第6話 お前はなにに飼われているんだい?・前編
「しばしば私は思うのだ。子供とは、家庭という
「おいおい、小説家にでも転職するつもりか?」
子供に語って聴かせるような
「僕の言葉じゃないよ、ある小説の
「いや、一節って長さじゃ無かったぜ」
男はすかさずその発言にツッコンでから、青年の隣に座った。
と言っても、ここは
「
「知らねぇよ。俺はお前と違って
「僕も学があるわけじゃないよ」
「このご時世、学校に行って学んだ奴なんて、俺からしたらどんな劣等生も
そう言われてしまえば、青年は黙る。
男の生い立ちはある程度知っている。あまり触れるものでもないだろうと考えた。決して
その青年の気遣いを
「冷笑主義ってなんだ?」
「そうだね……わかりやすく言うと、人間にとって最大の価値であり善とされるのは徳であり、あらゆる欲望から解放された時にのみそれは
「へぇー、俺には無理な思想だわ」
「そうだろうねぇ。お前は酒もギャンブルも大好きだ」
「オイ、それだけだと俺がクズ野郎みたいに聞こえるだろうが」
青年は「失礼」と、全く悪びれもせず謝罪を入れた。
「んなチンタラ長い文よく覚えられるな。今、なにも見てなかったよな?」
「昔、さんざん読んだからね。まぁ、細かい言い回しやなにやらはもう
「失くしたのか?」
「さぁ、どうだったかな。どこかに置いてきてしまったのだろうね」
「本屋に行けばあるんじゃねぇの?」
「禁書だから本屋には無いよ。いいんだ、
まるで
そしてなにより、内側の温厚さが
男は
空にはゆっくりと流れていく雲。温和な気候。心地よい風。下には布団代わりの草原。
眠くなるのにこれ以上の好条件があるかと思える世界に、男は
青年もゆったりと
肌をじんわりと温める日差しが、青年の髪にキラキラと反射した。
(
比喩ではなく、見たままの意味だ。男は目を細める。
どこもかしこも白い。
髪もまつ毛も、肌だって陽に当たるわりには焼けていない。雪から生まれたような存在だった。
だけど春の日差しのような温かい声。ゆったりした
そうして空色が、にこりと笑う。
「これ以上ここにいると、眠ってしまいそうだね」
「お前……自分が犯罪者ってこと忘れんなよ。無防備に外で寝たら刺されんぞ」
「はいはい」
「
二人だけの空間に、今度は明るい声が割って入る。
振り返れば、声の印象にそぐう
「
青年が優しく笑いかければ、少年は上機嫌にさらに勢いよく手を振る。
犬種は柴犬かなと男がこっそり考えていると、真昼は二人の前でピタリと止まる。
「兄貴を待たせちゃいけねぇと思って、急いで来ました!」
「いいんだよ、急がなくて。転んで怪我をしたら大変だ」
「も〜、オレもう十六っすよぉ。ガキ扱い禁止!」
口を
仲間の中で末っ子だということを、周り以上に気にする子供だった。憧れの大人に少しでも近づきたくて、時々無鉄砲なこともする。
それがかえって子供に見えているのだというのは、彼が大人になった時に気づくことなのだろう。
「んで、ちゃんとやることやってきたんだろうなぁ?」
「もちろんっす!」
男の問いに、真昼はニカッと歯を見せて笑った。
それから片手に引きづっていた大きな袋を、ドサリと二人の前に投げる。
「
底無しに明るい笑顔で少年は答える。
白い歯を見せて、褒めてと言わんばかりのしたり顔で。
男は腰を上げる。モゴモゴと動いている袋の前で屈んで、チャックを開けた。
「……間違いねぇ、コイツだ」
この地区を統べる領主の屋敷に仕えている執事長。
多少手荒な手段で連れて来られたらしく、頭には少し血が
「よくやったね、真昼」
「へへっ」
青年に褒められて、真昼は照れ臭そうに鼻を搔く。
子供扱いを嫌がるくせに、褒められると純粋に喜ぶのだから思春期はわからんと、男は内心で肩をすくめる思いだ。
「オレ、もう一人で任務に行けるぜ! もっと兄貴の役に立つんで!」
「おうおう一丁前な口ききやがって。お前はまだまだ半人前だっつの」
「えー! なんでっすかカズさん!」
不服げに
「まず、縄の縛り方がメチャクチャだ。なんだこれ、
「うげぇ、カズさんの特訓って容赦ないからイヤっす」
「なに言ってやがる。コイツの特訓よりは優しいだろうが」
男が親指でビシッと差す先には、おっとりと笑う青年がいる。
青年はニコニコと笑いながら不思議そうに首を傾げた。
「え、僕なにかした?」
「え⁇」
青年の心からの疑問に、真昼は顔を真っ青にして後ずさる。
自覚がねぇのが一番ヤベェよなと吐き捨ててから、男は真昼に向かった。
「お前、他の連中呼んで来い。車回すように伝えろよ」
「はーい!」
指示を受けて、走り出す。
やっぱり犬だなと再確信していると、男の頭上からくすりと笑い声。
「……なんだよ」
見上げれば、青年が口元に手を当てて笑っている。そして穏やかな瞳をキョロリと男に向けた。
「やっぱりお前は優しいと思ってね」
「俺がやったほうが早いと思っただけだっつの」
「はいはい、そういうことにしておこう」
「…………チッ」
なにもかもを見透かすような澄んだ空色から視線を外して、男は立ち上がる。
そしてスラリと、どこからともなくナイフを取り出した。
それを見て、執事の男がさらに激しく
「大人しくしろ。俺らの質問にちゃんと答えりゃ逃してやるよ」
「ただし、抵抗したり騒いだりしたら爪を一枚ずつ
「一応、テメェの身柄は俺らの作戦が終わるまで拘束する。嘘ついてたらすぐ殺せるようにな」
男が見せつけるようにナイフを
それを見て、青年はにこりと笑う。
「領主の屋敷の見取り図が欲しい。執事長のお前なら、隠し部屋や細かいルートまで全て
「俺らが用があるのはあくまで領主とそこにたんまり眠ってる金目のものだ。テメェは用が済めば逃す。俺らのことは他言無用で
執事長は何度も何度も頷いた。
この様子ならあまり手間取らないで済みそうだなと男が考えていると、青年が執事長の前に屈んだ。
「助かるよ、ありがとう」
どこかの
全てを
(拉致っといてありがとうもなにも無いだろ……)
そう、男は心の中で思った。
◇◆◇
「やっぱ使えねぇ……」
柴尾銀臣は、心の底から
美形の
銀臣はそれを気にかける余裕もなくズカズカと進んで、ある部屋の扉を乱暴にノックした。
「はいよーん」
中から聞こえる呑気な声に更に苛立ちを募らせ、ドアノブを回す。
「堤さん、今日こそ首を縦に振ってもらいますよ」
「おっすおっす、今日の大会ガンバッてねシバちゃん」
全く見当違いのことを言う上司、
銀臣は堤の激励に「頑張ります、けど」と前置きしてから本題に入る。
「もう我慢なりません。はやくアイツを警察に返品してください」
ここ最近ずっと聞いている銀臣のそれに、堤は
「だからぁ、オーパーツを使える以上、うちに置かなきゃいけないの」
「使えないじゃないですか!」
「一回でも使ったら『適性者』認定されるのよ」
「一回しか使えなかったら適性者じゃねぇだろ!」
「ちょっとタンマ。この議論は平行線になりそうだからやめよ。ね?」
手のひらを出してストップをかける堤に、銀臣も一旦落ち着いて気を持ち直す。
「……この数週間、宮本大志をこの目で見てきました。が、体力面も技能面も普通。普通すぎる。グリーン・バッジに
射撃は本人も言うように、壊滅的な腕では無いものの実戦では役に立たないレベル。
体力も無いわけではないが、グリーン・バッジの厳しい訓練にはついていけてない。警察で町のお巡りさんをしているには申し分ない能力値であるが、反乱軍や危険生物との戦闘を
「え〜? でも、みやもっちゃん真面目に働いてるじゃん。就任早々逮捕に貢献だってしたし。なんだっけ、あの、商店街に日本刀持って突っ込んだイカした野郎」
「確かに格闘術に関しては認めますけど」
「そうそう、まさか本当に代表選手になるなんてねぇ〜。いやぁ、掘り出しものだったなぁ」
満足気に笑う堤を、銀臣はじとりと睨む。
日本刀を持って暴れた男を逮捕した翌日に開催された、中央地方武術大会代表選出試合。
なんと大志は、本当に躰道部門の代表者の一人になったのだ。しかも男子60kg級で選出試合優勝までしてしまった。
「チラッと
「実際、逮捕された男なんて歯が飛んで行きましたよ」
「うへぇ〜コワイ。みやもっちゃんのことは怒らせないようにしよっと」
「って、議題はそこじゃねぇ! とにかくアイツは足手まといです、せめてチームは解体してください!」
「じゃあみやもっちゃんのこと、他に誰が面倒見るの? 俺はダメよ。堤お兄さんはもういろいろと立場あるから、新人くんに
「アンタじゃなくても他にたくさんいるだろ!」
「その中の一人がシバちゃん、キミで〜す。はいブーメラン返った〜」
「子供かよ⁉︎」
両手で指差して「うぇ〜い」と
こんなのが二十七歳。こんなのが支部局で一番偉い人。その事実に
銀臣がなんとか説得する言葉を
「体力も技能も、後からついてくるよ。適性者は統計的に身体能力が優れてるって証明されてるし。みやもっちゃんも、訓練すれば十分使える範囲だと思うよ?」
「反乱軍との戦闘はどんどん激化していってます。使えねぇ奴を育てるより即戦力を迎え入れる方がいいですよ」
「あ〜その考えはノンノン。ナンセンスよシバちゃん。即戦力になれる子なんて早々いないんだから」
とたんに、堤の口調が少し真剣なものになる。
「俺たちのお仕事は敵を
堤は、話すのが上手い。
声の
だからこそ、相手のペースを
(ほんと、能力のわりに階級低いよなこの人………)
堤は同年代の軍人の中でも、相当な実力派だと銀臣は思っている。
立場上あまり戦場へは出ないが、作戦立案や人心掌握。なにより人柄が優れた人であるのは認めている。本人には言わないが。
階級だってもっと上でいいはずだし、支部局長などではなく中央本部で
だが、彼はずっと今の椅子に腰掛けている。口には出さないだけで栄転や昇格の話だってあるはずなのにだ。
彼の性格から考えれば『上に行ったら
どちらにしろ変わり者だとは、彼を知る全ての人の共通意識だろう。
「みやもっちゃんは、きっと良い軍人になるよ。俺の人を見る目は狂ったことがない」
「………堤さんだって、間違うことくらいありますよ」
「うん、たくさん間違えてきたよ。むしろ正しいことをしてきたのは少ないかも。でもね、
「…………」
「だから俺は、キミの判断を握り潰してでも自分の意見を
「……自分で言うなよ」
堤はそれにニコリと笑って答える。今日の天気を語るような、世間話の口調で。
「自覚ある悪党ってのはね、しぶとく生きれるよ。自分が世間様に顔向けできる立場じゃないってわかってるから慎重に事を進められる。キミも立派な悪党になってみればわかるさ」
「別に悪党とまでは思ってませんって」
「えぇ〜、そうなのぉ? 堤お兄さん嬉しくなっちゃった、今ならなんでも言うこと聞いてあげるよ」
「チーム解体」
「ハイ
「…………………」
「大会、三島チャン
「また怒られますよ」
そして今日も銀臣は敗退し、支部局長室を出る。
「クソッ」
歩き出すのと同時に、銀臣は小さく吐き捨てた。
(これ以上あんな奴といて
このままではまずい、まずいのだ。
彼の中の焦りと不安は、時間が経てば経つほど大きな渦を巻いて飲み込もうとしてくる。それを感じたくなくて歩調を早めた。
別に、何から逃げられるわけでもないのに。