4-4「この機体。速いな」
『クロウ君聞こえる?』
スピーカー越しのユキの声が聞こえた。クロウは辺りを見回して、自分が戦闘機のコックピットに座っている事、パイロットスーツを着てヘルメットのゴーグル越しに景色を見ている事を確認した。上空800m今、低い雲の上を自身の機は飛んでいた。
「はい。聞こえます」
『こんなことになって、ごめんね。戦闘機に乗ったことも無いだろうに』
クロウの見るコックビットのコンソール中央にレーダー画面があった。その周りのスイッチ類の機能もインストールのおかげでクロウには問題なく理解できた。
レーダー画面正面のレーダー補足距離ギリギリに光点が見える。これがユキの乗る機体に間違いなかった。
「それは、どうでしょうか!?」
言いながら、クロウは射撃レーダーを攪乱するフレアー(フレアは赤外線誘導対空ミサイルを妨害する目的に使用する囮弾「赤外線対抗手段(IRCM)」)を自機の後部から射出し、一気にスロットルを全開、操縦桿を目一杯引いて機体を急上昇させた。それに合わせて眼下に広がっていた雲海の一部がクロウの機体の動きに巻き込まれ勢いを伴って散る。
『フレアー!? クロウ君素人じゃ無いの!?』
あっと言う間に1225km/hの音速の壁を突破する。瞬間、衝撃派が機体を通り抜けた。
クロウはスロットルレバーを全開からさらに押し込んでアフターバーナー(ジェットエンジンの排気に対してもう一度燃料を吹きつけて燃焼させ、高推力を得る装置)を点火。レッドゾーンギリギリまで自機のスピードを上げる。凄まじいGがクロウを襲うが、第四世代人類が高Gに耐えうることを知識として『知っている』クロウは躊躇せずそのまま加速を続ける。
「この機体。速いな」
思わずつぶやいた。クロウの知っている時代のゲームにはもちろん存在しない性能の機体である。あっと言う間にマッハ3を超え高度は既に2万5千mを越えていた。クロウにはこの戦闘機の基本スペックも知識としてインストールされていた。F-5888ファルコンの戦闘想定高度は1000mから3万5千mの間。これ以上となると戦闘能力は低下する。
『何も知らずに無茶な操縦をしているだけなの? クロウ君、答えて!』
クロウの急上昇に対してユキも追いすがっていた。ユキの機体は真後ろで、もうすぐロックオン距離に入る。
瞬間、クロウは操縦桿を右に倒し、右のラダーペダルを踏む。
機体は大きく右に鋭角に地表へと突き刺さる軌道を描いた。
『違う。あのマニューバ。素人なんかじゃない!』
マニューバとは航空機の機動、動き方のことを指す用語である。主に固定翼機に対して用いられる。 戦闘機同士の接近戦(ドッグファイト)手法や、アクロバット飛行の演目解説などで用いられた。この時代であってもこの用語は未だ生きていた。
クロウの機体の動きをレーダー上と目視で確認したユキは確信する。クロウの操縦技術はとても素人には思えなかった。通常戦闘機などの急激なGがパイロットへとかかる機体の操縦は『第四世代人類』を以てしてもいきなりは不可能である。本来は高G訓練を経て、その感覚を体得して初めて高G下での操縦は可能となる。それが無ければ脳の血液の循環が滞り、限界を迎えたところでパイロットは昏睡するのだ。だが、クロウにはその気配すら感じなかった。理屈は分からないが、ユキはこのクロウが自分と同じくこの戦闘機を操ることが出来るという事実を瞬時に理解した。
「いいな、この機体。まさにファルコンだな」
急激なGと衝撃、そして機体の振動を伴って飛ぶという行為にクロウは高揚していた。だが、それとは正反対に心は何処か静かで、ユキの無線越しの声も冷静に聞いていた。
右へ左へと機体を操作し、追い縋るユキに自機をロックオンさせない。
それでも、レーダー上の動き、クロウが時折ミラー越しに見る後方の視界から、ユキが確実にクロウの機体を射撃しようとぴったりと追ってきているのが見えていた。
『さすが航空隊の隊長だな。上手い、ゲームの世界ランカーに追いかけられている気分だ』
左右に機体を振れば、当然高度は低下する、クロウはある程度高度が下がった所で再びフレアーを射出し、急上昇をかけた。
その動作を見て、ユキは舌打ちする。ロックオンできる瞬間には確実に回避行動を取られるか、フレアーで妨害されていた。今まで一緒に飛んできたどんな相手とも違う軌道を描きながらクロウ機は両翼の端から水蒸気の細い雲を描いていた。
ユキは油断なくクロウ機を見つめ、決して自機の後ろを取られないようにクロウ機の飛ぶ軌道をなぞった。事実、クロウ機はユキが油断するその一瞬を狙うように隙があればユキの後ろを取ろうとしていた。
その様子をVRの外から観戦していた航空隊員たちは愕然としていた。素人だと思っていたクロウはその実F-5888ファルコンの機体性能を十二分に引き出していた。
彼らでもこれほどの戦闘機動を実演することは難しい。それにぴったりと追従するユキの技量も並外れていた。だが、クロウの機体はなおもユキを翻弄しているように彼らには見えていた。
ロックオンできそうで出来ない。
絶妙な距離感を保ちながら、二機はなおも空中を舞い、時に交差し、時にロールを描きながら、上へ下へとらせんを描きながら空をその軌道で覆い尽くしていく。それはまるで広い空というステージを縦横無尽に舞う社交ダンスのようですらあった。
何度目かの急降下に入った時、クロウはふと思い立ち、この時代の戦闘機機動の知識をイントールされた知識の中から引っ張り出していた。そして、クロウはこの時代にインストールされた知識の中に無く、自分が元の時代で知っていた戦闘機のマニューバがあることに気が付いた。もし仮に、機体性能の上昇と共にこれらのマニューバが廃れていったとすれば、ユキの虚を突けるかも知れない。
落下の速度も利用したクロウの加速に対して、ユキも追いすがっていた。二人の速度は既にマッハ5を超過していた。クロウはインストールされた知識の中でこのF-5888ファルコンが十二分にそのマニューバに耐えられる機体強度と性能を持つと確信した。
一方ユキからは、クロウが加速を緩めていることが確認できた。
『この!』
ロックオン限界距離ギリギリ、ユキの機体の火器管制レーダーがクロウの機体を捉えていた。
『FOX2!』
ユキはその瞬間、赤外線誘導空対空ミサイル発射を知らせる友軍に対するコールを叫んでいた。今、クロウとユキのみでこのVR空間で飛んでいるためコールは必要ないが、ユキは癖で思わず口に出してしまっていた。同時にユキはミサイルを発射、その軌道は完全にクロウを捉えたかに見えた。
瞬間、クロウの機体が真上に立ち上がった。ユキからはクロウの機体を真上から眺めているように見える。数瞬前までそのテール、クロウ機の後ろを追っていたはずなのに、だ。
『え?』
ユキが疑問の声を上げた時にはクロウの機体はユキの視界から消えていた。
次の瞬間にはけたたましいミサイルアラート。ユキは無意識に操縦桿を左に振ると同時にフレアーを射出したが、激しい衝撃が頭の後ろに襲い掛かったと同時に自身が撃墜された事を知った。
ユキの機体が爆散したのを、クロウはごく冷静に観察していた。
クロウが行った戦闘マニューバは、コブラマニューバと呼ばれるクロウの時代の戦闘機ではごくごく一般的に知られる戦闘マニューバだった。水平飛行中に進行方向と高度を変えずに機体姿勢を急激にピッチアップして迎角を90度近く取り、そのまま水平姿勢に戻る機動を指す。二機の戦闘機が追従して飛んでいて、前を飛んでいる機体がこのマニューバを実行すると、前の機体は急激に減速し、後ろの機体の真後ろに出ることができた。
そのマニューバを見慣れていない者からすればそれは一瞬で追いかけていた敵機が目の前から消え、真後ろに来ているように見える。初めて見た者からすれば敵機は一瞬で消えて見えるだろう。実際クロウもこのマニューバを習得するまで、生前のゲーム内では対戦相手に何度も撃墜された程だ。初見であったユキから見れば、クロウの機体は消えたように見えただろうとクロウは思う。
機体強度から急降下中であってもこの軌道が応用できると判断したクロウは、クロウから見て『水平』にクロウを追いすがるユキ機に対してこの軌道を実行した。通常コブラマニューバは水平飛行時に実行するため、急降下中に実行すれば、機体がそもそも持つ揚力の関係でユキから見て上方向へ急激に移動する。これがクロウの機体をユキが見失った正体だった。
「クロウ機、敵機撃墜。Mission complete. Return to base」
静かにクロウがつぶやくと同時、VRは解除され、クロウは通常空間へ帰還した。