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「てっきり相沢だと思って声かけたのに」
「だから僕が行くまで待てと言っただろう。大体どうして名前を確認しないんだ」
「身長と髪型が同じでカフェから出てきたら間違うだろ!」
2人は私の目の前で私の存在を忘れたかのように揉めだした。
確かに私は相沢と身長も同じくらいだし、髪の長さも同じ肩につくくらいで髪色も似ている。
さっきは事務所の鍵を店に返したあとだから店から出てきた。龍峯さんはそこから私を追ってきたのだろうか。
「学生かどうかは微妙だったけど絶対そう思うだろ!」
この言葉に体がぴくりと反応した。確かに私はもう24歳だし学生に見えないとは思う。けれど『学生かどうかは微妙』だなんて言われたら老けていると言われたような気がしてしまった。
龍峯さんに対して嫌悪感がじわりと湧き始めた。
どうしたらいいだろうと2人を見ていると、月島さんが私の存在を思い出したのか再び謝罪をしてきた。
「人違いでお時間とらせてしまって申し訳ありませんでした。実はこの龍峯の個人的なお願いを相沢さんに引き受けていただきたかったのですが」
「婚約者のふりをしてほしいということですか?」
「もうお話ししたんですね」
「そのことはさっき俺が言ったよ」
龍峯さんはテーブルに頬杖をつくと気だるそうにコーヒーを飲んだ。先程とはまるで違う態度に私も居心地が悪くなる。
相沢ではなかったことが残念なのだろうけど、間違われた私だって今困っているのだ。反対に月島さんは始終申し訳なさそうな顔をしていた。この人は顔を歪めてもうっとりするほどかっこいい。
「あの、どうして相沢にこだわるんですか?」
「ああ、それはこの間のカフェでの揉め事を見たからです。三宅さんもあのときお店にいらっしゃいましたよね」
そういえば少し前に相沢がお客様とお店で揉めたとき月島さんも店内にいたのだと思い出した。
「彼女のお名前は制服についていた名札で確認済みでした。我々は気の強い女性にお願いしたかったんです。龍峯の親族を言い負かせるほどの」
「なるほど……」
それなら相沢が適任かもしれない。なんていったって過去にもお客様に強気で対応して態度が悪いと本社にご意見を送られたことがあるのだから。
「それに長期的な契約を結びたいので、できれば休日が取りやすい学生にお願いしたかったのです。相沢さんは恐らくまだ大学生ですよね?」
「ええ。でも相沢はもうすぐ退職します。春から社会人として会社に勤めると聞いています」
「はぁ……まじかよ」
龍峯さんは溜め息をついた。私が悪いわけではないのに責められているようでこっちが溜め息をつき返したくなる。
「婚約者のふりをするだけなのに条件の合う方はそんなにいないんですか?」
「意外といなかったのです……」
そう言いながら月島さんは下を向いた。
友人知人に頼めば簡単なのに、婚約者のふりができる人が見つからないなんて龍峯さんの性格に問題があるのではと思えてきた。演技とはいえこの人と恋人になるなんて私なら耐えられない。
考え事をしているのか下を向いていた月島さんが何かを思いついたように顔を上げた。
「では婚約者のふりを三宅さんにお願いできませんか?」
「え?」
私だけではなく龍峯さんも間抜けな声を出した。
「明人、何言ってんだよ」
「確かに気が強い女性の方が有利かもしれない。でも三宅さんが役不足なんてことは決してない。学生を連れて行くよりも年齢は不自然じゃない」
「ちょっと待ってください! 私には無理です!」
月島さんはともかく、龍峯さんとは今後一切接点を持ちたくない。
「失礼ですが三宅さんは今お仕事を探していますよね?」
月島さんの指摘に思わず目を逸らしてしまった。
「カバンからバイト情報誌が見えています。なので求職中だと思っていいですか?」
「はい……」
事実なので否定は出来ない。
「もし龍峯の偽の婚約者になっていただけたら報酬はお支払いさせて頂きますので、どうかお願いできませんか?」
突然の話に私も返事ができずにいた。
「ほら、聡次郎からもお願いしろ。君が言い出したことだろ」
「………」
月島さんが隣に座る龍峯さんの腕を肘で押しても龍峯さんはそっぽを向いた。あまりの態度に苛立ちを覚えずにはいられない。きっと私が婚約者では不満なのだろう。相沢のように若い子が良かったようだから。
「事情を話してしまったらもう引けないだろ」
月島さんの言葉に龍峯さんは姿勢を正した。
「……数回俺の家族に会ってくれるだけでいいから、お願いできませんか?」
龍峯さんは渋々、といった口調で私に頭を下げた。
「でも……」
それでも私は「はい」と言えなかった。突然出会った人たちに婚約者のふりをしてくれなんて突飛な話をされて受け入れろという方が難しい。
「望むような額をお支払いします。数回会って別れたことにして、それっきりご迷惑をお掛けすることはありません」
「別れていいんですか? 結婚相手として紹介するんですよね?」
「俺に別の人との縁談がきています。それを断る口実として偽の婚約者が必要なんです」
「そうですか……」
それならば長期的な契約といっても、ものすごく長い時間はかからないかもしれない。それに『望むような額』と言われ思わず龍峯さんの顔を見てしまった。正直今は生活が苦しい。1人暮らしで長時間のシフトにも入れず、もう1つ仕事を探そうとしていたほどに。
「……わかりました。お引き受けします」
「ありがとうございます」
龍峯さんも月島さんも安心したような顔を見せた。
悪い話ではない。龍峯さんも名刺を見る限り怪しい人ではなさそうだし、月島さんは顔を知っているカフェのお客様だ。
大きなトラブルは考えにくいよね。
そう自分を納得させた。
龍峯さんと月島さんと連絡先を交換した。思わぬ形で月島さんの名前と連絡先を知れたことに口元が緩むのを抑えるのに苦労した。相沢に自慢してしまいそうだ。
「そうそう、この契約のことは他言無用でお願いします」
「え?」
「お友達にも職場の方にも、SNSにも一切情報を出さないでくださいね」
月島さんの意外なお願いに「どうしてですか?」と困惑して聞いた。
「情報がどこから漏れるかわかりませんから。次にお会いするときに契約書をご用意いたします」
「情報が漏れるだなんて大げさな……」
「くれぐれもお願い致します」
まるで睨みつけるような月島さんの表情に圧倒され2度も頷いてしまった。整った顔で念を押されたら何も言い返せる気がしない。龍峯さんも何も言わずに、先ほど月島さんが持ってきたメロンソーダを奪いストローで飲み干した。
「それではあいている日がわかりましたらご連絡ください」
「わかりました……」
来週以降のカフェのシフトが出て私の休日がわかったら連絡することになった。
「失礼します……」
龍峯さんと月島さんに軽く頭を下げてファミレスを後にした。ドリンクバーの会計は龍峯さんが払うと言って伝票を私に渡さなかった。
外に出てガラスの向こうの2人を振り返ると、席を向かい合って座り直し何かを言い合っているようだった。
只の会社員が親を納得させるために偽の婚約者を探していた。そして私がその役を演じてあげる。それを誰かに言ってはいけないなんてどうしてかな。何か特別な事情があるということはわかるけれど、いい話のネタになりそうなのに。
今日は変な出来事、変な人たちと出会ってしまった。
月島さんってお客さんとして見てたときは優しそうな人だと思ってたけど、意外と厳しい人なのかな。
また会う口実もできたし、これをきっかけにもっと月島さんと親密になれないかな、なんて能天気なことを考えていた。