リグドと、噂話
今夜も、リグドの酒場の看板を魔法灯の灯りが照らしている。
「お、ここだここだ」
その看板を見つけた数人の男達が、扉を開けて中に入っていく。
その扉の横。
酒場と隣の建物の間にお座りしているのが一角犬(ホーンドッグ)のワホ。
お客さんが扉を開けて中に入ると、
「ワホン」
軽く一鳴きしながら頭を下げていく。
それに気が付いた客の1人
「おぉ、これが看板犬のワホか。お出迎えありがとよ!」
笑顔を浮かべながら手を振っていく。
お座りしたまま、右手を挙げて手を振り返すワホ。
いつしか、この光景が客にも浸透しはじめていた。
◇◇
「しかし、この店のスープカレーは美味いのう」
カウンター席に座っている大工のヴァレスが嬉しそうに声をあげる。
リグドより年配の猿人ヴァレス。
うれしさのあまり、軽くドラミングのように自らの胸を叩いていく。
「ヴァレスさん、いつもありがとな」
そんなヴァレスに、ニカッと笑みを向けるリグド。
その手元では、注文の料理を調理している。
炒めたガルリックに、しみ出した肉汁を加えてソースを作成。
それを、焼き上がった肉にかけていく。
食べやすいように一口サイズにカットされている肉。
ソースがかかり、完成したその料理を、
「あいよ、あがったぜ」
リグドがカウンターの上に置くと、
「うっす」
店内を疾走していたクレアが即座にそれを手に取り、客席へ持って行く。
「お前さんといい、あの若い奥さんといい、ホントに働き物じゃのぉ」
「いえいえ、貧乏性なんですよ。体を動かしてないと落ち着かないんす」
「はっはっは、まだ若いんじゃ。それぐらいで十分じゃ」
楽しそうに胸を叩くと、右手のジョッキを掲げるヴァレス。
「リグドの酒場に!」
それに呼応するように、店内からも
「乾杯!」
「リグドさんに乾杯!」
そんな声があちこちからあがっていく。
店内には、ハープの音色。
店の端で、ウェニアがハープを弾き続けている。
店の雰囲気を崩すことなく。
楽しげな調べを奏でながら、客達の様子をマスク超しに見つめている。
その横で、クレアが立ち止まった。
「……ウェニアさん、なんでマスクをとらないんスか? ヴェールの方が似合うっすよ」
先日、リグドから顔を隠すのに、と、ヴェールをもらったウェニア。
だが、いまだにそれを使用することなく、最初にもらった黒いマスクを被り続けている。
「……いいの……これをつけていると気分が高揚」
「……まぁ、無理にとはいわないっす」
そう言うと、クレアは接客に戻って行く。
……あぁ、あのマスク……リグドさんが傭兵時代に身につけていたあの……
ウェニアがマスクを辞めたら、それを譲り受けようと虎視眈々と狙っているクレア。
ちなみに……
傭兵時代からリグドのことを慕っていたクレア。
彼女の荷物の中には、
リグドからもらったペン
リグドからもらった仕事のメモ
リグドからもらったタオル
そんな何気ない品が大事に保管されている。
……リグドさんコレクションに、なんとしてもあのマスクを加えたいっす
内心でそんなことを考えながら、クレアはテーブルの間を疾走していく。
◇◇
「……そういえば、リグドよ」
3杯目のブラッドスープカレーを口にしながら、ヴァレスがリグドに声をかけた。
「お前さん、あの傭兵団の出身だったな」
そう言いながら、右手だけひらひらさせていく。
片手=片翼、つまり、片翼のキメラ傭兵団のことを意味する仕草。
リグドが、そのことを隠してはいないものの、あまり公言していないことに配慮しているヴァレス。
「あぁ、そうだが?」
「うむ……昨日、近くの辺境都市で、ちと小耳に挟んだのじゃが」
一度酒を飲み、軽く息を吐くヴァレス。
「……当然、龍人(ドラゴニュート)のシャキナは、知っておるな?」
「あぁ、あそこの実質的なエースじゃねぇか」
そこにクレアが駆け寄ってきた。
「リグドさんのはるか下っす」
「ははは、そう言ってもらえるとうれしいぜ」
クレアの頭に、ポンと手をおくリグド。
途端に、クレアの尻尾が激しく左右に触れていく。
その光景を微笑ましく見ていたヴァレス。
「……そのシャキナじゃが……あそこを首になったそうじゃ」
「は!?」
その言葉に、思わず目を丸くするリグド。
龍人シャキナ……
リグドとクレアのちょうど中間の年齢の冒険者。
武人として刀身の細い剣を武器とし、冷静かつ冷徹に仕事を完遂する亜人種族。
人呼んで完璧執行人。
「……何でも、現団長の作戦に異議を唱えてお怒りを買ったらしい」
ヴァレスの言葉に、顔をしかめるリグド。
「まぁ、あれじゃ。あそこは最近ろくな噂を聞かんぞ。仕事の失敗も多くなっとるらしいわい」
「……まじか」
「うむ、すでに大口の客が離れはじめとるそうじゃ」
ヴァレスの言葉に、リグドは頭をかいていく。
片翼のキメラ傭兵団は王都でも5本の指に数えられるほどのエリート傭兵団である。
団員も多く、複数の依頼を何人かのチームでこなしていた。
その際、ベテランが若い団員を連れていくことで経験を積ませることも出来ていた。
そのためにも、有能なベテランは必須なはずである。
……ベラントには、まだ早かったか
考えを巡らせるリグド。
その手を、クレアが掴んだ。
「自業自得っす。リグドさんが気に病むことはないっす」
「……あぁ、そうだな」
クレアの言葉に身を返すリグド。
「さ、とりあえずこれを運んでくれ、まだまだ次もあがるからな」
「うっす!」
リグドから料理の皿を受け取ったクレアは、即座に店内に向かってかけていく。
「……うむ、余計なお節介じゃったか?」
「いや、助かるよ。またあそこの噂を聞いたら、こっそり教えてくれ」
「うむ、リグドの頼みなら断れぬわい」
ニカッと笑みを浮かべるヴァレス。
笑みを返すリグド。
十数年来の友人同士のように笑みを交わし合う2人。
「ふあぁ、ブラッドからあげと、ガルリックトースト3人前追加です~」
そこに、新たな注文を取り付けてきたカララが割り込んできた。
「お、商売繁盛だな、ありがたいこった!」
すぐさま料理を開始するリグド。
「さぁさぁ、みんなもしっかり食べて飲んで行ってくれよ!」
店内に向かって声を上げるリグド。
同時に、右腕で力こぶをつくっていく。
年齢に見合わないその太い腕を前にして、店内から怒号が沸き起こっていく。
その怒号を後押しするように、ハープを奏でるウェニア。
店外では、ワホがその音色に耳を傾けながら寝息をたてはじめていた。
◇◇
閉店後……
風呂をすませ、ベッドに横になっているリグド。
「……傭兵団のことっすか?」
体を拭き終えたクレアが、その横に寄り添っていく。
「ん?……まぁな」
苦笑しながら、クレアを抱き寄せるリグド。
その顔を見つめながら、クレアはリグドの下半身に手を伸ばしていく。
「お、おい。クレア……」
「元気だしてほしいっす。そのためなら自分、なんでもするっす。自分にはリグドさんが全てなんす」
真剣な表情のクレア。
「……ありがとよ」
クレアを抱き寄せ、荒々しく唇を重ねていくリグド。
リグドの後頭部に腕を回し、受け入れていくクレア。
2人の体がベッドの上でからみあっていく。
……そうだな、こいつのために頑張らねぇとな、かみさんのために
◇◇
「くっそう、剥いても剥いても終わらねぇ」
その頃……店の裏にある小屋の中で、エンキ達は悲鳴をあげていた。
酒場が繁盛するにつれて、課される野菜剥きの量が日に日に増加。
その処理に追われ続けていたのである。
「とにかくやらないと、さらに終わらないっすよ」
「そ、そんなこたぁわかってるって……くそう」
ブツブツ言いながらも、次の野菜に手を伸ばしていくエンキ。
机の脇には、未処理のバケツがまだまだ残っていた。