とある少年の死亡演技
失敗した。
取り返しのつかない後悔の中、少年、エミルは必死に走った。
日が傾き薄暗くなった森は視界も悪く、自身の記憶を頼りに村への道を疾走する。
少しでも速度を落とせば背後から迫りくる驚異に命を落とすことになるだろう。
右手にはナイフを、左手に幼馴染の女の子の手を掴み、少年は闇の中を必死に走った。
「きゃぁっ!」
不意に左手が軽くなり、エミルは足を止め振り返った。
「イリア!」
木の根にでも足を取られたのだろうか。少年は倒れた彼女に駆け寄りすぐに起き上がらせようと手を差し伸べる。少女、イリアはその手を掴み起き上がろうとして顔を歪めた。
「大丈夫? まだ走れる?」
エミルの問いかけに彼女は右足を抑えながら首を横に振った。
「私のことはいいから、エミルだけでも逃げて」
「そんなことできないよ!」
「でもこのままじゃ二人とも……っ、いいから早く行って!」
すぐそこまで迫る脅威に気づき、少女は怒声を上げた。
彼女の言う通りこのままでは二人ともここで命を落とすことになるのだろう。だが例えそうなるとしても、エミルはイリアのことを見捨てるわけにはいかなかった。
この状況になったそもそもの原因はエミルにあるのだから。
彼、エミルは小さな村に住む二人の冒険者の間に生まれた子供だった。
冒険者を両親を持った必然からか、彼は小さい頃から勇者というものに強く憧れを持っていた。
それもただの勇者ではない。異世界から現れるというおとぎ話に出てくる勇者にだ。
寝物語に母が語る違う世界から召喚された勇者の冒険譚。それは彼の心を強くつかみ決して離そうとはしなかった。
無論、男の子である彼もいつか自分がそんな勇者にとあこがれを抱かなかったわけではない。
しかし彼は気づいていたのだ。自分は勇者にはなれないと。
異世界人じゃないとかそんな理由ではなく、単純に自身の体が他人よりも弱いことを知っていたからだ。それは生まれつきのもので鍛えればどうにかなる類のものではなかった。
幼くしてそれを悟ってしまったエミルだが、決して絶望することはなかった。
なぜならば彼には強い体の代わりに賢い頭脳を持っていたからだ。
だから彼は決して悔やむことなく、勇者を助けるような賢者になろうと努力することにした。
この時代の村民は識字率は低いといわれる中、エミルは独学で文字を学び懸命に知識を得ようとした。
もともとそちらの才能はあったのか、彼はいつしか本を読めるようになり村一番の賢者と呼ばれるようになっていた。
そのかいあって最初は凄い子供だと、周りからチヤホヤされていたのだが、如何せんエミルは子供である。その知識は完璧ではなく、間違いである場合もある。
それに気がついた村人はいつしか彼を嘘つき呼ばわりするようになってしまったのだ。
だんだんと周りから疎まれるようになってしまい、両親の死という決定的な出来事を堺に彼は村の厄介者という立場に追い込まれてしまったのだ。
それでも彼は村のためしいては自分の夢のためへと懸命の知識を蓄えた。
しかしどんなにエミルが賢くなろうと、村人は彼の言葉に耳を傾けようとはしなかった。
誰もが彼が信じられないから嫌うのか、それとも彼が嫌いだから信じられないのか。
今ではどちらなのかもわからなくなってしまった。
それでも彼はこの村が大切だった。
だから驚異にさらされることに気が付きそれを無視することが出来ず、危険を承知の上今回のような無茶を試みたのだ。
唯一の友達であるイリアは今回それに巻き込まれてしまったのだ。
だから彼女だけは救わなければならない。たとえ自分が死ぬことになろうとも。
「……僕に構わず逃げてよ。這ってだっていい。とにかく少しでもここから離れるんだ……大丈夫、僕が絶対にキミを死なせたりしないから」
エミルは覚悟する。今ここで終わる覚悟を。
「何……言ってるの? エミル……ねぇエミル!?」
エミルは早く逃げてと叫び声をあげるイリアに背を向け、背後から迫りくるものに立ち向う。
腰のブックホルダーから本を手に、目の前に迫った魔物に目を向けた。
「ギギャギャ」
エミルの姿を捉えたソレは足を止めると、手にした棍棒を構えた。
子供ほどの大きさをした緑色のソレはゴブリンと呼ばれる魔物で、集団に襲われると脅威だが一匹程度ならば村人でも対処できる。
はずだったのだ。そう本に書いてあったため、エミルは退治を試みたのだが結果は現状の通りだ。倒すことどころか致命傷も与えられず逃げ回ることに。本の知識が間違っていたのか、それともロクに武器など握ったことのない自分には無理だったのか。
今更後悔したところでどうにもならない。
大丈夫、覚悟ならとっくの昔にしていたのだから。
エミルは自身にそう言い聞かせると、ゴブリンの行動など気にもとめず本を開き言葉を紡いだ。
「来たれ英雄 魔を払うもの……」
開かれたページには魔法陣が書かれており、その呪文が隅に書き綴られている。
これは村に来た商人が持っていた古臭い書物で、その人曰くインチキ商品だいう。
銅貨一枚にもなれば儲けものだという商人の言葉に彼は嬉々として代金を支払ったのだ。
勇者召喚。
その一文を目にしたとき、なぜかエミルにはこの小汚い本が本物であるという確証が得られた。
もしかしたら憧れから来た幻想なかもしれないが、それでも彼はこれが本物であると信じることにた。
『勇者召喚』
それは術者の命を代償に異界の英雄を呼び寄せるという禁呪だという。
これが本物なら僕は死んでしまうだろう。たとえ偽物だろうと少しは彼女が逃げるための時間を稼ぐこと出来る。
大切な友達のためというのならこの生命だって惜しくない。
エミルには少しのためらいもなかった。
「いやぁぁぁ! にげてぇぇぇぇ!!」
振り抜かれた棍棒を受けエミルの身体が吹き飛ばされる。それでもエミルは本から手を離すことなく言葉を紡いだ。
「うぅ……我が、ねが、いを……きき、いれよ……この、いの」
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
誰でもいい、彼女を助けて。
そんな願いを最後に少年の意識は失われた。