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指導と日常8

 時刻は既に夕方も終わろうかという頃合いなので、そろそろ夕食を食べたい。
 時間もだがお腹が空いてきたので、タシがボクに触れて振出しに戻ったところで終わる事を告げる。
 それにタシは残念そうにしたのが分かったので、楽しんでくれたのだろう。余った時間を使ったちょっとした遊びだったのだが、いい練習にもなるし、明日の指導はこれでもいいかも。
 それにしてもせっかく最後に追う側になったのだから、そこそこ真面目にプラタでも追いかけて強化魔法の使い方の見本を見せてもよかったな。
 まあそれもお腹が空いたので明日考えるとしよう。プラタと追いかけっこして追いつけるかどうかは微妙なところなのだが。
 タシの攻撃のあしらい方を思い出せば、プラタを捉えるのは無理かもしれない。当然なのかもしれないが、プラタは魔法の扱い方が本当に上手いからな。
 仮に明日ボクが追う側でプラタを追ったとしたら、プラタもタシ相手のような手加減はしないかもしれない。そう思えば、ますます捉えるのは難しい気がしてくる。
 ・・・それを今考えても仕方ないので、片付けを済ませてタシを影の中に入れると、自室に戻る事にした。
 自室に戻ると、お腹は空いているが、まずはお風呂に入る事にする。最後に追いかけっこをしたので、少し汗を掻いてしまった。
 その事をプラタに話をして諸々支度を済ませると、洗い場で身体を洗って湯船に身を浸す。

「はぁ」

 身体を湯船に浸すと、思わず声が漏れてしまう。
 疲れがお湯に溶けていくような気持ちよさを味わいながら、のんびりとした時間をプラタと過ごす。
 静寂の時間が幾ばくか過ぎた辺りで、ボクは先程の追いかけっこで気になった事をプラタに尋ねてみた。

「プラタ。追いかけっこの時にタシの攻撃を躱した際に使ったあの魔法の運用だけど、あれってボクでも可能なのかな?」

 あの流れるような無駄のない魔力運用はボクには難しい。もしかしたらプラタが妖精だからというのが関係しているかもしれないので、その事について尋ねてみると。

「問題はないかと。あれは魔力の循環する流れを加速するような感覚で行うだけですので」

 事も無げにそう教えてくれる。
 言っている事は理解できるし、実際身体に作用する魔法に関してはそうやって移動させたりもしている。なので、それに関しては知っているのだ。ただ問題は、プラタがやったような速度で運用するのがボクでは出来ないという事だ。
 これでも結構魔力運用に関しては修練しているのだが、それでも出来そうもないと思わせるだけのモノだったので訊いてみたのだが、まあ訊き方が悪かったのかもしれないな。

「人間でもあの速度で運用可能なのかな?」
「ご主人様でしたら可能かと」
「・・・そっか。まぁ、うん。修練次第かな」

 質問内容に関しては悪くなかったけれど、今度は質問相手が悪かったような気がする。プラタの場合大抵同じ答えをするので、実際はどうなのか判断しにくい。
 有難いと思うし、期待には応えたいと思うのだが、如何せんプラタのそれには上限がない気がして不安になる時もあるのだ。
 まぁ、今回は努力次第と受け取っておこう。今でも多少は出来ているのだから、不可能という訳ではないと思いたい。
 それからもう少し温まった後、着替えて自室に戻る。
 自室に戻ると、先に上がったプラタが夕食の用意を済ませておいてくれていた。いつも有難いことだ。
 プラタが用意してくれた夕食を食べ終わると、少し休んでから魔法道具を取り出す。今回は背嚢の調査の方に戻ろう。
 背嚢の調査も大分進み、ある程度は完成しているのだが、それでもまだ完全とは言い難い。
 時間停止部分はプラタのおかげでほぼ完成といってもいいのかもしれないが、背嚢全体の解読という部分では躓いているからな。
 無限収納に時間停止。他にも色々あるだろうこの背嚢は未知の詰め合わせだ。それも高度な技術の未知。
 そう考えればわくわくするのだが、如何せん上手くいっていないからな。あまり根を詰めすぎないようにしないと。
 寝台に並んで腰掛けて、プラタと一緒に背嚢を調べていく。少し休みを入れたのは正解だったな、何だかやる気が出てくる。
 複雑な背嚢はあまり長時間調べられないが、それでもやる気の有無は重要だからな。
 そうして時間が過ぎ、ボクが限界に達したところでプラタも背嚢の調査を中断する。もう少しやっていてもいいのだが、よほど重要な部分を調べていない限りは、プラタはボクに合わせてくれる。何だか申し訳ない。
 ふらふらする頭で伸びをすると、もう今日は予定もないのでそのまま寝る事にした。今度は補助の魔法道具を創るとしよう。
 後の事はプラタに任せ、就寝の準備を済ませて寝台で横になると、今日はもう眠ることにする。

「おやすみなさいませ。ご主人様」
「うん。おやすみ、プラタ」

 就寝の挨拶を終わらせると、ボクはゆっくりと意識を沈めていった。





「ぐっ!!」

 月の無い暗い夜。
 ただでさえ暗いというのに、空は一面厚い雲に覆われた曇天模様。
 そんな夜の帳の中、苦しげに呻く声が響く。それと同時に、「ふふふ」 という女性の楽しげな笑い声も。

「まさかここまで・・・」
「ふふ。この程度でそこまで驚くとは」

 笑う女性の前には夥しい屍の絨毯が敷かれ、その絨毯の中ほどで立つ二人の姿。
 一人は爬虫類を思わせる艶めかしい肌に深い傷を負った痛々しげな女性で、もう一人は全身を鎧で覆ったような男性だが、片腕が腕の半ばほどから先が無い。
 血は出ていないようだが、その先に付いていたと思われる腕は、笑う女性の足下に転がっていた。

「むしろ、まだ死んでいない君らを褒めるべきではないかな?」

 顔に気味の悪い薄ら笑いを張りつけながら、背の高いすらりとした美女が澄んだ声を出す。

「容姿といい強さといい、随分な変わりようですね」

 そんな女性に、深い傷を負った女性は吐き捨てるように呟いた。
 その横で、全身を鎧で覆ったような見た目の男性が油断なく構えながら頷く。

「ふふ。この身体は強さに応じて成長するものでね。といっても、そろそろ容姿の成長は限界のようだけれど。これ以上老いる事はないようだから」
「そうですか。という事は、そこが限界ですか」

 劣勢だというのに、挑発するような物言いをする傷を負った女性。しかしそれを受けても、女性は気にした様子はない。それどころか、逆に少し機嫌が良くなったような感じがする。

「容姿の成長でいえばそうだね。しかし、残念ながらもうぼくに成長の上限はない。ふふ。君達の主と同じだよ」

 耳心地のいい澄んだ声音にすらりとした美しい肢体。見惚れるほどに整った容姿。その美しさに街中で見かければ誰もが振り向くのであろうが、しかしその女性が現在浮かべている笑みは、狂気さえ感じる気味の悪いもの。
 歪んだ笑みでも整った容姿と相まって絵にはなるが、見る者の背筋を冷やすには十分だった。それどころか、普通であれば恐怖に身を震わせてしまうだろう。
 そんな存在が実際に目の前で佇んで視線を向けている状況に、二人は気丈に振舞いながらも内心で恐怖していた。

(女王の前とは違った恐怖。おそらくまだ女王の方が上でしょうが、それでも私達では勝てないのは確実、ですね)

 二人の主は、相手に根源からの恐怖を与える絶対なる存在。目の前の女性のように理解出来る恐怖の方がマシではあろうが、それでもその女性の秘めたる力は二人の主に届きそうなほどに大きい。というより、巨大すぎて二人には理解が及ばないほど。
 少し前に女王と呼ぶ二人の主が目の前の女性と直接会って調べた時には、まだこれ程強大な存在ではなかった。それこそ二人でも十分対処可能なぐらいであったはずなのだが、短期間で女性はありえないほどに強くなっていた。
 元々、今回二人が軍勢を引き連れて攻めてきたのは、女性の強さが遠距離からでは霧の中に隠れたかのように判別出来なくなったから。
 謂わば今回は、調査の為の捨て駒。こうでもしなければ測れない程度には強くなってしまったので、二人では勝てないのは最初から解っていた事だ。
 そして、目的である強さの調査は済んだ。予想以上の結果ではあったが、後はその結果を持ち帰るだけ。

(これは一度死なないと無理でしょうね)

 逃げ切れるとは思えなかった。おそらくやろうと思えば一瞬で二人など殺せるのだろう。それをしないのは楽しんでいる故か、それとも向こうは向こうで何か調べているのか。
 どちらにせよやる事はやった以上、長居は無用である。二人の主である女王は死を自在に操れるので、ここで死んでも女王の下で復活する事が出来る。つまりは逃げ切れなくとも、死んでしまえば一瞬で主の下に戻れるという事だ。

(などと考えているのだろうな)

 そんな二人の様子を眺めながら、女性は狂気を感じさせる笑みに若干の呆れを混ぜる。

(こちらの用事は済んだから始末してもいいのだが、このまま返すのも面白くない。かといって、完全に消滅させるのも手を明かすようでつまらない。ならば、少し土産を持たせてやるとするか)

 眼前の二人が攻撃を仕掛けてくる気配を感じながら、女性は気にせず思考を続ける。

(男の方は・・・硬そうだし爆弾でいいか? となると、女の方は呪いだろうか。しかし、どちらもあいつにとっては嫌がらせ程度にしかならないし、情報を与える事になってしまうな。なら、こちらから向こうの内部が監視出来るように細工しておくとしよう)

 一瞬の内に思考を終えると、攻撃に移った二人を何もさせずに即潰す。今の女性にとってその程度は造作もない。
 死亡した二人は、周囲の屍と共に消滅する。

「さて、仕込みは上々、後はあいつ次第か。気づくかな? まぁ、気づくだろうな。どれだけ保つかお楽しみ」

 ふふふと不気味に笑うと、女性は闇の中に消えていく。後に残ったのは、散乱する武具と赤黒く染まった大地、それに鉄と汚物の混ざったような不快な臭いだけであった。





 穏やかな時が過ぎる。
 死の支配者の軍に囲まれているというのに不思議なものだが、もう長い事平穏な時間が流れている。それでも気は抜けないが、こうなっては気を張りすぎてもしょうがない。
 しかし最近、これにも少し変化があったようだ。

「動きが活発にね・・・」

 夜。全ての修練が終わった後。寝る準備をしていたところにプラタから報告があった。
 それによると、どうやらジュライ連邦を取り囲んでいた軍はそのままであるのだが、北側から追加でやってきた軍勢が何度も南下していくらしい。
 他の経路でも同様の事態が起きているようで、どうやら死の支配者の大軍が分かれて南を目指しているという事のようだ。
 その後、分けた軍勢を南で幾つか合流させて更に南下させているのだとか。

「南というと、魔物に変わってソシオが占拠したって場所か」
「はい」

 以前にそんな報告をプラタから貰った。
 人間界以南まで支配域にした魔物達を一掃して、新たな南部の支配者となった者。それがソシオ。兄さんと共に居た妖精だが、魔物を一掃して南を占拠した理由は不明。
 プラタが接触してみたが、結局何も掴めなかったらしいからな。
 そんな南へと死の支配者は大軍を差し向けているという。それも何度もという事は、それでも未だに落とせていないという事なのだろうが。

「南部ってソシオが一人で占拠していたんだよね? 軍勢相手にこうも護り抜けるものなの?」

 個で軍に抗う。それは不可能ではないが、非常に難しい。護るべきモノや場所が限られていれば別ではあるが、ソシオの護っている領域は結構広大だ。増えに増えた魔物の大群が占拠していたぐらいなのだから当然だが。
 正直、死の支配者の軍勢は個々では然程強くはない。ほとんど数だけ揃えましたみたいな状態なので、質ははっきり言って悪いのだ。
 プラタ曰く、ジュライ連邦の兵士一人で、死の支配者の兵三~五人は問題なく同時に相手出来るらしい。それだけではジュライ連邦の兵士が強いのか、それとも死の支配者の兵が弱いのかは分からない。しかし、プラタは両方だと言っていた。
 まあとにかく、それだけ死の支配者の軍勢は兵の質が悪いのだが、それを引いても余りあるほどに数が多すぎる。
 そんな大軍相手だと、護るのも一苦労だ。少なくともボクでは、人間界ぐらいの広さでも無理だと思う。一国程度なら何とかいけるかもしれないが、それぐらいだ。
 だというのに、ソシオはその何十倍か何百倍か知らないが、広大な土地を護り抜いている。どうやっているのかは不明とはいえ、おそろしいものだ。
 それが未だに続いているところから、死の支配者側に進展はないのかもしれない。もしかしたらあの軍勢でも全く領土が削れていないなんてこともあるかもしれないな。
 そうなると、残った軍勢が北上してくる可能性もあるのか? そうなったら護りきれるか不安だな。このまま死の支配者とソシオで潰し合っていてくれればいいのに。しかし、そうも言ってはいられないか。

「今でもソシオさまは御一人で守護しておられるようです。ただ、一人なのですが一人ではないと申しますか・・・」
「どういう事?」

 困惑するように言葉を濁したプラタに、ボクは首を捻る。一人なのに一人じゃないとか、言っている意味がよく解らなかった。何かしらの魔法道具だろうか?

「詳しい事は不明ですが、どうやらソシオさまは人形を使用しているようでして」
「人形? プラタの素体になっているような?」

 プラタは見た目は普通の少女であるが、その実、人形に憑依した妖精である。なので、そういった物かと問い掛けてみた。しかし、もう一つ人形を用意したとしても、プラタは一人なので意味はない気もするが。

「はい。おそらく現在のこの身体を参考にしたのではないかと愚察しますが、実際のところは不明です。また、複数体の人形を操っている方法も不明ではありますが、ソシオさま以外の気配は感じられませんでしたので、ソシオさまが操っているというのは間違いないかと」
「ふむ。それは興味深いけれど・・・」

 興味深い。確かに興味深いし、それを活用できればこの国の戦力も増すだろうが、何だか漠然とした不安も感じるな。
 プラタには世話になっているし、あまり危険な事はさせたくないが、それでも調査ぐらいはしておいた方がいいだろう。それを活用するかどうかはまた別の問題だ。
 それに脅威になり得るのであれば、事前に知っておかなければならない訳だし。

「まあとりあえず、それについては調べられるところだけ調べといて。しかしまた、何で急にこんなに動きが活発になっているのか」

 プラタの報告を聞く限り、死の支配者はかなり活発に南征を繰り返しているようだ。今までの静寂が嘘のようだな。であるから余計に疑問に思う。
 魔物が支配していた時でもここまで活発に動いていなかったはずだが。今の南に何かあるのか、それともソシオに何かあるのか。・・・謎だ。情報が無さ過ぎる。もしかしたら、死の支配者とソシオの間に何かしらの確執でもあるのかもしれないな。
 死の支配者が急に活発に動くようになったのも、ソシオの治める南部を執拗に攻めているのかも今は謎ではあるが、とりあえずこちらもプラタの調査待ちという事になるだろう。一応無理だけはしないようにとプラタには忘れずに付け加えておく。
 それにしても、知らぬ間に世界は動いているな。まぁ、地下に引き籠っているから知らないだけだが。

「他に報告はある?」
「ジュライ連邦についてはこちらの資料に目を通して頂ければと」

 そう言って、プラタが何処からともなく取り出した一抱えほどの紙束を渡してくる。受け取りつつ上に載っている紙に視線を落としてみれば、中央付近に『ジュライ連邦収穫物一覧』 とだけ書かれている。つまりはそういった事務的な報告をまとめた資料だろう。

「それ以外には特に報告すべき案件は発生しておりません」
「そうか」

 渡された紙束を一旦背嚢の中に入れながら、プラタの報告に頷く。
 外は忙しくとも、内側は平和という事か。平和なのはいい事だ。ボクも脅威を感じずにのんびり暮らしていたい。しかしそうもいかないんだよな。とりあえず死の支配者をどうにかしなければ安寧も何も無い。
 しかしそれが難しいのだがと思うが、思ったところで現実は変わりはしない。

「はぁ」
「如何なさいましたか?」

 思わず出してしまったため息に、プラタが心配そうに問い掛けてくる。それに何でもないと返すと、とりあえず背嚢に収納したばかりの資料を少し取り出して目を通してみる。
 先程確認した通り、一番上の資料には『ジュライ連邦収穫物一覧』 とだけ書かれている。それを捲って次の資料を確認してみると、表で区切られた場所に細かな文字でずらずらと文字が書かれている。一目で読む気が失せるほどに細かな文字が、それはもうびっしりと。
 それでも何とか気力を持ち直して文字を目で追う。
 紙に書かれているのは、農作物に山や海で採れた食べ物、それに家畜。果ては各種金属類の産出量も記載されている。

「・・・そういえば、鉱山ってどうなっているの?」

 大分前に近くに各種鉱石を産出する山々があるという話を聞いた覚えがあるが、現在は国から外に出られない状態だ。仮にジュライ連邦と鉱山に転移魔法を設置していたとしても、防壁に囲われているでもないだろう鉱山は死の支配者側に占拠されているのではないだろうか。かなり採掘出来ているらしい金属の産出量を見てふとそう思ったので、疑問をぶつけてみた。

「稼働しておりますよ。そちらの資料に産出量が記載されておりませんでしたか?」
「書かれているけれど、死の支配者の軍勢は大丈夫なの?」
「ああ、それでしたら問題ありません」
「そうなの?」
「はい。ここと同じように魔法道具と兵で護っていますが、どうも攻めてくる気がないようでして、現状は何処も同じように遠巻きに包囲されているだけです」
「ふむ。そうなのか」

 死の支配者の意図は読めないが、どうもジュライ連邦とその支配下の場所は包囲するだけのようだ。こちらとしては助かっているからいいが、何だか不気味だな。
 それでも安定して供給出来ているのなら今はいいか。そちらも含めてこれから考えていかないとな。
 それからも資料に目を通していく。
 細かな文字に数字がずらりと並ぶさまは、そっと資料を仕舞いたくなるほど。しかしここで折れてはもう資料に目を通さなくなりそうなので、頑張って踏みとどまる。
 幸いというかプラタの配慮なのだろうが、難しい言葉や専門的な用語は極力排して書かれているようだ。文字数の関係でどうしても専門用語を記載する必要があった場合は、下の方の枠外に簡単な説明が記載されている。あまりにも説明がややこしかったり長かったりした場合は、別紙にて分かりやすく、必要に応じて図解入りで詳しく説明されていた。
 それでも沢山の数字を見ていると疲れてくる。別に計算する必要は無いのだが、数字が大きすぎて漠然とした理解しか出来ないし。
 そうやって悪戦苦闘しながら、何とか『ジュライ連邦収穫物一覧』 の項目部分を読み終わる。次に書かれていた『首都プラタ収支報告書』 の文字は見なかったことにして、手元の資料を全て背嚢に仕舞った。首都プラタという事は、他の街のも独立して纏められているのだろうな・・・。
 こういうのを見ると、やっぱり国主とか無理だなと思うも、官僚もまた無理そうだ。なんとか務まりそうなのは兵士ぐらいだろうか。きつくても身体を動かすだけなら出来なくもないだろうし。
 出来たらただの住民がいいが、それを言ったらより細かな話になってしまうので、現実逃避はここまでにしておこう。

「ん。そろそろ寝ようかな」

 寝る準備をしてから資料に目を通したとはいえ、もう日付が変わている時間だ。頭も使ったし、そろそろ寝るとしよう。頭脳労働は慣れないものだ。

「おやすみ。プラタ」
「おやすみなさいませ。ご主人様」

 寝台に横になって、いつも通りにプラタに就寝前の挨拶を交わす。
 こうして少しでも寝ておかないと、明日が持ちそうにないな。そういう訳で、何だかふらつく頭を休めながら眠りについた。





 日々の修練の合間にちょこちょこと資料に目を通しつつ、何とか全ての資料に目を通し終えたのは、二週間ぐらい経った頃だった。結構頑張って読んだと思うのだが、今手元には新しい資料の束が置かれている。
 試しにパラパラと捲って確認してみたが、目を通したばかりの資料と内容は同じようなものだった。主に書き込まれている数値が違うだけで。
 厚さも同じぐらい。プラタの報告も同じようなもので、つまりは最新の資料に変わったという事だろう。これもまた目を通しておいて欲しいらしい。
 以前まではここまでではなかったのだが、それだけ規模が大きくなったという事なのだろうか? 試しにプラタ達もこの資料に目を通しているのかと問えば、「勿論です」 と即答された。
 プラタはどれぐらいで資料に目を通しているのかと思ったのでそれも問い掛けてみると、どうやらこの優秀な妖精さんは一晩で全てを確認し終えているらしい。それも仕事の傍らで。
 それでいて完璧に頭に入っているのだからおそろしいものだ。「仕事に必要ですから」 らしいが、これでは何も言えないではないか。
 なので渋々ながらも受け取ると、資料に目を通していく。プラタは「要点だけ確認出来ればいいので、慣れれば直ぐに読み終わる事が出来ますよ」 などと言ってくれるが、慣れるまでにどれぐらい掛かるのやら。
 そんな事を思いつつも、いつまでもぐちぐちと言ってはいられないので、読みやすいように背嚢に一部の資料を収納して厚みを減らしてから、手元に残した資料に目を通していく。
 数字以外の内容はそこまで大きく変わらないので、二度目という事もあって少しは手慣れた感じで流して読める部分もあるにはあった。それでも普段読まないようなお堅い文章に、理解するのが大変なのだが。
 今日はまだ先程夕食を終えたばかりなので時間はある。なので、今日はこのまま資料とにらめっこして過ごそうかな。
 それをプラタに告げると、プラタはプラタで別の資料や書類を持ってきて隣で執務に励むようだ。事前に許可を取りに来たとはいえ、自分用の机と椅子を持ってきてまでここで決裁をしなくてもいいのではないかとも思うが、部屋の余白部分は多いので、まあ好きにすればいいだろう。
 ペラペラという紙の捲れる静かな音と、何かを紙に書き記す硬質な音を耳にしながら、静寂の中でボクは資料に目を通していく。

「・・・・・・」

 そういえば、ソシオの方の調査はどうなったのだろうか。あれから何も報告がないという事は、進展が何も無いのかもしれないな。
 まあ安全第一なのでゆっくりでもいいのだが。ソシオについては魔物を殲滅して以降は動きが大人しいから、そう急いで情報収集をする必要もないだろう。未だに最も警戒すべきは死の支配者な訳だし。
 これもここで考えてもしょうがないか。調査はプラタに任せているのだし、信じて待つとしよう。
 それにしても、こうやって別の事を考える余裕があるのは二度目だからか、それとも疲れて集中出来ていないからか。
 読み終えた部分の資料を背嚢に仕舞うと、その分新しい資料を補充する。あまり嵩張らないように厚みに気をつけながら補充を済ませると、再度資料に目を落としていく。確かにこれは回数を重ねれば慣れて早く読めるようになるかもしれない。それでも片手間で一晩で読み終えるのは流石に無理だろうが。
 相変わらずの処理能力だと思いながら、同時にこれ読み終えても記憶しきれないなと軽く戦慄する。今のボクには必要になる場面はないだろうが、それでも出来るだけ覚える努力はしよう。名目上とはいえ、やっぱり国主とか向いてないな。
 そのまま結局夜中まで資料に目を通したが、全体の半分弱ぐらいしか読めなかった。
 それでも頑張ったと思うのだが、隣で資料の他に一抱えほどの書類の束を持ってきては決裁を終えて持って帰り、また同じぐらいの量の書類を持ってきては決裁をして持って帰るというのを何度も繰り返す姿を見たら、どうしてもそんな気が失せてしまう。
 いや、頑張ったと思うのだがね。それにしても、プラタは自分の仕事量を減らしたから地下で暮らすようになったはずだが、先程の仕事振りを見れば、本人の少しの仕事量というのは、ボクにとってのかなりの仕事量と同義のようだ。本当、プラタが居てくれて助かっているよ。
 それと同時に、以前までの仕事量はどれほどのものだったのかと思うと、途端に恐くなってくる。そんな中でもボクの身の回りの世話をしていたのだから、頭が上がらないな。
 本当にプラタが国主でいいのではないかと思うが、それを口に出す事はもうしない。名ばかりの国主で何とかなっているのはプラタのおかげです。
 そう思ったところで、自分でも何かしてみようかなとふと思う。流石に書類仕事は無理だろうが、何かないだろうか?

「ふむ」

 腕を組んで少し考えてみる。書類仕事や駆け引きといったものはボクには向いていないと思う。ボクはそこまで賢くはない。では何がいいか・・・何がいいのだろうか? 別に何かしろと言われている訳ではないが、何かしたい気持ちはあるので焦ってしまう。さて、ボクに出来そうな仕事って何かあっただろうか?

しおり