この街、この世界
放課後、おれは転校生の芹沢を連れて街を案内することにした。聞けば芹沢はこちらにきたばかりで、どこに何があるのかも知らないのだとか。
とはいえ、監獄とも言われるこの街はそんなに広くはない。
観光できるような場所はないし、買い物できるような店は一ヶ所に集まっていて、それも日本ではすべて馴染みのもののはずだ。
「どこか行きたいところとかあるのか」
二人で校舎を出た直後、おれは芹沢にそういった。
「そうですね。とりあえず教会に案内していただきたいのですが」
「教会? そんなところにいったいなんの用があるんだ」
「こちらでは異世界教が信奉されてないのですか?」
そんな言葉は初めて聞いた。ここにはそもそも宗教など入り込む余地などはない。
芹沢によると、日本では異世界教という宗教が一般的に普及をしているらしい。
これはその名の通り、異世界を敬い、共存することを目的とした宗教だという。
「召喚師が異世界への接触をうまく行うため、異世界への祈りを捧げていたことが異世界教の起源だとされているんです。異世界は我々にとって神そのものですから、一般の人にも教えが伝わりやすかったのだと思います」
しかし、戦前には一時期、そういった信仰が希薄になっていたときがあったという。
それが戦争に繋がったのではないかという見方を芹沢は披露した。
「近代化によって魔法というものが全てではない、そういった考えが広まり、異世界教も当時はかなり衰退したと言います。召喚師もその流れには抗えなかったのでしょう。周囲に影響されていつしか信仰心が薄まり、それがあのような悲劇へと結び付いたのだと思います」
「いまはそうじゃないのか?」
「ええ。あの戦争によってみなが異世界の重要性を再認識しましたから」
そう言えば、ここにも教会があるという話は聞いたことがある。確か街外れにポツンと建っているとか。
「この近くではないんですか?」
「たぶんな。具体的な場所を調べてもいいが、どっちにしろ今回は諦めたほうがいい。放課後じゃ時間的にもそんな余裕はないからな」
「そうですか。ではお店に案内してくれますか?」
「別にいいけど、そんなたいしたものは売ってないぞ」
「この街の人たちの生活を知りたいんです」
この街は基本的に単純なつくりとなっている。中央に重要な施設が集まっていて、その周囲に住宅街が広まっている。
学校も商業施設も比較的近くにあるので、徒歩でもすぐに着く。
店舗の数も限られている。とりあえず一通りの店は揃っているが、バリエーションは少ない。
こちらでは経済活動は重視されないから、競合するような店は存在しない。
「この辺りに全て集まってるんだよ」
おれは商店エリアで立ち止まり、周囲を見回した。食品スーパーから本屋、服を扱う店などが目に付く。
「日本みたいに店を選ぶことはできない。欲しいものがあるのなら日本から取り寄せないといけないことも多いと思うぞ」
「テレビゲームを扱っているお店はないみたいですね」
芹沢が困惑した表情で言う。
「ないな。そんな娯楽に費やすほど、契約者も暇じゃないしな」
「そうですか。それは残念です」
「ゲームが好きなのか?」
「はい。なんでもやりますけど、特に格闘ゲームが好きですね」
意外だった。柔らかいこの雰囲気からは想像できない。格闘ゲームなんてものはやったことはないが、どういうものかくらいは想像ができる。
「格闘ゲーム、か。おれたちにとっては日常がそんなのだからな、あえてゲームでまでやりたいとは思わないな」
「モンスターとの戦いですね」
「ああ。家にいるときくらいは休みたいからな」
「そういえば、高橋さんはまだ、契約をされてないんですよね」
高橋さん、という呼ばれ方には慣れていない。同じ名字は他にもいるので名前で呼ばれることのほうが多い。
「颯太でいいよ。高橋だと間違えることもあるしな」
「じゃあ、颯太さんはどうしてまだ契約をしてないんですか?」
「……」
おれはすぐには答えることはできなかった。
なんとなく恥ずかしいという気持ちがあったし、何よりも自分でも理由はよくわからなかったからだ。
「颯太さん?」
「してない、じゃなくて、できないんだよ」
おれは自分の手のひらを見つめた。
そこには確かに、契約者の証である紋章が浮かぶ。とはいえ、いまの自分の紋章は何もない。集中するとわずかに円形に光るだけで、そこにはモンスターの情報は記されていない。
「何度もダンジョンで挑戦したけど、契約することはできなかったんだ」
「モンスターを倒して服従させても、ですか?」
「ああ。だから本当はおれは契約者じゃないんじゃないかって考えたりすることもあるんだ」
ここ監獄は契約者の住む街。そして実際におれの手には紋章が存在している。
だから自分の能力に間違いはないはずなのだが、ここまでモンスターとの契約ができないとなるとやはりどうしても悲観的にとらえてしまう。
「……ひとつ、確認してもいいですか?」
「なんだ?」
「颯太さんたちはこの世界のこと、どう認識してるんですか? わたしたちとの関係や歴史を含めて、どのような知識を持っているのか知りたいんですけど」
「別に構わないが」
かつて、日本では激しい争いが行われていた。魔法使いが中心となった内乱だった。
それがどのようなきっかけで発生したのかは、よくわからない。
魔法使い同士の権力闘争とも、日本の政治的、経済的な混乱が始まりとも言われている。
とにかく、戦争は気づけば日本国全体で展開され、各地域に所属する魔法使いが互いに争うようになった。
電子的、機械的な技術もその頃にはすでに発達していたが、個人で局面を打開できる魔法使いの有用性というものは変わってはいなかったので、それ以外の一般人は被害に遭わないことを願うばかりだった。
魔法使いの中でもっとも能力の高いもの、それは召喚師だった。
異世界の力の一部を公使するその力は、この世界の理で動く他の魔法使いとはかけ離れた威力を持っていた。
しかし、その力があまりにも強すぎるがゆえ、多くの国ではうまく使いこなすことができなかった。
召喚師は高い能力があるために、暴走する危険性もあったからだ。お互いが滅んでは意味がない。
日本も同様で、魔法戦争が苛烈を極める中でも召喚師が全面に出ることはなかった。
その召喚師が魔法戦争に参加をすることになったのは、倫理や理性にこだわる必要がないくらいに争いが長引いたからだと言われている。
戦いしか知らない世代が生まれ、普通の感覚がどんどんと失われていった。
召喚師の登場は戦争を一気に終結へと導くことになった。
それまで一進一退の攻防を繰り広げていた争いは、召喚魔法のぶつかり合いであっという間に決着がついた。
しかし、勝者と敗者がはっきりとわかれていたわけではなかった。強大な召喚魔法は日本の国土を焦土と化し、多くの犠牲を生み出した。
生き残った日本人は魔法使いかそうでないかに関わらず戦争の無意味さを痛感した。
そしてその反省のもと、新たな国づくりをはじめることになった。
重要だと見なされたのはやはり、召喚師の取り扱いだった。国力という観点から、召喚師を否定することは難しい。
かといって何も対策をしなけらばまた、あのような破滅的な状況を生み出しかねない。
そこで日本政府はある対策を打ち出した。
それが召喚緩和作戦だった。
まず、人の住んでいない適当な別世界を見つける。
そしてそこに新たな街を作り、契約者を移住させる。ここ監獄はそのようにして誕生した地域だった。
監獄と言われるゆえんは、周囲を壁に取り囲まれているからだった。
壁の向こうには危険なエリアが広がっている。異世界のモンスターがばっこしていて、人が簡単には踏み入れることができない。
契約者はそのダンジョンとも呼ばれる異世界の各地でモンスターを倒して、服従させるのが仕事となっている。
契約者の能力は相手の力を自分のものにするというもの。要するにモンスターの性質のコピー能力みたいなものだ。
召喚師はそんなおれたち、契約者を召喚する。召喚師はモンスターではなく人を召喚するのだ。
これが召喚師の暴走を防ぐための対策だった。
異世界に直接触れると、そこから流れ込むエネルギーに召喚師は抗えない場合がある。それを防ぐ目的で監獄は生み出された。
直接異世界の事象などを召喚するのではなく、モンスターと契約して大きな力を手に入れた契約者を召喚することで、召喚術を安定させて発動することができることになっている。
間接的で、しかも全ての物事を理解している人間を召喚するから、周辺を破壊しつくすような暴走が起きることはまずない。
おれたち契約者は、見方を変えれば召喚獣そのものとも言えるのかもしれない。完全にしつけられた、人間召喚獣。
「まあ、こんな感じかな」
「なるほど、颯太さんは契約者の役割をきちんと理解しているわけですね」
「そう教えられるからな」
「恐怖というものはないんですか? 召喚されれば戦いに巻き込まれる可能性が高い。それを心の底で怖がっているから、契約ができないとか」
「そんなふうにはあまり考えたことはないな。まあ、正直に言えば、他のみんなに比べればここを抜け出したいっていう願望は低いとは思う」
契約者にとっての生きる目的はもちろん、より強いモンスターと契約をし、契約者としてのランクを上げることだ。
ランクが高いほど、おれたちはより収入を得ることができるし、場合によってはこの監獄を出ることも許される。
日本のほうが当然娯楽には溢れているので、ここをなんとしてでも抜け出したいと考える人は多い。
そんな中でおれはあまり、日本という国に強い憧れは抱いてはいない。
どちらかといえば嫌悪感のほうが強いのではないかと思う。こんな狭い街に押し込められ、モンスターと戦うことを義務付けられる。
本来ならもっと反発する人間がいてもいいはずだが、やはり誘惑には勝てないのだろう。
「もし、このまま何のモンスターとも契約ができなかったら、颯太さんはどうなるんですか?」
「自分で働いて稼ぐしかないよな。この街にもこういうふうに店はあるし、働くところは用意されている。契約者としての仕事がなくても、やっていけないことはないからな」
もちろん、契約者としてのポイントを貯めなければ、日本に行くとことも移住することもできない。おれはこの監獄で一生暮らすことになる。
それに不安がないわけではない。他の同級生はみんなモンスターと契約している。
いずれ向こうへ行くという夢を持っている。この街にも大人はたくさんいて、日本に移住が許されるというのはかなり難しいことなのだということを証明しているが、だからといって楽観的にはなれない。
いずれこの街に残るのは自分一人になるのではないか、そんな不安を消すことはできない。
「なあ、逆に聞いてもいいか?」
「なんでしょうか?」
「召喚師って日本じゃどんな風に思われてるんだ? 日本を一度滅ぼしかけたわけだろ。いまでも肩身が狭いのか?」
こっちでも日本のテレビ番組を観ることはできるが、あまり魔法使いについての情報は入ってはこない。
おれたちのある意味では片割れである召喚師がいまどのような扱いを受けているのかはわからない。
「心配してくれてるんですね。でも、安心してください。召喚師は公に認められた存在ですし、敬われてもいますよ。契約者のみなさんのおかげて力をコントロールすることができますから、周囲に迷惑をかけることもありませんからね」
「そうか」
他人事ながらやけにホッとする自分がいる。
「でもいまの時代ってそんなに召喚師とか魔法使いの力って必要とされるのか? 昔みたいに戦争はないって聞くし、内乱も収まってるんだろ」
「はい。でもいつの時代にも犯罪者はいますから、そういう悪い人たちを取り締まるのにはやはり、魔法が一番なんですよ」
そう言って芹沢は街を取り囲む壁を見上げた。
「それにしても高いですね。話には聞いていましたけど、予想をはるかに越えるものでした」
壁がどのくらいの高さなのかはわからないが、見上げるだけで首が痛くなることは確かだった。
ここからじゃ向こうの世界が確認できないくらいだ。
まあそれくらいの高さがないと、飛行タイプのモンスターなんかが平気で入ってきたりするからな。
「頑丈なものじゃないと異世界のモンスターの侵攻を受けるからな」
「ドアなどはあるのですか?」
「いや、壁を越えるときにはゲートを使うんだよ。おまえもそれで来たんだろ」
「そうですね」
ゲートは転位装置のこと。魔法を使った技術らしいが、詳しいことはよくわからない。
「じゃあ、わたしでも利用することはできるんですね」
「できるとは思うが」
「なら、今度一緒にダンジョンに連れていってください」
「え?」
「ダメですか?」
「いや、別にいいんだけど、どうして?」
「わたしの仕事はこちらの文化を学ぶことにあります。ですから実際に契約者のみなさんがどのように仕事をしているのかを直接知りたいんです」
「でも、安全は保証できないんだぞ」
ダンジョンは危険なところだ。
おれたちを敵とみなすモンスターが生息している。芹沢は召喚師としてまだ未熟だといった。ならこれまで戦いという戦いも経験はしていないのだろう。
「そんなに危ないんですか?」
「ゲート付近ならそうでもないんかな」
ダンジョンは奥に進めば進むほど強敵が現れるようになっている。
ゲートの近くにいるのなら命を落とすようなことはまずない。おれたち契約者も最初はなんの力もないわけだから。
「なら、今度連れていってください。お願いします」
芹沢に頭を下げられ、
「わかったよ」
おれはそう答えるしかなかった。