ぶらり旅5
れいは昨日通った大通りとは反対側の大通りを歩く。まだ朝も早いというのに人が多く、空腹を促すような良い匂いが漂っている。
そこら中で食材を焼く音が聞こえてくるので、この通りは食べ物を扱っている店が集中しているのだろう。昨日の大通りではそういった匂いはしなかったので、向こうは向こうで別の物を取り扱っているのだろう。
雑踏の中を器用に進みながら、れいは店を覗いてみる。
食べ物を出している店は屋台が多いが、店舗を構えている店も多い。よく見ると、屋台は一定間隔ごとに決まった範囲で出ているようで、店舗側と被らないように配慮されている。
店舗に入っていく人も多いが、れいはこの国の貨幣を所持していないので、観て回るだけ。それでも十分に興味深いが。
この首都の前身である町の頃から知っている身としては、その頃からの発展が著しく、それだけで観に来たかいがあったというものだろう。
そう思って歩いていると、休憩場所だと思われる場所に到着する。広場というほどではないが、道の左右に休憩用の長椅子が多数用意されている。その近くには教会が二つ、道を挟んで向かい合うように建っていた。
片方は主座教の教会のようで、開け放たれている扉からはれいの彫像が確認出来る。もう片方は見たこともない像が奥の方で神として祀られている。
ハードゥスには大きく分けて三つの宗教が存在していた。
一つがれいか管理補佐達の誰かを祀っている宗教。主座教や天深教などがこれに当たる。
二つ目が空想、もしくは元の世界の神を崇める宗教。れいが今し方確認した教会はこれだろう。
三つ目が、一つ目と二つ目の混在型。これに関しては、一つだけ絶対に存在しないパターンが在った。それは、主神が空想もしくは元居た世界の神で、その下にネメシアやエイビス達などのハードゥスの管理側の面々が来るパターン。
これに関してはネメシアとエイビスが厳しく取り締まっており、れいですら抑えきれないほど。曰く、『いくら妄想とはいえ、れい様以外の下に就くなど最大級の侮辱以外の何物でもない』とのこと。
その怒りは凄まじく、れいもそれに関しては抑えるのは諦めている。その思想を持って広めようとした者への制裁は、力ある者らしい制裁であるために、結構悲惨なものであった。
ちなみに、れいの存在を何かの下に就けた者は、それ以上に悲惨な末路を歩んでいた。れい自身はそんな些末なことは微塵も気にしていないのだが。それで格が落ちて力を失うとか、そういった影響は一切無いのだから。
話は逸れたが、どうやらこの広場は教会が提供している場所らしい。ということは、見知らぬ神を崇めている宗教もそれなりには規模が在るのかもしれない。
この国では主座教が国教と定められてはいるが、基本的には信仰は自由だという。この辺りは、様々な世界の住民や種族が入り混じるお国柄故に、なのだろう。
折角だからと、れいは空いている席に座って少し休憩してみることにした。そうしながら、自身を崇めている教会を観察してみる。
まず、二つの教会を見比べてみると分かるが、れいを崇める主座教の方が豪華だった。といっても、特段飾り立てているということではなく、建物や中に置かれている椅子などの材質が見るからにいい物が使用されているという意味。この辺りは、流石は国教というところか。
そして、入って直ぐに目につくれいの彫像だが、かなり精巧に造られている。大きさは用途柄大きくはあるが、それも縮尺をそのまま大きくした感じなので、もしもれいが変装せずに街中を歩いていれば、誰もが直ぐにその存在に気づいたかもしれない。信じるかどうかは別ではあるが。
そういえばと、れいはふと思い出す。今まであまり気にしてはいなかったが、この彫像はれい教の頃の初期から存在していた。だが、れいはそのモデルになった覚えがない。では、一体誰がどうやって彫ったというのか。
思いついたら気になってしまったれいは、世界の記憶を読んでみることにした。
それによると、最初にれいの彫像を彫ったのは、現在大聖女と呼ばれている女性だった。当時教会に残っていた石材で彫ったそれは、出来栄えとしてはそこそこ。といっても、十分似ていると言えるぐらいではあったが。
その後、当時の住民総出で意見を出し合い彫り進められ、終いにはメイマネ達管理補佐まで口出ししてきて完成したようだ。その出来たるや瓜二つと言えるほど。もっとも、意見を出し合った者達にとっては、れいの神々しさを全く表現できずに限界を感じていたらしいが。
その後も研鑽が積まれていったらしいが、その結果が目の前の教会の彫像である。
それを眺めながら、れいは凄いものだとは思うも、正直どういった感想を抱けばいいのか困ってしまった。
彫像はそれだけではなく、れいの傍らにネメシス達管理補佐の物も在る。こちらは、ネメシスとエイビス以外はメイマネのようにこの地で町の管理を行ったことがある管理補佐達だけだ。他の管理補佐達とは面識がなかったのだからしょうがない。他にも同格の者達が存在するというのはメイマネ達から聞いていたようだが。
ネメシス達の方の出来もかなりのもの。こちらは本人達が協力したからだろう。
教会内には結構な数の人が居て、れいへと祈りを捧げている。向かい側の教会にも人は居るが、片手で数えられる程度しか確認出来ない。
こういうところを見るだけでも、流石は国教にまでなっているなと思わされる。そのまましばらく観察した後、れいは休憩を終えて観光を再開するべく、更に大通りを先へと進むのだった。