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ホームセンターに着くと直矢さんは大きなカートにカゴを載せた。

「たくさん買うんですか?」

「フライパンの他にも布団カバーやバスタオルも古くなってきたので換えたいです」

「本当に心機一転ですね」

私の言葉に直矢さんは微笑んだ。そこまで買い換えたいと思った理由はなんなのだろうか。

「武藤さんは……」

言いかけて口をつぐんだ。直矢さんは「ん?」と首を傾け何かを言いたそうにしている。私が「直矢さん」と言い直すと満足そうに笑った。

「直矢さん料理はするんですか?」

「ええ、休日は。今度作ってあげましょうか?」

そう言われて今度は私が困る番だ。作ってもらうとしたらどこでだろうと考えて、どちらかの家にいかなければいけない状況を思うと、この関係が正式なものにならない限り遠慮しなければいけない。

「そ、そのうち……」

そう答えるのが無難で精一杯だ。

「うちには来客用の食器がないんですよ。美優はどのお茶碗がいいですか?」

直矢さんは青とピンクのお揃いのお茶碗を手に取った。

「可愛いのはこれしかないですね。あとで雑貨屋にも行きますか?」

「いいえ、これでいいです!」

私は直矢さんがペアのお茶碗をカゴに入れるのを直視できない。これから直矢さんの家には私用の食器があるのだと思うと、いつかは必ず直矢さんの家に行かなければいけないと焦る。今の私にはまだ心の準備ができていない。

「直矢さん、犬見たいです!」

私は勢いよく話題を変えた。このホームセンターはペットショップも併設されている。直矢さんは犬が苦手なのは知っているけれど私は見に行きたかった。

「美優が見たいのならいいですよ」

私は直矢さんの前を早足で歩いた。何度も「美優」と呼ばれて赤くなった顔を見られないように。

ペットショップの壁沿いに並んだケージに子犬と子猫がそれぞれ入れられ、寝ている子猫が多い中で子犬はどの子も元気に動き回っている。

「可愛いー!」

私は1匹の柴犬の前で止まった。黒い柴犬はガラス越しに私と目を合わせ尻尾を振っている。はしゃぐ私とは反対に直矢さんはケージと距離をとっている。

「ガラス越しなんだから近づいても大丈夫ですよ」

私は呆れて声をかけると直矢さんは「恐怖心が先にたって無理です」とひきつった顔で答えた。

「そっか、柴犬が特に苦手なんでしたっけ」

「ええ、噛まれたのが柴犬だったので」

目の前の柴犬は直矢さんにも悪意のない純粋な目を向ける。

「美優は飼うなら柴犬がいいですか?」

「うーん……私がもし飼うなら大型犬がいいですね」

小型犬の方が飼うのは楽だろう。けれど抱き締めたときの心地良さを想像すると大型犬に魅力を感じた。

「でも大型犬を飼うのは覚悟が要りますね。散歩も大変でしょうし広い家じゃないと」

「まあ家はなんとかなりますが運動が必要なのでたくさん散歩しないとですね。2人で協力しないと」

「はい」

答えてからはっとした。2人で協力という言葉に違和感なく返事をしてしまったのだ。直矢さんの言葉の端々に私との未来像を描いていると感じた。
この人にこんなに想われていること、2人の未来を考えていてくれることが嬉しくて、同時に重荷だ。正広にはこんなに大事にされたことがなかった。未経験の事態に心が揺さぶられる。
けれどこんなに早く直矢さんに乗り換えていいのだろうか。軽い女だと思われたくない。私はこの人に相応しい女でもない。直矢さんと釣り合う自信がない。



ホームセンターを出て車に乗った。

「もう買い物は終わりですか?」

「いいえ、フォークやスプーンを買いにいきます。どうせならオシャレにしたいのでやはり雑貨屋に付き合っていただけますか?」

「はい」

そんなものまで買い換えるのかと驚いた。

「もしかして洗濯機とか冷蔵庫とかの大きな家電製品も買い換えました?」

「それはまだですが、引っ越すときに新しくする予定でいます」

そんなに一気に買い換えるなんてよほど心機一転したいらしい。直矢さんにどんな心境の変化があったのだろう。それに急にいろんなものを買い換える金銭的な余裕があるのもすごい。さすがは将来有望の次長様。同じ会社なのに給料の差を感じてしまい羨ましくもある。

大型ショッピングモールは休日とあってか真っ直ぐ歩けないほど人が多い。人を避けながら直矢さんと並んで歩くのは大変だと思ったとき手を繋いだことを思い出した。あの時も人が多い駅でのことだった。

「直矢さん……」

「何ですか?」

小さな声で呼んでも直矢さんは聞き漏らさず微笑んで私を見た。

「手を……繋いでいただけますか?」

恐る恐る差し出した私の手を直矢さんは優しく包んだ。

「今日僕は美優の恋人です。たくさん甘えてください」

そう言って腕と腕が触れ合う距離で並んで歩いた。これなら人を避けていくのは造作もない。こうしていると気持ちが落ち着く。包まれたのは手だけなのに直矢さんに守られている気がする。
この人に釣り合う女になりたい。
そう強く思った。こんなにも私を大切にしてくれる人を寂しいからという理由で振り回したくない。だからもう対等な関係になろう。それが直矢さんに対する誠意だ。

「直矢さん……」

「はい、何ですか?」

立ち止まった私に合わせて直矢さんも止まった。先ほどと変わらず私の言葉を微笑みながら待っている。

「私、本当に直矢さんのものになってもいいですか?」

「え?」

「正直に言うと直矢さんのこと、利用しているのか本当に好きなのかはっきりとわかりません。でも、今直矢さんといられて心から嬉しい。だから恋人になりたいです」

「………」

「寂しいときだけの恋人じゃなくて、ずっとずっと、いつでも、直矢さんの恋人になってもいいですか?」

「………」

私の言葉を飲み込めていないだろう直矢さんは口をほんの少し開けて目を見開いた。私から今このタイミングで言われることが意外だったのだろう。

「美優は僕のことが好きなのかわからないと言いました。でもどんなときも思い浮かぶのは誰ですか?」

「直矢さんです」

私ははっきりと答えた。今日だって直矢さんのことしか考えていなかった。

「ならそれで十分ですよ」

直矢さんは目を細めて笑う。

「これからは寂しいときだけじゃなく、美優が楽しいときも怒っているときも悲しいときも、僕はそばにいてもいいですか?」

「はい。直矢さんがいいです」

いつだって私の心を揺さぶったのは直矢さんだったから。

「でも、直矢さんが私を悲しませることだけは勘弁ですよ」

「それはもちろんしません。言ったでしょう。美優を傷つけて泣かせたりしないって」

直矢さんは私と向かい合った。

「戸田美優さん、僕の恋人になってください」

「はい、よろしくお願いします」

2人で見つめ合って笑った。

「この流れでキスでもするところなんでしょうけど……」

直矢さんは周辺を見回して照れた。ここはショッピングモールのど真ん中。歩く人たちは立ち止まった私たちを邪魔そうに避けていく。

「今はお預けですね」

いたずらっぽい笑みに私も照れた。今はできなくてもこれから先この人にたくさん甘えられるのだ。

「僕の愛情は重いですよ」

「はい、望むところです」

私が今までもて余していた愛情を直矢さんにならたくさんぶつけられる。それを返してくれることがとても嬉しかった。



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