十七話
「それで、貴方たちはこの依頼を受けに来た。という事で間違って無いのよね?」
テーブルに置かれた件の依頼書。
血に汚れた皮鎧から着替え、15分程の身なりを整える時間を経て、少女——ツァイス・ファンカと顔を突き合わせていた。
口調は初めて出会った時と同様の砕けたものに戻っており、先程は口上を述べる為にあえて畏まった口調をしていたのだろう。別段、気にすることでも無いと考えて彼女の言葉に俺は頷いた。
「そうだよ。……ま、何をするのかはさっきので何と無くは分かったから聞く必要もないんだけど、一応」
そう言って、俺は机の上に用意された茶菓子を無遠慮に頂きながら訊ねる。
「俺たちは結局、何をすれば良いの?」
「———魔物の討伐よ」
一切の逡巡なく、即座に言葉が返ってきた。
「万夫不当の人喰い虎。『ヴォガン』という魔物に心当たりはあるかしら」
恐ろしく厳粛とした表情。
「いいや、俺はないよ」
アウレールは? と、尋ねるように視線を彼女に移す。
けれど、返ってきたのは否定の意。
左右に一度、「私もない」と言って彼女は首を振った。
「
『エルフ』の里特有の民族衣装風の服に、ツァイスは一瞬だけ目をやる。
「因みにだけれど、名前を伺っても良いかしら?」
「別に構わないよ。俺がナハト。で、こっちがアウレール」
「……聞かない名前ね」
「そりゃ、出て来たばっかだし、そもそも名をあげるような事は何もしてないからね」
今でこそ、そこそこは戦えるようになっているが、二年前は身内から亡き者にされそうになってた崖っぷちだったからね。などと思うも、その言葉は心の中に留めておく。
「そう……。それは残念。そこのアウレールさんは未だしも、貴方はわかる気がしてた分、落胆が大きいわ」
何故か、俺を名指しだった。
『エルフ』であるアウレールではなく、俺を。
その何気なしに発せられた言葉に引っかかりを覚え、眉根を寄せる。疑問といった感情が頭の中で渦巻いていた。
「……どうして俺が分かると?」
思考の渦に沈み行く中。
堪らず俺はそう疑問を投げかける。
「変な堅苦しさもなく、不快感を催すような野蛮さもなし。そんな
「……そう、かな?」
控えめに。
冷静に努める俺だったがその実、少しだけ手に汗を握っていた。
言外に、まるで貴族のようだと、そう言われた気に陥ってしまいそうだったから。
「そんな顔をしなくとも、詮索はしないわよ。ただ少し、気になった。それだけなの。不快にしてしまったなら謝るわ。ごめんなさいね」
「いや……、
「……ええ、そうよ」
歯切れの悪い返事だった。
まるで、聞くべきじゃなかったと。悔やんでいるような、自責しているような。
だが、俺はそれに構わず言葉を続ける。
「けどさ、良かったの?」
「?」
「成り行きで力試し、なんてしちゃったけど、強い冒険者に依頼してたんでしょ? その依頼を、さ」
今、ここにはいないが、門番をしていたセスタが言っていた事を思い出す。
確か彼は、えらく強い冒険者に頼むと。
そう言っていたなと思い返していた。
「———あぁ、その事ね」
ひどい不快感を表すような面持ちへと早変わり。
滲み出す嫌悪に似た負感情。
たった一言しか口にしていないツァイスであったが、その隠しきれない様子から何かがあったのだと容易に察せた。
「あたしと貴方が顔を合わせた時に言ったわよね、トラブルがあった、と」
「あー」
そんな事を確か言ってたような気がするなあと
対するツァイスは、矛先こそ俺やアウレールに向かっていないものの、間違いなく怒っていた。
「その話、白紙にされたのよ」
自嘲気味な表情で、儚げに笑う。
「あたしは当初、魔物の討伐の為に他方から呼び込んでたんだけど、『ヴォガン』とは聞いてないからって、キャンセルされたという報告が来たのよ」
ま、魔物の討伐を手伝って欲しいとしか伝えて無かったあたしも悪いのだけれど。
と、深いため息をつき、微かにうな垂れた。
「……だから、それについては問題は無いの」
ただ、と。
言葉を止める。
吟味するように俺とアウレールの顔を見詰め——
「でも、この話はやっぱり無しね」
と、どうしてかツァイスはまるで話はこれで終わりだ。とでも言うように立ち上がる。
「どうして」
そんな彼女の言葉に対し、いの一番に反応をしたのは
アウレールだった。
「だって貴方たち、悪い人には見えないし」
何でそんな事が関係するのだと思った矢先、その訳が続き、鼓膜を揺らす。此方を気遣うような、優しげな瞳だった。
「何より、『ヴォガン』の脅威をを知らない人たちを送り込むのは、上に立つ者として良心が痛むのよ」
———竜を知らない人間に、物凄く強い翼の生えた大きな
だから、話はおしまい。
そう言って場を後にしようとする彼女だったが、
「———ちなみに」
離れようとする足を俺は言葉で引き止め、制止させる。
「その『
興味本位。
そう言われると、尚更興味が湧くと言わんばかりに笑んでいた俺の表情を視認したからだろう。「そうねえ」と思慮をする事数秒。
「Aランク相当の人間が二人と、Bランク上位が一人。加えて、もう一人Bランク。計四人で挑んだ挙句、何一つ傷を負わせられないまま、一方的にAランクの二人が重傷に追い込まれ、後遺症を負わせられる程度には強いわよ?」
きっとそれは、俺をこの件から引き剥がす為の言葉だったのだろう。だから、貴方たちには荷が重いと。
言ってもいない幻聴が聞こえた錯覚にすら陥った。
「あの『氷』は凄かったけど、きっとそれだけじゃ足りないわ」
そう言うや否、再度、俺に背を向けて屋敷の前に広がっていた『氷原』を脳裏に浮かべるツァイス。
けど、やはり足りないとかぶりを振るう。
だから、だろう。
彼女は気づいていなかった。
いや、気づけなかった。
「……ふ、ふふ、ふはッ、あはハッ」
喜色ばんだ笑みを顔に張り付け、愉悦に口角を歪める。
わかってない。
彼女は、どうして俺があの門番と力比べをしたのか。
その理由を一切分かっていなかった。
ゆえに、分からない。
俺がこうして笑っている理由が。
「Aランクが二人、重傷、かあ」
ギルドに一度、足を運んだからこそわかる。
ツァイス・ファンカの今までの物言いから、理解している。Aランクとは、強い人間の呼称だ。それを、ものともしない相手。それが、『
なら、俺が取る答えは決まってる。
突然聞こえ始めた笑い声。
何がおかしいのだと、振り向くツァイスと目が合う。
そして、のたまう。
「仮に俺が『
その瞬間を夢想し、これ以上なく破顔する。
きっと、その時は——
「———守れるよね」
ぞくりと、背筋を刺すような妖しい笑みを浮かべる。
詰まる所、俺は欲しかったのだ。
「証明に、なるよね」
ギルドにいる時にも感じた不快な視線。
アウレールに向けられていた、吐き気を催す感情。
『エルフの里』にいた時に、主にクラウスから耳にタコができるほど言われていた言葉。
———アウレールは、村に売られた事になってるが、実のところはそうじゃねえ。当時はおれにも伝えられてなかったが、あれは人間に脅されていたのだと長が言っていた。だからってのもある。おれは人間が大嫌いだ。んで、外の世界は『エルフ』に優しくねえ。どこまでも、だ。アウレールが弱くねえのは知ってるが、それでも外に出る気が知れねえ。けど、おれにはアイツを止められねえんだ。だから——
クソガキ、てめえが死んでも守れ。
守れなかったら————
おれがてめえを殺すからな。
そんな、言葉を言っていた。
クラウスは、売られた時点で、生存は絶望的だと諦めていたうちの一人だったらしい。
だから、だろう。感情がこれでもかと言わんばかりに込められていた。
「守れるって、証明に。恩を俺が返せる、その証明に」
今まではマクダレーネにボコボコにされる様子しか見せていなかった。ゆえに、証明がしたかった。
口だけではない、行動を。
降りかかる火の粉を払える、その証明を。
隣を見れば、アウレールは笑っていた。
「ナハトって、変なところで頑固だよな」
「何言ってんの。そんなの、今更じゃん」
奴隷の時だってそう。
俺はいつでも頑固者だよと、そう言うと「そうだったな」と、彼女はすっかり呆れていた。
きひ、と息だけで笑い、そのまま去ろうとしていたツァイスへと視線を戻す。
「———そういうわけなんだ」
だから、受けさせないなんて選択肢はあり得ないし、そもそもこれは俺のエゴ。
ゆえに貴女が罪悪感を感じる必要はないと言外に言う。
「悪いけど、何が何でも受けさせて貰うよ、この依頼」