第7話 見知らぬ者たちの街、そして温泉回
瑛子が連れ帰ってきた男女の子ども2人。10歳くらいだろう。
背におぶわれた金色の髪をした女の子は涙目で肩を小さく震わせていた。同様の髪色をした男の子の方は疲れた顔をして服の所々が泥で汚れていた。
「エイコ……その子たちは?」
「いやあ、なんか狼に襲われてて……たまたま私が通りがかって助けたっス」
――人がいた
この世界の住民だろうか?子どもがいるとすれば親もいるはずだ。光明が見えてきた気がする。
ケガが無いか調べてみるが傷といえば男の子の脛の擦り傷くらいだった。噛まれてはいないらしい。
「よしよし、これくらいならほっときゃ治る」
「ありがとう……」
「……‼︎」
子どもが日本語に聞こえる言葉でそう返してきた。日本語が通じる⁈いや、もしかして日本なのかここは?
2人の女子の方を振り返ると瑛子は「日本語が通じる」という奇跡の重大さがわかっていないのか変わらない表情、糸井さんは驚いていた。
「……エイコォこの子たちはじめから日本語話してた?」
「え?うん2人とも日本語しゃべってたっスよ?」
それがどうしたの、とでも言いたげに瑛子は俺を見つめる。まだ事の重大さ、僥倖に気づいていないようだ。
こんな見知らぬ土地の住人と出会ったとき、まず苦労するのは言語によるコミュニケーションだろう。グローバルな視点で見た場合、日本語を話せる人間のほうが少ないだろうし。本当に幸運だ。
俺は男の子の頭を優しくポンと叩いた。もう少し詳しく話を聞いてみる。この子は女の子の兄で、妹を庇って擦りむいたと言っている。
2人は森を抜けた先にある村に住むコウとリンという兄妹だと言った。
「日本ってわかる?」
「……ニホン?わからない」
「知らない」
日本語を話せるのに日本はわからないのか。なぜだろう。
「コウくん、リンちゃん、村の大人の人たちも私たちの話してる言葉をしゃべれますか?」
今度は糸井さんが2人に尋ねた。
すると兄のコウくんが頭を横に振った。
「お兄ちゃんたちは『上』から来たすとれんじゃー・・・・・・・でしょ?僕たちと違う言葉をしゃべってても『ほんやく』されるからお話できるって父さんや村長や先生が言ってた」
うん?よくわからないな。
要領を得なかったがしかし大事な情報を持っていそうだった。
暫く男の子の話を聞いて得た断片的な内容を繋ぎ合わせてみた情報が以下だ。
・やはりこの世界は俺たちの元の世界とは違う世界らしい
・俺たちの元いた世界から時々俺たちみたいな人間が流れてくるらしい。そういう人間をここでは「見知らぬ人ストレンジャー」と呼んでいる
・ストレンジャーが集まって作った村がこの子たちの出身でベンダンヴィレッジというらしい
・子どもたちの説明ではよくわからなかったが、何らかのシステムによってここでの言語は互いに自動翻訳されているらしい。言われてみれば子どもたちの話す時の口の動きと耳に入る言葉に相違がある気がする
「言葉は通じるし、人里もある……本当に幸運ですね私たち」
糸井さんはうっすら目に涙を浮かべているようだった。
俺たちは胸を撫で下ろす。これでひとまずライフラインは確保できた。
「木の実採りして遊んでたら迷っちゃって……」
「帰ったら怒られる……」
「怒られろ、怒られろ。そうやってガキはでかくなるもんだ」
しかし、迷ってこの辺に来たってことは正確な道筋はわからないってことか?いや子どもの足なら村からここまでそんなに歩いてないはずだ。
「俺たちは今晩寝るところなくて困ってんだ。村まで案内してくれるか?」
2人の兄弟はコクリと頷いてくれた。
◇
子どもの案内なので少し迷いながらも段々と進むほどに整備され歩きやすくなってきた道を小一時間ほど行くと森の終わりが見えてきた。
空を見上げるともう茜色に染まり太陽は山の向こうへ沈みかけていた。
「……落ちてきた世界にも太陽があって地平線もあるんだな。変な感じだ」
「言われてみれば変っスね〜。穴の中に落ちたのに」
考えれば考えるほどおかしなことばかりだ。しかしここで考えていても仕方ない。俺たちは兄弟に案内され先を急ぐ。
森を抜けると人の手が入った道があってわかりやすかった。やはり人里は近いらしい。
「ここまで来るともうすぐだよ!」
森を抜け5分ほど歩いたころ、男の子が笑顔を見せ前方を指差す。
遠くには木で覆われた柵と小さな空堀で覆われた集落らしいものが見えてきた。
なるほどあれが村らしい。こんなモンスターが出る世界ではああいう柵や堀も必要なんだろうな。
村の大人たちだろうか?柵の出入り口で数人が言い合いをしているようだった。
「やったぜ……ほんとどうなることかと思ったぜ」
「野宿しなくてすむっスね‼︎」
「よかった……ほんとうによかった……」
俺たちは人里を見て一様に安堵した。一時はモンスターの出る森での野宿すら考えただけにこれは地獄から天国だ。
そうして感傷に浸る間もなく村人たちは近づく俺たちの姿を発見したようで男女2人が村の木柵の扉を開いてこちらに走ってきた。
「あれはコウくんとリンちゃんを探してるんじゃないですか?」
「パパとママだ……僕たちの帰りが遅いから」
お兄ちゃんが何か言い終える前に妹が瑛子の背から飛び降り、両親の元へと駆け寄って行った。
「パパーー!ママーー!」
妹ちゃんが両親の元に到達すると抱き抱えられ、暫くそうしていた後拳骨を頭に食らっていた。なるほどこういう躾はしっかりしとかないとな。
「……ああ、やっぱり僕も怒られるのかあ」
お兄ちゃんのほうはまさしく今から予防接種を受ける前の小学生のような表情をしていた。
「コウとリンがお世話になりました。本当にありがとうございます」
子どもたちの両親とこの村の村長ディオンと名乗る中年の男が丁寧にお礼を言って木柵の扉を開け、俺たちを村の中へと案内してくれた。村は木造や土壁などで出来た家が立ち並び、牛や豚、鶏のような家畜の飼育もしているようだった。小麦のようなものも栽培してるみたいだ。
今晩は村長の家に泊めてもらえるそうだ。なるほど村長の家は他のものより広くて大きい。
「ありがとうございます。助かります。困っていたんです」
「いやいや、こういうのはお互いさまですから。私もこの地にやってきてすぐにあの森で怪物に襲われましてね。命からがら辿り着いた先がこの村というわけですよ」
どうやらここにやってくる者の経緯は似たようなものらしい。しかし初心者チュートとしては難度高すぎないか?あのモンスと森。瑛子がいなければどうなっていたことか。
村長の家の前に到着すると糸井さんが村長に質問をした。
「この村は『見知らぬ人ストレンジャー』で構成された村だと聞きました。私たちは元の世界に戻るための詳しい話を伺いたいです」
「そうですね。わからないことだらけでしょう。皆さんのご質問には私が何なりと答えますが、まずは体を休めなさってください。すぐに料理と風呂を用意させますので」
そう言われるといままで忘れていた疲労と空腹がどっと押し寄せてくるようだった。もう今の俺は何もかも忘れて飯食って寝たい。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんありがとうございました!またね」
「おう、もう危ないことしちゃダメっスよ‼︎」
コウくんとリンちゃんが俺たちに手を振って別れの挨拶をしてくれた。子どもたちの両親も改めて頭を下げて礼を述べてくれる。俺たちは手を振り彼らの背中を見送った。
◇
村長の広い家に入ると村長の奥さんとお手伝いさんと名乗る女の子が迎えてくれた。その綺麗な黒髪の女の子はメイドさんの格好をしている。俺たちと同じ歳くらいだろうか。
「ではお風呂の準備が出来てますのでこちらへどうぞ」
メイドさんが長くて広い廊下を案内してくれる。しゃんとした歩き方が美しい。黒いゴシックなメイド服もこの子によく似合っている。訓練を受けたメイドさんだろうか。
「メイドさん、メイドさん?お名前なんて言うんっスか?おいくつっスか?私らと同じ年くらいっスよね?」
風呂場への道すがら瑛子が人懐っこくメイドさんに顔を寄せるようにして尋ねる。こいつは気に入った人にはグイグイいく。全く。パーソナルスペースという概念を理解しないヤツだ。疲労の極致にある今の俺には瑛子を嗜める余裕はない。
「ヤヨイと申します。16歳です。以後お見知りおきを」
「あ、私も16っス。同い年っスね!えへへ」
「俺は17」
「私は18歳です」
瑛子の勢いにもたじろぐことなく、ヤヨイさんは表情を変えずぺこりと頭を下げて答えてくれた。肩まで切り揃えられた黒い髪はサラサラで目鼻立ちも整っていて可愛い。
俺たちはこの家に着いた時に住人である村長夫妻とこの子には簡単な自己紹介をしておいたがもう一度自己紹介と挨拶をしておく。
「ヤヨイさんって日本風のお名前っスね?見た目もそうだしもしかして日本人なんスか?」
「いえ、私は生まれも育ちもこのユグドラルですが曾祖母が日本という国から来たストレンジャーなんです。ですので日本のことは少しだけ存じ上げております」
ヤヨイさんは無表情で、しかし疲れた俺たち(主に2人だが)のペースにさりげなく合わせて歩いてくれる。
「今日はさぞ驚かれたことでしょう。ストレンジャーはたまにあの森に落ちてこられるのです。森を抜けたり哨戒で発見されたストレンジャーは大抵弱っています。そういう方々を保護するのがベンダンヴィレッジ村長の代々の役目なんです」
なるほどやはり俺たちみたいなのは稀にいるらしい。
渡り廊下を超え離れの部屋へとやって来ると風呂場の入り口が見えてきた。
ここまで来て俺は気付く。当然のことだが風呂に入る順番を決める必要がある。
「順番だけどまずは女子2人に譲るわ」
「おっ、センパイもれでぃーふぁーすとってやつ知ってるんスね!」
それくらいの空気は読める。失礼な奴だ。
「いえ、ここの風呂場は男女別に別れてますから。順番を決めなくても大丈夫ですよ」
ヤヨイさんが教えてくれる。
マジかよ。なるほどよく見ると大浴場のように赤と青の表示でわかりやすく男女に浴室が別れているみたいだ。さすが村長の家。
俺たちは二手に分かれることにする。
「着替えはこちらで用意しておきますのでごゆっくり。服の洗濯もさせて頂きますがよろしいですか?」
断る理由はない。
「「「ありがとうございます」」っス」
「ではまたお迎えにあがります」
メイドのヤヨイさんが丁重に頭を下げてその場を去っていった。
◇
浴室はとても広く何人も入れそうな大きな湯船と、さすがにシャワー装置はなかったが洗い場が8人分程ついていた。湯船に向かって木の筒からお湯がジョロジョロと流れ出している。
「……ひっろいなあ」
俺は取り敢えず桶に湯を汲み体を流すと湯船へと体を沈める。いい湯加減だ。疲れた筋肉へと暖かさが染み渡るようだ。
湯船を見渡し、ちょうど肩と腰を掛けられそうな部分を見つけ、移動することにした。俺が歩くと湯船に波紋が立つ。
目的の位置に着くと俺はどっかと体を休めるのにちょうどいい部分に腰を下ろす。今日はいろいろあったなあ……よく生きてるもんだ。
クソみたいな名ばかりの先達と喧嘩してサッカー部を衝動的に退部した後、公園の奥の林で釣りをしていたらいつものように瑛子に付きまとわれ、そしたらバイハザに出てきそうな猫に襲われ、よくわからない穴に落っこちて、この世界にやってきた後は糸井さんを助ける際にでかいモグラに殺されかけ、瑛子が無双して森を抜け瑛子が子どもたちを助けて子どもたちに案内されてそして今に至る。うん、瑛子偉いぞ。今日はお前がいなければ俺は何回か死んでいた。
さあ、これからどうやって家に帰ろうか?今何時だろう?
−−−……
「センパイ!」
……うるせえな、ちょっとは休ませろよな
「センパイ!センパイ‼︎ねたらしぬっスよ‼︎おきて‼︎」
顔まで湯船に沈んでいた俺はザバッと顔を引き上げ、跳ね起きた。危ない……湯船で眠ってしまったらしい。
しかし、今の声はどこから?瑛子……?
辺りを見回すが誰の姿も見えない。
腰を上げようとしたところで再び耳慣れた声が聞こえてきた。
「あわわわ……センパイ!立ち上がるのはもうちょい待ってくださいっス‼︎」
今度ははっきり聞こえた。
声のする方を見上げると男女の浴室の仕切りであろう石壁の上の合間から瑛子の顔と壁の上を掴んでいるであろう白い肩と腕だけが見えていた。
「おぉい‼︎何やってんだよ!覗きかよ!やめろバカ!」
思わず叫んでしまう。かなり高い壁だぞこれ、よく登れたな、つーかのぼってくんなよアホか。
しかし気づかなかったが、銭湯みたいに石壁で仕切られた共有空間なんだな、この大浴場は。
「いやあ、呼んでも返事が無いからセンパイ溺れてないかなって心配したんス。やっぱり見に来て正解だったっスね!」
「うるせえ!はよかえれ!」
こいつには恥じらいというものがないんだろうか。いや顔しか見えてないけどこっちの方が恥ずかしくなるわ。なんぼ絶壁瑛子でも。
「那月さん!危ないですよ!それにはしたないです。戻ってきてください」
「はいはーいわかったっス。じゃあセンパイ、眠っちゃダメっスよ」
糸井さんに窘められると瑛子はこちらに向けて掌を軽く振り漸く顔を引っ込めて戻っていった。
「全く……あいつは……ほんとにもう……」
湯船から出て洗い場で体を洗う。お、石鹸とシャンプーはあるんだな。ありがたい。
恩恵を噛み締めながら俺としてはゆっくりと入浴を楽しみたかったんだが、意識しだすと隣から聞こえてくる女子たちの声がうるさい。主に瑛子。
はっきりとは聞こえないが、時々きゃっきゃっと聞こえてくる嬌声が落ち着かない。
注意しようかとも思ったがきっと藪蛇になりそうなのでそこは無視する方向でいくことにした。
と、思ったら矛先がなぜかこちらに向いてきた。
「おーーいセンパーイ!起きてるっスかあ?」
「ちょっと!那月さん!」
無視する方向で。
「いやいやムッツリセンパイがキャッキャッウフフなガールズトークに興奮して鼻血出して倒れてたらウチら殺人犯っスよ!生存確認しとかないと‼︎」
「ちょっ、待って待って!那月さん!」
何やらまた石壁をよじ登るような気配を感じたので俺は堪らず返事を返してやった。
「誰がムッツリか!起きてるからこっちに来るのはやめろ!」
「よかったあ〜。呼んだら応えてくださいっスね!鼻血センパイ!」
「鼻血も出してない!」
せっかくの大浴場だからゆっくりしたいんだがなあ……
その後俺は何度も瑛子に生存確認の返事を促され落ち着かなかった。