8-1「いえ、ほんの数分です」
ゼンブン会に拘束され、半ば強引にアニメ鑑賞会に参加させられる事になったクロウは、いつの間にか移動していたVR空間内の映画館へと来ていた。
見ればゼンブン会の会員たちで客席がまばらに埋まっていた。どうやらここで鑑賞会を行うらしい。
なるほど、VR環境は音響なども忠実に再現する。粋な計らいだとクロウは思った。
そして大上映会はクロウが所有するロボットアニメのその初代から上映された。
そのロボットアニメは、この時代とは若干異なる『宇宙世紀』という時代観を描く。クロウも勿論この『宇宙世紀』をメインの軸とする通称『オリジナル』と呼ばれる世界観が好きである。だが、好きであるがゆえにこの時に『正史』とも呼ばれる作品群はそれこそ目を皿にして、DVDディスクに穴が開くのではないかと危惧するほどにクロウは繰り返し見ていた。見なくとも先の展開登場人物、彼らの話すセリフまでも暗記しているほどである。
上映が始まって2時間ほどだろうか、クロウはおもむろに映画館の座席から、まるでトイレへと席を立つ観客のように周りの迷惑にならないように席を立った。
見ればゼンブン会の会員たちも上映の最初の時から微妙に座席の位置が変わっているようだった。どうやら彼らも時々休憩を挟みながら見ているようだった。
クロウはそのまま映画館の上映室を静かに後にすると、このVR空間がどうやら映画館の建物そのものを再現しているものだと気が付く。『○○座』とか、『○○館』とかそんな名前が付きそうなレトロな内装だった。
それはまるで、美術館の通路であるとか、クロウの時代に現存した東京駅の古い部分の廊下を連想させる作りであった。
ビロードの赤いじゅうたんの敷かれた廊下をしばらく歩くと、劇場に備え付けの休憩スペースのような場所が目に留まった。なんと灰皿まで設置されている。クロウはタバコを吸わないし、そもそも未成年であるので喫煙の習慣はない。だが、兄である八郎は喫煙者であり、クロウを伴って外出する際、よくクロウに煙を吸わせないようにしながらもタバコを吸っていた。
ここで待っていれば、あるいはふらりと八郎が現れそうな気さえした。
だが、とクロウは思う。恐らく、ここで待っていれば『彼』が来る。お膳立ては長かったが、この上映会自体が『それが』目的であるとクロウは考えている。事実、クロウがその休憩室のソファーに腰掛けてものの数分で『彼』はふらりと現れた。まるでクロウと待ち合わせをしたかのように。
「やあ。クロウ少尉。待たせたかな?」
タイラー・ジョーンその人である。
「いえ、ほんの数分です」
「そうか」
彼は短く答えるとクロウの座るソファーの隣に腰掛けた。
「すまない、タバコに火を付けても構わないだろうか? 所詮はVRだが、こういう時間を持たせるにはいい小道具だ」
「構いませんよ、兄も喫煙者でしたし、僕もきっと成人したら吸う。と思います。僕はどうも兄を真似しないと気が済まない部分があるので」
「すまないな」
言いながら、タイラーは胸ポケットから紙巻のタバコを1本取り出すと、おもむろにいかにも高級そうなライターで火を付け大きくその煙を肺へ吸い込んだ。タイラーが喫煙者であることは彼のカフェ調の自室に初めて案内された時からクロウは気が付いていた。綺麗に清掃こそされているものの、その独特の香りが室内に充満していたからだ。そして、その香りはクロウが病院からこの『つくば』へ来る途中に借りていたタイラーのコートにも微かに感じ取れていた。
「クロウ君。この『つくば』艦内で一番秘匿性の高い空間は何処だと思う? ああ、わかりにくいだろうか、盗聴されにくく、記録にさえ残らず、意思を他人と共有できる場所だ」
「普通であれば、艦長室。ですが、限定的な意味であればこのVR空間が一番でしょう。何よりここは60倍以上の速度でそれを伝える事さえ出来る」
クロウにイントールされた知識では艦長室と他の数部屋が機密度の高いエリアに指定されている。だが、クロウはシドとの度々のVRシミュレータ体験によって、このVR空間の特性を理解していた。
「ここは、『第四世代人類』でなければ侵入することも出来なければ、万が一そのデータを第三者が奪ったとしても解析に時間がかかり過ぎる」
「正解だ」
タイラーはおもむろに紫煙をその口から吐き出す。
「だから、タイラー艦長が次に僕に重要な要件で話しかけて来るときは、多分ここなんだろうと思っていました」
「やはり、君は軍人としての資質があるな」
「だとすれば兄のおかげです。兄の姿を見て僕は参考にした部分が大きいですから」
クロウは指を組みながら、次に聞くべきことを探す。
「この談話室の入り口は一つです。つまりそこさえ塞いでしまえば密室で、この空間の会話は外に漏れる事は絶対にありません。見張りはルウ中尉ですか?」
「いいや、彼女には所用があってね、席を外している。外にはニコラス伍長がいる。君と面識は無いだろうが、優秀な部下だ。万が一にもここに我々以外の人間を入れる事はない」
「そう、ですか……」
ここでクロウは、ゆっくりと呼吸を整える。『どこから聞くべき』だろうか、と考えながら。
「タイラー艦長の敵は誰ですか? まさか、命令通りに木星に向かう訳じゃないでしょう?」
クロウは、インストールされた知識から木星に放逐された元火星の住人たちが木星圏で反乱を起こし、地球連邦政府の想定外の規模で反乱を起こしている事実を知っていた。
彼ら『マーズ共和国』が戦線布告を行ったのが去年の宇宙歴3501年2月1日。木星が地球に最接近する周期である翌年、つまり今年の宇宙歴3502年2月1日をもって武力侵攻を地球連邦勢力に対して行うと表明した。
当初地球連邦政府は遺憾の意だけ表明し沈黙を貫こうとしたが、その共和国側の想定外の戦力に狼狽し、なんとこの『つくば』に単艦特攻を命じていた。だが、その直後の宇宙歴3501年2月15日、その命令は取り下げられ、代わりに地球連邦政府はマーズ共和国と1年間の『停戦協定』を結んでいる。
期限は宇宙歴3502年2月1日で何の変わりも無いように表面上見えるが、ことこの『つくば』にとってその意味は大きい。少なくともその期限までは『単艦特攻』などというバカな命令が下されることがないからだ。だが、さらにそのすぐ後に今度は『つくば型』全艦による宇宙歴3502年2月1日付の『突撃命令』が下されていた。全艦と言えば聞こえはいいが1艦が3艦になっただけである。
「私の、いや、この艦の敵は『反フォース・チャイルド派』を母体とする『反第四世代人類派』だ。共和国とは和平の道も残されていると考えている」
つまりそういう事だとクロウは思う。
このタイラーはその『足場固め』を、約1年をかけて行ってきている。恐らく、その準備も綿密に行っている筈で、味方も『つくば型』だけにとどまる筈が無い。その『反第四世代人類派』に対抗するために大規模な対抗勢力を構築している筈だ。
「だからDX-001は重力下の戦闘も想定されているのですね」
それは、あのDX-001に乗ってすぐにクロウが気付いた事実だった。
宇宙用と銘打ちながらDX-001の脚部は明らかに1G以上の重力下で歩行できるように堅牢に設計されていた。そしてそれを証明するようにあの機体には『1G下歩行用のプリセット』がシステム上搭載されていたのである。つまりDX-001は地球上で歩けるし、走れるし、専用装備を必要とするものの飛行する事すら可能だった。
「私を軽蔑するかね?」
「いいえ」
タイラーがその行動を選んだのはクロウにしてみれば仕方のない事とも思えた。
彼もクロウも『第四世代人類』としてこの時代に存在している以上、それらの『反第四世代人類派』といずれ対立するのは明らかであった。
また、タイラーはその敵対勢力の母体が『反フォース・チャイルド派』だと語った。クロウはフォース・チャイルドが誕生する過程を想像して、それまでの人類が彼らに対して畏怖の念を感じるのも理解できる。
仮に、仮にではあるが、フォース・チャイルドを全世界で一斉に誕生させれば、古い第三世代人類などあっと言う間に淘汰されてしまう。
そして、第三世代人類と第四世代人類の圧倒的な違いはこの『VR空間』と『インストール』が使用できる事にある。第三世代人類がせっせと訓練している間に、第四世代人類はその60倍の練度で訓練を完了する。たとえ味方であっても、それに対して複雑な感情が両者において横たわったのはクロウにも容易に想像できた。
「私は、私と私の子供たちを守る」
タイラーは吸い終わったタバコの吸い殻を強く灰皿へ押し付けながら、強い意志を伴って言う。
「信じるよ、『兄貴』」
クロウはこのタイミングでカマをかける。
その髪を金に変え仮面で素顔を隠しているが、このタイラーと名乗る男は、恐らく間違いなくクロウの兄、東郷平・八郎だろう。それは彼の歩き方の癖、不意の動作でクロウには割とすぐに察する事の出来た事実でもあった。
恐らく、であるが。タイラーを名乗る八郎はあのタイミングで『名乗れない』事情があったのではなかろうか。だが、この空間であればあるいはとクロウは考えたのだ。
「なんだ、ごっこ遊びはもうおしまいか九朗。もう少し遊べると思っていたんだがな」
タイラーはいや、九朗の兄である八郎はそう言って口元に笑みを浮かべた。仮面を取ろうとする八郎に対して九朗は言う。
「いいよ、兄貴。多分だけど、兄貴はその必要があるからその『仮面』を被っているんだろう? その必要が無くなるまで、兄貴はその仮面を取らなくていい。それまで僕が兄貴を守るよ」
クロウの兄は悪戯っぽい所もあるが、伊達や酔狂でその顔を隠すような事はしない。恐らく仮面を被るのはそれなりの理由がちゃんとあるのだ。
「あ、そうだ兄貴。お袋の手紙ちゃんと読めよ。『婚期逃したら怒る』って書いてあった」
立ち上がるタイラーに、ふとクロウは声をかける。
「ああ、後で貸してくれるか? ちゃんと読む」
言いながら、二人はその談話室を後にする。その瞬間からは、二人は上司と部下へ戻るのだ。