黄金羊は喜びも愁いも胸の奥に 4
ラーピリス砦の定期報告が読み上げられていく。
主な物をピックアップする。
◆定点報告による魔力残滓の上昇問題。
ラーピリス戦域の汚染具合…除染の目処は立っていない。
この領域は、クナイツァー家の土地でありラーピリス砦の周辺のみ帝国が借り上げて体裁を整えていた。人類の敵である『古き領域』と戦うのは、旧魔導帝国の正当なる後継者である帝国だとアピールする為だけにだ。
この地の汚れを祓うことが出来るであろう神獣『水龍帝』は、ブルームレイの願いを聞き入れ『究極召喚』され『龍騎士』になった後姿を現さない。
ブルームレイに全てを押しつけ見殺しにした『人類』に、愛想を尽かしたのではないかと囁かれるほど…神獣は姿を現さなくなった。
アークベルテ湖から、彼が出て来なって久しい。
神獣の声を聞くことが出来る召喚士が、帝国にいない問題と重なり深刻だった。
神獣『覇王弩竜』にも同じ問題が当てはまる、『覇王弩竜』が最後に認めた召喚士がブルームレイだったからだ。
30年…神獣の声が聞こえない。話をする事ができないのだ。
イグルーが『古き領域』に堕ちたのは公表されていない。
城塞都市イグルーが陥落したことは、発表されているが『古き領域』に堕ち人が住めない汚染地帯になったのは隠されている。
今も広がっているのだ…人の住めぬ世界。
魔力濃度が濃過ぎるのは…魔力がない、適性がない者にとって中毒死を待つ劇薬に他ならない。人口の大半の者が、魔力を持っていない。
魔法という事象にする事が出来る者は限られ、さらに魔導…支配する領域に達する者は数少ない。
シュバリエは、その中から更に選ばれた者達を指す。
だから、貴族と名乗れた…今は、会った事もない先祖の功績にあぐらをかく集団を指す言葉だ。
死者が蔓延り、生者を喰らう死の世界『古き領域』。
遠い昔、人が神に抗っていた時代には『古き領域』は存在しなかったと思われる。
神話の中にそのような記載がないからだ。
作戦参謀が、報告書を読み上げ…補足事項を黒板に書き出していく。
◆人員の推移と補給を兼ねた交代人員構成の説明。
クナイツァー家の派遣されている顎門騎士団の規模、両砦の帝国府から守護を命令されている帝国騎士の素性。
帝国騎士だが、クナイツァー家の寄子であり実質、シロウドの家臣と言ってもさして問題無かった…クナイツァー家の家臣ではないシロウドの家臣だ。
北部はクナイツァー家が出来るまで、野蛮人として扱われていた。
初代クナイツァーが北部を帝国に併合するまで帝国貴族として爵位を持つ者はいなかった。豪族として準貴族の扱いを受けていた者は少数だった。
グラインドは、無表情で書類に視線を滑らせていく。
自分が気にしている情報がないかと、書類をめくっていく。
読み上げられていく報告以外の事を気にしているのは、誰にでも容易に想像できた。
書類を読み上げる作戦参謀…脂汗をかく将軍達。
その集中する視線の先にいるは、書類をパラパラめくる青年…グラインド査問官。
【…グラインド、みんながお前を見ているぞ?】
グラインドの脳裏に浮かぶ言葉。
この場にいるのは、作戦参謀、将軍…グラインドに、シューベルトだけだ。
この声の主は、この場にいるようには見えない…そういう存在だ。
はっ!?
彼は、脳裏に浮かんだ言葉で我に返った。
”…しまったか?”
”グータラ殿下”で有名なグラインド。
演習場での珍プレーが発生し、将軍始め幹部は気が気でなくなっているのだ。
【くくく、グータラ殿下が、書類を漁り始めたら…イチャモンつける気だと思うだろう?…さっきの珍プレー、他の奴なら一族死罪だろう?】
珍プレー…明らかな事故を装って、グラインドを亡き者にしようとした珍プレー。
グラインドは、いつもの事ながら…慣れていると言って仕舞えるのも彼らしい。
高ランクシュバリエをコロコロするのは、毒か女か…騎兵かだ。
彼は彼で気になっている事があるので…すっかり忘れていた。
日常茶飯事なので気にしていなかったのだ…剛気なのか馬鹿なのか。
暗殺未遂…グラインドの兄のどちらかか…ふと思うが、自分は皇帝レースに参加するつもりないのだが、周りはそう思ってくれない。
”どうするかな?”
彼の悩む仕草に、将軍達は、気が気でない…演習場での失態に続き、何か問題が発生したら自分の左遷先の心配をしないといけくなってしまうだろう。
心配しても決定が下れば逆らえぬのだから、心配するだけ無駄だが。
無言で書類をめくるグラインド…周囲の目には、立腹しネタを探しているように見えなくも無い。
その場にいるからと言って、必ずしも問題共有されているとは限らない…いい例だった。
彼は、若くして帝国府の査問官だ。
帝位継承権を持った…騎兵乗り。
天使持ちの騎兵乗り…帝国で数少ない『土の属性支配者』。
皇妃の産んだ末の息子。
今上帝が事ある度に指図するのは…末っ子のグライドだけだ。
不正を正すのが彼の職務であり、彼に指摘されれば無視など出来る筈がない。
どんな内容だって、彼の指摘は自分の未来を左右する。
彼は、職責において幾らでも書類をでっち上げ…間違いを修正、作成さえ出来るのだ。
黄金羊の印が押された書類に、間違いは存在しない。
彼の手には、ある一枚の望遠写真があった。
魔力濃度が濃過ぎ高ランクのシュバリエ達が機材を背負い、元平野とは思えないほど大木が乱立し、巨大魔獣が闊歩する魔の森。
命懸けの定点観測、護衛を引き連れ最接近し…最大望遠で撮った写真だ。
飛空艇による低高度写真も期待できない…旧世界の防衛装置の射程に入ってしまうからだ。
数ヶ月に一回、年に数回…何らかの事象が発生した時など、シュバリエを失う覚悟が伴う撮影会である。
ここ数ヶ月、地震が続いていた。
帝国領内で地震は珍しく、天変地異の前触れと流言流布する者を処刑にせねばならぬほど混乱していた。
昨日の今日のことであるが、昨夜、ここ直近で最大規模の地震が発生した…
演習場でも柱が一部倒壊、室内は書類棚や工具が散乱したが怪我人がでないで済んだのは不幸中の幸いだった。
「覇王弩竜の怒り、何かの前触れでないか…」
これを心配する御仁がいた。
「『油売りの査問官』に行かせろ!たまには役に立て!」
顔を真っ赤にし、まさに憤怒ここに極まれり…グラインドが理由をつけて躱そうとする様が浮かんだのだろう。
「言い訳は聞かぬ!!ワシが言っていた言え!!」
大声を上げる御仁…グラインドは当人の確認も取らず帝国直轄領最北端にある演習場まで足を運んだ次第である。
”どうせ、怒られるだけに決まっている…”
とっとと行って来い!この大鬱けが!!
怒れる御仁に引っ叩かれる前に帝都を出発したのは…少しばかり賢くなった。
グラインドは、シューベルトに気さくに話しかける。
顔面蒼白になり頭を抱え込むシューベルト。
これで、大作の始末書作成決定である。なんてタイトルにしようか…
「北部演習場視察記にしよう!」
指を立て閃いたぞとばかりに喜ぶグラインド、引きつるシューベルト…この二人の付き合いは長い。シューベルトの眉間のシワも深くなるばかりだ。
北部演習場は、ある意味において最前線である。
事実上の国境がこの先にある。
人との国境線と古き者との国境線が存在する。
帝国府、近衛騎士団、帝国騎士団に上がっている報告を一足早く耳にすることが出来た。
ラーピリス戦域の魔力濃度、発生する魔獣間引き、ラーピリスの森の侵蝕速度…巨大化するばかりの森…平野だったと誰が信じられるかと言わんばかりの原生林のような魔獣の森。
イグルー砦の先にある、結界門。
その結界門の先にあるのは、古き領域…溢れ出してくる高純度の魔素、人にとっては毒だ。シュバリエのような魔力持ちでも長時間の行軍は難しいだろう。
大戦前は、これほどの魔力残滓が溢れることはなかったが…結界門が綻び始めたのだろう。専門家の意見はこれに集約される。
そして、この原因は……見殺しにしてしまった、助けることが出来なかった…残して来てしまった10万の将兵の怨み。
その無念が彷徨う…魂が大地に縛られ天に帰れない。命の循環が滞り世界のバランスが壊れていく。
彼の手にある写真。
定点観測地からの写真だ。
吹雪なのか、白い残像が走り撮影状況は良くはない。元々魔力濃度が高い地なので写真には…見えないものがよく写ってしまう。
だから、一番良い条件の写真が上がってくる。
この写真の中央に見える二体の人影が写っている。
まず目が行くのは巨大な魔法陣が見える事だ。
巨大な扉が見える、その扉は少し開いている様にも見える。
扉に挟まれている様に見える…何か。
二対の剣が互いの身体を貫き通している様にも見える…そんな構図だ。
まるで…相打ち、そのまま時が止まってしまっている様に見える被写体。
「…変わってないな」
グラインドは、その写真が想定していた最悪の状況とは違うことに安堵した。
この写真を見る事が出来る者は限られている。
他言無用であり、喋れば命はない。
本来なら写っていてはいけない二体。
閉まっているはずの扉は、開いてしまっている…帝国が隠している真実。
グラインドは、覇王弩竜の怒りが地震の原因であり、その原因は結界門の破綻なのではないかと不安になり確認の為にここまで来たのだ。
もし、問題があるのならば現場に自分が直接行くつもりだった。
その程度なら、自分の義務でもあるとグラインドは考えるからだ。
30数年前から、この構図は変わらない。
そこに映る二体。
両者差し違えているのだ。
幻想騎ジアールと…、『悪魔』の王クラウンテール
帝国の跳ねっ返り共の後始末のために、
次男ブルームを失った…
泣く泣く…最後に生き残った長男アークを…
生きている息子を、『悪魔』共々永久凍土に自らの手で封印した。
グラインドは…父親になって、クナイツァー卿の怒りの一端を理解出来ると思える様になっていた。