第31話 クエルの罠
バグナルは早馬で向かって数日後、トルジェ軍とトリソニア軍のにらみ合う国境地帯に到着した。その現場を指揮をしているクエルの陣幕にすぐさま向かうと、中で中央にある椅子に座りながらクエルは部下に指示をだしていた。
誰から見ても目が据わっている、睨まれたなどと勘違いされてしまう目つきが特徴で、黒く長い髪と口の周りには整えられた髭を蓄え、そして全身を黒い甲冑に身を包み、その横には実用的ではない大剣を置いていた。
「クエル!この状況はどうしたことだ!」
「これはバグナル殿……わざわざこんな所までおいで下さるとは」
「貴様は南方の盗賊と怪物モンスターの掃討をするはずではなかったのか?」
「そうだったのですが……トリソニアの方がおかしな動きをしていると聞いたもので、その対応をしてましたらこの様な状態に」
悪びれもせず言うクエルにバグナルの内心はかなり腹を立てていたが、今は収拾するのを最優先とし、トリソニア軍の指揮者と交渉する手配した。
「貴様の話はあとで聞く――トリソニア軍を指揮している者は?」
その質問に答えたのは、傍にいた兵士であった。
「はい……アウドムラ・セコム・コア将軍です」
「ではコア将軍に会見の場を設けたい旨を伝える。使者をたてよ」
バグナルは陣幕を出ようとしたがそれをクエルが引き留め、バグナルに問うた。
「こうなった状況で何を話し合うのですか? いっその事トリソニアに」
その言葉の途中でバグナルは剣を抜きクエルに向かって差し向けた。
「ひッ!」
「我が国を侵略国にしたいのか! まして、それを望んでいない国王の意思を無視して、貴様は何を考えておる!」
クエルは向けられた剣にたじろぎヘナヘナと座り込んだ。バグナルは陣幕を出てトリソニア軍のいる方向を見た。
その後、しばらくしてトリソニア軍へ使者として赴いた兵士が戻り、バグナルに報告した。
「会見は明日の正午にトリソニア軍、代表者がこちらまで来られるそうです」
それを聞き、バグナルは少し予想外の事で驚いた。通常ならこの様な交渉や会見は双方の中間地点や自分たちが危険にならない場所で行うが、向こうから出向いて来ると言う事にある種の興味を持った。
「わかった。では会見の準備をするように」
そう兵士に伝え、バグナルはどの様な人物が来るのかを想像しはじめていた。
翌日、綺麗に晴れ渡った空に上がっている太陽はほぼ真上にある。
正午を迎えようとした頃にトルジェ軍の用意した会見の場に待ち人は姿を現した。
トリソニア軍のコア将軍は、たった三人でこの場に現れていた。二人の供ともを馬で引き連れて来るのみで、敵陣に直接乗り込むには、ほぼ丸腰と言っていい状態であった。その容貌は、騎乗しているりっぱな馬が小さく見えるほどの巨漢であり、白系統の肩鎧が目立つその中は淡い青色のトリソニア軍の軽装が伺えた。顎髭を蓄え齢はそれなりにいっている様にも見えるが眼光鋭く額から右目の上付近までの傷がある。そしてもう一つ印象的なのはこの場にいる兵士たちも感じられるほどの威圧する気の力であった。
コア将軍は少人数での訪問の姿に驚いているトルジェ軍の兵士たちの中を堂々と進んで来ると、三人はバグナルのいる会見の所まで来て馬を降り挨拶をした。
「貴殿がバグナル殿か?」
一軍を率いるのに充分な迫力と威厳を感じさせるコア将軍の低い声が響く。
「そうです……本来なら私の方が出向かなければ行けないところ、わざわざこちらまで来て頂いて有り難く存じます」
バグナルは騎士としての礼で出迎え、会見の席に案内し、両者が席に着いた。
「して、会見の内容は和義との事だが」
「はい、今回のトルジェ軍の動きはトリソニア王国にとって危機に感じたやも知れませんがわが国にその様な他国に侵攻する意思はありません。今回の出兵は国内の盗賊などの討伐の為の行動でした」
バグナルが説明をしている会見の席を隠れて見ている者がいた……クエルである。
クエルは今回の失態での責任を取らされ、会見の席から外されていた。先日のバグナルの叱責にも我慢ならなかったクエルは、この機会にトリソニアの将軍と共に危害を加えようと安易に考えていた。
「弓兵の準備は良いか?」
クエルは部下に確認をした。
「はい」
「よし、では配置につけ……」
(この会見でトリソニアの将軍もろともバグナルも殺してしまえば証拠は無くなる。そうすれば私の処分も消えるのだ)
クエルは密かにバグナルとトリソニアのコア将軍を亡き者にして、自分の都合の良いように画策し、死んでしまえば後は何とでも言い逃れも出来ると考えていたのだ。
バグナルとコア将軍との話し合いは順調に行われていた。
「では今回の件はバグナル殿の部下の不始末といった所か……」
「はい…私が不在の為に勝手な振る舞いをして、トリソニアにこの様な緊張を与える事となった次第であります。真に申し訳ない」
「そうか……どこの国にも跳ねっ返りはおるものだな……あい分かった、事前に頂いたトルジェ国王の親書もある事だし、今回の件は、」
「まだ終わらない」
コア将軍が会見を締めようとすると、将軍に付き添ってきたトリソニアの一人が口を挟み、そのローブ姿の男は続けて魔法を唱えた。
「天かける光と風よ、この場に姿を見せよ」
次の瞬間、四方から矢が飛んできたが、全て会見の場には届かず地面に落ちた。
「なに!」
見ていたクエルが驚くと、ローブ姿の男が続けて魔法を付け加えた。
「大いなる風の囁ささやきで眠りの時を」
矢が飛んできた林の方向からバタバタと人が倒れる音が聞こえた。第二射を促したクエルだが弓兵の反応はない。トリソニアの男の魔法で眠らされていたのであった。
「これもバグナル殿は知らなかった事ですな……つまりは跳ねっ返り者の独断……」
バグナルも立ち上がりクエルの姿を探す。そして見つけたクエルに向かって瞬時に近づいていた。
「何をしているクエル!」
その表情はいつものバグナルのものでは無かった。静かな怒りのこもった目でクエルを見ていた。
「くそ!」
クエルは逃げようとしたが、もちろん逃げられるはずもなく回り込まれた。
「どこへいく」
バグナルは剣を抜きクエルに向けた。クエルが後ずさりしたが、後ろにはコア将軍に付き添っていたローブ姿の男が控えていた。
「お前がロレーヌの村を巻き込んだ者か?」
その男は鋭い眼光でクエルを見た。クエルはこの場を切り抜けようと、その男を盾にしてバグナルに向き合った。
「動くな!動けばこの男がどうなるかわかっているな!」
「クエル、これ以上の罪を重ねるな!」
「道をあけろ!」
「もう一度聞く、ロレーヌの村を巻き込んだのはお前か?」
クエルに捕まっている男が、ローブの被りを取り動じないままもう一度クエルに向かって問いかけた。
「トリソニアの村がどうなろうと知った事か! 私は盗賊団を追い払い、怪物モンスターを蹴散らしただけだ!」
(なんだ……クエルには隙が見えるのに、このプレッシャーは)
「バグナル殿、あやつに任せてもらえぬか?」
そう言うとコア将軍は捕まっている男に目を向けた。
その視線に誘われ、バグナルも捕まっている男を改めて見た。無造作に伸ばされた髪と顎の無精ひげは男を貧祖に思わせる雰囲気を出させていた。体格もコア将軍と比較すると真逆で細く頼りない感じに見えた。男は剣を携えている訳でもなく鎧も来ていない。まして軍服の形式の服装ではなく領民の着ている服装だったのに違和感を感じていたが、この状況での表情とは思えない……目から感じる力は迫力があった。
「さっさと道をあけろ!」
「貴様の知恵の無さで関係の無い人々が巻き込まれた……そして……」
クエルは男を掴つかんでいたはずだったが次の瞬間、男はクエルの手から離れていた。クエルが気付いたのは離れた後だった。
「なに! 居ない?」
「ここだ」
「貴様いつの間に!?」
クエルはいつの間にか自分の後方に立っていた男に向かって、剣を向けた。
「お前の犯した罪はトルジェの法に任せるが、その前に私の……巻き込まれた人たちの悔しさを知っておけ!」
「何をわからぬことを! 私は人の上に立つ人間なのだ! その私が多少の人間を犠牲にして何が悪い!」
クエルは笑いながら男の言葉を退け、男に斬りかかるがその剣は空くうをきった。何度斬りかかっても男に避けられ、当たる気配がしない。
「人の上に立つ人間は、支えてくれる人たちを思いやる気持ちを忘れてはならない!」
その言葉を聞いたバグナルは、遠い昔にその言葉を聞いた記憶がよみがえる。それはスエードが言っていた言葉と同じであった為に、バグナルは目の前の男に興味をもった。
「ほざけ!」
クエルは男に斬りかかるが、その剣は相変わらず空くうを斬る事しか出来なかった。
「コア将軍、あの者はトリソニアの」
「何でもない……ただの村人だ」
その答えにバグナルは驚いた。続けてコア将軍は彼のことを話し始めた。
「今回我々が派遣されたトルジェとの国境付近にあるロレーヌの村に彼がいた。そして彼一人でトルジェから流れてくる盗賊や怪物モンスターを全て打ち倒しておったのだ」
バグナルはその話を聞いて更に驚いた。
「あの者の名前は……?」
「オルト……そう言っていた……今回の事でロレーヌの村人にも被害が出ていてな――オルトはこの原因が知りたいと、わが軍に同行を申し出てきた。普通ならその様な申し出は受け入れぬが、彼の申し出を断るだけの武勇を持つ者はわが軍にもいなかったといった方が良いかも知れぬな」
「彼からだったのか……あのプレッシャーは」
バグナルがそのことに気付いた時、コア将軍がオルトに向かって声をかけた。
「オルト! もうよいであろう! 決着を」
それに応えたオルトは、素手でクエルの腹部に一発入れ、顔に二発を入れてクエルを気絶させてしまった。クエルを横目にオルトはコア将軍の所まで戻って来ると横にいたバグナルに話を切り出した。
「あのクエルとか言う者の処分はトルジェに任せる……それと、すまぬがこの手紙をヒース王に渡してもらいたい」
懐から出した封書をバグナルに渡すと、オルトはその場を後にした。
「国王に? オルト殿! どちらへ」
「ロレーヌに戻る。村人のことも気になるんでな」
そう言うと馬に跨またがり走り去ってしまった。
「今回の件はバグナル殿に任せするとして我々も引き上げるとしよう……」
「コア将軍! オルト殿はトリソニアの正規軍に入らないのですか?」
「オルトか?……誘いはしたがな素性の知らない者が入ればトリソニア内部で、もめ事になるやも知れんと自ら言ってな……それに元々はトルジェの人間だったらしいぞ」
「将軍、すまぬがオルト殿ともう一度話がしたい! トリソニアに入国させていただきたい!」
その言葉を聞いてコア将軍の表情が一気に明るくなって豪快ごうかいに笑った。
「がっはははは! お主もオルトに興味を持ったようだな……よかろう。途中まで案内いたそう! それとわしの事はアウドムラと呼べ!」
そう言うと馬に跨またがったアウドムラとバグナルはその場を後にした。