出会い
この街には高校は一つしかないので、固有の名前はつけられていない。
日本だと私立や公立の違いがあり、そこから何々地域の何々高校なんて表現されるのだろうが、ここではその必要性が全くない。
クラスの数も多いとは言えない。おれは高校一年で、1ーD クラスに所属しているが、そこから先はない。つまり一学年に四クラスということになる。
だから日本人の転校生がこの教室に来るらしい、とクラスの中で話題になっていてもあまり驚かなかった。高一なら確率は四分の一。同じクラスになっても何も不思議じゃない。
「ふん、バカらしい」
隣の席の女子、相沢紗英が不満げな顔で言っている。おれが席に座った直後の発言だった。
「日本人も何もないっつうの。あたしらも同じ人種だろうが」
ここには高校は一つしかないわけで、紗英も小さい頃からの知り合い、つまり幼馴染みだった。きりっとした顔立ちの女子で、見た目通りの気の強い性格をしている。
「仕方ないだろ。結局、おれたちは向こうの奴隷みたいなものなんだから」
「あんた、そういうタイプだったっけ? 無理矢理働かせる日本に反発してなかった?」
紗英が鋭い視線を投げかけてくる。
この街では拓真のように日本に憧れを持つのが普通で、紗英のように反発を抱くのが少数。
おれの場合はどちらかというと後者だが、そこまでの怒りは感じてはいない。諦めている、といったほうが正しいのかもしれない。
日本に行ってみたいな、という淡い思いを抱いたことくらいはある。
ただ、契約者として生まれたおれたちには、自由な移動というものは許されてはいない。ある程度の資格を要求される。
「おれには才能がないからな。どうせこの監獄で一生を終えるんだよ。だから将来に何も期待してないんだな」
「いまだに契約はできてないんだ」
「まあな。おまえは口ではあれこれ言いながら、結局は契約者として日本のために働こうとしてるんだろ」
「それは、だって」
いじわるな発言だったとは思う。紗英を困らせるつもりもなかった。ここで契約をするというのはあくまでも義務。
「わかってるよ。ここで生きて行くには契約者として全うするしかない。それはおれも理解している。おまえを悪く言うつもりじゃなかったんだよ」
おれはいまだに何とも契約はしていない。いわゆるフリーの状態だ。そのままでもここで生きて行くことは可能だが、生活は厳しいものになる。
「どうして、できないんだろうね、契約」
おれは頑なに契約者としての責務を拒んでいるわけじゃない。ダンジョンで何度も試したことはある。しかし、ランクの低いモンスターとの契約すらできなかった。
理由はわからない。
「それはおれが聞きたいくらいだよ」
そのとき、教室のドアが開き、担任の佐々木が入ってきた。目が隠れるくらいのボサボサ頭の男性教師で、いつも気だるそうな感じが漂っている。
無精髭を生やしていることも珍しくないが、今日はいつもに比べて清潔そうに見えた。
「ええと、みんな聞いてるかもしれないが、今日はこのクラスに転校生がくることになっている。いまはまだ校長と話しているらしいが、そのうちやって来るだろう」
「先生、転校生って日本からだって聞いたんですけど、それは本当ですか?」
男子生徒の一人が手をあげて質問する。
「ああ。しかも女子な」
おおーと主に男子から声が上がる。
「何の目的でくるんですかー?」
紗英が特に興味もなさそうな感じで聞いた。
「まあ、それは本人から直接聞いたほうが言いだろう」
そう言って佐々木はドアの方を見た。教壇側のドアが開き、一人の女子が入ってくる。
当たり前だが、外見はこちらの女子と変わらない。ただ、モンスターとの戦いを経験していないためか、かなり華奢な体つきをしているように見えた。
腰まで長い髪を伸ばしているのも、そういった背景があるのだろう。肌は透明感があり、穏やかな眼差しは殺伐とした育ちとは縁遠いことをうかがわせた。
なるほど、とおれは思った。現物の日本人はやはり違うと。
「ちょっと、なに見とれてんのよ」
「いや、別に」
「芹沢凛です。日本からやって来ました」
転校生の女子はそう挨拶をし、満面の笑みでクラスを見渡した。
「こちらのことにはまだ不慣れで、いろいろとみなさんにはご迷惑をかけてしまうこともあると思いますが、わたしも精一杯頑張りますので、理解していただけたらと思います」
不思議としゃべり方も違う気がする。隣の女子ががさつ過ぎるだけなのかもしれないが。
佐々木の質問はあるか、という声にクラスの男子が挙手で答える。
向こうでの生活や彼氏の有無など、興奮気味な問いが相次いだ。転校生の芹沢はどんな質問にも笑顔で答えていった。
「はーい、どうして凛ちゃんはこんな監獄にやってきたんですか?」
「監獄、ですか」
可愛らしく小首を傾げる転校生。質問をした紗英から淀んだ空気が伝わってくる。
「向こうではこっちのこと、そう呼んでないんですか? こっちに住んでる人間は奴隷だなんてバカにしてるとも聞いたことあるんですけど」
「わたしたちはこちらのことは普通に異世界と呼んでいます。みなさんのことは契約者の人たちと言ってますよ」
「でも、差別してますよね」
「わたしたちはみなさんのことを重要な存在だと認識しています。差別という意識もとくにはありません。確かに住むところや環境は違いますが、それも総合的な判断があってのことで、悪意というものがあるわけではないんです」
どうやらおれたちは日本人のことを誤解していたようだ。
彼女の口調からは嘘をついているようには感じられない。このような状況を作り出したやつらは許せないものの、だからといって日本人全員が悪人とは限らない。
「こちらへとやって来たのは文化交流の一環です。わたしたちはこれまで、同じ日本人でありながら、交流というものをほとんどしてこなかったのが実情です。それである程度の誤解が生じていることはいまの発言でよくわかりました。わたしはそういったものを解消するための大使のような立場なんです」
「でもぉ、わたしたちの立場が変わるわけじゃないですよねぇ」
「そうですね。みなさんが契約者である限り、わたしたち召喚師との関係性は変わりませんし、ここの重要性も同じです。ただ、理解を深めることは充分可能です。みなさんもわたしたちの本当の部分を知れば、きっとこれまでとは違う気持ちで仕事に望めると思います」
「あんた、召喚師なの?」
「はい、そうですよ。そういえばわたしの能力はまだ、いってませんでしたね」
本物の召喚師は初めて見た。おれたち契約者と召喚師は切っても切れない関係。
ある意味では主従関係とも言えるが、住んでいるところは遠く離れている。直接会う機会もない。
「わたしたち召喚師にとって、契約者であるみなさんはパートナーということになります。ここでの生活で距離を縮めることができれば、魔法そのものについても何かしらの進展が得られるかもしれない。そのようにわたしたちは考えています」
精神的な繋がりが強くなれば、より召喚魔法の力は増すのかもしれない。
嫌々契約者として呼ばれるよりはそのほうが健全であるとは思うが。
「なんであんたが選ばれたわけ? 召喚師は他にもたくさんいるでしょ」
「紗英、おまえ質問しすぎだろ」
「は? なにそれ。あたしの質問で転校生が困ってるとでも言いたいわけ?」
「どんなに質問をしてもらっても構いませんよ。わたし、みなさんに興味を持たれてるだけでも嬉しいですから」
芹沢は決して笑顔を崩さない。仏頂面で質問を繰り返す紗英とは正反対だった。
「わたしはまだ召喚師としては半人前なんです。だからこちらに来たのは修行の意味合いもあるんです。契約者のみなさんと触れ合うことで能力が開化できればいいな、なんてことを思ってます」
おお、なんだか親近感が湧く。半人前ならおれも同じ。わかりあえる部分があるのかもしれない。
「よし、質問はこれくらいでいいだろう。後は各自で聞くんだな。じゃあ、芹沢の席だが、高橋、おまえの横で構わないよな」
名指しをされて、おれは隣を見た。そこには自分の顔を反射する窓ガラス。
おれが座っているのは窓際の席で、片側にはすでに紗英の席がある。
「相沢は別の席に移動してくれ。このクラスには空いてる席があるから問題ないだろ」
確かにこのクラスには空きがある。
四つの教室をすべて埋めるほどの生徒はいないが、かといって誰もいない空白を作ったままにしておくのは不細工だ、という理由でとりあえず机が置かれている。
「ちょっ、ちょっと待ってよ、なんであたしが動かなきゃなんないのよ!」
紗英が机を叩きつけるようにして立ち上がる。
「席が余ってるんだから、その子をそこに座らせればいいじゃない。あたしが動く必要なんてないでしょ!」
佐々木はボサボサの頭をかきながら、
「あー、実はな、高橋にはこの転校生の教育係になってもらおうと思ってるんだよ」
「教育係?」
「この転校生はまだこっちのことをよく知らないだろ。だから街の案内とかいろいろと教えてやる人物が必要なわけだ。そいつを高橋に頼もうと思ってるんだよ」
紗英からにらまれたが、一番混乱をしているのはおれだった。指名された理由が全くわからない。
「なんでおれなんですか?」
「さあな、よくわからん。校長からそうしてくれって言われてるんだよ。もしかしたらおまえがいまだにフリーだからなのかもしれないな。何とも契約をしてないなら、突然コネクトすることもないだろ」
そんなことがあるのだろうか。
召喚師が契約者を召喚する場合、それなりの手順を要する。近くにいたからといって二人が繋がるわけではないはずだが。
「まあ、そういうわけだから相沢は席を譲ってくれ」
紗英は渋々といった様子で席を一つ分、横にずらした。
芹沢がこっちに歩いてきて、おれに笑顔を向けてきた。
「これから、よろしくお願いしますね」
「あ、ああ」