6-2「ああ。君の時間が許すようであれば、是非に頼む」
「?」
ルウ中尉の表情を窺い見るに、ルウ中尉は気が付いていない。いや、この時代の全ての人間も気が付いていないと考えるべきだろう。そして、その事実から浮かび上がるのがこの『文明破壊作戦』は完璧に成功しているという事実だ。私は確信した。
そして、私はこの作戦を立案した人物を知っている。
「この後、極端に減少した人口を回復すべく、人類は持てる英知を全て結集し、統一政府を樹立して医療を中心とした技術の発展に注力していきます」
説明を続けたルウ中尉を傍目に私は内心胸をなでおろした。恐らく、私が今気付いた事実は誰にも気が付かれてはいけないのだ。
「また、汚染が進んだ地上から人類を避難させるために、月面居住区や、宙間居住衛星群が整備されていく事となります」
この大気汚染こそが宇宙歴の始まりの直接的な原因であろう、と、私は感じていた。だからこそ、宇宙歴の始まりは西暦2526年、文明破壊世界事変から僅か30年ほどなのだ。あるいは、それすらも見越して事前に準備していたのであろう。ともすれば、人類が宇宙空間に『避難』させられ出したのは実際にはもう少し前ではなかろうか、それこそこの作戦を実行する前である。
「ルウ中尉、話の途中だろうが質問をしてもいいだろうか?」
「あ、はいどうぞ」
「これほどの破壊をもたらした文明破壊世界事変にあって、よく私のような冷凍保存者が保管されていたな。私たちは言わば冷凍というコストを必要とする死体だ。当時の状況では我々のようなものに構っていられない状況だったのではないかね?」
私の問いを聞いて、ルウ中尉は表情を曇らせながら言う。
「実は当時。いえ、現代においても、ですが。冷凍保存者の方々には莫大な価値があったのです」
そこから彼女が語りだした話には私の確信を補足する情報が含まれていた。
「文明破壊世界事変以前、正確な記録は残されていませんが、冷凍保存者の中から、脳の損傷が軽微である人を選別し、生体コンピュータの一部とする研究が行われていました」
聞けば、現在、宇宙歴3501年では量子コンピュータのブレイクスルーによって語られるような生体コンピュータは下火にこそなりつつあるものの、文明破壊世界事変以前に我々のような冷凍保存者のうち、使用できるものに関して脳を電極で接続し、コンピュータとして使用していたという。勿論そこには倫理的な問題も多分に含まれているため、極秘裏に、かつ『遺族が存在しない冷凍保存者』に限られていたようだ。
だが、その冷凍保存者の生体コンピュータ化の計画が2480年代であったと仮定しても、私が冷凍保存されてから460年経っている計算になる。そして、私と弟が死んだと仮定すれば、私たちの一族に遺族など存在しよう筈がなかった。
「大丈夫だ。遠慮することも、君が責任を感じる事でもあるまい。つまり私はその一部だったのだね?」
ルウ中尉はその蒼い髪を揺らし静かに頷いた。
彼女は現代を生きるものとして、当時生きていた者の蛮行に責任を感じてしまうような優しい娘であるらしい。だが、私が電極に繋がれたのは3500年も前の話だ。それは私に例えるのであれば、イエス・キリストより前の人間の蛮行を責められるに等しい。そのような事は彼女には一切責任などありえない。
今、私には、私自身には存在しえなかった知識がある。それは、私の人生において培った経験や、学んだ知識以外の知識だ。『文明破壊世界事変』、正確には『文明破壊作戦』は誰でもない、他の脳と並列化された私が発案した作戦である。
当時のコンピュータ技術がどういったものだったのかは分からないが、仮に人間の脳を利用して疑似的なコンピュータにした場合、ローコストで超高性能のAIを搭載したコンピュータであると言える。何しろ元はただの死体である。冷凍するコストこそ使用するが、莫大な電力を使用した訳でも無かっただろう。しかも、インプットもアウトプットも人間の言語で出来るのだ。これほど使い勝手の良いシステムは他にないだろう。
そのような、極秘裏に制作され、超高性能のAIを搭載したコンピュータなど、他の用途はあり得ない。まず間違いなく軍事利用されていた筈だ。
だからこそ分かる。私の中に今現在存在している『知りえなかった知識』はこの時インプットされたものである。そしてその内容は戦略・戦術に係る歴史、考察の知識だ。言うなればその部分だけの百科事典から教本までのアーカイブを個人で有しているに等しかった。ざっとそれらの知識を確認しながら、よくこれだけの情報量が個人の脳に収まるものだと逆に呆れる。
「文明破壊世界事変から現在までの歴史を簡単にご説明した方がよろしいでしょうか?」
「ああ。君の時間が許すようであれば、是非に頼む」
そこから先の歴史は実は既に思い出せるのだが、確認も兼ねて聞いておく。そこから先の歴史は『勝者の歴史』だ。都合の悪いことは秘匿され、事実は捻じ曲げられている。私は真実に近い情報を持っているが、どのように解釈され情報統制されているかは、彼女に聞いた方が確実だ。
問題は、私という生体コンピュータを誰が利用していたか、という疑問である。私という生体コンピュータに対して『どうすれば人類から戦争を無くし、統一政府を樹立しえるか』という質問をインプットし、アウトプットとして文明破壊作戦を実行した存在である。言うなれば、私という個人の死体の所有者だ。
人類から戦争を無くし、国家という単位を除外する方法は、常識で考えるのであれば不可能と言う他ない。共産主義、社会主義などの思想では例えばそれを実現する国家を持ち、それを全世界に拡大したところで人間が統治する以上は不可能なのだ。そもそも、イデオロギーは言わば国家の形の理想を語る宗教だ。イデオロギーに囚われている人間は押し並べて宗教家的になってゆく。
だから、当時の私、生体コンピュータの一部である私は、地球上から宗教を排除する方法を提示した。特定の宗教観を持つ地域、及び民族、人口の多い発展途上国に対する世界同時攻撃である。無宗教無文化となった地球全土を電撃掌握するこの作戦を『文明破壊作戦』と名付けたのは私ではないが、言いえて妙だろう。この作戦によって人類は宗教も文化も歴史も全て失う代わりに敵となる全てを消し去ったのだから。
「宇宙歴元年からの歴史はテロリズムとの長い戦いになりました」
ルウ中尉の言葉を聞きながら当然だと結論する。いくら世界全土を同時攻撃した所で必ず討ち漏らしは出る。そういった、新秩序にとって都合の悪い異物を徹底的に排斥するまでが文明破壊作戦なのだから。
「テロリスト達の攻撃によって、宇宙歴元年から宇宙歴30年の間に人類は宇宙歴元年以前の歴史的知識、文化をほとんど失ってしまったのです」
つまり、その30年の間に焚書と反対分子の粛清は完了したのだ。それはもう草の根一本すら許さぬ状態だったのは間違いない。想定したよりも早く完了しているからだ。
「宇宙歴32年、地球統一言語が発布され、全人類がこの言語を使用することが地球連邦政府により閣議決定されました」
そう、そして選ばれた言語のベースは日本語だ。文明破壊作戦の主目的は宗教の破壊。特に『単一神宗教』の破壊だ。そのためにはどうしても聖書を排除する必要があった。そのため、その時点で一番聖書が発行されている言語を無効化する必要があったのだ。逆に『多神教宗教』に対しては大した拘束をせず、宗教を信仰という形ではなく、風習という普遍的な価値へ落したのだ。つまり今は21世紀の日本的な価値観、風習を全世界に浸透させていると言えた。
「地球統一言語発布と同時に地球連邦憲章が発布され、地球人類の象徴たる『ロイヤル』を頂く立憲君主制を取った政府が正式に全地球圏の政府となります。これにより、地球連邦国家が正式に発足しました」
『ロイヤル』は日本の皇族と世界各国の王侯貴族を一緒くたにまとめたものだ。これによって人種すら無価値なものとなった。そして憲法の交付によって文明破壊作戦は成ったと言える。『ロイヤル』は言わば生きた文化・歴史だ。彼らの存在はその当時の人類にとって拠り所になったのである。いや、そのようにしたのだ。
「この頃から地球連邦政府は積極的に冷凍保存者の方々の知識・記憶を使用していくことになります」
そう、そしてその中にあって、『ロイヤル』以外の文明を保持している冷凍保存者は言わばブラックボックスだ。そこから引き出された情報は厳重に選別保管される事になる。ルウ中尉が冷凍保存者に対して言う『莫大な価値』とはそのことだ。現在では知りえない文化・価値観を持つのが冷凍保存者だ。
「そのように現在では知りえない文化・価値観を持つ冷凍保存者の方々の事を人々は『ロスト・カルチャー』と呼び、尊敬の念を持つこととなります」
もっとも、『ロスト・カルチャー』から開示される情報は文明破壊作戦によって破壊した情報を含んでいては意味がない。だからこそ、『再生』される『ロスト・カルチャー』は人種・宗教観・年齢などのスクリーニングを必要とした。必然的に再生されるのは年齢の若いもの、死後の年数が比較的若いものからになっていく。4000年も凍っていた私の順番などずっと後になった。というわけだ。
しかし、戦略コンピュータとしてその価値を発揮してしまった私はこうして再生された事こそ奇跡と言える。現代の地球連邦に取って私は諸刃の剣以外の何物でも無いはずなのだ。
そして、淡々と語るルウ中尉に取ってみれば私は生き字引のようなものだろう。それに対して歴史を語らなければならないというのも苦痛かと思ったが、彼女は予想外に楽しそうですらあった。
「『ロスト・カルチャー』の方々の知識・価値観を吸収し、様々な技術革新を重ねていくことで、人類は資源を求めその活動圏・生活圏を地球圏から拡大させて行くこととなります」
その後、人類は約3500年をかけて生活圏を木星宙域まで拡大していくこととなる。地球から月の範囲の宙域はスペース1と呼ばれる宙域となり、現在では数千に上る宙間居住衛星群はスペースコロニーと呼ばれ、月面は地表、地下にまで及ぶ都市群が構築されている。一基のスペースコロニーの人口は約10~100万人であるので、私の感覚から言えば都道府県程度の規模であると言える。また、人類の活動圏はテラフォーミングされた火星と火星圏に存在するスペースコロニー群スペース2、木星圏に存在するスペース3まで広がっていた。
「艦長、艦長は長らく地球連邦政府直轄の地球連邦軍の施設で保管されていました」
ルウ中尉による歴史講座はこれで終わりのようだ。実際には宇宙歴に入ってからも人間は戦争を捨てきれなかったのだが、その歴史のことは、今は置いておこう。
「現在、宇宙歴3501年2月12日、2月1日に木星圏スペースコロニー群スペース3が突如宣戦を布告。地球と木星が最接近する宇宙歴3502年までに木星圏の自治を認めなければ、地球圏並びにスペース1に対して攻撃を仕掛けると通達してきました」
内心どこのジオン公国(私が生前好んで見たSFロボットアニメにて突如地球圏に宣戦布告した宇宙移民国家)かと思ったが、ルウ中尉には伝わる筈もないので黙っておくことにする。
「これに対し、地球連邦政府は遺憾の意を表明。表面上静観するように装っていますが、極秘裏に反攻作戦を立案。教練中であった我々『第四世代型人類』とその教育艦である学園都市型超弩級宇宙戦闘艦『つくば』に教導員として『ロスト・カルチャー』である艦長を派遣し、事態の鎮圧を図ることとしました」
聞いて、思わず頭を抱えてしまった。武装発起した軍閥に対して、連邦政府はいきなり単艦の教育艦を特攻させるという。学徒動員どころの騒ぎではなく、間違いなくこの艦は捨て石である。
「ルウ中尉、現状の確認だ。この『つくば』の乗組員は何名いる?」
「生徒会長である大尉1名以下、私を含めた士官が32名! 下士官が564名! 兵卒が2803名! 合計で3399名です!」
ルウ中尉は嬉しそうに言う。最高階級が大尉なのは教員を含んでいないからだろう。何故この艦に今教員が乗っていないのかも気にはなったが、今はひとまず置いておく。
「対する、敵組織スペース3のおおよその人員を教えてくれ……」
「はい! 現在木星圏スペース3はその中心勢力を元火星居住者で構成しており、独立国家マーズ共和国を名乗りその総人口はおおよそ70億人! そのうち共和国軍は20億人と推定されています!」
戦力差という場合ではない。50万対1の兵力差、実際の兵力差損耗差はランチェスターの法則という兵力と損耗を計算するための法則に当てはめて考えればもっと開いてしまう。考えるまでもなく戦う前から負けている。
「ルウ中尉、象に対して蟻がたった一匹で挑むようなものだ。そんな事が可能だと思うかね?」
この時私がルウ中尉に向けた顔は恐ろしく滑稽だったと思う。
「はい! 常識で考えれば不可能です! ですので、我々には『常識外』である艦長が『賢人機関』によって派遣されたのです!」
賢人機関というのは地球連邦軍内の研究組織であるらしく、ルウ中尉曰く、私の身柄もそこから派遣されたのであるという。図らずも文明破壊作戦の主犯を発見してしまったが、今それは関係ない。
「宇宙歴以前の英雄であらせられる
文明破壊作戦によって文明・歴史は破壊しつくされていた。偉人はもはや人外の超人のような伝説が間接的に伝わるのみだという。
そんな時代に私、
「ルウ中尉、私の名前を知っているのは何名だ?」
「艦長付士官に任命された私、ルウ・アクウ中尉と、生徒会長のパラサ・リッツ大尉のみです」
まだ2名だけなら何とかなるかもしれない。この時の私はかなり混乱してしまっていた。ともかく、正体を知られる訳にはいかない。目の前の少女は自分に対してあらぬ期待をもっているのである。
「リッツ大尉と『賢人機関』に連絡を取ることは可能か?」
「はい、我が『つくば』は『賢人機関』からの直接協力を艦長派遣と共に約束されています!」
後にこの選択を若干後悔することもあったが、私は自分の名を捨てて彼女たちに協力することとした。
「よろしい、ルウ中尉。リッツ大尉及び賢人機関に通達。以後私の事は……」
偽名と、とっさに考えて、ふと勘違いされた英雄に腹が立った。そこで自分と英雄の読みが異なる部分の漢字をあてがうこととした。
「タイラー……、だ」
つぶやいて、都市伝説として生前聞いたことがある未来人の名前を思い出した。
「は?」
疑問の声を上げるルウ中尉のセリフにかぶさるように私は言い切った。
「以後、私の名前は『タイラー・ジョーン』と呼称しろ。元の名は他言無用とする」
ともかく、現状を知ること、そして『何とかする』ことが目標だ。
そして、俺こと、八郎がこうしてここにいるということは、弟である九朗も冷凍保存されている可能性が高い。
慌ただしくバタバタと退室してゆくルウ中尉の背中を見送りながら口に出さぬように、一人口の中でつぶやいた。
『九朗、お前も居るのか?』