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第5話 見栄と権力の街で・後編

 到着した現場では、すでに(あた)りは騒然(そうぜん)となっていた。


 昼間の、本来なら人通りが多いであろう商店街。しかし今は、紺色のスーツを着た警察官数名と犯人の睨み合いの場になっている。
「どうした、国家組織のクソ犬ども。オレに手が出せねぇか?」
 挑発している犯人の手には日本刀。それを人質の少女の首に当てている。目深(めぶか)(かぶ)ったフードで男の顔はイマイチ見えない。
「状況は?」
 二人は近くに車を止めて駆けつけた。銀臣がすぐに手近な警察官に(たず)ねる。
「自称反乱軍の一味だそうです。名前を明かさないので確認が取れません。拳銃を捨てないと人質を殺すと喚くので、拳銃は出さないでください。今、狙撃班が急行しています」
 (ひそ)めた声で警察官も返した。
 それに銀臣は眉を(しか)める。
「こんな人の多い場所で狙撃は、下手をしたら周りの住民に被害が出ます。まず野次馬どもをどうにかしないと」
「はい、そうなのですが……こちらが変に動くと人質を殺すと……」
「犯人の要求は?」
「現在投獄中の反乱軍首領(しゅりょう)小山十郎(こやまじゅうろう)の釈放です」
 その名前には覚えがあった。
 確か反皇帝思想の過激派武装集団の(おさ)だ。規模は小さいが、捨て身のテロでよく世間を騒がせている。
「オイ、いつまで待たせるんだ! 早く小山さんを解放しないとコイツを殺すぞ!」
 徐々(じょじょ)に興奮する男は、人質の少女を見せつけるようにその首根っこを引っ張る。
 少女は短く悲鳴を上げた。離れた野次馬の中から「カナ!」と女性の叫び声。少女の母親は、前に出ようとして近くの警察官に押さえられた。
「お願いします、私が代わりに人質になりますから! 娘を放してください!」
「うるせぇ! ほんとに殺すぞ!」
「落ち着け! 今、小山十郎の解放にあたっていろいろと話が進められている! 少し時間をくれ!」
「話ってなんだよ! さっさと解放しろ!」
囚人(しゅうじん)を一人を解放するにも、いろいろと手続きが必要なんだ、わかってくれ!」
 そのやり取りの(はし)で、新人らしい警察官と年配の警察官が声を潜めた。
「本当に小山十郎を釈放する手続きが?」
「いや、それは無い。小山十郎を世間に放したら、それこそ次はもっと大きな被害が生まれる。国は解放する気なんて無いだろうな」
 かなり過激な犯罪手口で有名な小山十郎を世に放せば、また甚大(じんだい)な被害が起こるだろう。捨て身の爆破テロや列車ジャックで何十人もの犠牲者を出した大罪人だ。手続きをしているとは言うが、実際にはそんなことされていない。警察の上層部は『最小限の被害で制圧しろ』と、現場の人間に簡単に言うのだ。
「え、じゃぁ……」
「選択肢は二つだ。人質を巻き込んでアイツを確保するか、交渉決裂して人質を殺した犯人を確保するか、だ。どうにか(すき)をつければ人質を助け出せるんだがな」
「………」
 正義心に燃える新人警官の瞳が、揺らぐ。

 その横を、銀臣が通る。

 一瞬で、場の空気が変わった。
 突如(とつじょ)として前線に躍り出た軍人の存在に、犯人の男はもちろん周りの人間もポカンと口を開ける。
「なんだ、テメェ」
 男が警戒するように半歩(はんぽ)引いた。
 それに対し銀臣は、ゆっくりと両手の平を男に向けながら上げた。武器を持っていないことのアピールだろう。
 そしてさらりと男へ言う。
「人質、俺が代わりになる」
「は⁉︎」
「君、なにを考えているんだ!」
 犯人より警察の方が驚いて声を上げる。銀臣の肩を掴んで止めさせようとするが、銀臣は犯人から視線を外さず続けた。
「なぁ、よく考えてみろよ。どうせマスコミがこの事件を書き立てる。『現役軍人が人質になる』なんて最高の見出しになると思わねぇ? 警察や軍の印象を下げる大チャンスだぜ」
図体(ずうたい)のデカイ男なんて人質にするには邪魔なんだよ」
「子供だって邪魔になるだろ。体力もねぇし体も弱いから長期戦になったら弱る。長期戦を覚悟するなら、俺みたいな丈夫なのの方が役に立つ」
「ガキが弱る前に要求を飲めばいい話だろうが!」
「さっきも言った通り、囚人の釈放には時間がかかるんだよ。その間にその子が死んだら、アンタもう確保されるしか道は無くなるぜ」
 冷静に話す銀臣の耳に、警察官が小さく呟く。
「なにか算段が?」
「なにも」
「無いのにそんな提案を⁉︎」
 しれっと言ってのける銀臣に、警察は声を裏返った声で慌てふためいた。
 しかし銀臣は、静かに前を見据(みす)える。
「それでも、あの子は助かるだろ」
 男を刺激しないように、泣き出すのを必死に(こら)えている少女。
 なんとか助けてやりたかった。家族の元へ無事に返して、それでまた、なんて事の無い日常に戻ってほしかった。
 だけどそんな願いとは裏腹に、男は首を縦には振らない。
「……ダメだ。(きた)えた軍人を人質にするなんてなにをするかわからねぇ。すっこんでろ」
(ダメか……)
 意外にも冷静な判断をする男に、銀臣は内心舌を打つ。
 さて、次はどう説得するかと考え始めた銀臣の意識に、突然素っ頓狂な声が割って入った。

「わ、ちょ、やめてください! 押さないで!」

 つんのめりながら、銀臣の横を転がるように飛び出た存在。
 それは、現場を見ようと押し寄せる群衆の波に押されたようで、ヨロヨロと犯人の前で転んだ。
 着込んでくすんだジャケットを羽織る、若い男。それが顔を上げた瞬間、銀臣は叫びそうになった己をすんでの所で(おさ)える。

(なにをやってんだテメェはーーーーー!!)

 代わりに、心の中で思いっきり叫んでやった。
 いてて、と鈍臭(どんくさ)そうに石畳みに付いた手を(はら)っているのは、さっきまで自分と一緒にいた大志だったからだ。
(なんだその服! なにをしてんだマジで! せめて俺になにか言ってからにしろよ!)
 叫びたいが、それがどういう意図の行動なのかわからない現状では、銀臣は見守るしかない。
 わざわざスーツのジャケットを脱いで、どこからか借りたジャケットで一般市民に(ふん)している。彼にはなにか考えがあるのだろう、と。
「……今度はなんだ」
「ヒッ! す、すみませんすみません! あの、僕、押されただけで! すぐに消えますから!」
「クソッ、次から次へと妙なのが()いてきやがる」
 その、いかにもトロそうな大志の様子に犯人も毒気(どくけ)を抜かれたらしい。舌打ち混じりにぼやく。
「すみません、すみません、斬らないでください」
 両手を上げて気弱そうに謝ると、大志はゆっくりと立ち上がる。
「さっさと消えろ、邪魔だ」
「はい、すみません、すみません」

 その目が、一瞬でギラリと光る。

 立ち上がりざまに、素早く男の(ふところ)まで距離を詰めた。鈍臭そうな様子だった大志からの予想外の行動に、男の反応が遅れる。
 まず、人質の少女に首筋に当てられていた日本刀を蹴る。刃の部分ではなく、斬れない部分を見極めて。
 反動で日本刀が少女から離れた瞬間、男の目に向かって躊躇(ためら)わず手刀を入れようとした。
 そうすれば男は、条件反射で少女の襟首(えりくび)を掴んでいた手を放して目を守ろうとする。瞬間、大志はそれを見越したかのように手刀をやめて、少女の(わき)に手を入れる。
 そして後ろへ向かって叫んだ。

「柴尾さん、投げるのでお願いします!」
「は?」

 銀臣がその言葉の意味を理解する前に、少女が(ちゅう)を舞っている。あまりの光景に一瞬、なにが起こっているのかわからなかった。
「投げるってそういうーーーーーーーー‼︎」
 叫びながら走り出す。
 大志に投げられた少女は、すぐに重力に従って落ちていく。人間の体がふわりと飛んでくるわけない。
 銀臣は持ち前の身体能力で、ギリギリ少女と地面の間に(すべ)り込んだ。
 小さい体を抱き止めて、ホッとしたのも(つか)の間。すぐに後ろへ下がる。母親が駆け寄ってきたので渡した。少女は(せき)を切ったように泣き出す。
 その間も、大志と男の攻防は続いていた。

「くそっ! ()めた真似しやがって!」

 男が刀を横に振る。
 それを身を(かが)めて()けてから、日本刀を持つ男の手を掴んで固定する。それを(じく)に両足で地面を蹴った。男の顔面に二連続で蹴りを入れてから、体を(ひね)って見事に着地する。男の方は武器こそ手放さなかったものの、背中から倒れた。
 すぐに立ち上がって日本刀で応戦するが、大志の軽い身のこなしと的確な技に全く追いついていない。
 大志のそれは、躰道の基本を見事に実戦に応用した動きだった。足さばきに全く無駄がない。
「さすがチャンピオン……」
 銀臣の口に、思わず苦笑いがこぼれる。
 大人しめで礼儀正しい普段のあれは仮の姿か、と言いたくなる程に容赦の無い攻撃の連続だった。
 攻撃を受け止めるのではなく、相手の動きに合わせて(かわ)す。相手の攻撃の勢いを利用して、自分よりも体格のある相手を軽々と投げ飛ばす。そういう技。
「く、そぉ……」
 段々と敵《かな》わないことを悟った男が、最後の悪足掻きとばかりに刀を全力で振った。
 しかし大志は、やはり冷静であった。
 刀を振り下ろした男の肩に手を置いて、それを支えに飛び越える。一瞬で男の背後を取った。
 どこまで身軽なんだと銀臣が感心した次の瞬間には、勝敗は決した。
 男が振り向くのと同時に、大志の回し蹴りが顔面に直撃する。
 鼻血を吹きながら男は倒れる。なんなら歯も何本か転がっていった。そしてもう、起き上がることはできなかったらしい。
 完全に倒れた男を、駆け付けた警察官が一気に囲む。半分意識の無いその体を手錠(てじょう)で固定した。

 そうして場が収まると、わっと歓声(かんせい)が上がる。

 野次馬たちが次々に大志を褒め称える。調子のよい口笛や女たちの黄色い声まで。
「お兄ちゃん! ありがとう!」
 人質だった少女が、大志に駆け寄った。
 大志の腰へ抱きついて、まるで恋する乙女のような瞳で見上げる。そして息を詰めた。
 その瞳が見上げたものは、寒気すらするほどの大志の無表情だったからだ。口元だけがぶつぶつと呟いている。

「違う……アイツはもっと強かった………アイツじゃない…………」

 尋常(じんじょう)ではない気迫さえ感じさせる大志のそれに、少女は一瞬固まった。
 (おのの)いてそっと腰から手を放すと、そのわずかな刺激で大志はハッと意識を取り戻す。
 (おび)えた表情の少女を見下ろして、慌てて笑顔を作った。
「無事でよかった。投げてごめんね」
 途端に人当たりの良い雰囲気になった大志に、少女は子供特有の無邪気さで、また顔を真っ赤にする。
「ううん、カッコよかった! わたしが大きくなったら、およめさんになってあげる!」
 拒絶されることを想定すらしていない、純真無垢な言葉。大志はあらん限りの笑顔で「ありがとう、待ってるよ」なんて答えて。まるで町のお巡りさんだ。
 市民に褒め称えられる大志を見る銀臣は、どっと肩の力を抜いて笑った。
 失われた叡智(オーパーツ)を使えない人間なんて、仲間として認めたくなかった。が、どうやら思ったよりは動けるらしい、と。

「……案外、使えそうじゃん………」

 明日(あす)に控えた武術大会代表選出戦。もしかしたら本当に代表になってしまう勢いだと、銀臣は感服(かんぷく)の息を吐く。

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