転校生の真実
おれはいま、独り暮らしをしている。両親も兄弟もいない。
広い一軒家に一人で住んでいる。朝、わさわざ起こしてくれる人もいない。
こんな生活が長く続いたおかげで、おれは目覚まし騒がしく鳴る前に目覚められるようになった。
この日もそうだった。二度寝をしたいなんて欲望すらわかず、おれはパッとベッドから起き上がった。
とりあえず設定している目覚ましをオフにし、カーテンと窓を開ける。
春の穏やかな空気が入り込んでくる。おれはそれをおもいっきり吸い込んだ。
早朝なのでまだ出歩いている人はほとんどいない。向こうの方から一人の女子生徒が歩いてくるくらいで……。
「ん?」
よく見ると、それは芹沢だった。こちらに気づいて会釈をすると、この家の玄関へと向かってくる。
おれは慌てて二階の自室から一階に降りた。その直後、インターホンが鳴る。玄関のドアを開けると、制服姿の芹沢がそこに立っている。
「おはようございます、颯太さん」
「お、おはよう。今日はどうしたんだ、こんなに朝早く」
「朝食を作りに来ました」
そう言って芹沢が持ち上げて見せたのはコンビニの買い物袋だった。
「わたし、料理はそれなりに出来るんですよ。コンビニしか開いてなかったので簡単なものしか作れませんが、毎日同じものを食べるよりは体にはいいはずですよ」
おれはあまり食事に興味のあるほうではない。腹が満たせば結構なんでもいいと思っている。
朝食なんかは牛乳とブロックタイプの栄養食品で済ませることも多い。そんな話を誰からか聞いたのだろうか。
芹沢はでは失礼します、とおれの許可も取らずに家に上がり、キッチンに入った。エプロンを着用し、さっそく料理を始める。
いまさら断るわけにもいかず、芹沢からはテレビでも観ていてくださいなどと言われたのでおれはリビングのソファに座って待った。
一応テレビをつけてみる。日本の朝の情報番組がやっている。リアルタイムなのかどうかはわからない。
映し出されているのは若い女性向けのファッション特集だった。特に興味の持てる内容ではないが、チャンネル数も限られているのでぼうっと眺めてみる。
やかて料理ができましたよ、と芹沢から告げられる。キッチンに移動すると、テーブルにはいつか映像で見たような料理が並んでいた。
トーストにオムレツ、サラダにコーンスープ、朝食としては定番のものだが、それが人の手によって作られたものであることにおれは感動を覚えた。
「どうぞ、遠慮なく食べて下さい」
「あ、ああ。いただきます」
椅子に座り、さっそく食事を始める。
まずは焼かれたパン。うまい。料理に匂いがあることを再確認した気がした。
コンビニで買ってきたパンを焼いただけなのに、なぜか味に奥行きがある。オムレツなんかもそうだ。
単にうまいかどうかではなく、味覚以外で要素で感情が揺さぶられるような気がした。
「おまえ、料理人なのか」
「それは資格があるかどうか、という質問ですか?だったらないですよ。わたしはただの召喚師ですから」
「それにしては料理が上手だな」
「そうですか?」
芹沢はおかしそうに笑った。
「それはきっと、颯太さんが手料理に食べなれていないからでしょう。出来合いのものに慣れた舌は感覚が鈍くなります。いまの颯太さんは必死に本来の味覚というものを思い出そうとしているんだと思いますよ」
おれの母さんは幼い頃に亡くなっている。はっきりとした記憶がないころのことなので正確な死因はわからないが、病死だったと聞いている。
父さんは料理が出来るような人じゃなかった。だからおれが食べるものは店で売っているものが多かった。
それが普通だといつしか思うようになっていた。
「ところで、おまえは食べないのか?」
テーブルに並べられていたのは一人分の食事だけだった。芹沢は自分の分は用意をしていなかった。
「他人の家の食器を勝手に使うのも気が引けるので」
妙なことにこだわるんだな、とおれは思った。それなら他人の家で勝手に料理をするのはなんの問題もないのか。
まあ、おれは満足しているわけだが。
食事を食べ終えると、芹沢は食器を片付けようとした。料理までつくってもらったあげくに洗い物までさせるのは気が引けたので、それは断った。
料理は作れなくても、皿を洗うことくらいはできるし、ここであの日のことを再確認をしておきたかった。
「おれの父さんがテロリストっていうのは本当なのか」
芹沢はダンジョンでおれに告げた。あなたの父親は日本で有名なテロリストであると。
そんな話、おれにとっては初耳だった。確かにおれの父親は失踪している。
数年前に突然姿を消した。おれはてっきりポイントがたまって日本に移住でもしたのかと思っていた。
なんの説明もなかったが、元々口数の多い人でもなかったので深くは考えなかった。
「事実です。颯太さんの父親はテロリストのリーダーなんです」
芹沢がこちらへとやってきた理由、それはおれを監視する目的だという。
テロリストのリーダーである親父の行方はつかめておらず、それでおれと接触する可能性があると考えたらしい。
「テロって、具体的にはどんなことをやってるんだ?」
ダンジョンでは詳しいことは聞かなかった。更なるモンスターが現れたので、話は打ちきりとなっていた。
続きは後で、そう言って芹沢とは別れることになった。
「もちろん、破壊活動です。契約者としての力を使い、日本を滅ぼそうとしています」
おれの父親も契約者だった。何と契約をしているのかは知らないが、優秀な契約者だったと学校の先生に聞いたことがある。
それにしても父さんがテロリストだなんて、いまでも信じることはできない。
父さんは寡黙な男で、そんなに親子らしい会話をした記憶はないが、酒を飲んで暴れることはなかったし、日本への恨み節みたいなものも聞いたことはなかった。
「どうして父さんはそんなことをしたんだ」
「わかりません。日本に対する憎しみなのではないかと噂はされていますが」
この監獄に住む人間なら、多かれ少なかれそんな感情は持っている。
だか、そこからテロリストにまで発展するとなれば、また別の何かがあったのではないかと疑いたくなる。
「リーダーってことは、テロリスト集団ってことなのか?」
「はい。グループで活動しています」
「契約者の集まりってことか?」
「いえ、他の魔法使いも含まれています。日本ならでの不満もありますから、テロを称賛する声というのも少なからずあるんです」
日本はこちらに比べれば自由が多い。だからこそ不満というのもあるのかもしれない。
「あのときも言ったが、おれは父さんのことは全く知らないんだ。もう何年も会っていないんだよ。信じてくれるかはわからないが」
「信じます。相手が嘘をついているかどうか、見抜く方法も学んでいますから。ただ、監視は続けさせてもらいますね。いつお父様が現れるかはわかりませんから」
「こっちにいるとは限らないんだろ」
「ええ。ただ最近、日本とこちらを結ぶゲートが不正に使われた、という報告が上がっているんです。同時にテロリストの活動も低下傾向にあるので、こちらが逆に狙われ始めているのではないかと疑われているんです」
この監獄がダメージを受ければ、それは日本の国力の低下に直結する。テロリストに狙われてもおかしくはない。
そういえば最近、不審者の目撃情報なんかもあったな。おれはそれを芹沢に伝えた。
「不審者、ですか?」
「おれは直接見たことはないが、そういう噂があるんだよ。ここは狭い分、よそ者が目立つからな。まあ、それが父さんとは限らないわけだが」
「そうですか。では何も知らないふりをしたまま、聞き込みするのも手かもしれませんね」
芹沢は本来の目的を周囲には知られたくないらしい。その気持ちはよくわかる。
テロリストが潜伏してるかもしれないなんて噂が広まれば、混乱は瞬く間に拡大してしまう。狭い街なら尚更だ。
それに、テロリストへの期待なんかも恐れているのかもしれない。そういう契約者がいると知れば、自分もそうなりたいと願う人間が出てきてしまうのかもしれない。
「ところで、生活の方は問題ないのですか?」
「最低限の生活は保証されてるからな」
おれたちは契約者として生きる義務がある。
生活苦で体調を崩せば、困るのは日本の方だ。なので両親がいないおれにもある程度の金は支給される。
あくまでも生きるのに困らないといった程度のものだが。
「それはそれで大変ではないですか?」
「こっちは日本みたいに娯楽が溢れてるわけじゃない。仮に金があっても使い方に困るだけだ」
もちろん、稼いだ金で日本から物を輸入することはできる。
芹沢が好きなゲームだって購入することは不可能じゃない。
ただ、現地よりもかなり高価だし、そういう情報が溢れていない街に住んでいるため欲望自体がわきにくい。これは個人差はあるのだろうが。
「日本に移住をしたいとかは考えないんですか?」
「ないこともないが、どうしてもって感じはしないな。契約ができれば考え方も変わるのかもしれないが」
そのとき、玄関のドアが開く音がした。鍵はかけていなかったので、勝手に誰かが入ってきたらしかった。
「梨乃?」
同級生の梨乃だった。おれはその姿を見て驚いた。この時間帯はベッドにいるはずなのに。
「彼女は?」
「隣の家に住んでる引きこもりの同級生だよ」
梨乃はいま、学校には通ってはいない。数ヵ月前から家に引きこもっている。
おれたちは高校に進学してまだまもないので、中学校の終わりから、ということになっている。
ここでは学力は問われない。契約者としての能力がすべてだ。
だから自宅に引きこもって不登校を続けていても、大した問題にはならない。少なくとも、契約者としてはおれよりも進んでいるわけだし。
「この子は誰なの?」
テーブルにバンと両手をつき、梨乃は言った。なぜか芹沢の方を睨み付けている。
「聞いてないのか? 日本から来た転校生だよ」
「転校生?」
「引きこもりのおまえが知らないのも当然か。こっちの文化をわざわざ学びに来たそうだ」
「はじめまして。わたし、芹沢凛といいます」
わざわざ立ち上がり、ペコリと頭を下げる芹沢。
「その転校生がどうして颯くんのところで朝食なんか作ってるの?」
「担任から言われて、おれがこっちのことをいろいろと案内したんだよ。そのお礼だそうだ」
本当のことは言えないので、おれは適当に誤魔化すことにした。まあ、嘘とは言えないしな。
「じゃあ、わたしも食べる」
「はあ?」
「お母さん、朝ごはん作ってくれないから、お腹減ってる」
「それはお前がずっと寝てるからだろ」
梨乃は余っている椅子に座り、テーブルに額をつけるようにして、
「うー死にそう。ごはん食べたら学校行ってもいい」
なんてこわがままななことを言う。
「わかりました。まだ食材は余ってますから、少し待ってくださいね」
芹沢は嫌な顔一つしない。むしろただをこねる子供を見守る母親のような顔をしている。
「ところで、学校に通わない理由というのはなんなんです? よかったら教えていただけませんか?」
芹沢はキッチンで料理をしながら、そんなことを聞いてくる。
梨乃は何も言わない。おれも正確な話を聞いたわけじゃないが、おおよその見当はついている。
「出張が原因なんだろ」
「出張?」
「契約者が召喚師に呼ばれることをそう呼ぶことがあるんだよ」
梨乃はすでに出張を済ませている。梨乃はすでに小学生の頃にはモンスターとの契約を済ませていて、出張も複数回行っている。
「契約者は戦闘に駆り出されることが多い。これはおれの想像だが、梨乃は日本に行ったとき、その力で誰かを殺してしまったんじゃないか。そのショックを引きずっているんだろう」
梨乃が不登校になったのは出張の直後のことだったから、おれはそういうふうに理解をしていた。他に思い当たるようなことはなかった。
「そうですか。それなら仕方ないかもしれませんね」
「契約もしていないおれが偉そうなことを言うのもなんだが、そこは割り切らないと前には進まないだろ」
ぐうぅ、と梨乃のお腹が鳴る。腹が減りすぎておれたちの話も聞いていないのかもしれない。
「呑気なやつだな」
そんなことを呟きながら、おれは料理をする芹沢の後ろ姿をじっと見つめた。