6-1「ご気分は如何ですか? 私の声が聞こえますか?」
―――寒い。
まず知覚したのは全身に感じる寒さ、この場合は『冷たさ』、だろうか。
手足の感覚がはっきりするにつれ、自分自身を思い出していく。
『俺は……、いや私は……』
私は幹部候補生学校を卒業したばかりの自衛官だ。
本来であれば、直ちに赴任先の部隊に着任するところが、赴任先の手違いで着任が一日ずれたために、思いがけず休暇と外出許可を貰え、年の離れた弟と合流してドライブへと出かけたのだった。
先ほど咄嗟に自分を『俺』と呼びかけたのは久しぶりに娑婆(駐屯地内で生活する自衛隊員は駐屯地の外の事をたびたび『娑婆』と表現した)の空気に触れからだろう。気を引き締めないと明日からの赴任先や同期の笑いの種になってしまう。と、思いかけて……
「……あ、兄貴……!!」
一瞬前まで一緒に居た筈の弟の、血まみれで横たわりこちらに向かって手を伸ばしていた光景をフラッシュバックした。
残念ながら悪夢などではない。私達兄弟は、立ち寄った高速道路のパーキングエリアで事故に遭ったのだ。弟を庇った事を覚えている。衝突の瞬間、左肘がひしゃげ、左肩と肘の中間で上腕が折れた感覚を覚えている。それに止まらず、衝撃が私の体を粉砕し、弟を庇いきれなかった事は、先ほど思い出した光景からも明らかだった。
横断歩道を歩いていた私達を跳ね飛ばした大型のトラックは、高速道路の本線から減速なしで突っ込んできていた。
恐らくだが、私も、弟もこの世のものではあるまい。
だが、そうであるならば、この手足の感覚が健在であること、私自身がこうして呼吸をしている事実は、些か不思議な状況だ。このように思考を繰り返せる事実からも、これが走馬灯と呼ばれるような現象であるとも考えにくい。
「もし……、もし……、お起きになりましたでしょうか?」
だから、次に聞こえてきた若い娘の声は急速に私の意識を覚醒させた。
ゆっくりと、目を開ける。視界がぼやける。目が久しく取り入れる視覚情報にびっくりしているかのように、光は過敏に私の眼球の奥を刺激し、痛いくらいだ。
「ご気分は如何ですか? 私の声が聞こえますか?」
声をするほうに眼球を動かすと、声の主の若い娘が見えてきた。焦点が段々と合ってきたようだ。心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「すま、ない。どうやら、色々聞かなければならないようだ」
自分自身の声を聴いてぎょっとする。声を出すのにまるで慣れていないかのようにぎこちない。
上体を起こしながら周囲を見やると、折れた筈の私の左腕は健在で、体に少なからずあるはずの痛みも皆無だった。
私はこのベッドしかない部屋で仰向けに寝かされていたようだ。部屋に窓はない。部屋全体の大きさは12畳ほどだろうか、全体が白く塗られ照明は天井自体が光っているようだ。その真っ白過ぎる内装に距離感が狂う。もしかするともう少し広めの空間かもしれないとも感じた。
「ここは、病院。だろうか?」
言葉に出しながら、強烈な違和感を覚えた。病院であるなら、医療用の酸素などの取り付け口や、ナースコールの配線などがベッドサイドにありそうなものだが、ここには一切ない。この部屋にあるのは、私自身が今しがた横たわっていたベッドと、部屋の出入り口、そしてベッド脇に座る女性が座る椅子だけだ。
「いえ、ここは艦長の部屋になる予定の艦長室です。今は便宜上収納していますが、大抵の物は揃っております」
女性の、いや、彼女を見る限り少女と形容すべきだろう。彼女はどう見ても自分よりも年下のようだった。流暢に日本語を話すが、私は未だかつて彼女のような風貌の女性を見たことがない。髪は深い海を連想させる蒼で、目は琥珀色に見える。ハーフだろうか? 服は若干馴染がある。ブレザータイプの上着はその襟がセーラー服のように強調して見えた。その下にブラウス、タイトスカートといった出で立ちだ。軍服と学生服の中間と言った印象だろうか。右腕に部隊章、左腕に階級章と思しきワッペンが縫い付けられていた。
「あ、っと、失礼しました! 私は、艦長付士官に任命されました。ルウ・アクウ中尉であります!」
うっかり彼女を注目してしまったためだろう。彼女は慌てて無帽でありながら、挙手の敬礼をした。脊椎反射で自分も床の上で上体を起こしただけの状態でありながら十度の敬礼を返礼する。
「ふっ」
「ふふ!」
お互いのしぐさを見て互いに笑みがこぼれた。敬礼に返礼で返せるのは、少なくとも今現在敵対する意思の無い軍人同士であるからだ。
だが、この短いやり取りの中でも、分かった事は多い。まず、ルウと名乗った彼女が、まず間違いなく軍事的な訓練を受けた人間であるという事。それは立ち振る舞いからもわかる。彼女の着る制服は見たことこそ無いがその着馴れ具合から見ても普段から頻繁に着たものであり、コスプレの類のものではないこと。そして、どうやら、彼女は軍属ではあっても同盟国のいかなる軍隊にも所属していない正体不明の軍隊に所属している事。だ。
「ルウ・アクウ中尉。まず確認したい。君は私の味方かね? それとも私は捕虜で、君は敵かね?」
彼女から敵対する意思を一切感じないとしても、彼女が味方である保証など無いのである。私は一軍人として、まずここを確認しなければならなかった。
自衛隊は軍隊ではない。それは我が国の法上間違いない事であったとしても、『他国からはそうは見られていない』のだ。だからこそ、他国から見たときに、軍人であるとして捕虜の扱いを受けられる場合もあれば、単なる犯罪者集団の一員として扱われる事すらありえるのが自衛隊という組織である。
彼女はまっすぐと、その琥珀色の瞳で私を見て断言した。
「味方です! 私は艦長付士官としてどこまでも貴方に従う覚悟です!」
「ううむ……」
この答えを聞いて困ったのは私の方だ。冷静こそ装っているが、おおよそ状況が全くわからない。
彼女は私を『艦長』と呼ぶが、私は実のところ『陸上自衛官』なのだ。しかも幹部候補生学校を卒業したてである。というおまけが付く。したがって、現在の階級は三尉。つまり、言い方を変えれば『少尉』となる。つまり、ルウ・アクウ中尉(本当にこの少女が尉官であればであるが)の上官に当たる訳でもなければ、『艦長』となりうる訳もないのである。
「まさか、とは思うが、ここは私が居た世界とは別の世界で、異世界転生でもしたというのだろうか?」
思わず口に出てしまったのも無理は無いと思う。このような訳の分からないシチュエーションなど、弟が愛読していたライトノベルの中の世界でしかお目にかかったことが無かったのだ。私も嫌いではないのでむしろ喜んで一緒に読んでいた口だが。
「いえ、異世界というものがどういったものを指すのか、私は存じ上げませんが、艦長は極めて物理的にここに存在します」
そして彼女のこの困惑顔である。
これには本当に困った。どこから質問すれば的を獲た回答となるのかさっぱり分からない。
「ルウ・アクウ中尉。君が説明出来る範囲で結構だ。私について知っていることを教えてくれないだろうか? まさかと思うが初対面ではないということではないだろうね?」
こんな目立つ風貌の少女がいれば、街中で見かけてもそうそうは忘れまいと思いながらも念を押す。彼女のその蒼い色彩を放つ変わった髪の色を私は一瞬ヘアカラーなどで染めているのかと感じたが、彼女の眉毛も同じ色であり、首筋などに生える産毛すら同じ色だった。この髪の毛は恐らく地毛である。
「ええっと、艦長のご意識が健在である内は初対面であると思われます。私が艦長付となったのが4日前ですので、それ以降はこうしてお傍で艦長がお目覚めになるのを待っていましたが、それ以前はお会いしたこともございません」
「え、4日も待ってたの?」
思わず素の声で聴き返してしまった。私は慌てて自分を律し、『軍人モード』の自分へと引き戻した。
「あっ、はい。任務ですので」
さらっと言ってのけたが、この少女は丸4日間も目覚めるかどうかもわからない男の寝顔を見続けたという。
「それは、その、ご苦労様……」
「はいっ!」
思わず労ってしまったが、そんなに嬉しそうな顔をすると恐縮する。
「私の分かる範囲での艦長の知っている事をお話しします!」
彼女はフンスっと鼻息を立てて話し始める。どうやら、最初から説明してくれるつもりだったようだ。ともすれば、今までの会話は彼女に取ってみれば不意打ちのようなものだったのかもしれなかった。
「まず、艦長は約4000年冷凍保存されていました」
第一声がこれである。思わず声を出そうとしたのを慌てて飲み込んだ。
「現在西暦と呼ばれる紀年法は使用されておりません。現在は人類が宇宙に本格的に移住し始めた西暦2526年を元年とした宇宙歴が採用されており、宇宙歴3501年となります。西暦に直すと6027年でしょうか」
彼女の発言を纏めると、どうやら私は4000年ほど冷凍されたアイスマンであったらしい。だが、私の暮らしていた西暦2020年代日本で静かなブームになっていたクライオニクス葬という葬儀を思い出した。テレビCMなどでは単純に『冷凍葬』と宣伝されていた。
不慮の事故や難病で亡くなった故人に対してその死を納得できない遺族が遠い未来、はるかに発展するであろう医療技術を持って故人の第二の人生を祈って遺体を冷凍保存するというものだ。
だが、それはSF小説などでよく用いられる『コールドスリープ』のような生きた人間を低温で老化を防ぎ、再生させるような革新的な技術ではなく、単に遺体を火葬する代わりに冷凍庫にぶち込むような稚拙なものであったはずだ。冷凍した場合、水分が凍結した時に起こる体積膨張により細胞を破壊してしまうため、ここで冷凍された人体は解凍してもただの死体である。つまり、それすらもどうにかするほどの医療的、いや科学的ブレイクスルーを何度も成しえている時代であると考えるべきで、私の常識など到底通用し得ないという意味では、ここは異世界も同然だった。
「艦長にはご迷惑な話かと存じますが、実は技術的には西暦2500年代には既にこのように冷凍保存された人間を『再生』させる技術は完成していたのです」
では、何故そこからさらに3500年も経ってから自分自身が『解凍』されたのかと言うと、どうやら単なる順番待ちとこの後に彼女が語った『異変』に原因があるようだった。
「西暦2490年代に始まった世界同時テロは世界を破壊しつくしました」
彼女は言いながら部屋の壁の一部に手をかざす。と、ベッドから見やすい壁の一面にプロジェクターに投影されたように世界地図が表示された。私にもよく見慣れた世界地図である。
「こちらは西暦2490年代初頭の世界地図となっており、艦長には見慣れた形かと思いますが、宇宙歴3501年を生きる私達には違和感のある地図となっています。恐らく今現在の世界地図を見たとき艦長も『逆』の違和感をお覚えになると思います」
続いて表示された地図を見て驚愕する。そこに表示された地図にはあるべきものが『ない』のだ。それも明らかに人為的に円形に『くりぬかれて』だ。
「陸地が……」
思わず口に出た言葉に彼女は悲しそうに、恥ずかしそうに「……そうです」と、続けた。
「この西暦2490年代の『文明破壊世界事変』によって文字通りそれ以前の文明は破壊しつくされました。当時の世界人口は100億人に届いたとされていますが、人類はその総人口の7割と、世界の陸地のおよそ3割を失ったのです」
改めて世界地図を見まわしてみる。
人口が特に多い地域、アラビア半島はほぼ消失。インド亜大陸は北部を念入りに『爆撃』され、インドがもはや島となってしまっている。ユーラシア大陸も朝鮮半島から大国中国が存在した辺りの海岸線がごっそりと削り取られていた。
地図上では日本列島は健在であったが、このユーラシア大陸の海岸線の大規模破壊は、日本にも様々な形で壊滅的なダメージを与えたはずだ。西暦2490年前後の日本が人口1億人程度だと仮定して、その半数が生き残れたかどうかが怪しい。いや、そもそもこの時代に日本という名の小国がまだ存在し得ただろうか。
その外にもあちこちにクレーターが刻まれており、この文明破壊世界事変が文字通り世界規模の破壊であった事がわかる。
「ん?」
ふと、その地図の破壊箇所に違和感を覚えた。
「ルウ・アクウ中尉。君はこの文明破壊世界事変を『テロ』と表現したな?」
「あっ、はい。あと、私の事はルウで結構です。確かに歴史ではテロと明記されています。実行犯は世界の文明自体を破壊することを目的とした団体で、この事変で自ら壊滅したと言われています」
改めて破壊され尽くした地図を見る。確かに一見すると世界全体が被害を受けたように見えるが、それだけではない。
人口が密集している箇所と同時に『宗教上重要な聖地、地点』が重点的に破壊されているのだ。
そして、この破壊の規模はもはやテロリズムでは説明出来ない。この大陸を抉るほどの破壊は、明らかに核弾頭かそれ以上の破壊力が『数百発』と行使されている。テロリズムは基本的に少数の思想の団体を指すものなのだ。少数であり、その思想を広めるために暴力を用いて大多数に訴えようとするからこそ、テロリズムと呼ばれるのだ。つまり、最早テロリズムの域を超えている。
つまり、これは文明を破壊することを目的とした軍事行動があったと見るべきだ。陸地が抉れる程の破壊である。単純な私が知りえる兵器が行使されただけであるはずもない。
西暦2490年代の兵器技術がどの程度のものであるのかは想像すら出来ないが、これほどの破壊は大陸が乗る地球本体へも深刻なダメージを与えたはずである。それすらも計画的に実行されたと見るべきである。で、無ければ人類が生存できる筈もない。
この空間にこのルウという少女と自分が生存する事自体が不可能な筈なのである。それは意図的に一部の人間を『安全圏』に退避させたという状況証拠である。