんだん掴まれた手が痛くなってきた。助けを求めて浅野さんを見ると、彼は私たちを見て立ち止まったまま黙っている。

「ねえ、行こうよ」

手を引っ張られて駅から離れようとする。私は足に力を入れて抵抗した。

嫌だ! 熊田さんとなんて!

「怖くないから」

「嫌です!」

「熊田くん、手を放すんだ」

割って入った声に熊田さんの手の力が弱まった。浅野さんがいつの間にか近づいて私たちの目の前に立っていた。

「浅野さん…?」

熊田さんは明らかに動揺した。

「熊田くん、その手を放しな」

「いや、あの……」

まさか浅野さんに止められるとは思っていなかったようだ。

「熊田くん酔ってるみたいだし、足立さんは僕と駅まで帰るから。君はまだ飲み足りないならみんなのところに行きな」

「でも……」

「二次会はあっちだよ」

浅野さんは顎を振って繁華街を指した。その動作から少しだけ怒りを感じた。そう思ったのは熊田さんも同じなのか、先輩の前では強く出られないのか、掴んでいた私の手を解放した。

「お、お疲れ様でした……」

「うん、お疲れ」

その言葉を合図に熊田さんは慌てて繁華街を走っていった。呆気にとられた私はひたすら浅野さんを見ていた。

「帰ろうか。駅までなら送ってくよ」

「はい……」

一歩先に歩き出した浅野さんの後ろをついていく。

「あの…ありがとうございました。助けていただいて」

「別に。足立さん嫌がってたのに強引に連れてこうとする熊田くんに呆れたから」

浅野さんは抑揚のない声で振り返ることなく答えた。

「嬉しかったです……」

思わず本音が出た。だって浅野さんに助けてもらって嬉しくないわけがない。

「もし熊田くんに簡単についてくような軽い子だったら助けなかったよ」

「そう、ですか……」

熊田さんについていくなんて万に一つもないのだけれど。

「誘われたから簡単についていくノリの子が苦手だから」

「私も軽い調子の人は苦手です。でも熊田さんについてく人なんて滅多にいないと思うんですけど」

前を歩く浅野さんが小さく笑った気配がした。鼻にかかったような息を短く漏らす音がする。
ああ、そうだ。この人にはついていっちゃうような女に心当たりがあるんだった。私が浅野さんに軽い女だと思われなかったのはよかったけれど。

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