第8話 暴虐なる王
風呂から上がると脱衣所のカゴの中には新しい服が用意されていた。着てみると良質な布だった。うん通気性も良くて動きやすい。
他にも用意されていた瓶入りの冷たいミルクを飲みながら浴室を後にする。
「おぉーーい、センパイ!待ってくださいっス。一緒に行くっスよ」
女湯から出てきた瑛子がパタパタと後からついてきた。こちらは浴衣っぽい服を着ている。なるほど、風呂場を見たときから思っていたがここの村長は日本趣味なんだろうな。
そんな事を思っていると髪をお団子に纏めた糸井さんが同様に浴衣を着てやってきた。
「お待たせしました。いいお湯でしたね」
「また一緒に入るっスよ!」
「おいエイコ!もう男湯覗きすんじゃねえぞ!このチビッ子痴女が!」
「むうう……助けてあげたのに失礼なセンパイっすねー!」
女子2人はなんだか満足そうだが俺は落ち着かなかった。何であの敷居あんなに緩いんだ?いや石壁だし登れるのは瑛子くらいか。今度は1人でゆっくり入りたいもんだ。
元来た道を戻るように廊下を歩いてると先ほどのメイドさんが待っていて恭しく頭を下げてお出迎えしてくれた。まるで高級ホテル並みの待遇だ。
「お疲れ様でした。ではお食事の用意は出来ておりますので」
「ありがとうございます」
食堂へ案内してくれるという。俺たちはヤヨイさんと名乗るメイドさんの案内で広い廊下を歩く。風呂場は和装風だったが、家の造りは基本的に洋装みたいだ。ヤヨイさんのゴシックなメイド服は雰囲気が出ている。
「預かりました衣服は洗濯して、鎧や剣は厳に保管しておりますのでご安心ください」
「何から何までありがとうございます。重くなかったですか?」
「いえ、私はこういったことに慣れてますから」
新しい衣服やら冷たいミルクやらもこの子が用意してくれたらしい。常に表情を崩さずクールな雰囲気を纏う彼女だがきっといい子なんだろうな。証拠に瑛子が仔犬のように纏わり付いていろいろ話しかけている。こいつは頼りがいのある人、甘えさせてくれる人を嗅ぎ分ける嗅覚に優れている。
そうこうしているうちに広い食堂に着いた。
テーブルにはすでに村長さんと奥さんが腰掛けていて笑顔で出迎えてくれた。
「さあ今日はお疲れでしょう。遠慮なく召し上がってください」
「おかわりもありますからね」
黒い髭を蓄えたダンディなディオンと名乗る村長さんと貴婦人らしく髪を纏め上げたその奥さんが柔和な笑みで俺たちにテーブルの席を勧めてくれる。
「ありがとうございます」
「ごちそうになります」
「いただきますっス!」
俺たちは丁重にお礼を述べる。数時間前にはライフラインの確保すら危うかったのがまるで大尽待遇だ。本当にありがたい。
夕食のメニューは柔らかいパンとコンソメスープから始まり、根菜らしいサラダ、焼き魚、そしてメインデッシュにはハンバーグが出てきた。
「この子が全部調理してくれたんですよ。私よりお料理が上手いから最近では頼りきりで」
「いえそんなことは。恐縮です」
奥さんが手を口に当て笑いながらヤヨイさんに微笑みかける。
マジかよ。チートメイドさんだな。おまけに美人さんだし。
俺たちの視線などどこ吹く風でヤヨイさんは忙しなく調理と給仕を続ける。大変だな、メイドさんってのも。
さて、ハンバーグを口にしてみる。噛むと肉と玉ねぎが口の中でホロホロとほどけるように溶けていき程よく甘く、肉汁と甘辛いソースが舌の上で絶妙なハーモニーを奏でていた。
疲労と空腹も相まってこの日のハンバーグは本当に美味しかった。俺はこの味を一生忘れることはないだろう。
デザートのシャーベットが出てくる頃になると、村長さんがそろそろ、と話題を切り出してきてくれた。そう、気にはなっていたが疲労と空腹の回復の為に追及を後回しにしていたことだ。
「さて、と。気になっているでしょう、この世界の話でしたな。ここにやってきたばかりのあなた方には説明が必要ですね。お気づきでしょうが、ここは我々やあなた方が元いた世界とは違うルールで成り立っています」
「違うルール、ですか」
やはりここは異世界とかいうところなんだろうか。
「まずはこの世界へは誰でもこられるわけではありません。我々の元いた世界、とりあえずは『現実世界』と呼んでおきましょうか。そう、ここと現実世界とは何らかの拍子で『門ゲート』と呼ばれる出入り口が繋がるらしく、この世界の女神に選ばれた者のみがそのゲートをくぐり、ここ『ユグドラル』へ来られると言われています」
ユグドラル、って言うのかここ。
なるほどなあ、俺たちが落ちてきた穴みたいなのがあちこちにあるわけか。
「『門ゲート』は現在把握されているもので85カ所、それは廃墟の中の扉であったり、山上の木々の合間であったり、または街中の片隅の穴ぼこであったり、その出現の法則性については未だに解明されていません」
俺たちはじっと聞き入る。
世界で85カ所って、多いんだろうか、少ないんだろうか。
「そんな『門ゲート』を通ってやってきた者を現地人は『ストレンジャー』と呼びます。このベンダンヴィレッジはストレンジャーやその子孫によって構成されています。私や妻はその中の一員でハネムーンの最中にふとした弾みでこの世界にやってきました。いやあ、あの時は己の運命を呪ったものですが今ではこの通りここでの生活が板につきましたよ」
はっは、と笑いながらそんなことを話してくれた。ハネムーンが最悪のものになったのは気の毒だが、村長にまで上り詰めるくらいこの世界に「ハマって」定住したということだろうか。
奥さんのほうはヤヨイさんと一緒に炊事場にお皿を洗いにいったようだ。
「ここではまず棲息するモンスターの対処に苦労したでしょう?元の世界と違ってあんなのがうようよいるんですよ、この世界には。現代を生きる我々には生身であんなモンスターと戦う術なんてない。放り出されればたちまち死んでしまう。そこでこの世界に送られてきた者はその際に女神の慈悲により装備品の支給と『ステータス』を割り振られる、という仮説が立てられています」
そう、それだ。
この世界、ユグドラルに来た時に確認した妙なウィンドウとステータスについては疑問に思っていた。こんなゲームみたいな不思議機能は当然俺たちの元いた世界には無かった。いったいなんなのか。
「この世界は我々現世界のような科学技術がない代わりに魔法や錬金術といった魔術が発展しています。それはこの世界で生きていく上で必須である、とも言えます。よって女神は現世界からやってきた我々にも生存確率をある程度上げるために一定のステータスとジョブといった技術を与えてくれるそうです」
ここの女神とやらの考えていることはよく分からんが、つまりは要約するとせっかくこの世界に拉致ってきた俺たち、ストレンジャーがすぐにモンスターに殺されてしまうのは忍びない、もしくは都合が悪いからある程度の能力を与えてやる、ということなのだろうか。
「我々来たばかりのストレンジャーがもらえる数値や職というのは一定なんでしょうか?普通はどれくらいのものがもらえるのでしょう?私たちの間にも数値やジョブの差というものが出ているんですけど」
糸井さんが村長に尋ねる。
そう、俺たちがもらった数値には格差がある。というか激しい。本来はどの程度の能力がもらえるものなのか、その辺は確かめておきたい。
「そうですね、個人差はありますが大体レベル4、5から10くらいという人が多いです。数値は一概には言えませんがHPでいうと30から60くらいでしょうか。私が見た中ではレベル17というのが最高数値でしたね。いやあ、あの人は強かった。今もここユグドラルで冒険者を続けてますよ」
長い話で喉が渇いたのか村長がコーヒーを啜る。
そうか……
今の話が本当ならやはり瑛子の数値はおかしい、ってことだ。
ここに来たばかりの瑛子があれだけの数値を持っているのは極めてレアケースということか。
「あの……そのステータスってやつの私の数値なんスけど」
何かを言いかける瑛子を手を制しその先を言わせない。
瑛子は驚いた顔で俺を見るがこいつの異常な数値と『勇者』というジョブについては伏せといた方がいいだろう。
目の前の村長さんを信用しないわけではないが、この数値やスキルというものがユグドラルでの能力や性能に直結するものと判明した以上、数値から察するに瑛子の性能は途轍もなく有用でレアということだ。隠しておいた方が無難だろう。それに現時点でこの世界の治安状態がどんなものかわからないし、どこから情報が漏れ何者に利用されるか分かったものではない。余計なリスクは高めたくない。
瑛子には耳元で小さく「ステータスのことは隠しておけ」と言ったら、能天気なこいつも「う、うッス」と言って了承した。
「どうかされましたか?」
ディオン村長が怪訝そうに俺たちを見つめる。
「いえ、俺たちの中でもそのステータスに結構な数値の差がついてまして。これは元の世界でのスペックは関係ないんですかね?」
誤魔化すように質問を切り替えたわけだがこれも知りたかったことだ。
なぜ極めて平凡な女子高生の瑛子がここまでの数値を与えられたのか。
平凡と言っても性格はウザいし、顔はまあ……可愛くなくはないけど
「ええ、元の世界でいくら鍛えていても低い人は低いですし女の子でも強い人は強いですね。そこは女神の気まぐれと言われてますね」
女神いい加減だな!
気まぐれでステータスを振り分けてるのか?
にしても瑛子のステは偏りすぎだろ。
「わたし女神に愛された女なんすね〜」
「おい余計なことをいうな」
要らないことを言う瑛子に小声で釘をさす。
「村長さん、私たちは元の世界に帰ることはできるのでしょうか?」
質問したのは糸井さんだった。
そうだ。この問題こそ重要だ。この世界のことも気になるが、元の世界に帰還することが最優先だ。
「ええ、結論から言えば帰還することはできますよ。あなた方は学生さんでしょう。親御さんの待つ故郷に帰って元の日常に戻りたいと思うのは当然ですよね」
はじめに会った時に事情は話してある。村長さんは俺たちが日本の学生ということは知っているし、早く帰りたいということも理解してくれているようだ。
「帰りたいです……学校、行かなきゃ……」
糸井さんが力無く答える。
「大丈夫です。数十年前には周知されていなかったのですが、元の世界に戻る術式を編み出し確立した方が我々ストレンジャーの中に居るのです。その方の居られる王都に会いに行かないといけませんけど」
−−帰れる方法がある
俺たちは顔を見合わせた。
「ええっと、その方に会えたとして帰る為には何か条件などはあるのでしょうか?我々にはいま何も手持ちは無いのですが」
「いえいえ、あなた方のようなケースでは特に何も条件は要らないでしょう。バーゼルさんは困っている少年少女からお代なぞ要求しませんよ」
村長は笑顔でいやいや、と手を振った。俺たちがすっからかんでも助けてくれる、ということか。
「その、バーゼルさんという方はどういった方なのですか?」
「ええ、バーゼルさんの本名はブライアン・バーゼル。30年ほど前にユグドラルに来た我々ストレンジャーの実質リーダーです。彼はこの世界に変革をもたらしたと言われてます」
「……変革、ですか」
「はい。彼がユグドラルに来るまでこの世界でのストレンジャーの地位は決して高いものではなく、我々ストレンジャーのこの世界の入り口、あなた方が先ほど迷っていた森である『迷いの森』を領地として擁するトバイケル帝国に発見されたストレンジャーは保護を名目に軍事力や労働力として利用されてきました」
村長の頼みでヤヨイさんが持ってきた資料に目を通しながらディオンさんは説明してくれた。
「その他にも帝国では一部の特権階級を持った貴族が好き勝手したり、我々の世界には最早無い奴隷制が存在したり、とはっきり言って我々ストレンジャーにとっては住みやすい世界ではありませんでした」
……えーーと
そんな事を言いながら村長がパラパラと資料のページをめくる。
「そんな環境を変えたのが我々の世界で学者をやっていたストレンジャーであるブライアン・バーゼルでした。彼は仲間とともに王都でクーデターを起こし暴虐なる王エドワード・ルブジネットを討ち取り新たな王をその椅子に据えました。そうして、この国の政治システムは近代的とまでは言えずとも王や貴族のきまぐれで無茶な命令は出ないようなシステムへと進化を遂げました」
「そんなに無茶な命令が出てたんですか?革命が起こるほどに」
「ええ、そのう……信じられませんが王様の暇つぶしにダーツで当たった町が一晩で滅ぼされたことがあったそうです」
予想外に恐ろしい情報に俺は思わず口にしていたコーヒーを吹きそうになった。
◇
−−約30年前 ルルーブ歴751年6の月 王都ヴェトコン
大きな広間に豪奢な装飾が施された椅子に痩せぎすの老人が深く座っていた。老いた王が座すところはひと際高く作られた段の1番上となっている。
その白髪の老人は王冠を被りひと目でやんごとないと分かる華美な装飾で彩られた服を着ていた。
時の皇帝、エドワード・ルブジネット。
狷介な表情をしたこの老王は即位してより40余年。若かりし日は賢王との賞賛を受けた寵児であったが、ここ数年は人が変わったように暴虐の限りを尽くし己の本能に従って生きていた。しかし暴虐は重ねれば重ねるほどに飢えを満たさず、飢えを満たすために更により深い愉悦を求め続ける。
それは雨の降りしきる夕暮れ時であった。
−−−今宵狂王は一線を越えようとしていた
「おい」
「はっ」
老いた王は傍らに膝を着いた兵士に鋭い声で怒鳴りつける。兵士は怯えを隠し努めて冷静に受け答えた。老王の意に染まぬ返答は即ち「死」を表す。
エドワードが「狂王」と呼ばれていることはこの城、いや国内でも周知の事実であった。
今、王室内は冷然とした空気で張り詰めていた。
「ワシの決定に異議を申し立てる、というのだな?一介の兵士である貴様が」
−−−給仕の仕方が気に入らなかった
先ほど狂王はそんな理由で女中を地下牢に捕らえ今正に処刑の命令を下そうとしていた時だった。
1人の兵士が王の前に進み出でて彼女の助命を嘆願したのであった。
「王よ!皿の置き方が気に入らなかったからといって一々女中を誅していては誰も貴方の給仕をする者がいなくなってしまいます!同様に間違いを正す者を誅していては誰も貴方を諌める者が居なくなり益々貴方は闇に堕ちていってしまいます!目をお覚ましください!賢君と呼ばれた頃の貴方にお戻りください!」
狂王は手にした杖で兵士を殴りつけた。杖と兵士の兜の端がぶつかり合う激しい金属音が部屋に響く。
兵士の口と鼻から赤い血が流れた。
「ええい!黙れ!地を這う小虫ごときがワシに意見するか!この下郎め!」
「黙りませぬ!今貴方は民から何と呼ばれているかご存知ですか?『狂王』と言われているのですぞ⁉︎我が身を振り返られる時です!」
王の行状を見かねた忠言であった。真心から出た諫言だったのだろう。いい人間だったのだろう。しかしこの狂王にはその勇敢なる兵士の諫言を聞く耳を持っていなかった。故に狂王。
−−狂王の眉間の皺が更に深くなり口角が小刻みに震えだした。危険な兆候だ
「ええい!だまれい!」
老いた狂王より遥かに体躯の大きな兵士が膝を床に着いたままで黙って狂王の打擲に耐える。
狂王の気紛れであの世に旅立った者は4桁を軽く数えていた。
老いた狂王は椅子から立ち上がってその狂気を孕んだ虚ろな目で兵士を睨みつける。哀れな兵士は今宵の狂王の贄になろうとしていた。彼が狂王の前に進み出でた瞬間からその運命は決定していたのだ。
王室に居並ぶ衛兵たちからこの無残な行状を咎める者は現れない。彼らが何度も目にしてきた光景であり、止めに入ればこの勇敢な兵士の死出の旅路の供となるだけだからだ。
衛兵たちの誰もがこの後の「死体の片付け」の段取りを考え始めた時だった。
「アハハハハ!ご機嫌麗しゅう陛下!陛下に楯突く愚か者が現れたと聞いて駆けつけましたぞ!さあ愚か者よ如何な死に様を見せるか我に見せてくりゃれ!」
勇敢なる兵士の処刑寸前だった。
コツコツと足音を鳴らしてブロンドの髪を腰まで伸ばした妖艶なる風貌の美女が王室に入り狂王の前に歩み出てきた。
ナラーティアと名乗る独特の意匠の黒い修道服を着た彼女は魔術研究者を名乗り王都にやって来た数ヶ月前からその異常なまでに豊富な魔術知識と美貌を買われ狂王のお気に入りの客人として特別な扱いを受けていた。
「おお!ナラーティア!ちょうど良い!こやつの処遇を共に考えてくれい!八つ裂きか?車裂きか?それとも磔にしてくれようか?」
狂王の言葉を受けてナラーティアは妖しく嗤う。
「そんなものより」
王座への階きざはしを登りきった美女は老人の前に立つ。
「おもしろいものが御座いますぞ」
落雷の音が近く聞こえ稲光りが薄闇の部屋を照らす。
美女は口元を歪めるように妖しくも空恐ろしさを感じる笑みを浮かべた。