13-2「……あま、り。み、ないで」
デートに、軍服である常備服で行くわけにもいかないだろう。
クロウはトニアとの通話で『服が無いので調達してくる』旨を素直に話し、少しだけ準備に時間を貰った。その足で主計科の主計長であるヨヘム・レーヴェンが経営する購買部(艦内で飲食物、日用品などを売る店のこと)にダッシュして服を買い込む。幸いにして『つくば』艦内の購買部は文字通り『なんでも』売っていた。トレーナーとジーンズ、それとスニーカーを買って自室へ急いで戻る。
そんなクロウの自室に『向かえ』が来たのは、クロウがちょうどそれらを着込んだ時だった。
「ああ、すまないトニアか? ちょっと箱とか袋とか片すから、少しだけ中で待っていてもらっていいか?」
クロウは慌てて脱ぎ散らかした常備服を畳み、自分のベッドの上に置いた。別にシドは自分のスペースでもない限りクロウに片付けを促したりはしないものの、シド自身がいつも部屋を片付けながら使っているためクロウも散らかしっぱなしは憚られた。
「お邪魔しまーす」
クロウは慌てていて来室したのが本当にトニアかどうかは確認し忘れたが、どうやら本当にトニアだったようだ。これがユキであったとしたら貞操の危機である。クロウは気を引き締め直すことにした。
「すまないトニア。後はそれこそ、これを片すだけなんだが……」
言いながらクロウは振り返り、そのトニアの姿を見て絶句する。いや、正確にはそのトニアとアザレアの私服を見てである。
「いいよ、クロウ君、ゆっくりで。まだ10時前だもの、今からゆっくり出てもお昼には間に合うわ」
そう言いながら笑うトニアは、ブラウスにクラシカルなスカート姿だ。別に変な恰好などではない。ごくごく普通の格好である。
紺色のひざ丈のフレアスカートに、白い立ち襟のブラウス、襟もとにはリボンが飾られている。
スカートはウエストが胸の下まであるハイウエストタイプ。それが腰をコルセットのように圧迫し、清楚なイメージでありながら、しなやかな腰と豊かな胸の対比をこれでもかと強調していた。
「ぐっ」
クロウは思わず生唾を飲み込んだ。
そしてそのトニアに半分隠れるように、赤い顔をしたアザレアが、ニットのようなセーターのワンピースを着込んでいた。
彼女のワンピースは華奢な体にぴったりと沿って、そのタイトなラインを強調している。そのワンピース自体はそう丈の長いものではない。屈むと見えてしまいそうな超ミニ丈である。が、下にはちゃんとホットパンツを履いているようだ。だが、袖が際どい。タンクトップのように胸のラインギリギリまで袖の開口部があった。その袖から彼女の白すぎる肌が眩しい。
「……あま、り。み、ないで」
アザレアのその小さい声がトドメだった。クロウは思わず今まさに片付けようとしていた、自分が今着ているトレーナーとジーンズが入っていた袋で自身の顔を覆った。
「トニア、君の服はともかく。アザレアのその服は少し露出が多すぎないかな? アザレアも困っているようなんだけど……」
「あら、大丈夫よ。アザレアもこの下はちゃんと見られても大丈夫な『スポーツウェア』を着ているもの」
クロウはそれを聞いてため息を吐く。つまり……
「思い付きで、二人で『童貞を殺す服』を着てみたけど、ここまで効果があるとは思わなかったわ。今日はコレで行きましょうか」
これはトニアの悪戯である。クロウはうっかり嵌まってしまった事を自覚した。
「も、もう。君らが良いんだったら僕は構わないけどねっ!」
クロウは観念してビニール袋を視界から外し、その中に自分の服に付属していたのゴミなどを突っ込んでいく。その袖をアザレアが右手の先で引っ張った。フルフルと頭を左右に振りながらである。
「上着、かし、て?」
上目遣いに、赤面して涙目に、である。クロウは思わず赤面し鼻を押さえた。本気で鼻血が出るかと思った。
「トニア、アザレアに上着貸すけど、文句は無いよな?」
それを見てニヤニヤ笑っているトニアに対して、クロウはジト目で見ながらついでに買って来たジャンパーをアザレアの肩にかけた。
その時に気が付いたのだが、アザレアのそのワンピースかと思われたそのニットの服は背中が大きく開いていた。首元は暖かそうに見えるハイネックだが、肩から背中にかけて大きく開いており、白い背中を惜しげもなく曝している。
「やり過ぎだ。友達をもう少しいたわってやれ」
クロウはトニアの頭に軽くチョップを入れた。トニアは小さく舌を出した。
さて、そんなやり取りがあり、クロウのジャンパーを着て平常心を取り戻した様子のアザレアを見て安心こそしたものの、クロウにはどうしても突っ込まなければいけない『モノ』があった。
「二人とも、服はとても似合っているし、とても可愛いのだけど、『それ』は一体何だろうか? 僕はもしかしてデートに行った先で二人に『果たし合い』でも申し込まれるのかな?」
二人はその腰に銃のホルスターと、替えの弾倉の入ったポーチそして左の腰には刀をぶら下げていたのだった。
「え? ああ。そっかクロウ君『つくば』から外出するの、初めてだっけ? 私達が外出するときは必ず『87式拳銃改』と『77式軍刀』は携行しないといけないのよ。重いから嫌なんだけどね」
極めて真面目な顔で、トニアは答える。
見ればアザレアも頷いていた。『87式拳銃改』とは、普段常備服を着ている時にクロウも腰からぶら下げている拳銃の事だ。『77式軍刀』も初日に貰っていたものの、使いどころが分からなかったために今はクローゼットに仕舞ってあるが、まさか外出時に使うとはクロウも思わなかった。
二人が冗談で言っている訳では無さそうなので、クロウも彼女らと同じように『87式拳銃改』と『77式軍刀』を腰にぶら下げた。彼女らと同じように拳銃用弾倉も二つポーチに入れてぶら下げる。
どこの世界に、街に繰り出すのにこんな武装をする若者が居るのだろうか。いや、ここに居るのであるが。
「半信半疑って感じね。まあ、クロウ君の時代からすれば無理も無いわ。歩きながら話しましょう」
聞けば、別に艦の外の治安もそんなに悪いという訳でも無いらしい。犯罪率も極めて低くそうそう何かに襲われたりとか、野盗が跋扈しているという訳でも無いらしい。
では、この装備は何であろうか? 二人と話しながら艦の月側の構造体に接続されている出入り口に近づくと、自分たちと同じように外出しようとする乗組員達が列をなしていた。
全員帯刀し、拳銃を携行して、である。
「クロウ君はこの時代の事は『インストール』で知っているんだよね?」
その列の最後尾に並びながらトニアに言われてクロウは思い出す。宇宙歴3502年現在『大きな』戦争、および紛争は起きてはいない。だが、宇宙歴3490年から2年にかけてデータベースに登録されるような大きな戦争が起きている。『第四次火星戦役』である。つまり、パラサの父ジグルド・リッツが活躍した戦闘である。
その戦闘は、火星と地球の小競り合いから、大規模な宇宙戦に発展してしまった戦争だった。その時はまだ木星圏はこの戦闘には表立って参加はしていない。
だが、『第四次』と銘打っているようにその戦後処理は混迷を極めた。表面上、地球側と火星側は平和条約を互いに結んではいるものの、両者には拭いきれない怨嗟が残っていたのだ。
「とんでもないな。もしかして僕たちは『マーズ共和国』と戦っている訳じゃ無くて『火星』も相手にしていたって言うのか?」
だが、そのクロウの答えに対してちっちっちと、トニアはクロウの目の前に人差し指を立てて左右に振って見せる。
「そんな三つ巴になるような単純な話じゃないわ、クロウ君。よく思い出して。私たちはもう『地球連邦軍本部』と袂を分けた軍閥よ? 便宜上今は旧地球連邦勢力を『ファイズ』と呼んでいるけれど、そこに私達の『勢力』まだ名前は無いから『つくば派』とでも呼びましょうか? それと『旧火星派』それと今回の『マーズ共和国派』。それと月を代表とする『中立派』がそれぞれ居るわ。その他にも各勢力に『強硬派』と『穏健派』が入り乱れている」
ここに来て、クロウはようやく何故タイラーが『地球連邦軍本部』と袂を分け、オーデル・リッツと『このような回りくどい』行動を取ったのかその理由の一端を知ったのだった。
「もしかして、表面化していないだけで、それらの『勢力』がこの太陽系でいがみ合っているっていうのか?」
「クロウは、頭がいい」
言葉少なに、アザレアがこっくりと頷いてそれを肯定した。
「私達当事者でも、どうしてそうなってしまったのかもう分からないレベルね。歴史を紐解けばそれは確かにそれぞれの理由があったのだろうけど、今となっては惰性で戦っているっていうレベルだわ。だから、もう『終わらせる』事にしたんでしょうね。昨日の大格納庫での艦長の話を聞いて確信したわ。各勢力が今になって『ロストカルチャー』の人たちを積極的に使って争いを終わらせようとしている」
アザレアのその頷きに続けて、トニアが補足する。
その答えを聞いてクロウは思う。状況はクロウが思っているよりもずっと複雑だ。何しろ明確な敵だけが自分たちの敵ではない。
ともすれば、この腰にぶら下げた武装は当然と言えば当然である。そのような状況であってむしろ外出などしていいのだろうか。
「あら? いいのよ。だって『私達』にとってはそれが『普通』だもの」
外出していいのだろうか、というクロウの疑問は思わず口に出してしまっていたようで、それに対してトニアが応えていた。
「街中の人だって『大なり小なり』戦うための『手段』は持っているわ。それこそ私たち自身が『軍人』になる前から『そう』だった。だから私達には『これ』は何も珍しいものでは無いわ」
そう言いながら、彼女は自身の腰の拳銃と刀を指さしていた。
だとすれば、とクロウは今度こそ口に出さないように思う。だとすれば、彼女たちのあまりにも積極的過ぎるクロウに対するアプローチも納得できる部分がある。彼女たちは『明日生きているかどうかも分からない世界』にこうして生きているのだ。
「命短し、恋せよ乙女か……」
思わず印象した事をクロウは口に出してしまっていた。
「あら、素敵な言葉ね! クロウ君の時代の言葉!?」
「いや、元は僕よりも100年以上も前の流行歌の歌詞だったはずだよ」
「クロウは詩人?」
嬉しそうに笑うトニアと首を傾げるアザレアの表情が、クロウにはまるで二輪の大輪の花のように感じた。この二つの花を決して枯らす訳にはいかないと心で誓う。
そんなやり取りをしている間に、『つくば』出入り口に保安科が設置している検問の順番が来た。まるで駅の改札のようなゲートに左右に保安科のクルーが小銃を肩に下げて何人も控えている。どうやらゲートにリスコンを翳せばいいようである。
一瞬クロウは構えるが、リスコンを翳した瞬間にゲートは開いた。
トニアの言う通り彼女がちゃんと外出の手続きを済ましてくれたかららしい。ちょうどトニアとアザレアがゲートを抜けた所で、一人の男子クルーがゲートに引っかかっていた。遠巻きに彼と保安科のやり取りが聞こえる。どうやら彼は休暇の日程を間違えていたようだった。
「まあ、ああいう事もあるわ。私達も気を付けないとね」
言いながらトニアはクロウとアザレアの腕を取るとゲートの外に駆け出した。トニアの栗色の髪と、アザレアの銀髪が宙に舞う。
暗い廊下がしばらく続いていたが、やがて視界が開ける。まるで空港の発着ロビーのような建物の中だった。