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通学路

季節は春。今日も暖かい日差しが降り注ぎ、過ごしやすい日々が続いている。

朝の通学路には生徒が溢れている。そんな中をとぼとぼとひとり、おれは歩いていた。その表情は春の陽気とは裏腹に、かなり暗かった。自分でもわかるくらいに。

他人の心配をしている場合じゃない、そんなことをおれは考えている。

引きこもっている梨乃のことは気がかりだが、周囲から見ればよほど自分の方が深刻な問題を抱えている。おれに比べれば、不登校なんて可愛いものだ。

はあ、と一人ため息をつく。この先どうなるのかわからない。

どうにでもなれというヤケクソというか、諦めにも似た感情の割合が最近では多くなっている。

中学のときは周囲の視線に耐えきれず、なにがなんでもと契約に執着をしていたが、それもだんだんと薄れていっている。

「よお、今日もまたひとりか」

そんなおれに、背後から声をかけた人物がいる。おれには振り向かなくてもそれが誰かはわかったので、歩みを止めることはしなかった。

「麻倉の説得は失敗たんだろ。結果なんてわかってるのに、ご苦労なことだな」

後ろから肩に腕を回してきたのは、友人の葛西拓真だった。近所に住む同級生の男子。

こんなところに住んでいる割には陽気な性格をしていて、今日も声の調子は明るかった。

「見捨てるわけにもいかないだろ。向こうの親にも頼まれているし」

「相変わらず仲がいいよな。まさか、付き合ってたりするのか?」

「そういうわけじゃない」

おれが梨乃に対して抱いているのは恋愛感情とか、そんなレベルのものじゃない。もっと崇高というか、ある意味では憧れとも言えるようなものだ。

「そもそも、おまえは他人の心配なんてしてられないだろ。高一のくせに童貞なんて恥ずかしいじゃないか」

「そういう表現はやめろよ」

拓真のいう童貞とは、ここでは必ずしも性経験のことではない。

契約者としての経験のことだった。

「他のやつらはみんなやってるんだぞ。焦らなくていいのか」

「高校卒業までにはなんとかするよ」

「そうやって、ずるずるいきそうな気もするけどな」

その指摘は、おれの胸をチクリと刺した。実際にそうなりそうな感じがする。

「地球のやつらのために働くっていうのが、なんとなく納得できないんだよ」

奴隷、そんな言葉がおれの頭には浮かぶ。

「気持ちの問題だけだって言いたいのか?」

「それは」

「まあ、そう言いたがる気持ち、わからなくもないよ。日本に対する反発は誰でも持ってるものだからな」

そう言いながら拓真は何かを思い出したような顔になり、

「そういや、今日辺り、転校生が来るとか聞いたけどな」

「転校生? どこからだよ。ここには他には学校なんてないだろ」

「だから地球だよ」

「地球?」

「日本からの転校生らしいな」

日本からの転校生、おれはそう胸の中で繰り返した。

妙な話だ、とおれは思った。

「どういう人間なんだ?」

「見た目はおれらと変わんないだろ。普通の人間だよ。おれらと同じ高一で、性別は女性らしいけどな」

「……どういう目的で来るんだよ」

おれがそう尋ねたのは、その必要性が全くないからだ。

ここは監獄とも呼ばれるような場所であり、好き好んで訪れるようなところではなかった。

「さあな。そこまではおれも知らないよ。島流しとかじゃないのか」

島流し。確かにその可能性ならありそうだ。ということは、何か犯罪でも犯したのだろうか。

「そいつも契約者ってことはないのか?」

「そいつはないだろう。おれらと同じってことはもう十五だろ。能力の適正はもっと早めに判断されるからな」

ここには契約者しかいない。仮に日本側に契約者が誕生した場合は幼い頃にこちらへと移送される。高校生では遅すぎる。

「ということは何か事情があってこっちに来たってことか」

「まあ、犯罪者でないことを祈るしかないよな」

こちらの重要性は日本も認識しているはず。いたずらに混乱をさせるような人間を寄越すとは思えないが。

「でも、なんか興奮しないか?」

「興奮?」

「おれさ、日本の女子って一度見てみたかったんだよ。おまえにも向こうへの憧れとかあるだろ。本物の日本人と付き合いたいとか考えたことあるだろ」

「別に、そんなのはないよ」

拓真のような気持ちには、おれはとてもなれない。

日本という国に対して、憧れが全くないとは言えない。でもそれは、そのような環境に置かれているからであって、強制された感情は本物とは言えない。

「本当か? あっちの娘は発育がいいらしいから、きっと胸なんかもあるんだぞ。モンスターの前にそっちを攻略したいとか思ってるんじゃないのか」

「おれはそういう人間じゃないんだよ」

おれは呆れた気持ちで言った。そんなバカらしいことを考えたことことなど一度もなかった。

そんな予太話をしながら歩いていると、気づけば学校へとたどり着いていた。

品のいい老婦人が校門には立っていて、校舎に向かう学生ひとりひとりににこやかな笑顔で挨拶をしている。おれたちの通う高校の校長先生だった。

「そういや、まだ不審者は見つかってないんだな」

最近、この街では不審者の報告が相次いでいる。

ここは普通の街ではないので、不審者という表現自体が珍しい。校長がわざわざ校門で学生を迎えているのも、安心させる意味合いがあるのだろう。

「もしかしてさ、不審者っていうのはお前の親父なんじゃないのか」

まさか、とおれは言った。

「そんなわけないだろ」

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