13-3「『彼女と並んで立つ』事ができません!」
一方その頃、ミツキはルウに連れられてVR訓練室の座席からVRの訓練空間に没入していた。VR訓練室の時点で気付いていたが、一緒にエリサという少女も同じ空間に入っていた。今、ちょうどVR空間特有の情報をルウから説明されている最中である。
「と、いう訳で、この空間の中では最大600倍まで時間を圧縮した訓練が可能です。今日は流石にそこまでは倍速を使用しませんが、何とか60倍まで実施しようと思っています」
「では、60倍でお願いしたいわ。時間は無駄にしたくないもの」
そして、ミツキは説明を聞いて開口一番そう言った。
「いえ、既に『電脳』に換装しているミツキ少尉はともかくエリサ二等兵は脳が生身ですのでそこまでの急負荷は最初からは『辛い』と思います」
言われたミツキは、隣で説明を大人しく聞いている少女、エリサを横目で見る。目が合った。
ミツキは訓練室で彼女と対面した時から、彼女の度胸を買っていた。自分の訓練の『邪魔』になりそうなこの少女に対して、ミツキは無言ではあるが『殺気』を放ち続けていた。常人であれば足がすくむ程のそれを、である。
さらに、ミツキは自分がクロウとこの時代で再開した際、この少女があの医務室に居た事を覚えていた。ついでに彼女の『匂い』もである。このエリサは少なくても一度以上クロウに『触れて』いる。それをクロウから残る残り香から看破していた。
つまり、ミツキに取ってエリサは恋敵に他ならない。だが、その感情とは別に彼女に対して感じるのだ。立ち向かう意志のようなものを、である。
「
それを聞いたルウはため息を吐いた。
「エリサ二等兵。貴女は『軍隊』の経験はおろか、『武術』の心得もありません。私は貴女の母上から、貴女を少なくとも『下士官』として立ち振る舞いが出来るように訓練を施すように『命令』されています。それは通常であっても生半可な事ではないのですよ?」
現在時刻は午前10時を回った所である。18時の稼業終了までおおよそ7時間。1時間が60時間として知覚されるので420時間。日数に直すと17日以上となる。
エリサがその訓練期間を終えるためには通常おおよそ3カ月(720時間)の時間を要する。だが、60倍のVRを使用すれば、本来一日8時間しか訓練出来ない所を睡眠も、食事も、休憩すら無視して二日間のVR訓練で終える事が出来る。
ルウに課せられた彼女を訓練するという課題は、シドがクロウに行った訓練の密度の比ではない。エリサは将来的にその母であるルートと並ばなければならない。この訓練でさえその入り口なのである。
「ご安心ください、ルウ中尉。嗜む程度では御座いますが、
何が、彼女をそこまで駆り立てるのか、ルウにもミツキにも分からない。だが、彼女の覚悟は二人に伝わった。
「わかりました。では、その覚悟しかと見届けさせて頂きます。ミツキ少尉には付き合っていただく事になりますが……」
「いいわ。『この子』と同じカリキュラムを頂くわ。その方がルウ中尉にとっても都合がいいでしょう? この子か私が力尽きるまで訓練して頂戴」
ルウのセリフに対して、ミツキはさらに訓練のハードルを上げる。ここまで言われてはルウも引くわけにはいかない。
「いいでしょう。では、その『ふざけた』口調から改めて頂きます」
ここから、ルウはスイッチを入れる。この『つくば型』最強とシドに言わしめる戦士としてのスイッチである。
「ここより先、口から『糞』を垂れる前と後に『イエス・マム』と付けろ、『小娘』共!! 貴様らは今、宇宙最低の『ウジ虫』だ! 覚悟を見せろ!」
「「イエス・マム!」」
こうして、彼女たちの『訓練』が始まる。当初それは『下士官』としての訓練と、ミツキの『士官』としての訓練のそれであったが、最終的にその訓練密度はそれらを大きく凌駕する。
途中からルウのスイッチが完全に入ってしまったのだ。
彼女たちがそのVR訓練を終え訓練室から退出したのは、実際の時間に直して32時間後の事である。ミツキは今日中にルピナスと医務室で会うという約束を果たせなかった。
◇
一方、昨晩より懲罰房に入れられているユキは、その拘束具付の懲罰房のリクライニングシートに固定され、白目を剥いて600倍のVR懲罰の真っ最中であった。
因みに、600倍という『つくば型』最強のVR圧縮は『生身の脳』で耐えられる速度ではないため、この懲罰に当たりユキは『電脳』への換装手術の同意書へサインさせられていた。
懲罰を受けないと下艦せざるえないため、ユキに拒否権は無かった。
ユキの身柄がジェームスに預けられてすぐ、ジェームスはその手術を行った。とは言っても、ユキの為の『電脳』はユキの乗機であるデックス1号機に既にある。それは彼女がその機体に乗っていた瞬間までのデータが保存されている。
それに加えて『つくば』の艦にも彼女の為の電脳があるため、それらのデータを艦に搭載されていた電脳に統合すれば後はユキの『
ユキの脳みそを丸ごと電脳に挿げ替える作業も含め、ジェームスはそれらを2時間で終えた。
この600倍のVR体験は流石に心身への負担が大きいため、医師による監修が必要である。ジェームスは彼女がこの『懲罰』を受刑してからそれに付き添っていた。
こうして宇宙歴3502年1月15日0100時より開始されたユキへの懲罰は、1000時現在9時間経過している。それは『彼女』が体感する時間としておおよそ225日だった。
その懲罰VR空間に没入してユキが目撃したのは山深い禅寺のその本堂であった。
自然信仰を主とするその寺は内装も質素なものだった。だが、敷地だけは沢山あり、鐘楼や、五重塔、大小さまざまな建物が断崖絶壁に張り付くようにそそり立っていた。
『千日回峰行』は、本来自ら修行を収めた高僧がたどり着く、究極の修行とでも言える荒行である。仏心とは程遠いユキがいきなりこの修行を受けられる筈も無かった。
ユキに最初与えられた課題はこの本堂でひたすら他のVR人格の僧侶たちが唱える念仏を、座禅を組んで聞くというものだった。
ここでユキは一瞬で耐えきれなくなり暴れた。
VR人格をタイラーが作るに当たり、実際に山寺の僧侶の監修、許可の元コピーし調整したVR人格僧侶たちは慌ててユキを取り押さえようとする。
だが、ユキは僧侶達を蹴り飛ばし、首を絞め、追い縋る僧侶を殴り飛ばして逃亡した。
因みにこの懲罰が始まった時点で、ユキの体感しているこの空間での彼女の身体は、何ら強化を加えられていない宇宙歴で言うところの『第一世代人類』の体でありながら、である。
ユキはその勢いのままこの山寺の中でありとあらゆる狼藉を働いた。
追手にかかった僧侶を殺害し、終いには山寺全体に火を放った。彼女がその五重塔によじ登り眼下の火の海を眺めながら高らかに高笑いをした瞬間である。全てが元に戻った。
彼女の身体も元の本堂であり、確かに殺害したはずの僧侶も読経に加わっていた。
そこで彼女は、今度はこの懲罰から逃げる方法を探した。
VR空間である以上何処かに『ログアウト』できるポイントがあると考えていたのだ。だが、実際には現実空間の彼女の傍にジェームスが控えており、そのバイタルを逐一監視しているため『ログアウト』する必要がない。彼女がいくら山寺を探し回っても、ひたすら山中を一方向に走っても『ログアウト』する事など出来なかった。
しかも、山寺を一定距離以上離れるか、修行を一定時間以上放棄すると即座に『最初』に戻るようだ。それに気づいたユキはようやく観念してこの課題に取り組むことにした。
彼女がそれに気づくまでに既に3日の時間を浪費していた。
彼女の本堂での読経を聞くと言う課題は1カ月続いた。
その間、彼女は通常の人間と同じように空腹も感じれば、睡魔も感じた。途中睡魔に負け掛け何度かVR僧侶に揺り起こされた。幸いにして体調による『不可抗力』はリセットの対象にならないらしい。試しにと『本気で寝るつもりで』寝てみるとユキの体感時間はリセットされ最初からとなった。
真面目に、この読経を聞くしかない。
因みにこの間、ユキは日の出と共に起床させられ、山寺の掃除を行い、自ら火を起こして食事を拵え、それらを片付けた後に滝に打たれて身を清め、その後ひたすら読経を聞き、日が落ちるころに再び食事の支度をしてそれを食べ、入浴などの身支度を整えて寝ると言う規則正しい生活が続いた。
それらを少しでも『サボろう』とすると即座にリセットだった。彼女は未だこの懲罰のスタートラインにすら立てていない。
そんな『修行』を1カ月。ようやく乗り越えてユキに次に与えられた課題は写経である。この頃になるとユキも読経されている般若心経の発音は覚えていた。だが、字となると話は別である。
初日、VR僧侶の一人が付きっ切りでその経文の意味を解説してくれていた。1カ月も聞かされ続けた経文である。その意味を知りユキはようやく『仏道』に興味を持った。
反省文と称して『官能小説』を書く程のユキである。実は彼女は文章を書くと言う行為自体、嫌いではなかった。
ここでも少しでも気を抜けばリセットされるのは目に見えていた。ユキは一心不乱に写経を行った。
写経した経文はその日の終わりに本堂で火にかけ焚き上げを行った。どれだけ丁寧に書こうが、どれだけ自ら上手に書けたと思おうが、である。ユキはここで諸行無常を体感した。
写経を始めて2カ月。ユキがこの懲罰に挑んで3カ月が経過していた。
今度は、ユキは禅堂で座禅を組むことを許された。
そう、この懲罰のポイントは罰を与えられるのではなく、その懲罰という名の修行を受ける事を『許される』というところにポイントがあるのだ。
禅を組み、瞑想する。たったそれだけの懲罰であるが、少しでも邪念が入ると後ろに控えたVR僧侶がユキの肩を警策(きょうさく)で打ち警告を与えた。
曰く、集中が乱れた者は自然と体が前傾していくのだという。
ユキは極力無心でいようと試みたが、どうしてもクロウの顔が頭をよぎる。その度に警策で打たれた。この禅の『修行』を始めて2カ月、ユキは床に就く際にクロウの顔が朧げにしか思い出せない事に気付いた。
ここに至りユキは枕を涙で濡らした。
この懲罰が始まって彼女の体感時間で6カ月が経とうとしていた頃。ようやく『千日回峰行』が始まった。
『千日回峰行』は本来7年から9年をかけて行う修行である。実際に1000日という訳ではなくそれ以上の行程が本来は含まれる。だが、このVR懲罰の場合その日程は短縮される。その代わりと言っては何だが、その修行の内容は過酷さを増す。
本来『千日回峰行』は1〜3年目は年に100日、4〜5年目は年に200日行う。拠点となるこの寺で勤行のあと、深夜2時に出発。真言を唱えながら山中を巡り、それぞれ260箇所の御堂で礼拝しながら、約30kmを平均6時間で巡拝する。
5年目になると距離がさらに伸びる。1日約60kmである。この行程を100日続ける。
7年目には200日行い、はじめの100日は全行程84kmにおよぶ大回りで、後半100日は山中30kmの行程に戻る。
本来であれば5年目には『堂入り』と呼ばれる最も過酷とされる修行があるのだが、このVR訓練においてこれは最後の締めに行われる。そして、『本来』であれば間に挟む体を休める期間を一切無視して1000日の修行に突入し、距離も最初から1日約48kmである。
このVR千日回峰行のスケジュールは極めてシンプルだ。
起床は毎日2330時。起きたらすぐ滝に入って身を清め、そのあと山を歩く装束に着替え、0030時に出発する。
左手に提灯、右手に杖を持って、編み笠をかぶって白装束をまとい1日約48kmのコースを、真言を唱えながら巡り、それぞれ260箇所の御堂を巡って戻ってくる。
山に行って帰ってくるまでのあいだ、食べるものは二つのおにぎりだけである。その他には500mlの水筒だけが携行を許された。
1日16時間歩き続ける事になる。
夕方に拠点の山寺へと戻り、身の回りを整えて床に就く。
今、ユキはこの修行に入ってから1カ月が経過していた。日数に直して30日、残りは970日である。
そしてその1000日を終えた後、『堂入り』と呼ばれる最も過酷な修行が控えている。
礼拝入堂前には行者は生き葬式を行い、不動明王堂で丸7日半ほどにわたる断食・断水・断眠・断臥(横にならない事)の4無行に入る。これを終えてようやくこの『懲罰』は終わる。
だが、この修行に入って1カ月。ユキの体は既に栄養失調を起こしていた。特に爪、髪の毛はボロボロである。
タンパク質をほとんど口に出来ないからである。無論『第四世代人類』としての特性は全てVR上で消されているため回復も見込めない。
今ユキの腰には一本の短刀がぶら下げられている。これは山中で刃物が必要になった際にも使うが、ギブアップ用の短刀である。
この『千日回峰行』はその特性上中断が許されない修行である。したがって、ギブアップをする際にはこの短刀で割腹自殺するのである。この『VR千日回峰行』の場合VRであるので実際の体は死ぬことはない。
だが、ギブアップはつまりユキ自身の『下艦』を意味するのである。
最初ユキが行ったようにこの懲罰に対する抵抗では『下艦』にはならない。単に『最初からやり直し』になるだけである。『下艦』するかどうかの判断は常に受刑者に委ねられていることもこの懲罰の一つのポイントなのであった。
この全体の懲罰の行程のおおよそ3%しか消化していない状態で、ユキは既に極限状態だった。一応、最低限このVR空間で生きられるように、数日に一回サプリメントは受け取れたものの、それ以外は水とおにぎりしか口に出来ない。
生きるという事、食べるという事、歩くという事、祈るという事、その様々な哲学がユキの中で渦巻いていた。
残りは970日。今まさに山中を行くユキの修行は続く。