第5話 見栄と権力の街で・中編
「おはようございます」
礼儀正しく下がる頭に、銀臣は
条件反射で「……はよ」と返した。それを受けて、大志は頭を上げた。
「今日の予定は市中の見回りだそうです。よろしくお願いします」
その顔は淡々としたものだった。
てっきり
礼儀正しく、適度な距離感を心がけ、あまり
チームを組む上では最高の人材であると言えるが、しかし銀臣は納得していなかった。なにがそんなに気に入らないのかと問われれば、彼はすぐには答えられない。
大志と視線すら合わさず、背中を向ける。
「………車のキー、取ってくる」
「あ、もうお借りしてきました」
振り返ると、大志の左手には車のキーが
「………
「それもやってあります」
「………
「さっき、
「……ふーん」
大志はそれでも前に出過ぎることはしない。
今も、銀臣が「出発するか」と言うのを待っている。決して出しゃばって動かず、あくまでも『先輩である銀臣の指示待ち』の姿勢を保っている。
いや、初日で銀臣自身が『付き合い辛い奴』と印象を植え付けてしまったので、様子見をしているだけなのかもしれない。彼だってきっと、同年代の気の合う相棒であったならばもっと前面に出てきただろうと思い直した。
「……じゃ、行くか」
「はい」
試しに銀臣が声をかければ、すぐに足が動く。銀臣の半歩後ろを保つのも忘れずに。
その様子に、銀臣は妙な印象を受けた。
「うわ、立派なホテル……」
少しの気まずさを共に乗せ、車は帝都中央街を走行していた。
今日も今日とて人で
銀臣が同じ方へ視線をやれば、立派な玄関を構えた
すぐに視線を逸らして、前を見る。
「あれはホテルじゃなくて銀行」
そして素っ気なく説明を入れた。
「えぇ、銀行なんですか? あんなに立派なのに!」
大志は素直な反応を返してくる。
帝都の街並みは、どうにも一日だけでは
「帝都中央駅前
「あぁ、戸倉銀行なんですか。オシャレなのでホテルかと思いました」
少し後ろに去った銀行をもう一度見直してから、大志は前を向く。
だがまたすぐにキョロキョロとし始めた。感心したように息を吐きながら過ぎていく街並みを見る。
全てが寄り集まって、なんとか構成されているような。全てがチグハグ故に完璧だとも思える世界。
「綺麗な街だ……」
まるでオモチャ箱の中のような
それは運転席の銀臣にも聞こえたようで、彼は鼻を鳴らす。
「実に
まるで
「………なんですか、それ?」
「
「えっと……徳こそが全ての価値であり、贅沢や社会的慣習など、その他全てを
「案外物知りだな。んで、そのオッサンが帝都に上京してきた時のことを書いた本だよ。帝都の人間は見栄で取り
「……随分皮肉な物の
「だろ? 結局は反皇帝思想犯にまででっち上げられて処刑されたんだよ。本は
「読んだことがあるんですか?」
「単身任務で出向いた先で、ホームレスのオッちゃんが持っててな。今晩の寝床にするっつって腰の下に引いてたやつだけど」
銀臣は運転しながら、後ろへ流れていく街並みを見送った。
「綺麗で完璧なものほど
「……柴尾さんは、冷笑主義者なんですか?」
「いや? 俺は小難しいことはなるべく考えたくねぇ主義」
「ははっ、どんな主義ですかそれ。楽観主義とは違いますし」
「アンタはどう思う? ここの人間は空っぽだと思うか?」
「んー、そうですねぇ」
ちょうど、赤信号で車が停車する。
すぐ横の歩道を、子供たちが駆けていった。ペット用に品種改良された超小型の竜を連れている。そのすぐ後ろを貴婦人が。なにかの店先では老夫婦はウィンドウショッピングを楽しんでいた。
そういう、ありふれていて、どこにでもありそうで、それ故に印象にも残らないような風景を見ながら、大志は銀臣に返す。
「例え虚栄心や偶像の産物だとしても、それでもここには笑顔がある。ならそれは、全くの無価値では無いと思います。見栄だって人間の一部なのだから、見栄がある限り『空っぽ』ってことは無いんじゃないですか?」
と、思います。
最後の最後に遠慮がちに付け足された小さな声を聞き届けてから、銀臣は「なるほどねぇ」と漏らした。
「人が笑顔であるか、それは価値ある物の基準になるってことか」
「誰だって、笑って暮らしたいじゃないですか」
「………」
にこやかに語る大志に、銀臣はまたも違和感を覚える。その感覚の正体について、もう少し探ってみようと口を開いた時だ。
突然、車内に無線が入る。
ピーーーピーーーと鳴る、車のメインパネルに備えられた無線機。
大志はすかさず受話器を取った。さすが元警察官だけあって、反応が早い。
「はいナンバー
《応援要請、応援要請、
銀臣がハンドルを切る。ウィンカーを出して、道を曲がった。
「了解、向かいます。どうぞ」
《演説者の
無線を聴きながら、銀臣は道を迷いなく進んでいく。
効率よく仕事をするにも、やはり
大志だって、地元で警察官をしていた時はそうだった。
だが、この巨大過ぎるカラクリの街は、どうにも
そうして公園で違法演説者の集団を押さえ、薬物中毒者が暴れているというレストランへ飛び込み、時には迷子の子供を交番に預けることまで。
大きな街に比例するかのように引っ切り無しに入る無線と事件。田舎で町のお巡りさんをしていた大志にとっては目が回る忙しさだった。
そうやって見回りももうすぐ終えようかという時、またも無線が入る。
《応援要請、応援要請。
ドクリと、大志の心臓が
手に汗が浮かんで、ギュッとそれを握りつぶす。じんわりと熱くなる目の前と、上がる呼吸。
「了解、向かいます」
無線に向かって返事をする声は、やけに低かった。
手が震えている。なんとか受話器を元の位置に戻して、大志は浅く呼吸を繰り返した。
「……おい」
大丈夫か?
そう言おうとして、銀臣は口を閉じる。
(気にかける必要なんて、ない)
自分に言い聞かせる。
大志と深く関わるつもりなんてない。すぐにチームを解消させて、また一人に戻るのだ。誰かの心配をするのも、誰かに心配されるのも
気にかける必要はない。声をかける必要なんてない。すぐに終わる関係だ。そう、言い聞かせる。
銀臣はふいと視線を逸らして、ハンドルを切る。現場に急行した。