薄氷上の日常3
「はぁ」
疲労を感じさせると息を零したのは、世界の管理者たる存在であるめいであった。
世界の管理者は、つまりは世界の支配者でもあるのだが、それでも書類仕事などの事務仕事からは逃れられないらしい。とはいえ、不測の事態でも起きない限りは基本的にそれほど多くはないが。
それでも、少ないながらもそういった仕事にいちいち時間を割かなくてはならないというのは意外と鬱憤が溜まるらしく、めいは決裁の済んだ書類の山を眺めながら、先程同様にもう一度息を吐き出したのだった。
めいの鬱憤が溜まっているのは、何も事務仕事ばかりのせいではない。
「兵が足りませんね・・・」
その呟きが全てである。
めいは近い内に残していた国へと侵攻しようと考えていたのだが、少し前にヘカテーがソシオ討伐を行った際に払った損害が思いの外大きく響いており、戦力が足りていなかった。数だけであれば十分以上に用意出来るのだが、現在求められているのは数よりも質の方。
「新しい存在を構築するべきでしょうか?」
めいしか居ない室内で、誰に言うでもなくそう口にしてみる。それは方法の一つではあるし、必要な兵の補充には勝算の高い方法ではあったが、めいとしては悩みどころであった。
というのも、あらゆる能力が高いので何でも出来るめいではあるが、創造という分野は苦手としていた。もっとも、それは出来る人の苦手であるので、一般的なそれと同列に語る訳にはいかないのだろうが。
その代り、めいは何かと何かを合わせるというのが得意で、魂の統合も得意としていた。
「創造よりも、既存の者達を纏めてしまう? それとも創造した後に纏めてしまいましょうか? 最低限素体にも強さが欲しいところですから、創造した存在を現在居る者達の強化に当てた方が現実的でしょうかね」
生き物を合成して高みに昇らせるというのは、めい以外には不可能な芸当。ただ組み合わせるだけであればその限りではないが、めいのように魂から混ぜ合わせるという方法はめい以外には出来ない。
それでも無限に強く出来るかといえば、そうはならない。魂にも受け入れられる限界というモノが存在している。一般的には、強靭な魂でもニ三度混ぜ合わせてしまえばギリギリである。一度のみしか保たないと言うのも珍しくないし、一度も耐えられそうにない魂というのが大半だ。
なので、素体としては強い魂を持っているのが望ましく、混ぜ合わせるにも回数制限がある以上、そちらの素体も強い魂が望ましい。
それらの条件を満たす者の数はそこまで多くはないので、結果として探すよりもめいが創造した方が早いという事になる。
めいの手元でいえば、側近達ぐらいまでしか範囲には入らない。ただ、側近の多くは既に一度は合成を行っているので、合成の素体にするにしても後一度程度が限界であろう。
因みにめいの場合であれば、幾度魂を合成しても魂が壊れる事はない。この辺りはオーガストが成長に如何な上限も掛からないようにしたのが要因だと思われる。もっとも、自分で自分の合成は行えないので、残念ながらそれも意味を成していないが。
閑話休題という訳で、めいは脳内に様々な候補を思い出す。
しかし、やはりというべきか、最終的にはヘカテーに至ってしまう。ヘカテーの魂はめいの影響を強く受けているので、かなり丈夫であった。
「もっとも、それも先の戦いで酷い有り様なんですがね」
ヘカテーは少し前にソシオに散々にやられて、命からがら戻ってきていた。その際ソシオがどうやったのか魂の破壊を行っていたので、本当に消滅寸前の状態であった。それにはめいも驚いたものだ。
「まだ粗いが、それでも破壊だけは出来そうですね。厄介なものです。早く出ていってくれませんかね」
ソシオの事を思い出し、めいは忌々しそうに口にする。正直めいであれば、ソシオが相手でも勝てるだろう。先の事は分からないが、少なくとも現時点ではそうだろう。
しかしその場合、めいも無傷とはいかない。現状を思えば、それは少々都合が悪かった。それに、ソシオはめいへと直々にそろそろ出ていく旨を伝えに来たのだ。であれば、下手に手を出す必要も無い。
それでも、近くにそんな存在が居るというのはやはり落ち着かないもので、どうしたものかと時折思い出しては頭を悩ませていた。とはいえ、答えはいつも同じ保留なので、考えるだけ無駄そうだが。
それはさておき、よさそうな素体に心当たりが無かったので、めいは合成する素体すべてを創造する事で賄う事に決める。
「・・・創造するのは、簡単な魔物でいいでしょうか? それとも何かしらの種族がいいですかね?」
うーんと考えたところで、めいは何かを思い出した表情を浮かべる。
「そういえば、妖精の数が少なかったですね。魔力を管理するだけならば一人でも問題ないでしょうが、それも可哀想ですし、この際もう一人か二人ぐらい追加しておきますか」
世界の管理者たるめいの手に掛かれば、魔物以外の既存の種族も創造出来た。既存の種族は見本が居るので、創造もそこまで難しくはない。
そこまで考えたところで、めいはいくつか新しく種族を追加しておこうかと思い至る。新しくといっても、新種ではないが。
「そろそろ世界を刷新するのも佳境ですからね」
頭の中に今後の予定を思い浮かべながら、現在の支配地域を割り振る種族を思い浮かべていく。住む環境というのは、種族によって異なるのだから。
「・・・ついでですし、妖精や巨人の方も全て創り直した方がいいですかね? 今後の世界に適するまで待つよりは、そちらの方が手っ取り早いですし。それとも予定通りに追加だけして、適応を促すに留めておくべきか・・・悩みどころですね」
小さく息を吐いためいは、一旦思考を先程までのものに戻す。
しかし、少し考えてそれらは両立出来そうだと、めいは自身の中で答えを出す。つまり、妖精や巨人を基礎として創り上げた兵を予定している戦いに投入して、その後に生き残りを各地に配置すればいいのではないか。というものだ。
その場合は十分以上に強い個体であろうし、新しい世代でもあるので、各種族の統率者や先導者の役割を与えてもいいかもしれない。
そのような事を考えながら、めいは兵について検討していく。やはり今回は量よりも質を重視したいので、多少時間が掛かろうともコツコツ補充していく事にする。
それと共に、側近の顔ぶれも変えていくかとめいは考える。何かしら仕事の補佐が行えるぐらいの個体も幾つか欲しいところ。
「やはり一番欲しいのは、汚れた力を浄化出来る者ですが・・・それは流石に望み過ぎですね。そうなると、やはりあの存在は欲しいところですが、まあそれは止めておきましょう」
穢れた力を浄化するというのは、管理者の権限とは関係ない。しかし、それを成すにはかなり強固な存在でなければならない。そして、それを行えるだけの個体は、今のめいでは生み出せそうもなかった。
そうなると、可能そうな存在が脳裏に浮かぶもので、流石にそれはとめいは頭を振った。それだけの存在ともなれば、めいにとって唯一敵と呼べるだけの存在ぐらいしか心当たりはないのだから。
あれこれと思案している間に時間が経ったようで、めいの執務室の扉が叩かれる。
それに返事をして招き入れると、扉を開けて入ってきたのは、めいの決裁した書類を回収しに来た者であった。
大量の書類を載せて運ぶために籠の乗った台車を押して入ってきた相手に、全ての書類に目を通したので持っていくように指示を出した後、めいは指示通りに書類を回収している相手にもう新しい事務仕事はないのかと尋ねる。
それに対して、もう今日の分は終わり緊急の案件も無いという事を聞いためいは、書類の回収を任せて部屋を出ていく。
部屋を出ためいは、死後の世界に移動する。
これから兵の補充を行おうと考えているのだが、何が起きるか分からないので、念の為に何が起きても問題ない場所で行う事にしたのだ。
「まずは妖精から創っていきますか」
周囲に誰の姿も居ないのを確認しためいは、早速新しい兵となる存在の創造を始めていく。
◆
ソシオは考えていた。
少し前まで、さあ出ていくぞとばかりに気合を入れて準備を進めていたのだが、それが終わりいざとなったところで、どうやら世界に新たな動きがあったようだと感知したのだ。
動きといっても、ソシオが前にめいに提案してみた事が実行に移されたという訳ではなく、何処かでこの世界の理に干渉した者が現れたというもの。
その出所は大体予想がつく。どういった干渉かもある程度なら解るのだが、これから先にどう転ぶのかまではソシオの予想が及ぶところではない。
「全く出来ない訳ではないけれど、それはそれとして、新しい変化というのも面白そうなんだよな・・・今はまだその時ではないが」
世界を出る準備は整ったので、今すぐにでも世界を出る事は出来るのだが、ただ、何だか面白そうな事が起こりそうな予感に、その足が止まってしまう。
少なくとも、今回は自分は傍観者に徹せられる事だろう。ソシオはそう考えて、傍観者として区切りのいいところまで観ていくべきかと悩み始めていた。
「でもなぁ、早く外に出て色々と学べば、それだけ早くオーガスト様と一緒に居られるようになる訳で・・・」
ソシオは考える。
このまま出ていった方が有意義な時間を過ごせるのか、このまま少し待った方が思いもよらない学びを得る事が出来るのかと。
現在の状況は、ソシオの予想よりも若干進みが早い。そして、僅かではあるが予想と逸れているような気もしている。
そうなると興味が出てくるもので、現在居る世界の外側と内側、どちらの方が面白い発見があるのだろうかと思ってしまうのだ。普通にやったところで、オーガストに届くとも思えない。
そういう訳でソシオは考えているのだが、中々答えは出てこない。なので、もう少し深くその新しい変化を探ってみる事にした。
◆
思いの外、呆気なく答えは出た。何の答えかと言えば、違う理の魔法についてである。
プラタにソシオと話す事が出来ないかと相談してからそう経たずに、プラタがその答えを持ってきた。
どうしたのかと問えば、ソシオに相談する前に答えが出たそうだ。相変わらず優秀な妖精である。
さて、そういう訳で現在その魔法を試しているのだが、今まで使っていた魔法とは威力が桁違いだった。いや、もう次元が違うと言ってもいいのかもしれない。それぐらい威力が高いのだ。
そういう訳で、魔法を試すと言っても今は防御の方で研究しているところ。というのも、予想以上に威力が高すぎて、既存の設備では壊しかねないから。
まあ既に最も硬い的は破損しているし、結界を貫通して壁にも穴が開いた。壁の方はそこまで深い穴でもなかったので何とか修復出来たのだが、流石にこれではまずいと思い、今に至る訳だ。
せめてこの魔法を防げる結界ぐらいは完成させなければ気軽に試せない。それであれば外でという事になるが、外の結界を破壊したら洒落にならないので、それは絶対に却下だろう。
今回の試しでは、いつもよりも威力が高いのは最初から予想出来ていたので、普段よりも抑えて魔法を行使していた。それでこの結果なので、状況はとてもよくない。
結界の方は割とすぐに完成したが、それでも強度の方で心配になっている。そして、それを試すには魔法を放たなければならないので、もしも上手くいっていなければ、と思うと不安になってくる。
「ええい!! 何にせよ魔法を使うのであれば、いずれ試す必要があるのだから、遅いか早いかの違いなだけだ!」
深呼吸をすると、気合いを入れる。結界の出来についてはそれなりに自信があるので、これ以上の結界となるとまだ時間が掛かる。
なので、気合を入れ直したところで的を囲むようにして早速結界を発現させていく。念の為に何重にも張っておこう。
そうして準備が整ったところで、結界の外側から魔法を発現させる。威力は前回試した時と同じ。
準備が整ったところで魔法を放つ。
「・・・・・・む」
手元から放たれた魔法は一直線に結界へ向かって飛んでいき、衝突と同時に一番外側の結界を貫通する。
そのまま二枚目の結界が壊れたが、三枚目の結界にひびが入ったところで魔法は消滅した。
「危ない危ない。まだ結界が残っていたとはいえ、ギリギリだな・・・同じ理でも防御と攻撃では効果が違うのかな?」
現在行使している魔法は、どちらも理の違う魔法である。なので、攻撃魔法と防御魔法では同じ理なのだが、何故か攻撃魔法の方が効果が高い。それも格段に。
その結果が今の結果なのだが、どうしてなのだろうか? この辺りも考えなければな。
「とりあえず現状では、硬度を上げた結界を何重にも張るしかないか」
幸い、結界維持の補助の為に創った魔法道具がある。これを調節して対応させれば何とかなるだろう。それでも一時的にすぎないが、ないよりはマシか。
それと共に、攻撃魔法の方の威力を下げる必要が出てきた。折角行使出来る魔法の階梯が上がったのに、これでは意味がないような気になってくるな。・・・一応意味はあるのだが。
まあいい。今日のところはそれで対応するとしよう。その為にも、まずは魔法道具の調整からだな。
◆
順調と不調の時間を比べると、一体どちらが長いのだろうか? ふとそんな考えが頭に浮かんでしまう。
プラタ達から報告を受けた後に理の違う魔法の修練を始めてから幾日か経過した。
多少は結界の方も改善出来たものの、依然としてやっている事は変わらない。威力を落とした攻撃魔法と何重にも張った結界。
それらの進展も乏しいのでプラタに相談してみたところ、その日の内にプラタが新しい訓練用の道具を用意すると共に、第一訓練部屋の改装までしていった。
曰く、「第一訓練部屋は理の違う魔法の訓練用に御使いください。第二訓練部屋の方は今まで通りに」 という事らしい。
プラタが作業を終えた頃にはもう夜になっていたので、その日はそのまま就寝した。
そして翌朝。準備やら何やらと済ませて第一訓練部屋に移動するも、見た目に変化はない。
用意されている道具も、見た目には特に変化はない。元々あった道具に関しては、第二訓練部屋の方に移したとか。
それらを確認した後、部屋だけではなく訓練用の道具も調べながら準備する。
調べてみると確かにプラタの言葉通りなのだが、自分の修練の結果があるので、大丈夫だろうかと心配になった。
それでも試さないという訳にはいかないので、念の為に部屋を護る為に的とボクを囲む大きな結界を何重にも張った後に、いつもの威力を抑えた魔法を的目掛けて放つ。
結果、的の破損は無かった。一番硬い奴を選んだというのもあるが、それでも無傷は予想外であったので、かなり驚いてしまった。
的に近づいて確認してみるも、やはり無傷。どうやらプラタは大分ボクの先にいるようだな。
それから幾度かその的を使った修練を行ってみたが、結果はどれも同じ。威力を少しずつ上げてみてもそうだったので、やはりプラタは防御魔法の脆弱性とその克服法について何か知っているようだ。
プラタは未だに何かしているようで、忙しそうにしている。こうして相談には乗ってくれるが、今は別の場所に居る。
なので、まずはプラタの用意してくれた訓練部屋の解析を行ってみる事にした。何でもかんでもプラタ頼りはやはりよくないと思うので。
まぁ、これらを用意したのはプラタである以上、プラタを頼っていると言われたら反論のしようもないのだが。
その辺りは考えても仕方がないので、割り切っておく。そこに教材があるのだから活用しない手はないだろうし。
さて、そうして解析を始めたはいいが、直ぐに躓いてしまった。何故かと言えば、違いが分からなかったから。
「うーん・・・ここも、そこも、あそこも、何処も構成が同じにしか見えないんだよな。ボクの結界と何が違うのだろうか?」
いくら情報量が膨大とはいえ、どれだけ調べてみても分からないので、簡単には分からないような場所に相違点があるのかと思ったのだが、注意深く慎重に調べてみても結果は同じだった。
あまりにも違いが無いので、もう一度自分で結界を構築してみる。そのうえで比べてみるが、やはり構成としては違いはない。異なるのは強度ぐらい。
「何が違うのだろうか? こうして実際に比較してみても解らないな」
うーんと唸りながらもボクが構築した結界と、プラタが構築した結界を見比べていく。
暫くそうした後、両方の結界に同じ威力の魔法を放ってみた。その結果、プラタの結界は変わらず無事だが、ボクの方は壊れてしまった。それどころか、そのまま貫通した魔法がプラタの結界に当たって防がれる始末。
結界を構築している魔力量も合わせてみたのだが、こうしてはっきりと違いが出た訳だ。つまりは何かしらの違いがあるという事。
やはり要となっている異なる理の部分をもっと調べてみるべきだろうか。そう思い、もう一度時間を掛けて丁寧に調べてみる。
あれこれと調べながら、途中でもう一度結界を構築して見比べながら調べていく。そうすると。
「見つけた・・・のかな?」
プラタが構築した結界を眺めながら、思わず首を傾げた。既に時刻は深夜。今は調べ物の最中で興奮しているのか眠くはない。
見つけた違いは、ほぼ誤差の範囲。文章で例えるのなら、よく見ればずらずらと連なっている文字の一文字だけが異なっているようなもの。しかも、どちらの文字でも意味は同じというおまけ付き。なので誤差の範囲。
そう思うのだが、いくら時間を掛けてみても他には違いは見つけられなかったので、とりあえず試してみる事にする。
僅かな違いを修正して、プラタの構築した結界通りの構成でボクも結界を構築させる。確認したが、しっかりと修正されていた。
「さて、それじゃあ試してみるかな」
そう呟くと同時に、先程と同じ魔法を同じ威力で構築していく。
直ぐに魔法の構築が終わると、結界目掛けて魔法を放つ。今回はプラタの構築した結界への攻撃は必要ない。放っている魔法は先程と同じものな訳だし。
放たれた魔法は直ぐにボクが今し方構築した結界にぶつかると、弾けて消えた。
「・・・・・・防いだ?」
そのあまりにも呆気ない結果に、何だか実感がわかない。
しかし直ぐに理解が追いつくと、今度は驚きと疑問が頭の中を満たしていく。
とりあえず深呼吸をして落ち着けると、結界の様子を確認してみる。
「破損は無し。ヒビも無いな。消耗も大して無いところをみるに、完全に防げたという事か・・・なんでだろう?」
理由については解る。あの誤差の範囲である僅かな違いのおかげだ。しかし、やはり誤差の範囲は誤差の範囲なのだ。その程度の修正でこうも劇的に変化するとは思えない。
しかし、だからといって考えても答えが出ない訳で。
「・・・・・・しょうがない。プラタに訊いてみるか」
このまま考えていても多分答えまでは辿り着けない。そう判断したところで、プラタに助けを求めてみる事にした。
その前に、一度部屋に戻ってみよう。もしかしたらプラタが帰ってきているかもしれないからな。
そう思い、まずは第一訓練部屋の片付けを済ませてから自室に戻る。一応結界が上手く構築出来たからか、その頃には少し眠くなってきていた。
第一訓練部屋から自室に戻ると、部屋の様子を確認する。しかし、まだプラタは帰ってきていないらしく、部屋には誰の姿もない。
プラタに話を聞く前に、まずは就寝の準備をしておく。既に深夜なので、プラタと話をした後はそのまま寝るつもりでいる。
お風呂は明日でいいので、魔法で身を清める。食事は別に要らないか。お腹は減っていないし。
そうして準備を終えると、寝台に座ってプラタに声を掛けた。
「プラタ、今いい?」
『如何なさいましたか?』
今はもう深夜だというのに、声を掛ければ直ぐに返事をしてくれる。声音もいつも通りな気がするので、このまま話をしても問題ないだろう。
「うん。さっきまで第一訓練部屋で魔法について調べていたんだけれども――」
そうして、今日の一連の試行錯誤と結果について話した後、その理由について尋ねてみる。
それにプラタは僅かに考えるような沈黙を挿んだ後、答えを返してくれた。
『それでしたら、意味が成り立たないからです』
「・・・どういう事?」
プラタの返答に、首を傾げる。その説明では理解出来なかった。意味が成り立たないとはどういう意味か。
先程の自分が行った説明を思い起こして考えてみるも、やはり意味が解らなかった。微妙に変えた部分について言及しているのだろう事は解るのだが、あれは微妙に言い回しが異なるだけでどちらも同じ意味だったはず。
では、プラタの言う意味が成り立たないとはどういう意味か。それを考えてみるも、やはり解らなかった。
『ご主人様が抱いているであろう疑問も理解出来ます。おそらくどちらも意味を成しているのに、意味を成さないとはどういう意味かと御考えなのでしょう』
「そうだね」
『ですが、それはこちらから見た場合は、なのです』
「こちらから見た場合は?」
『はい。そもそもこの世界とは違う理で魔法を構築しているのです。それをこちら側に発現する為の接点として、こちら側でも理解出来るように調節していますが、それでも基本は別の理なのです』
「うん、そうだね。こちら側でも解るように翻訳しているようなものだからね」
『はい。ですので、こちら側から見た場合は意味として成立している事でも、向こうに翻訳した場合は意味を成さない場合があるのです。それが先程ご主人様が御説明して下さいました部分という事です』
「・・・・・・ああ、なるほど」
翻訳は自動で行われている。そういう風に組み立てているのだからそうなのだが、そのせいで上手くいっているように見えて、上手くいっていないという事だろう。
つまり、こちらでは【おはよう】 と言っているのに、翻訳してみたら向こうの言葉で【さようなら】 という言葉になってしまっているようなものだ。
なので、こちら側の世界目線で考えると言い回しが微妙に異なるだけだというのに、向こう側の世界目線になってみれば、全く意味が異なる文章になっているという事か。そして、理の違う魔法はその向こう側視点が重要なので、結果として中身がスカスカの結界が構築されてしまったという事だろう。
プラタの話から考えれば、ボクが構築した結界は別の意味になっていたというよりも、そもそも一部意味が成立していなかったという事か。出鱈目な文章で書かれた本を読んだところで理解出来る訳がない。
納得したところで、そういう違いはどれぐらいあるのだろうかと疑問に思ったのでプラタに尋ねてみる。といっても、全てを把握している訳ではないだろうが。
「そういった違いってどれぐらいあるものなの?」
『ほぼ確認されておりません。今回の場合を含めても数例程度かと』
「なるほど。かなり珍しい事態に直面していた訳か」
『はい。しかし、まだ理の違う魔法については研究を始めたばかりですので、おそらくこれから先もこのような事例が多く出てくる事かと』
「そうかもね。そうなると、中々大変そうだ」
今回はプラタが気づいたからよかったものの、普通に考えたらそう簡単に気づくようなものではない。何かの事典のように分厚い本を渡されて、そこから一文字の間違いを探せと言われているようなものだ。いや、翻訳の違いだという事を考慮すれば、それ以上に難問か。
それを今回はこうも簡単に解決出来たのだから大したものだ。本当にプラタは優秀な事で。
それから理の違う魔法の研究で解った事を、プラタが惜しげもなく披露してくれたので、ボクの方でも大分理解が進んだ。それにしても、プラタはかなり先に行っていたようだ。ボク一人であったのなら、今回の件だけでも一体何ヵ月要していた事か。考えただけで頭が痛くなってきそうなほど。
とにかく、色々と教えてもらえてかなり助かった。当初の予定外に長話になったが、満足出来る内容であった。もう朝ではあるが、問題ない。むしろプラタの方は大丈夫だろうかと思うも、そもそも問題があったら長話はしないだろうから大丈夫か。
プラタとの話を終えた後、少し考え朝風呂に入る事にした。楽しかった話に気力は十分だが、少し気怠い感じがするからな。
ゆっくりお風呂に入る為に、半身浴で入る。慣れてきた今でもお湯の温度は熱い。
そうしてのんびりと朝風呂に入った後、朝食として堅く焼いたパンを食べる。保存食なので堅いのだが、温泉水に浸しながら食べると食べやすい。それに、少ない量でお腹が膨らむので割とよかった。
朝風呂のおかげで身体の調子もいいので、食休みを挿んだら今日も第一訓練部屋に行って理の違う魔法の修練でもするか。
◆
食休み後に第一訓練部屋に移動すると、今日も的の準備をしていく。プラタに色々と聞いた後なので、早く色々と試したくて的の設置も面倒に感じてくる。
しかし、ここをなおざりにする訳にもいかないので、しっかりと確認しながら準備していかないとな。
それから少しして準備を終えると、設置した的から距離を取って魔法を行使していく。今日も結界は忘れずに追加で構築しておいたので、多少の無理は利くだろう。・・・結界、ちゃんと構築されているよな? 途端に心配になってきたので、まずは結界の方の確認から行う事としよう。