其の五
クレメンス将軍の命令で同盟軍がようやく動きだした同時分。
ヒルデガルド、パトリシア、ペトランセルの三将軍に率いられた女王軍は、すでに湖畔の中腹付近にまで軍勢を進めていた。
予想どおり三騎士団側に向かって移動をはじめた松明の群を遠くに眺めつつ、ペトランセルが馬首を並べるヒルデガルドに声を向けた。
「ようやく敵さんも動きだしたようね、ヒルダ」
「こちらの松明の数に差があることに疑念をもったのでしょう。【慎重居士】のクレメンス将軍らしいわ」
「ふん、優柔不断なだけでしょう、あのナマズ髭のおっさんは。どうせ、あーでもない、こーでもないと、なかなか決断できずにいるところを幕僚連中に尻を蹴られて、ようやく腰を動かしたに決まっているんだから」
パトリシアの毒のこもった、だが事実を正確に見抜いた一語に他の二人がおもわず苦笑しかけたとき。偵察の任務にでていた一人の騎士が三人の前にやってきた。
「反乱軍、動きだしました。予想どおり全軍をもってこちらに向かってきます!」
代表してヒルデガルドが応えた。
「ご苦労です。それでは、すぐにもその旨を本陣におられる女王陛下にお伝えしてください」
指示をうけて偵察の騎士が去ると、ヒルデガルドは全軍にこの場での待機を命じた。
「ヒルデガルド将軍、軍勢をお進めになられないのですか?」
そう問うてきた騎士にヒルデガルドは温雅な微笑でうなずき、自らの意を説明した。
「この先の湖岸沿いには湿地帯が広がっています。それほど深いものではありませんが、しかし足下をとられる湿地は馬だけではなく、騎乗する側にも疲労をあたえます。戦いを前に無用な疲労を抱える必要はないでしょう」
同盟軍にあえて湿地帯を通過させ、人馬ともに疲労させたところで迎え撃つ。
ヒルデガルドの考えを知り、麾下の騎士たちからは「なるほど」という得心の声が漏れた。
ヒルデガルドはひとつうなずいてから、反対側の湖岸にに視線を投げた。
タイガー騎士団が掲げる松明の灯火の群が、視線の先のほぼ同位置上に見える。
「あとはガブリエラの到着を待つばかりね」
同時分。そのガブリエラのタイガー騎士団は、湖畔沿いに広がる雑木林の中を行軍していた。
それほど密集して生え茂っているわけではなく、木々の間の路もそれなりに開けているが、月星の光のない闇夜の中を松明の灯火のみで馬を進めるのに騎士たちは苦労していた。
悠々と馬足を進めていたのは、先頭を征くガブリエラくらいであろう。
そのガブリエラのもとに偵察に出ていた騎士がやってきた。
同盟軍が全軍を三騎士団側に向かわせたことを伝えると、ガブリエラは力強くうなずき、後背の騎士たちをかえりみた。
「全騎、これより全速行軍に移ります。湖畔をこのまま迂回し、敵の後背を突きます!」
すると麾下の騎士たちは一瞬顔を見合わせ、内一人の騎士が懸念を口にした。
「しかしガブリエラ将軍。この闇夜の中、障害物の多い雑木林の中を馬で全速で走るのは危険すぎやしませんか?」
「大丈夫。私が先頭を走り、皆を誘導します。私の操馬と走路を見ながら一列縦隊、等間隔でついてきてください」
そう言うなりガブリエラは馬首をひるがえし、片手に松明を掲げながら馬を走らせた。
騎士たちも慌てて馬を駆りだし、指示されたとおりガブリエラの後背を一列になって後を追う。
たちまち縦に長く伸びた隊列が、雑木林の闇路を速度をあげて駆けていく。
「心配しないで。お前も私が導いてあげるから」
たてがみを優しく撫でながら栗毛の愛馬にささやくと、ガブリエラはさらに速度を上げた。
ほとんど視界のきかない闇の中を、速度を落とすことなく雑木の間を右に左に曲がり、かわしよけ、ときには跳んで足下の障害物をとびかわす。
まるで太陽に照らされた、日中の平路を走っているようなガブリエラのあざやかな操馬姿に、後方を続く騎士たちの口から驚嘆の声が漏れでた。
「し、信じられん、将軍にはこの闇路が見えるのか!?」
「いったい、どういう目をされているんだ?」
自分たちの指揮官がフクロウ並に夜目が利く。
その話は彼らもかねてから耳にしてはいたが、実際にその事実を目の当たりにすると驚きに声を失うしかなかった。
そんな騎士たちの驚嘆の眼差しを背中にうけながら、これより十年の後、亡き主君の意志を継いでジパング帝国を再興し、初の女帝となる小麦色の肌をした若き女騎士団長は、暗中の林路を颯爽と駆け抜けていくのだった。