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5-1「僕は、いや『私』はクロウ君の物だよね!?」

 通常空間へは、撃墜されたユキの方が先に復帰していた。

 意識を取り戻したユキはがばっと起き上がり、首から乱暴にVRケーブルを引き抜くと、隊員たちの制止を振り切って隣のリクライニングシートに座るクロウに馬乗りになった。

 クロウはまだVR空間から復帰していないため、右手は操縦桿、左手はスロットルレバーを握ったままである。ユキは構わずクロウの両手の腕の間に尻を滑り込ませ、足でクロウの両手を押さえるような形となっていた。

 クロウがVRから目覚めたのは、そんなユキがクロウの頬にその両手を添え始めたその瞬間だった。茶色に見える彼女の瞳と目が合った。

「あれ?」
 疑問の声を吐き出したクロウの口に、ぬるりと生暖かい何かが滑り込んできた。

 唇には温かく柔らかい感触が伝わっている。目の前には目を閉じたユキの表情が見え、彼女のショートカットのオレンジ色の髪がクロウの顔全体に被っていた。眼球だけ下へ動かして、ようやくクロウはユキに押さえつけられてキスされていることに気が付いた。

「ん!? んんんー!!!」

 必死に抵抗しようとするが、ユキはがっちりとクロウの頭を両腕で抱きかかえ、クロウに一切の抵抗をさせない。クロウの右手の位置もよくなかった。正面にある操縦桿を握るクロウの右手は、当然クロウの両足の中心に位置していた。ちょうどその手首と肘の真ん中辺りにユキの股の中心がどっかりと乗っていたのだ。

 クロウの常備服の袖越しにユキの体温と柔らかさが右腕にユキの体重を伴って生々しく伝わっていた。

 ユキの下半身は常備服のスカートである、いくら構造上開きにくいタイトスカートの形状をしていたところでこれだけ足を開けばめくれもするだろう、だが、クロウは忘れていた。この『つくば』の女子常備服であるタイトスカートは『走れる』ように大きくスリットが開いていたのだ。従って、派手に動けば当然翻る。しかもその生地は伸縮性に優れるためこのような体制を取るとめくれる。

 というかめくれていた、クロウは腕に乗っているユキの白い下着を目撃してしまった。そのタイトスカートの癖に形状記憶だか何だか知らないが破廉恥な構造のそのスカートを一瞬クロウは呪ったが、今そのスカートの構造についてあれこれ考えるのは時間の無駄である。

 クロウは何とか身じろぎをしながら自身の体とユキの体の隙間を探す。

 ユキはなおもクロウを開放しない。より乱暴にクロウの舌に自身の舌を絡ませた。ユキの唾液とクロウの唾液が混ざり、下に押さえつけられたクロウの口内を満たしたが、今度はそれをユキはちゅるちゅると吸い始めた。

 蜘蛛の一部は自分の消化液を噛みついた牙から獲物の体内へと注入し、溶かされた相手の体組織と体液を吸い上げるという。クロウはそれを思い出していた。自分は今まさにユキに捕食されている哀れな獲物であった。いくらそのユキの感触が柔らかく、温かく、性的な快感を伴っていたとしても、だ。

「んごんんんん!!」

 右手はどうあがいても自由にならなかった。むしろあがけばあがく程、右腕にはユキの柔らかい体温を感じ、その度にユキはより興奮しているようですらあった。

 クロウはなんとか手の先だけは自由になるスロットルレバーを握る左手の先で、座席の手すりを叩いていた。シートベルトに固定され、ぎっちりとユキに拘束されているクロウにはもはや、こうする以外に行動できることがなかったのだ。

「おい、クロウが『タップ』してるぞ!! 野郎どもユキを引っぺがせ!」

 ユキの突然の行動と、その光景に硬直していた航空隊員達だったが、クロウの行動に事態にいち早く気が付いたミーチャの号令によって我に返った。

 まず女性陣トニア、アザレア、マリアンがユキの体に組み付き、彼女らの体を今度はケルッコ、ヴィンツの男性陣が引っ張った。なんと、5人がかりで強引に引っ張ってもユキは抵抗しクロウに絡みついたままだった。また、ユキがクロウの頭を腕でホールドしたままのため、クロウの首が誰がどう見てもやばい方向に曲がりつつあった。

「こんの、バカ! 離しな!! クロウが死ぬよ!」
 ユキの頭頂部をミーチャがげんこつで殴り、乱暴にユキのオレンジ色の髪を引っ張った所でユキはようやくクロウから引き離された。

 クロウの口元はユキとクロウの唾液でべちゃべちゃになっていた。後半呼吸を止められていたクロウは肩で息をし、どうにか肺に空気を取り込んだ。鼻孔から吸い込んだ空気に微かにユキの甘い香りがクロウに感じられた。

「くおの! 邪魔するな!! 離せ!」

 なおも暴れるユキに対し、ミーチャはため息を吐いて「トニア、アザレア、マリアンそのまま床に押さえつけとけ!」と命令した。

「クロウ、おい。しっかりしろ!」

「クロウさん! 死んじゃだめっす! 傷は浅いっすよ!!」

 ケルッコとヴィンツはクロウのシートベルトを解き、ケーブルを引き抜きながら必死にクロウに話しかけた。別に意識が無いわけじゃないんだけどな、と思いながらも、クロウは急に吸い込んだ自分の息で咽ていた。

 ゲホゲホと派手に咳き込むクロウの背中をケルッコとヴィンツが左右からさすってくれていた。

「おい、ユキ。お前がイカレていやがるのは、この航空隊じゃ誰もが知ってるが、ここまでイカレを発揮したのは初めてだな。なんのつもりだ!」

 女性陣にまるで犯罪者のように床に組み敷かれたユキを見下ろしながら、ミーチャは呆れ交じりに一応問いただす。彼女の黒く長いポニーテールがゆらりと揺れていた。

「……た、もん」

 小さく、答えるユキに対しミーチャは「ああん?」と聞き直すが、次にユキは大声で叫んだ。

「だってクロウ君僕を撃墜したもん! 僕は、いや『私』はクロウ君の物だよね!?」

 聞いてミーチャは激しい頭痛を覚えた。ユキが問題行動を起こすのは何も今日に限った話ではない。ケルッコとヴィンツが来た時もユキは興味津々であったし、同じようにシミュレータ訓練もした。だが、いずれもユキが相手を撃墜するとユキはいたって普通に接していた。このユキを撃墜出来る事自体異常なのだ。事実、訓練において『ユキを撃墜出来た者はいない』。クロウはただ善戦するだけで航空隊員は全員納得しただろう。それをクロウは撃墜して見せた。終始ユキを翻弄して、だ。

「で、惚れちまったと?」

「うん!」
 にこやかに言うユキの頭頂部に直角にゲンコツを入れて、ようやく立ち上がったクロウに向きミーチャは言う。

「あー、ともかく新人よくやった。通過儀礼は終わりだ。でも、この変態女はどうやらお前を最早離す気は無いらしい。こうなったら覚悟しろ。このバカと付き合いの長い私でもどうなるかわからん」

 最早自棄気味に言うミーチャに、完全に置いてけぼりのクロウである。

「何が一体どうしたっていうんです?」
 その問いに答えられるものは航空隊にはいなかった。

 時刻は正午になろうとしていた。クロウとしてはそんな気は無かったのだが、VR外の時間は思いのほか進んでいたようだ。クロウとユキがセミVRで訓練を実施したため、VR内と外に時間的な差異は無かったが、それだけの時間、クロウはユキのロックオンを躱し続けていたという事だった。

 その姿を他の隊員達はVR外のモニター越しで、実際のクロウたちの操作もリアルタイムで目撃していた。結果的にいい訓練にはなったとミーチャは思う。問題なのは、VR訓練室からブリーフィングルームに戻ってなおユキがクロウを離さないという一点だった。

 正午にはブリーフィングルームに集合となっている航空隊の面々はVR訓練室から移動する事となったが、当初女性陣によって拘束されながら移動していたユキがとにかく暴れた。仕方なく離すと、今度はクロウの片腕に絡みついて離れない。クロウに航空隊員達が「自分たちの隊長がすみません」と言い始める始末だ。

「別に構いませんよ……」

 とクロウが憔悴しながらも言うのでミーチャも許したが、ブリーフィングルームに到着したとなれば話は別だ。ユキの席は隊長席である教壇の上だ。だが、ユキはクロウが座る席に、あろうことかクロウを座らせて、その足の上に座ってぴったりとクロウの首に自身の両手を絡ませていた。クロウも抵抗する気力すら無いのかされるがままである。実際にはクロウは抗議もすれば抵抗もしていた。だがユキがそれを許さなかっただけである。

「おい、ユキ。てめぇの席は前だ」

「やだ!」

 これである。航空隊員一同深いため息をついた。クロウも同様である。

「おい、クロウ。悪いんだがその馬鹿預けていいか?」

「もう、何でもいいです。無理に剥がそうとするとまた首絞められそうだし、この状態ならとりあえず呼吸はできるんで」

 愛情表現で相手を殺しにかかるというのはどういった状態なのだろうと思いながら、「さっすが『私の』クロウ君、わかってるぅ!」と、上機嫌のユキをジト目で見下ろすが、目があったユキはむしろ恍惚とした表情をクロウに返した。

『想いが、重い!』

 思わずクロウは心の中で叫ぶ。

 これだけ好意を向けられれば、いかに奥手なクロウであろうとも、ユキが自分に対して多大な好意を持ってくれている事はわかる。だが、出会って数時間である。いかにユキが美少女と呼べる外見であっても、クロウに取って魅力的な異性であったとしても、この距離感はなじめる訳もなかった。

 そこまで考えて、クロウはふと、幼馴染の美月(みつき)を思い出していた。彼女の好意もその実クロウは気が付いていたが、その想いを受け止めることは生前ついになかった。彼女の愛もユキとは形が異なるが重いものだったと考えていた。

「私がいるのに他の女のこと考えるの禁止ね!」

 言いながらユキはクロウの唇に人差し指を当てた。しかもユキは勘が鋭いようである。クロウは心底困った。

「もういい、ユキは放っておく、全員耳だけ寄越してくれ」

 ミーチャはそんなユキの様子を見て観念した。教壇の位置に立つと全員に声を掛けて、進行しだした。

「副隊長として進行する。あのバカは多分しばらく使い物にならん。こんな時の『予備』だと私は思う」

 一同大きく頷いた。実際、戦闘を想定した場合、この航空隊の『損耗率』は高い。何しろ艦載機に乗って艦の外で戦闘を行うのである。そのため、隊長であるユキと副隊長であるミーチャは綿密に連携した。もし、万が一どちらか一方が『帰らなかった』としても部隊が正常に動けるようにである。勿論この場の誰もがこのような理由でミーチャが表に出る事は想定の外である。

「さて、間もなく正午。恐らく何らかの形でここに連絡が来るはずだ」

 と、ちょうどミーチャがそう言ったところで、ブリーフィングルームの備え付けのスピーカーから呼び出しを知らせる電子音とルウ中尉の声が響いた。

『航空隊、聞こえますか? 新型機の搬入が完了しました。大格納庫に集合願います』

「了解だ」
 ミーチャが答えると、ルウの通信は途絶えた。

「聞いての通りだ、いくぞ。総員駆け足!」
 航空隊員達は一斉にブリーフィングルームから、クロウがユキとブリーフィングルームに初めて入ってきたドアから大格納庫へ躍り出た。ガラス張りの通路から、隊員たちに大格納庫へ搬入された大型のコンテナトレーラーが俯瞰で見えた。

「大きい……」
 口に出したのは誰であろうか、その場にいる全員の感想でもあった。その新型機が中に格納されていると思われるコンテナは、全長20mはあると思われた。その大型のコンテナが合計で12台。きちんと整列されて格納庫に鎮座していた。

 それを目にとめて、一瞬ガラス張りの通路のガラスに釘付けとなった隊員たちだったが、誰からともなく、階段に向かって駆けだした。勢いもそのままに転がるように駆け下りた。誰がなんと言おうともあれは彼らの新しい翼に違いなかった。

「おお、来たな!」
 航空隊を認めると、一番手前のトレーラーの前に居たシドが「こっちだ!」と手を上げた。近くには艦長であるタイラーと、戦術長であるルウも居た。

「整列はいい、各員見える位置に集まってくれ」
 そう言うタイラーに、航空隊員達はシド以外に集まっている技術科のクルーたちの周りへと固まっていった。

「さて、諸君。ここにいるのは航空隊員と、技術科のクルー、そして私と戦術長のルウ中尉だけだ。今、この瞬間まで、技術科の一部クルーと戦術長のみに情報規制されていた新型機をここで実際にこれを駆る航空隊を交えてお披露目したいと思う」

 この新型機の設計開発は『つくば』艦内で、製造はヨコスカベースの地下極秘工場にて行われた。と、前置きした上でタイラーは自身の後ろに控えていたルピナスを皆の前に立たせた。

「この新型機の構想は私が、実際の設計開発はこの情報長であるルピナス大尉と技術長であるシド軍曹が行った。まずは彼らをおおいに労ってやってくれ!」

 その場にいる技術科のクルーを中心に拍手喝喝采が起こった。この場にいる技術科の職員の多くは、この時まで『つくば』とヨコスカベースの地下秘密工場を行き来していたもの達だった。その期間おおよそ半年にも及ぶ24時間交代制の長い彼らの集大成が今まさにここだった。

「にゃはっ!」
 ルピナスもまた照れながらその拍手を受け入れ、自分でも拍手を全体に送っていた。

「シド軍曹! トレーラーを直立位置に! 見やすい形でお披露目と行こう!!」

「了解!!」

 タイラーの指示にシドが応え、自身のリスコンを操作すると共にトレーラーが斜めにせり上がった。やがて、トレーラーの荷台部分が直角に直立すると、今度は荷台自体が壁際へ移動し、壁に触れるところでロックされ固定された。

「正面隔壁、開きます!」

 シドがそう言い再びリスコンを操作すると、トレーラーの天井部分と思われた隔壁が蛇腹に上へと格納されながらせり上がった。

しおり