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13-1「次は絶対誰も殺させない……」

 そのミツキの「別に逃げたりしないわ。食堂に行きたかっただけよ」という言葉に安心したのか、とりあえずルピナスはミツキの足からは離れた。今は食堂に移動しながらクロウがおんぶをしている。

「ふぅん、アナタ今日『非番』なのね。私は食事を取った後、ルウ中尉に、VRと言ったかしら? ともかくそれで訓練をしてもらうことになっているわ」

 言いながらミツキは半目でクロウを睨む。この休みは何も昨日今日決まったものではない。クロウがこの艦に乗艦してすぐに決まっていたものである。クロウは睨まれてもどうにもならない。

 恐らくミツキの言う訓練というのは、シドがクロウに行った訓練と同内容のものだろう。とはいえ流石に何度も殺されるような事はあるまい。そこに関してクロウはルウの良識を信じる事にした。

『しゅこー、で、ルピ坊よ。このミツキって奴の『脳量子波』ってそんなにヤバいのか? しゅこー、確かに殺意の波動はヤバいが、脳からしてヤバいのか? もしかして俗に言うサイコパスって奴か?』

 ガスマスクをその顔面に装着したままのシドである。どうでもいいが、その状態でどうやって食堂で食事をしようと言うのだろうか? ともかく、その言葉に反応してシドに飛んだミツキの渾身のパンチを、クロウはやんわりと受け流しつつ、クロウの背中に乗ったルピナスが応えていた。

「そんな半端なものじゃないのだ! 『脳量子波』は個人差こそあるが、『電脳』に換装した者であれば強くなる傾向にはある。でもミツキねぇの場合『元からそうだった』としか思えないくらいに強いのじゃ! 例えばじゃが、デックスは脳波コントロールで動くが、ミツキねぇなら多分コックピットの外からでもデックスを動かせるのじゃ!! わからんかシドにぃ! お蔵入りになりかけている『アレ』が使えるかも知れんのじゃぞ?」

 クロウの背中で、ルピナスが万歳をしながら言う。その荒い鼻息がクロウの首筋に直撃し、クロウはこそばゆさを感じていた。

『しゅこー おいおい、マジかよ。たまげたなぁ、『アレ』が使える人間にお目にかかれるとは思わなかったぜ。しゅこー それこそ『エスパー』でも出てこない限りは使い物にならないと思っていたのによ』

 いい加減、そのシドの呼吸音が音に変換されるガスマスクが、クロウは鬱陶しくなってきていた。

「何を、バカな事、やってんのよ!!」

 次の瞬間である。背後から現れたパラサが、後ろからシドのガスマスクを剥ぎ取っていた。

 因みにパラサは女性にしては背が高く170cm近く身長がある。シドの190cmを超える頭部にも手が届いていた。

「ぐあああああああ! 目が、目があああああああああ!!」

 瞬間、シドは顔面を抑えてゴロゴロと床を転がった。

 完全にネタである。痛いとか苦しいとか、花粉症に困っているのであればその反応では無いだろうとクロウは安心する。

「ふん。どうせ花粉症だって言うんでしょ? 薬は飲んだんでしょ? なら症状は出ないはずよ」

 パラサは、その数年の付き合いから、彼が花粉症である事を知っていた。

「くそっ、もうちょっとで、食堂にガスマスクのまま合法的に乱入出来ていたというのに」

 シドはぼやきながら立ち上がる。

「どこの世界に、伊達や酔狂でガスマスク付けたまま食堂に入る人がいるんですかねー? ああ、ここに居ましたか。シド先輩はアレですね、パラサ大尉とお付き合いをするようになってから『キャラ』立てるようになってきましたよね?」

 そう言うクロウにパラサが食いつく。

「何クロウ少尉、その話興味あるんだけど。ちょっと詳しく」

「えー? 聞いちゃいます? 今シド先輩は常備服の下に認識票(ドック・タグ)の他に『ロケット』を首からぶら下げているはずです。それもお手製の。つい昨晩完成したんですよね? 夜な夜な作業してて、同室の僕が気付かないとでも思ってたんですかね? まあ、中身の写真は誰だかはお察しですよねー」

 にやにやとクロウはシドを見ながら言う。

 シドはその常備服の胸元を押さえてロケットを隠しているつもりらしかった。つまりシドは、作ってしまったロケットをついつい身に着けたはいいが、その状態で『本人』に会うのが恥ずかしくなっていたようである。だが、その当人にガスマスクを外されてしまうのだから面白い。

「へえ、可愛い所あるじゃない。いいわ『大男』、今朝からの私への無礼はそれで帳消しにしてあげる」

 優雅に口元を手で覆いながらミツキはコロコロと笑う。

 一見優雅に笑っているだけに思える仕草だが、クロウはそれを見てゾッとした。ミツキのあの笑い方は人の弱みを握った時の笑いである。

「ふーん、そうなんだ。シド、後でそれ見せなさいよ。写真が気に入らなかったら『よく写っている』のに差し替えてあげる」

 パラサはその長い髪の毛をかき上げながら明後日の方を向く。流石に照れたようである。

「お、おう」

 シドも気まずそうに目線を逸らしていた。



 朝食の後、ルピナスはミツキに訓練が終わったら医務室に顔を出して欲しい、とお願いをしていた。流石にミツキも、彼女のお願いを断るつもりはなかったらしく快諾していた。それからルピナスはシドを伴って格納庫へ向かってしまった。

 シドは今日、非番の筈だがどうやら格納庫でこれから何かしらの作業があるらしい。それを見学させて貰おうともクロウは思ったが、ルピナスとシドにやんわりと断られてしまった。

「楽しみは後に取っておくもんだぜ。大丈夫だ。直ぐに分かる」
「のじゃっ!」

 二人がそう言うので、今日はこのまま仕事だというパラサとも別れてクロウは手持無沙汰になってしまった。だが、クロウは経験上手持無沙汰になるとトラブルに巻き込まれやすい。

 部屋に引きこもっていようかとも思ったが、ここ数日の忙しさからどうもそれも気が引けてしまう。

 だからだろうか、足が自然に医務室へ向いていた。ヴィンツ少年があの後どうなったのか見ておこうと思ったのだ。

 ミツキと再会した時もヴィンツはそこに居た筈だが、カーテンに遮られてクロウからは見えなかった。

 ルピナスもジェームス医師も彼は無事だとは言うが、ヴィンツ機の撃墜に関してはクロウ自身も敵に油断させられた部分が大きいと感じており、責任が自分にもあると考えていた。

 彼が無事だと言うのであれば、お見舞いくらいしても罰は当たるまい。

「クロウ・ヒガシ少尉。ヴィンツ軍曹のお見舞いに参りました。入室の許可を願います」

 その医務室のコンソールに向かって掛けた声に返って来た応えは、クロウが想像したジェームス医師の声では無かった。

『クロウか。さっき『寝た』所だ、入るなら静かに入って来てくれるか?』

 コンソールのスピーカー越しに聞こえたのは、航空隊副隊長ミーチャ・リジン中尉その人の声である。

 医務室のロックは解除され、自動ドアが静かに開いた。クロウは言われた通りなるべく音を立てないように入室すると、医務室の奥へと進む。

 そこにはまるで『棺』のような四角い医療用のポッドがいくつも並んでいた。声の主であるミーチャはその内の一つの前で佇んでいた。

 ミーチャの目の前にある医療用ポッドにはすぐ脇に椅子が設置してあり、マリアン・パレンシアがその椅子に座ってヴィンツ機のブラックボックスを抱いたまま眠っていた。彼女の肩には、ミーチャが掛けたのだろう毛布が掛かっていた。

 クロウを認めたミーチャは静かに、優しさを感じる声でクロウへと語り掛けた。

「ああ、クロウ。昨日はすまなかったな。艦長へ報告してくれたって聞いたよ」

「いえ、ちょうど艦長と会えましたのでついでです。もしかして『彼女』はずっとここに?」

 クロウが聞く彼女とはマリアンの事である。

「ああそうだ。アレからずっと動いていない。私も休むように言ったんだが、頑としてここから離れる気は無いらしい。マリアンと同室のニコラも心配して声を掛けに来てくれたらしいんだけどね」

 言いながら、本当に愛おしいものを見るようにミーチャは言う。そのミーチャにクロウはどうしても一言言わなければと思っていた。

「ミーチャ中尉。すみませんでした。僕が勝手な行動をしたばかりに」

「バカ言うなクロウ。私だって現場指揮官だぞ? あの状況で『お前が』ああするのがベストだったって事ぐらい分かっている。月面でお前と合流して油断したのは私とユキのミスだ。次は絶対誰も殺させない……」

 マリアンを起こさないように努めて静かに、しかし強い意志を持ってミーチャは言う。

「僕もです。今回は仲間を失わずに済みそうですが、こんな幸運が何度もあるとは思えない。みんなは僕が守ります」

 そのクロウの答えを聞いて、ミーチャはその黒い瞳をクロウと合わせた。

「おいクロウ。その『みんな』っての、その中には勿論お前自身も含まれているんだろうな?」

 言われてクロウははっとした。このミーチャという上司には、自分の浅はかな考えなどお見通しなのだ。クロウは思わず肩を上げ降参のポーズを取った。

「今から、入れる事にします。仲間を悲しませる真似はしないと誓います」

 それを聞いたミーチャは口元を緩ませた。

「いい子だクロウ。約束したからな。ユキも、トニアも、アザレアも、泣かすなよ? それとミツキって奴と、エリサだったか、あの子らもうちの配属なんだってな。まったく、ともかく全員泣かすな。これは上司として私がお前にしてやれる『命令』だ」

 クロウは静かに敬礼した。ミーチャに無言で促され、退室する前にヴィンツの顔を見る事にした。マリアンが眠る目の前、医療ポットの頭部の部分だけガラス張りになった所から顔を伺う事が出来た。

 ヴィンツは医療ポット内に満たされた液体の中でぷかぷかと浮かびながら穏やかな表情を浮かべていた。

 クロウはそのままミーチャに一礼してその場を去ることにした。この場はマリアンとミーチャがいればそれでいいだろう。

 医務室を出ると、その入り口の隣の壁に寄り掛かるようにケルッコ・ヒマンカが居た。

「クロウが入っていくのが見えてね、入るタイミングを失ってしまった」

 彼は肩を上げながらそんなことを言う。

「なんだい、ヴィンツの相棒(バディ)だろう? 遠慮する事なんてないじゃないか」

相棒(バディ)だからこそだよ、クロウ。『あの時』、俺はすくんでユキ隊長とミーチャが声を掛けてくれなければ『動けなかった』。あいつの相棒(バディ)なのに、自分より優先する筈のあいつを守ってやれなかった。そんな俺がマリアンに合わす顔なんてないさ」

 自嘲気味にケルッコは言う。だが、クロウはそっと彼の肩に手を置きながら言う。

「それの、『何処』が悪いんだ?」

 それを聞いてケルッコは目を丸くする。あの時あの場所で、あの恐ろしい敵と対峙していたクロウ自身が言うのである。

「ケルッコ、君は勘違いをしているぞ。僕だって『あの敵』は怖かった」

「だが、クロウ。君は立ち向かったじゃないか?」

「そうだね。ここだけの話、少し『ちびった』位だよ。でもね、あの敵より『みんな』が居る場所に、『みんな』で帰れない事の方が僕は怖かったんだ。でもそれって、その時の精神状態とか、体調とかに左右される部分なんじゃないだろうか? 多分だけど、僕も『みんな』と行動していたら君と同じ反応だったと思う」

 それを聞いたケルッコは「いや、流石にそんなことはないさ」と言いながら、自身の肩に乗るクロウの手のひらに自身の手のひらを重ねた。

「だが、少しだけ肩の荷が下りた。すまないクロウ。もう少しだけ心の整理をしたら、俺もヴィンツの顔を見に行くよ」

 と、その時だった。クロウのリスコンがまるで携帯電話の着信のようにバイブレーションする。リスコンは通信機であるが、緊急時に相手に強制的に音声を流すモードの他に、携帯電話のように待ち受けるモードも存在していた。着信はトニアからの通信であった。

 クロウは思わず、ケルッコと顔を見合わせる。

「なんだ、結局トニアとは上手く行っているんじゃないか、安心したよクロウ」

 ケルッコは何喰わない顔で言うが、クロウは覚えている。トニアにクロウを意識させる切っ掛けを作ったのは他ならぬケルッコである。

「『ありがとう』と言うべきなのか、『貸し一つ』だと言うべきなのか、今の僕には分からない所が一番許せない。ケルッコこの件はいずれ清算してもらうぞ?」

「『ちびった』のを黙っておくので『チャラ』だ。それより『お姫様』を待たせるのは感心しないな」

 クロウは口の中で小さく舌打ちをすると、その場を足早に離れながらその通信を受信した。ケルッコは別に付いてくる気はないようだ。宣言通りヴィンツに会いに行くのだろう。

「もしもし?」

 ケルッコから十分に離れたところでクロウは声を出す。この時代でも電話の『もしもし』と言う決まり文句は有効なのかと考えながら。

『もしもし、クロウ君? ごめんね忙しかったかな?』

 どうやら、『もしもし』という文句はこの時代でも別段変なものではないらしい。内心胸を撫でおろしながらクロウは言う。

「すまない。ヴィンツのお見舞いをしていたんだ。どうかした?」

 嘘はついていないぞ、とクロウは思う。

『うん。急にごめんね。クロウ君が今日『非番』だって小耳に挟んだから。今日は『私』と『アザレア』も非番なのね?』

 ここまで言われればクロウでも察しは付く。つまりこれは……

『艦長の外出許可も貰ってあるし、よかったら『デート』しない?』

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