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第6話 お前はなにに飼われているんだい?・後編

 帝都中央・総合技術センター


 見上げるほどに大きな建物。
 どれほどの規模なのか、一見しただけでは建物の全体像がわからない巨大な施設。コンクリート製のそれの玄関前には『帝国軍中央地方武術大会』と看板(かんばん)が出ている。

「お………おぉふ」
「なにその妙な声、ウケる」

 昨年、警察武術大会で出向いた地方都市の体育館よりずっと立派な建物に、大志は萎縮(いしゅく)する。
 ほのかに笑われたことで、顔を赤くしてグッと口を閉じた。
 その様子に、ほのかはカワイイ〜とさらに詰め寄ってくる。
「い、田舎者なんですよ」
「ホントかわいいなぁ〜」
「…………」
 ほのかは大志の頭に手を置いて、わしわしと掻き回すように撫でる。
 大志は無言でじとりと睨んだ。

 放送後、銀臣と共に代表選手専用のバスに乗り込んだら、ほのかが座っていた。
 ヤッホーと銀臣を押し退け、大志を横に座らせる。特に気にした様子もなく、銀臣は後ろの方へ行ってしまった。
 道中はほのかがずっと話題を振って、大志がそれに答えるような会話をする。ほのかは水泳と空手の選手らしい。
 人命救助や護身の為、水泳は警察や軍の中では『武術』に区分される。前年度は三位だったというほのかは、今年こそ優勝するのだと意気込んでいた。
 しかし途中から、大志はほのかとの会話の記憶が無い。
 それはそのはずで、いつの間にか寝ていたのだ。会場に着く直前でほのかに揺り起こされた。
 起きてみればほのかの肩にもたれ掛かっていて、大志は慌てて顔を上げて謝罪した。
『カワイイ寝顔見ちゃった♡』
 どういう意図で言っているのか、なんとなく居たたまれなくなってバスが停車したらすぐに座席を離れて今に至る。

 バスからはぞろぞろと同じ支部局所属の選手たちが出てくる。
 他の局の選手たちも会場に到着しているようで、結構な人で(にぎ)わっていた。
 寝たら疲れが取れたとすっきりした顔の大志は、あることに気づく。
「あれ? そういえば柴尾さんは?」
「あぁ、銀臣ならあそこ」
 ほのかが指差す方に視線を向けると、なにやらその一角だけ華やかなものになっていた。
「銀臣さん、今年もがんばってくださいっ」
「応援してますぅ」
「大会の後、時間ありますか? うちのお店で打ち上げしましょうよ」
「あのこれ、良かったら食べてください!」
「あーもー、いきなり(かこ)んでくんなよ」
 若い女にもみくちゃにされ、一向に前に進めていない。
 輪の中心で銀臣は、迷惑なのを隠そうともせずげんなりをしている。体を(ひね)ってなんとか女の(おり)から逃げようとしていた。
「無視して先に行っちゃお」
「モテるのも大変ですね」
「ほのかっ、てめっ、見捨てんじゃねぇよ!」
「聞こえなーい」
 大志の背を押して、ほのかはさっさと控え室に向かう。
 背中には銀臣の(うら)めしそうな視線が刺さっていた。

 銀臣が南方第二支部局専用控え室に到着したのは、大志が着いてから実に十分後のことだ。

「……おつかれさまです?」
「疑問形やめろ……」
 女の子に相当()まれたのか、銀臣のスーツはやや崩れていた。
 その様子を見た大志は、とりあえず一番相応しそうな言葉を掛けておいた。銀臣は睨んで返す。そのまま視線は、ほのかに行った。
「テメェ、見捨てやがって」
「だってあそこで乱入したら、アタシが恨まれるじゃん。女の嫉妬って怖いんだからなー」
「チッ……」
 銀臣はズカズカと控え室に入り、手近に設置されているゴミ箱になにかを投げた。
 ほのかと大志が覗き込むと、可愛くラッピングされた紙袋がいくつか。外装だけで相当()っている。
「あーぁ、女の子たちの熱い想いをあっさり捨てていけないんだー」
「………手作りなんて怖くて食えねぇよ。だいたい、差し入れに手作りを持ってくる方が悪いっつの」
「まぁ確かにねー。あ、大志くんも気をつけなよ。手作りは食べちゃダメだからね」
「俺に差し入れる人なんていませんよ」
「わっかんないよぉ? 準々決勝くらいまで進むと急にモテるんだから」
(そういえば柴尾さんもそんなこと言ってたな……)

「おはようございます」

 部屋にいる全員に向けられた声量に、選手たちは姿勢を正した。
 入り口には、女性が一人立っている。黒いスーツを上品に着こなす知的な面立ちだ。
「今回、南方第二支部の総合マネージャーを務めさせていただきます。中央本部所属大将書記官(たいしょうしょきかん)八重樫(やえがし)ヒナノです。なにかありましたら遠慮なく私まで」
 選手たちが一斉に敬礼をする。それに直るように伝えてから、八重樫はさっそく大会の説明に入った。
「大会の大まかな決まりごとは、前年度とあまり変わっておりません。中央地方に属する三十七の局から、それぞれの種目ごとに選出された代表選手に競技をしてもらいます。一人最大二種目までの出場が可能です。個人戦であり、他の局より多く表彰されたからと言ってなにかあるわけではありませんが、ぜひとも皆さんには頑張っていただきたいです。どうか悔いのないよう、健闘をお祈りします」
 マネージャーは上品に笑って、選手たちへ激励を送る。


 水しぶき。


 水面下から顔を出したほのかは、水泳部門のマネージャに順位とタイムを聞いて、それからガックリと肩を落とした。
 そのままプールを上がって、更衣室に向かっていく。タオルを頭からかぶったほのかがトボトボと大志たちの前まで歩いて来て、それからワッと顔を上げた。
「二位だったーーーーーーー‼︎」
「泳いだ後なのに元気だな」
「でも一位の人とのタイム、一秒差じゃないですか」
「一秒だから悔しいんじゃーーーーーーー‼︎」
「そ、そうですね、すみません」
 耳を塞いで顔をしかめる銀臣と、なだめる大志。
 ほのかは意気消沈することもなく「来年はリベンジじゃーーー‼︎」と、もう一年後に向けて意気込みをしている。
 そのあり(さま)が彼女の人柄をよく表しているようだった。

 一般の観客も混ざり、中央地方武術大会は盛り上がりを見せている。

 ほぼ時間通りに競技が行われる中、大志は出番まで競技会場を練り歩いていた。
 アーチェリー、馬術、居合(いあ)いと見て周っていたら、女子水泳開始のアナウンスが掛かったのでほのかの応援をしようと立ち寄ったのだ。そこには銀臣もいて、無視するのも変だと思って断りを入れて一緒に競泳を見ることになり、今に至る。
「来年こそぜったい優勝してやるんだからーー!」
 ほのかの後ろを大人しくついて歩いていると、銀臣は丁度あった壁掛け時計に目をやった。
「俺、もう行くわ」
「あ、そろそろ定点(ていてん)射撃の時間か」
「柴尾さん、出るんですよね。観に行っていいですか?」
「そんなのアンタの好きにすればいいだろ」
 相変わらずの態度に、大志もいい加減慣れてきた。
 なので笑って答える。
「そうですね、じゃあ観に行きます」
「アタシもー!」
「お前はうるせぇからダメ」
「俺もー!」
「アンタも……ってなんでいるんですか!」
 突如後ろに立った堤に驚いた銀臣は、盛大に飛び退いた。
 堤は相変わらず軽薄な笑みで銀臣の肩を叩く。
「やだなぁ、応援しに行くって言ったでしょぉ。遅くなってゴメンね。去年も抜け出したから三島チャンの監視がキツくてさ。(たな)の下にハンコ落としたって言って探してくれてるうちに抜け出して来た」
「最低だ……」
鬼畜(きちく)の所業……」
 大志とほのかは侮蔑の眼差しを向ける。
 銀臣は「仕事してくださいよ」と呆れの意と共に溜め息を吐く。しかし堤がそんな意見を聞くわけないとすでにわかっているので、その一言で流すことにした。
「ほらほらシバちゃん、はやく競技会場に行かないと。遅刻は失格だよー?」
「わかってますよ」
 じゃれる堤と、鬱陶(うっとう)しそうにしながらも相手をする銀臣。
 なんだか兄弟のようだなとそのやり取りを見ながら、大志はほのかと後ろからついて行く。

 射撃会場は外に設営されているようで、外へと続く通路を出た。

 選手控え室に向かった銀臣と別れ、三席連なって空いていた席に堤を真ん中にして座る。
 観客席にはかなりの人がいて、一般客と軍関係の比率は六:四くらいだった。そして客席前方の一角には、花畑が咲いている。
「銀臣さーん!」
「がんばってー!」
「応援してるよー!」
 鮮やかな余所行き用のドレスを身に(まと)った女性の集団。花の髪飾りやらつば広の帽子がいかにもオシャレな都会の娘という感じだった。
 ほのかはそれを見てゲッと口を引くつかせる。
「銀臣のファンだ」
「いいなー、俺も女の子に応援されたい。ね、みやもっちゃん」
「いえ、俺はああいうのは……」
「あんなののどこかいいのかね〜」
 ほのかの心底不思議そうな疑問に、周りの席から「全くだ……」「許すまじ柴尾銀臣……」と恨めしそうな声が聞こえる。非モテ男の呪いの言葉をしっかり聞き取って、大志は会場を見渡した。
 綺麗にカットされた青芝の中に、(まと)が並んでいる。
 定点射撃のルールは簡単だ。選手は立位(りつい)でスタンドラインに立ち、それぞれ十メートル・二十五メートル・五十メートルと三つ設置されている的の、より中心に近く撃った者が勝つ。
 ただし、的はそれぞれ高さが違う。十メートルの的はほぼ地面すれすれに設置されていて、五十メートルの的は成人男性の頭くらいの高さに設置されている。この高低差が難所(なんしょ)と言えるだろう。
「射撃っていうのはね、見る方が思ってるよりかなーり神経使うのよ。競技が終わった後の選手なんて、体重が数キロ単位で落ちてることもある。だからあんま騒いでほしくないんだけどな〜」
 堤は甲高(かんだか)い声をあげる集団を見て、やれやれと息を吐いた。
 確かに、射撃の前は精神統一をしているという友人が警察にいたことを大志は思い出す。まぁ、あまりに騒げばスタッフから注意がいくだろう。そう結論を出してから会場に視線を落としてチームメイトの姿を探す。
 銀臣は自分の待機場所であるベンチに、目を閉じて座っていた。
「銀臣さーん!」
「こっち向いてー!」
「今日もステキよー!」
(柴尾さんがそういうのに反応するわけないって……)
 という大志の予想を裏切り、銀臣は海色の瞳を見せた。それから騒がしい集団の方を見上げる。
 驚いて目を瞬かせていると、銀臣が動く。
 自分の人差し指を口元に持っていて、しーっと息を吐いた。それから唇だけを「しずかに」とゆっくり動かす。
 それを受けて、興奮度合いが絶頂を超えた女性たちは急に静かになった。
 ただぐずぐずに溶けきって騒げなかっただけなのであるが。声もなく見惚れている。
「うわっ、なに今のイケメンにのみ許さた技。腹立つぅ〜」
「シバちゃんって天然でやるからね。ムカつくから今度ロッカーにクサヤ入れちゃおうかな」
「それ、被害が柴尾さんのロッカーだけじゃ済まないんでやめてくださいね」
 (はか)らずも銀臣のおかげで静かになった会場で、いよいよ競技開始の放送がかかった。
 選手が五人ずつスタンドラインに立つ。銀臣もいた。
 いつもどこか気怠げな目が、この時ばかりは真剣そのものだった。
 選手の気迫を受けて、観客たちも息を飲んで見守る。審判(しんぱん)(ふえ)が鳴って、選手全員が拳銃を前に構えた。
 笛が鳴ってから、十五秒以内に撃たなければならない。それから残り二つの的に、それぞれ十秒以内に発砲するのがルールだ。見てる側からしたら長いようにも感じるが、選手からしたら一瞬の時間。
 誰からともなく発砲して、銃声が何発も響いた。
「どうですか?」
 ほのかが隣の堤に尋ねる。
 (ふところ)サイズの折り畳み式双眼鏡を(のぞ)いていた堤は、満足そうに笑った。
「ほぼド真ん中。さすがシバちゃん」
 続く銃声。二十五メートルの的もほぼ真ん中に当てる。最後の五十メートルではなんと真ん中を射抜いた。
 スタンドラインに立つ選手が全員打ち切ったところで、会場が()く。女性の黄色い声も再び戻ってきた。
 その中で堤はヒューと口笛を鳴らしてから、双眼鏡を畳む。
「表彰台はほぼ間違いないね。シバちゃんを抜くには全部の的のド真ん中に当てなきゃならない」
「あとの選手にはプレッシャーですね〜」
「本当にすごいですね。どうやったらあんなに上手くなるんだろう……」
 予想以上の銀臣の射撃の腕に、大志が感嘆の息を漏らす。
 大志の射撃の腕は、全くの使い物にならないわけではないが実戦では使えない。田舎町の交番で働く分には問題ないが、グリーン・バッジとしてというなら力不足だった。
「安心しろ、アイツも最初はかなり下手(へた)だった」
「そうなんですか………え、すごくナチュラルに入ってますけど、どちらさまですか?」
 流れで返事をしてしまったが、聞き覚えのない声に大志はものすごく冷静に反応してしまう。
 隣の空席にはいつの間にか、大志と同じくらいの年齢の男が座っていた。
 きっちり整えた黒髪。(するど)い双眸をメガネで隠すいかにも神経質そうな印象だった。
「あ、ユウちゃんおっつー」
「おつかれさまです」
 堤に向かって軽く頭を下げる。ほのかも「よっ」と手を上げて挨拶をした。男もそれに同じ仕草で返す。意外にお茶目なやり取りの後、ほのかが紹介をしてくれる。
「アタシや銀臣と同期の紀州遊一郎(きしゅうゆういちろう)。まだ会ってなかったんだ。銀臣といたからとっくに知り合ってると思ってたよ。遊一郎と銀臣ってニコイチのイメージだもん」
「俺は長期任務であまりいなかったからな。ここへのバスも二便に乗っていた。紀州だ、よろしく」
「宮本大志です」
「聞いているぞ。ギンとチームを組んだのだろう」
 大志はギクリと肩を揺らした。それから小さい声で(かわ)いた笑いをこぼす。
「はい……一応」
「一応じゃないからねー。正式だからねー」
 大志と堤の態度で、どうやら相棒生活が上手くいってないことを悟ったらしい遊一郎は溜め息を吐いた。
「ギンのことはすまんな。もう少ししたら慣れるだろうから待ってやってくれ。今は借りてきた猫の逆バージョンのようなものだ」
「あ、もしかしてギンって、銀臣の字から取ってギンと呼んでらっしゃるのですか?」
「そうだ。だがお前は気安(きやす)く呼ぶなよ。ギンは勝手にそう呼ばれるともの凄く不機嫌になる」
「呼びませんよ。自分から状況を悪化させるほど勇者じゃないです」
 視線の先に、すでに銀臣の姿は無かった。
 遊一郎に気を取られているうちに会場を出たらしい。個人戦なので、自分の番が終わったあとは自由だ。もうすぐこちらへ来るだろうと思っている大志の背中を、堤が叩く。
「親密度を上げる為にもシバちゃんに射撃教わりなよ。教えるのじょーずだから」
「えぇ……なおさら引かれないですかね?」
「だいじょーぶだいじょーぶ、シバちゃんって押しに弱いから。とりあえず押しとけば大体のことは言うこと聞いてくれるよ」
「あぁ、断られそうになったら(さえぎ)れ。遮った上で頼み込めば大丈夫だ」
「見捨てられそうになっても、同情を誘うように困った顔しとけば絶対見捨てられないからさ〜」
「皆さん……柴尾さんのことをなんだと思ってるんですか……?」

「おいユウ、そろそろお前の番じゃねぇのかよ」

 後ろから銀臣の声が聞こえて、大志は肩を()ねさせた。
 今の会話が聞こえていたらマズイのではないかと冷や汗を垂らしながら振り返るが、銀臣の様子はいつもと変わりない。
 内心でほっと息を吐いていると、遊一郎が立ち上がった。
「わかっている、もう行くところだ」
「紀州さんも射撃の選手なんですか?」
「いや、俺は運転技術だ」
 運転技術は文字通り、規定(きてい)の車に乗って運転技術を競うもの。
 場内には(いた)る所にコーンが設置され、倒した分だけ減点される。馬術と並んで観客が盛り上がる競技である。
 堤の提案で、全員で観に行くことにした。


 連れ立って射撃会場を出て、長い廊下を歩く。
 運転技術の会場である裏手のグラウンドまで向かっている最中、前方(ぜんぽう)に体格の良い背中が見える。
 筋肉質で、背筋が綺麗に伸びている。別段気にすることもなく通り過ぎようとしたら、堤が男の顔を覗き込むように前に屈んだ。
「あっれぇ〜? もしかしてフミちゃん?」
 振り返った男は堤の顔を確認するなり、眉根を寄せる。
「…………凪沙(なぎさ)か」
「やっぱフミちゃんだ、久しぶりぃ」
「その呼び名はやめろと言っただろう」
 フミちゃんと呼ばれた男は、不快の感情を隠すことなく堤を睨み付ける。
 短髪に、スーツの上からでも鍛え上げられているのがわかる体つき。精悍(せいかん)な顔立ちをしたいかにも軍人然とした男だった。
 大志たちに向き直った堤は、彼を親指で差す。
「コイツね、前道文近(ぜんどうふみちか)。通称フミちゃん」
「勝手に通称にするな」
 鋭く入る言葉が妙に慣れていて、毎回こんなやり取りをしているのだろうなとその場の全員が感じつつも、敬礼で挨拶をする。
 前道は「直ってくれ」と手を下げさせる。堤は前道の肩に手を回して、いつもの軽い調子で話し出した。
「俺の同期なの。今は中央本部でお(えら)いさんやってるんだよ。スゴイでしょ」
「なにを言う。何回も本部に来るよう打診(だしん)しているのに、断り続けているのはそっちだろう」
「俺、ああいうお偉いさんばかりのとこキラ〜イ。それに、新人の頃から知ってる子が立派になるのを見届けるのが趣味なの」
「永遠に終わらないじゃないか」
「そ、てことでゴメーンね」
「全くお前は……」
 心底呆れたように息を吐く前道を笑い見てから、堤は思い出したように大志を呼ぶ。
「みやもっちゃん、おいでおいで」
「え、は、はい」
 手招きに応じて、大志は戸惑いながらも前に出た。
「この子ね、例の子。真面目に働いてくれてるよ」
「あぁ、お前が熱烈に自分のところに配属希望をしていた……」
「え」
 予想外の言葉に、大志は勢いよく堤に顔を振る。
 堤は「本部まで行って強烈に駄々(だだ)こねてきた」と、何故か誇らげだ。
 その時のことを思い出した前道はまたも深々と溜め息を吐いてから、大志を(あわ)れんだように見下ろす。
「本来なら、君は北方第一支部に配属予定だったのだが……凪沙がな」
「ちゃんとお世話するしご飯もあげるし適度なお散歩もするからお願いしまーすって本部のジジイたちを説得してきた」
(あつか)いが犬猫ですよね?」
 突如として投げ打たれる自分の扱いに対する疑問に、大志はそれしか言葉が出ない。
「適度なお散歩って山中行軍訓練のことか?」
「全然適度じゃないじゃん」
 後ろでは銀臣とほのかがヒソヒソと耳打ちし合った。
 暫し談笑していると、前道の後ろから部下らしき男が「お時間です」と控えめに言った。前道は軽く頷いて、堤に別れの挨拶をする。
「あれフミちゃん、大会出ないの?」
「若い頃と一緒にするな。立場があると時間がなくなるものだ。少し寄っただけなのにお前に捕まった」
「えー、フミちゃんせっかく良い腕してるのに」
「もう世代交代の時期だろう。大会で腕を競うのは若いのに任せて、お前も少し落ち着け」
「俺らまだ二十七じゃん! 勝手に若くない世代にしないでくれる⁉︎」
 堤はわざとらしく肩を怒らせ歩き出す。
 その背中に前道は「本部転属の話、考えておいてくれ」と投げたが、堤は「()がうるさくて聞こえない〜」と子供のようなことを言ってさっさと行ってしまう。
 銀臣たちも、前道に敬礼をしてから堤の後を追って行く。
 大志も(なら)って敬礼をし、歩き出そうとした。
「待ってくれ」
 またも大志にとっての予想外が起きる。
 なにか呼び止められるような非礼をしてしまったのだろうか、オーパーツが使えないことでなにか言われるのだろうかとドキドキしながら返事をすると、前道は少し声のトーンを落とした。
「君は、凪沙のところに行ってまだ日が浅いな」
「はい。一ヶ月経たないほどです」
「そうか………」
 そこで一旦口を閉じた前道は、難しい顔をする。
 一体なんだろうと顔には出さず(いぶか)しんでいると、彼はさらに声を落とした。
「……君から見て、堤凪沙になにか不審な動きは無いか? 」
「え?」
「就任したての君の方が、下手に付き合いの長い人間より客観的に見られると思うのだが」「え、支部局長に、ですか? えっと……」
 質問の意味がわからず、返答に迷う。
 堤はお調子者でノリも軽いが、良い上司であると思っている。不審な点を聞かれても、これといって思い浮かばなかった。それに質問するにしても、表現が大雑把すぎて意図がわからない。
 そもそも、新任の自分にこんな質問をするなんて何か裏があるのでは。むしろその質問に対する自分の返答を試しているのかという考えにまで至る。
 前道の表情からはなにも読み取れず、大志は完全に無言になってしまった。
 その様子を見て、前道は眉ひとつ動かさず()びを入れる。
「いや、突飛(とっぴ)な質問だったな、すまない。忘れてくれ」
 それだけ言い残し、さっさと背を向けてしまう。
 離れた位置で控えていた部下を引き連れ、その姿は廊下の(かど)に消えた。
 急な展開に完全に思考を置いていかれた大志は、しばらく立ち尽くす。
「なにをしている。置いて行くぞ」
 戻ってきた遊一郎に呼び掛けられたことで、正気に戻った。
「すみません、すぐ行きます」
 とりあえず今は大会のことを考えなければと、前道の言葉を頭の隅に追いやる。

しおり