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ブックカフェを慌てて出てきてしまって以来、浅野さんとまともに会話をしていない。きっと変な人だと思われているかもしれないことが恥ずかしい。なるべく近づかないようにして、最低限のやり取りもメモを残すか、潮見や今江さんに確認してもらった。



そんなことをしている内に12月に入り、あっという間に忘年会の日となった。毎年レストラン事業部の社員全員で忘年会が通例になっている。年末に休業している自社の店舗を貸し切りにして、調理員の作る料理を食べるのだ。
けれど私にとってはあまり楽しくない時間だ。同じ部署、同じ課の同僚と飲むのなら構わないけれど、今日は苦手な男がいる。私の隣に座ってやたらと話しかけてくる熊田という社員だ。

「これ俺が作ったんだ。足立さん食べてみてよ」

「ああ……はい……」

白身魚とパプリカの炒め物を勧めてくる熊田さんは私の同期だ。同期だからといって特別親しみを感じたりはしない。けれど、熊田さんは会う度に絡んできて鬱陶しく思うことがある。

「全然飲んでないじゃん。もっと飲もうよ!」

「はい……」

空いたグラスにどんどんビールを注いでくる。
熊田さんはこの店に勤務している。仕事で店に来たり電話を掛けたりするとしばらく捕まって逃げられない。

「足立さん今度さ、同期会やろうよ」

「はあ……同期会ですか……」

「入社して3年になるしさ。ここで親睦をさらに深めようよ」

そう言うと組んだ足を組み替えるふりをして私に体を近づけた。馴れ馴れしい態度に寒気がする。

「そうですね……いいんじゃないですか?」

「もう! 何でいつもそんなよそよそしいの? 俺ら同期じゃん。敬語やめてフランクにいこうよ!」

自惚れなんかじゃない。私に対する露骨なアピールに熊田さんをどんどん嫌いになる。同期だから熊田さんと親しい付き合いをしようと思ったことはない。所属が違うと関わることも最低限で、特に店舗勤務であれば内勤の私は顔と名前しか知ることがない。それなのに熊田さんは積極的に関わろうとしてくる。同期全員と仲良くしたいわけじゃないことをこの人は察してくれない。

「はい、どんどんいっちゃいな」

熊田さんは焼酎の入ったグラスまで私の前に置いた。そろそろお酒をセーブした方がいいかもしれない。頭がぼーっとしてきた。
誰かに助けを求めようにも、同じテーブルの人はみんな誰かと話に夢中だ。熊田さんを挟んで隣には今江さんが座っている。私に絡むのをやめて今江さんにいってくれないかと期待したけれど、今江さんもこっちの話題に入る気配はない。

「足立さんいつ暇?」

いつの間にかじりじりと近づいてきた熊田さんの膝と私の膝は今にもくっついてしまいそうだ。
もうこの人嫌だ……気持ち悪い……。
その時お店のバックヤードの扉が開いて浅野さんと潮見が入ってきた。

「お疲れ様ですー」

私と目が合って微笑む潮見の顔を見てほっとした。
潮見は浅野さんと県外店舗に行っていた。忘年会に来られるのか分からなかったけれど間に合ったようだ。

「遅いよー……」

「ごめんね」

潮見が私の座るテーブルに近づくと他の同僚が席をあけた。

「浅野さんもこちらにどうぞ」

どこに座るか迷っている様子の浅野さんに潮見が声をかけた。

「潮見……」

「いいからいいから」

私のためと思って浅野さんを呼んだのだとは分かるけど、余計なお節介でもあった。横目で熊田さんの隣を見ると今江さんが浅野さんを気にしだした。

「じゃあお邪魔するね」

浅野さんは無表情で潮見の隣、私の向かいに座った。
潮見は同じテーブルの女の子と話し始め、熊田さんは変わらず私に馴れ馴れしく話しかけているけれど、私の方は適当に聞き流し浅野さんを見ていた。私が見ていることに気づかれないよう浅野さんの手元を見て、お酒を注いだり取り分けた料理を渡すときに顔をさり気無く見た。
浅野さんは相変わらず目を見ないでお皿を受け取り、誰とも話さずひたすら食べていた。
この人、綺麗に食べるんだな
長くて細い指が箸を絡め、手を添えて料理を口に運ぶ仕草に色気を感じる。暗めの照明が当たり、メガネの奥の長いまつ毛が目の下に影を落として瞬きと同時に揺れた。
気づかれないようにしていたつもりが、いつの間にか浅野さんから目が離せないでいる。

「浅野さん、それ作ったの俺なんです!」

私の夢見心地をぶち壊したのは熊田さんの声だった。

「へえ、熊田くんが。おいしいよ」

「ありがとうございます!」

ゲラゲラと下品に笑う熊田さんは上品に食事をする浅野さんと比べて更に気持ち悪く感じた。

「ええ!? 最低!」

突然潮見が怒って叫んだ。

「びっくりした……どうしたの?」

私は呆れて潮見を見た。

「ごめんー、だって今江ちゃんが彼氏と別れた理由が酷くて」

「もう言わないでください……」

今江さんは困ったように笑う。

「え? え? 何で別れちゃったの?」

熊田さんが今江さんの話に食いついた。

「浮気されたんです。しかも三股で」

「うわー……それは最低だね」

私も思わず呟いた。

「ね、最低でしょ?」

潮見が自分のことのように怒っている。

「もう誰が本命だったかも分からなくて……最後は泥沼でした」

辛い話題とは反対に今江さんは悲しんではいないようだ。

「前から浮気を疑ってはいたんです。だから別れてよかったです」

心から別れてよかったと思っているのか、今江さんの顔は晴れやかだ。

「そうそう、浮気するやつって結局誰のことも大事にできないんだよ。自分が一番大事なの。だからそいつと別れて正解!」

熊田さんが力強く今江さんを励ました。そう言う熊田さん本人が浮気をしそうだけど、と思ってしまったことは口には出さない。

「ほんと、次は誠実な人と付き合いたいです」

と言って浅野さんをちらっと見たことを私は見逃さなかった。
浅野さんなら絶対に浮気をしないだろうとは思う。だって浅野さんは裏切られたらどれだけ傷つくか身をもって知っているはず。
その一方で浅野さんの女性関係が乱れているという話も、ふらつく頭で思い返していた。
浅野さんは話に入ってくる様子もなく食べて飲んで、時々スマートフォンを弄っている。浮気の話を聞いているのかも分からない。
酔っているのを理由にして浅野さんに近づけないかな……。ああでも会社の子には手を出さないんだっけ。だめだ私、完全に酔ってる。普段ならそんなこと考えたりしないのに。
誰かを好きになると人はこんなにもバカになる。他人の恋愛に関わっただけでも悩んで苦しい。そう、恋だの愛だのは人生を左右する。

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