第9話 嫉妬する瑛子
おっとすみませんね、女の子の前で血生臭い話をしてしまいました。どうか怯えないでください。もう遥か昔に終わった話なのです」
トバイケル帝国の凄惨な歴史にドン引きして青ざめる女子2人に村長さんは申し訳なさそうにフォローを入れる。
無能な専制君主クソ食らえだな。平和な時代と国に生まれてよかったぜ。
「いえ大丈夫です」
「だ、だ、だ、だ、大丈夫っスよ?」
「無理すんなエイコ。トイレ行くか?ついてってやろうか?」
「……センパイ嫌いっス」
瑛子がむくれてそっぽを向いた。
なんでだよ。
めんどくせえな女って。
「それで私たちはバーゼルさんにいつ会えるのでしょうか?本当にその術式で無事に帰ることができるのでしょうか?失礼なことを聞いて申し訳ありません」
気を取り直した糸井さんが頭を下げながら尋ねた。先ほどの話で改めてこの世界が自分たちの世界と倫理観を異にするものだと実感する。早く帰りたい……
「いえ、いいんですよ。不安になるのも無理はありません。明日の朝王都に向かう馬車を手配しておきました。帰還とその対価に関しては心配しなくても大丈夫です。我々ストレンジャーが元の世界に戻るためにバーゼルさんの作ったある組織が定期的に転移魔法の魔方陣を作って送り出してくれるのですよ。料金も定期便だととっていないようです。あっちとこっちをいったりきたりする人はそこそこいるのです。安全も保証されていますので安心してください」
すごいなあ、あっちとこっちを自由に行き来できるのか。
ん、ということは……
「元の世界からこちらに戻ることもできるってことですか?」
尋ねたのは俺だ。
戻った後のことを気にする余裕も出てきた。
「ええ、ユグドラルに来られる資質のある方ならゲートを潜れば何度でも」
そっかあ。まあ気が向いたらまた来てもいいかな。瑛子が欠伸をしている。
村長さんが時計をちらりと見ながら資料を片付け始めた。
「もうこんな時間ですね。お疲れでしょう。寝室は用意してますのでそろそろお休みください。あらためて今日は大変でしたね。王都はここより栄えていて見どころはありますよ。是非帰る前に観光して行ってください」
村長さんが笑顔でそう言ってくれた。
◇
ヤヨイさんに先導され俺たちは2階の客用の寝室の前に案内される。
用意されたのは男女別の2部屋だ。
「部屋に寝巻きも用意してますので宜しければお使いください。その他御用が御座いましたらなんなりと私にお申し付けください。ではおやすみなさいませ」
ヤヨイさんがぺこりと頭を下げる。
「「「何から何までありがとうございます」」っス」
俺たちと同年代なのに本当にデキる人だ。心から感謝している。
「ねえねえ、ヤヨイさんも一緒にガールズピロートークしないっスか?」
「ピロー……?いえ私はまだ仕事がありますので」
「おい、エイコ、困ってるだろ。すいませんねヤヨイさん。こいつ甘えん坊だから」
「いえ、ではまた。おやすみなさいませ」
再び深々とお辞儀をしてヤヨイさんは去っていった。何度見ても仕草が流麗だ。思わずぼうっと眺めてしまう。
麗人が去った後、ふと鋭い視線に気づくと頬を膨らませた瑛子がこちらを睨んでいた。ガキ扱いが気に入らなかったらしい。めんどい。
瑛子の小さな頭の上に手を軽く置いてやる。
「じゃあな、エイコ。今日は助けてくれてありがとう。そしておやすみ」
瑛子は頭に置かれた手を振り払うと顔を背けて足早に女子用の寝室へと入っていった。バタン!と勢いよくドアを閉める音が聞こえる。
なんかやっちまったかな、俺……
廊下には2人残される。
「あー……っと、俺が謝ってたって言っといてもらえる?糸井さん」
頬をかきながら俺は糸井さんにそう頼んだ。
「謝るっていうか……今のは……ええと、あのう……お二人は本当にお付き合いしていないのでしょうか?もし差し支えなければ」
「いやいや、付き合っては無いけど?まあ、そこそこ長い付き合いの友だちっていうのかな?それにこんな未知の旅路でケンカするのもなあ……」
「……えぇ……那月さん可愛そう……」
なんでだ……
糸井さんが呆れたような目で俺を見る。な、なんか俺は悪いことしましたかね⁈
「草薙さんはもう少し女の子の気持ちに付いて考えたほうがいいですよ。でも今日は助けてくれてありがとうございました。おやすみなさい」
糸井さんは複雑な表情を浮かべながらそう言って女子部屋へと入っていった。
俺なりに考えてるんだがなあ……
うん、俺ももう疲れた……寝よっと。
◇
部屋に入ると那月さんの姿が見えない。代わりに2つ用意されたベッドの一方が人型に膨れていた。那月さんはもう既に布団の中に潜りくるまっているようだった。
「那月さん、大丈夫ですか?」
返事がない。心配なのでもう少し踏み込んでみることにする。今日会ったばかりだけれど、もう私はこの状況を放っては置けないほどにはこの子のことを気に入りはじめている。
「那月さん?大丈夫ならお返事ください。お返事ないなら心配なのでお布団めくりますよ?」
なんだかフゴフゴ、と反応はあった。
仕方ない、実力行使しますか。
布団の端に手を掛け思い切り引っ張りあげる。妹を起こすのと同じ要領だ。
バサリ、と布団をめくり上げると枕を抱えた那月さんが真っ赤な顔で丸まってうー、うーと悶えていた。……なんて可愛いんだ……横で一緒に寝たい。
しかしそれにしてもまるで数時間前の勇姿が嘘のようだ。
「大丈夫ですか?那月さん。しっかりしてください。人は恥ずかしさでは死にませんよ」
那月さんは正面から顔を見つめようとする私から背を向けるように転がる。どうしても顔は見られたくないようだ。
「那月さん……あなたは草薙さんのことを……」
私の言葉に後ろ向きでも分かるくらいに那月さんの耳と頬が更に真っ赤に染まっていった。それにむー!むー!と言葉にならない言葉で抗議のような言語を発する。それ以上は言うな、ということでしょうか。
「……ムカつきますよねえ、大好きな『センパイ』が今日会ったばかりの女の子をじっと見つめてるのは」
「ム⁉︎ムゴォォォォォォォォォォ‼︎」
那月さんがうつ伏せのまま手足をバタバタし始めた。これがこの子の癇癪の起こし方なんだろうか。意地悪なこと言っちゃったかな。
私は那月さんのベッドに腰掛け、そっとこの小さな女の子の頭を優しく撫でた。
「ごめんなさい、那月さん。でもきっと草薙さんもあなたのことを大切に思っていますよ。私も今日会ったばかりだけど分かります」
妹を諭すように語りかける。この2人はお互いに不器用そうだ。言わなければ分からないタイプだろう。
「……」
「『子ども扱いしてごめん』って言ってましたよ。そういうことじゃないのにね」
那月さんは後ろ向きに私の言葉を聞きながら漸く落ち着いてきたようだった。
「那月さん、今日は助けてくれてありがとうございました。あなたがいなければ私も草薙さんも無事では済みませんでした。もう寝ましょうか。疲れましたね」
那月さんがコクリ、と頷いたように見えた。
反応を確認すると私は捲れた布団を那月さんに掛け直してあげた。
「……ありがとうっス、真理子さん」
消え入るような小さな声で那月さんがそう言ったのが聞こえた。
「おやすみなさい、瑛子さん」
◇
「こっわ、エドワードこっわ‼︎ポルポトかよ!」
寝よう、と思ったんだが気になったので俺はディオン村長から借りて部屋に持ってきていた資料を小一時間ほど読んでいた。女神の加護とやらで言葉だけでなくこの世界の文字も読めるようだ。見たこともない文字なんだが頭の中で日本語に変換されて読める。不思議な感覚だ。
その借りてきた資料はこの辺の近代史や地理などを簡単に纏めたものだったが、先ほど話題に上がり女子たちを怯えさせたエドワード・ルブジネットの業績はとんでもないものだった。
ユグドラルで狂王として知られる彼は若い頃は賢君として知られていたが晩年は正気を失ったかのように世紀の暴君へと変貌を遂げる。その凶行は予想以上でこういう戦の歴史に少しだけ詳しい俺でもドン引きするようなものだった。
何が彼をそこまで突き動かしたのだろうか?何にしろ今のこの世界にこいつがいなくて本当に良かった。有能なストレンジャーを拉致って洗脳して自分の手駒に加えたり実験材料にしたりなんかもしている。今がこいつの晩年の治世だったなら俺たちの身柄も危なかっただろう。
ふと思考が瑛子のことに思い至る。今日は本当によく頑張ってくれた。今もしっかり眠れているだろうか?
……絶壁が絶壁を登ってたなさっきは
……しかし哀れなほど絶壁だなあいつの絶壁は。育たねえかなああいつの絶壁
一瞬そんな失礼なことを考えていたことに気づく。今の心のつぶやきを聞かれたら泣きながらペチペチパンチをかましてくるだろうな、あいつ。
いや、違った。
「……ここではあいつの方が強いんだっけ。納得いかねえ……」
そろそろ眠くなってきた。目を擦ると俺は明かりを消すことにした。
「今度はネズミーランドくらい連れて行ってやろうか……」
布団がふかふかだ。俺は微睡み、深い眠りへと落ちていった。
◇
−−ルルーブ歴751年 6の月 王都ヴェトコン
雨の降りしきる夕闇の中、王城の一室が一瞬稲光で照らされる。
その修道服を着たナラーティアという美女はどこか浮世離れした雰囲気を放ち狂王と向き合っていた。
「おもしろいもの、じゃと?」
「はい。陛下は悪魔に出逢われたことは御座いますか?」
ナラーティアの奇矯な返答に狂王は眉根を寄せる。いくら寵愛している臣下だとしても機嫌を損ねたならばこの狂気の王は平気で残虐に切り捨てる。
衛兵の間に緊張が走った。
「あるわけがないじゃろう。お前は見たことがあるというのか?」
「はい、この目でしかと」
「ほう……」
老いた狂王が独特の歪な笑みを浮かべ顔に翳りが差す。
衛兵の幾人かが息を呑んだ。
「ならばそれ・・を余の前に連れてこい。その悪魔とやらを。嘘言は許さんぞ⁉︎」
狂王の癇癪がこもった怒声にもたじろぐ様子を見せず美女は妖しく美しい笑みを浮かべ懐から何かを取り出した。
「ご照覧ください」
ナラーティアは表紙が黒い古びた本を狂王へと差し出した。エドワードは訝しげにそれを受け取る。
「そこに書いてあることは事実ですわ。もし陛下のお気に召しましたなら私は微力ながらお手伝いいたします」
黒い修道服を着た美女は説明しながら両手を広げるようなリアクションを取った後、王の前に跪いた。
狂王は険しい顔で古書のページを捲り始める。その顔は書を読み進めるごとに狂気の笑みへと変わっていった。
「−−悪魔を呼べる、というのか?ナラーティアよ、これ・・を実行できるのか?」
黒き書から顔を上げ狂気の笑みで狂王は美女に尋ねた。
ナラーティアは王の顔を見ながら満面の笑みで答える。
「もちろんです!陛下!それで世界の全ては貴方のものです!」
その返答に狂王の狂ったような嗤い声が城内に響き渡った。