贈り物
連日拠点を見て回った結果、自室がある拠点だけではなく、他の拠点も結構見て回った。
水中の拠点にも行ったが、その際にはプラタから魔法道具を借りたので、水中でも普通に活動する事が出来た。水の中なのに陸上と変わらない感じで活動できるというのは何だか不思議で、最初は慣れないものであったが。
そういう訳で色々と見て回ったが、未だに満足に外には出ていない。拠点を見て回る際も常にプラタと一緒だ。それはまぁ、案内役なので助かっているのでいいのだが、そろそろ外に出たいな。街を見て回るだけでもいいんだけれども。
夜は夜で魔法道具の改造や魔法の改良なんかをしているが、そちらはまぁ、そこそこだ。
いつものように食堂で一人で朝食を食べ終える。後ろにプラタが控えているが、相変わらず他には誰も居ない。
食事を持ってきたり下げたりも、引き続きシトリーが担当していた。これは昼食や夕食でもか。ここで食べる時は毎回シトリーが皿を持ってきて、食べ終われば回収してくれる。
朝食を終えた後は、食休みを挿む。
ここの食事はいつも美味しい。調理用の魔法道具は、あれから改良したやつをプラタに説明して渡しているので、使ってくれているかもしれない。まぁ、量産はしていないので、逆に使いづらいかもしれないが。
食休みの後に食堂を出る。今まで色々な種族と会ったが、本当に沢山の種族が居るな。姿形も様々だし、人間界では体験できなかった事だ。
そういえば、人間界は今どうなっているのだろうか? 人間界を離れてそこそこ経つが、ボクではよく分からない。プラタに訊けば分かるだろうが、人間界の事で訊きたい事も思い浮かばないしな。
ただ、クリスタロスさんのところには一度行きたいところだ。もう長い事行っていないから、そろそろ顔ぐらい見せたいところ。
しかし、そこまで興味は無いが、前に聞いた時は人間界周辺に住んでいる魔物達が動き出しそうだという話だったから、そちらの方はどうなったのだろうか。
人間界についてはどうでもいいとはいえ、一応これでも人間界に住んでいたので、人間界に知り合いは少しは居る。そちらの安否ぐらいは気になるものだ。
ああ、つまりはそちらを訊いてみればいいのか。少なくともオクトとノヴェルとついでにジャニュ姉さん辺りの近況は尋ねてみてもいいかも。それにペリド姫達やセフィラ達も気になるな。そう思えば、意外と知り合いも増えたものだ・・・家族を知り合いというのもどうかと思うが、ボク的には兄さんの家族といった感覚だから、近しい他人のように思えるんだよな。それでも一応家族枠には入っているから、それで許してほしい。
「ねぇ、プラタ」
「如何なさいましたか?」
前を歩くプラタに声を掛けると、立ち止まったプラタがこちらを振り返る。
「人間界を出て時間が経ったけれど、今人間界はどんな感じなの?」
「南を除く周辺の森は魔物に占領されました。南の森も現在攻撃を受けています。人間界はまだ無事ですが、平原は魔物が占領していますので、それに伴う攻防で砦は全て失っています。現在は防壁での戦いをしていますが、魔物側は南の森に意識を向けているので、そこまで激しい戦いではなく、人間でも何とか均衡を保てております」
「そうか。それはまた、人間界を出てから急に事態が動いたようだね」
「はい。魔物達の動きも活性化され、また数も増えております」
「なるほど、南の森は大丈夫なの?」
「エルフの領地以外は魔物が占領しております。エルフ達も結界が壊され、圧され始めているところです。数の差もありますので、もう長くは保たないでしょう」
「南のエルフがね。アルセイドはどうしているの?」
「戦っております。アルセイドが手を貸していなければ、既にエルフは滅んでいたでしょう」
「そうか。アルセイドが手を貸してもか・・・それで、南以外は魔物が占領したって事は、西のエルフやナイアードはどうなったの?」
「西の森のエルフは、僅かに逃げ延びたようですが、実質滅亡しました。ナイアードは昨夜に消えました」
「そっか。・・・精霊って、消えたらどうなるの?」
「精霊は消えたとしましても、人間でいうところの死亡ではないので、時間が経てば消えた付近に蘇ります。今回は傷が深いので、ナイアードが蘇るにはかなりの時間が必要になるかもしれません」
「そうなんだ。でも、消滅したんじゃないならよかったよ」
「・・・そうで御座いますね。ナイアードもご主人様に気にかけていただけて救われたでしょう」
「えっと・・・何かあるの?」
今のプラタの言い方からして、ナイアードは蘇らないという事だろうか?
「ご主人様もご存知の通りナイアードは少々特殊な精霊で、あの湖でのみ存在出来るのですが、その為、もしもナイアードが不在の間にあの湖が無くなるか汚染された場合、ナイアードは蘇る事が出来ない可能性が在ります。最悪そのまま消滅する事もありえるでしょう」
「そう、なのか。じゃ、じゃあ、そうなった後に湖を戻すか浄化すれば?」
「前者の場合は難しいところでしょう。同じ場所に在るというだけで同じ物とは限りませんので。後者の場合は、問題なく蘇る可能性が高いかと」
「なるほど。精霊にもそういった弱点があるんだね」
「はい。今回は少々特殊な事例ではありますが。ですがその場合は、最低でも精霊を倒せなければ意味が在りませんが」
「まぁ、そうだね」
精霊というのは強い。それもナイアードは上位の精霊だ。それを倒せる時点で、弱点も何も無いだろう。それでも何度も蘇らなくする事は十分意味があるとは思うが。
「ナイアードの事は、無事復活出来る事を祈るとして・・・しかしそうか、西のエルフは滅んだんだな」
リャナンシー達の事を少し思い出し、直ぐに大した思い出も無いなと首を振る。西のエルフは人間嫌いだから色々あったが、それに怒ったプラタ達を抑えたぐらいしか思い出も無い。
他に何かあるかと思い出してみても、リャナンシーを人間界から逃がした事ぐらいだろう。
なので、正直西のエルフの事はどうでもよかった。ナイアードは少しだけ言葉を交わしたから、ちょっとだけ気になったぐらいだし。
しかし、もうあの森は魔物のモノなのか。南のエルフももう保たないらしいし、その次は人間界かな。
「・・・・・・うーむ」
「如何なさいましたか? ご主人様」
そう思ったところで少し考えて小さく唸ると、プラタがこちらを見ながら訝しげに首を傾げる。
「いや、南のエルフが滅びたら次は人間界なんだろうなと思ったんだけれどもさ、あんまり何も思わなかったものだから」
「左様でしたか」
「まぁ、何人か近況が気になる人は居るけれど、それぐらいで助けに行きたいとも思わないんだよね。うーん、何でだろう?」
やはり兄さん越しに見ていたからだろうか? そして今は兄さんの身体から自分の身体に移ったから、それまで過ごした時間が他人事のように思えるのだろう。まるで物語を読んでいたような感じとでも言えばいいのかもしれない。
それ故に何も感じないのだとは思うが、実際のところはよく分からない。でもまぁ、なんだか自分が薄情な人間になったような感じがして微妙な気分だ。
「それは私では何とも。それで、ご主人様が気なる人間とは?」
「えっと・・・まずジャニュ姉さんとオクトとノヴェルでしょう。あとはペリド姫達とセフィラやティファレトさんの事も気になるかな」
「なるほど」
「近況が判る?」
「はい。まずはご主人様の姉君ですが、防壁での防衛に参加しているようです。妹君達は変わらず三人で行動しているようで、こちらも場所は違えど防壁での防衛に参加しているようです。三人の方はそれに創造した魔物達も参加させているようで、その分こちらは大分余裕があるようです。現在は防壁での防衛に専念しているようではありますが、やろうと思えば三人と創造した魔物達とで平原の一部は取り戻せるかと」
「ほぅ。それは凄い」
「あの姫君達は、宮殿で防衛指揮の補佐を担っているようです。こちらは枢機卿が更迭されたので、国内の安定も含めているのでしょう」
「あの枢機卿はどうなったの?」
「現在は牢獄の中ですが、死刑が決まっております。ですが、それの執行は魔物の侵攻で止まっております」
「刑の執行が止まっているとはいえ、刑が決まって執行までがまた早いね」
「それだけシトリーが恐ろしいのでしょう」
「ああー・・・なるほど」
そういえば、シトリーが皇帝を脅していたな。あれは恐かっただろう。シトリーがその気であれば、ユラン帝国どころか人間界でさえ簡単に落とせるのだから。
「ですので、一応刑の執行は止まっていますが、防衛の最中でも刑の執行はありえるかと」
「ふむ。なるほどね」
「最後にご主人様の御学友だった者達ですが、現在はナン大公国にて防衛に従事しております。ちょうど魔物の襲撃時にそこに居ましたので、そのまま参加する事になったようです」
「なるほど。生徒はジーニアス魔法学園から各門に派遣されている形だからね。一応軍に属している扱いになっているから、この場合はそうなるのか。セフィラも災難だったな」
とはいえ、ジーニアス魔法学園が呼び戻せばそちらが優先されるので、生徒はジーニアス魔法学園に戻る事になるのだが、今回はまだそうなってはいないようだ。
もっとも、ジーニアス魔法学園はユラン帝国に在るとはいえ、別にユラン帝国に付属している訳ではないので、ユラン帝国の為に生徒を引き戻す事はしない。
ジーニアス魔法学園が生徒を呼び戻すのは、ジーニアス魔法学園自体に何かしらの危機が迫っている時ぐらい。つまりは防壁を破られた後だろうから、実質呼び出しはないだろうが。
あとは生徒自身による申請で戻れる可能性も在るらしいが、あれは時間も掛かるし、よく分からないから何とも言えないな。
「まぁ、とりあえずみんな無事なのは分かったよ。それだけでも十分かな。ただ・・・まあそうだな、セフィラが危ない時は教えて。一度は助けようと思うから」
「畏まりました」
もう大分昔なような気がするが、セフィラには一応助けられた事があるからな。あれも借りは借りだ。返せるなら返しておきたかった。
とはいえ、無理に返す必要もないだろうが。それに向こうは覚えていないだろうし。覚えていても貸しとは思っていないだろう。
「その時はプラタに転移魔法使ってもらう事になると思うけれど、いいかな?」
「私の力は全てご主人様のモノです。ですので、何も気にせず御自由に御使いください」
「ありがとう」
大仰な物言いだとは思うが、今は有難いのでそれには触れずにお礼を言うと、プラタは優雅に頭を下げた。
会話を終えると、プラタは背を向けて歩みを再開させる。
相変わらず誰ともすれ違わない廊下を進み、転移装置が置かれている小部屋に移動する。
その小部屋の扉には魔法的な施錠がされており、それをプラタが開けて中に入った。
小部屋の中に入ると、転移装置が部屋のやや奥側に置かれている。それは見た目が地味な転移装置ではあるが、それでも立派な転移装置なので、触れれば中継地点に転移できるようになっている。
転移装置の前まで行き、そっと転移装置に触れると、一瞬の浮遊感と意識の漂白が襲ってきた。しかしそれも瞬きするほどに僅かな時間だけで、直ぐに世界に色が戻ってくる。世界に色が戻ると、周囲を見回す。
視界に映るのは全体的に白い小部屋と転移装置。そしてその近くに居るプラタだけ。
プラタは転移して直ぐに動き出して小部屋の扉に手を掛けると、そのまま扉を開いて外に出た。それから、こちらが外に出るのを扉を開けたまま待つ。ボクはその後に続いて外に出る。
小部屋の外は広い空間だが、空間の中央辺りに空間を半ばで区切るほどに長い机が置かれている。その先には様々な見た目の者達が、一定の間隔で置かれている椅子に腰掛けて待機していた。
その者達は皆一様に同じ意匠の制服に身を包んでいる。身体の大きさや形が様々なので制服の形は多種多様だが、色合いや柄などは統一されたものだ。
その制服のおかげで、長机の先に居る者達が同じ場所に属しているのが一目瞭然。実際その者達は、ここの管理をしている部門に属している。
ここでは転移装置の使用についての許諾を扱っていて、その管理部門の許可が無ければ、他の転移装置は使用できない。来る時に使った転移装置は使用出来るようだが、それも管理部門の者が許諾を取り消せば、使用不可になるらしい。なんとも恐ろしいものだ。
そんな転移に関しての管理部門だが、その長を務めているのはフェンとセルパン。
二人は交代で管理部門の長に就いているが、どちらかは必ずこの場に居るようにしているらしい。それは何か問題が起こった場合に即座に対処出来るように。
まあその場合、力づくでの対処の可能性が高いのだが。とはいえ、フェンやセルパンが呼ばれるような事態であれば、それも納得出来る。
そういう訳で、フェンとセルパンのどちらかが常にこの場所に居るので、最近はボクの影には二人共控えてはいない。どちらか片方がここに詰めている間は、もう片方が拠点の整理や開拓を行っているようだからな。
そんな忙しい二人だが、ボクがこの中継地点に来た時には、二人共直ぐに会ってくれる。というよりも、プラタが遠慮なく奥へと向かうのだが。
おそらく事前に話は通してあるのだろうが、プラタの後に続いて建物の中に入るだけのボクにとっては、少々居心地が悪い。勝手に入っているというか、フェン達の都合を無視しているような気がするからな。
事実そんな側面も在るだろうが、フェン達はそれを全く気にしていない様だ。それはプラタも同様。この価値観に慣れてしまわないように注意しなければならない。これはプラタ達だからそうなのであって、他では通用しないだろう。
今日はフェンがここの管理をしていたようで、軽い挨拶がてら少し会話をする。
会話を終えると、プラタと共に広い空間に戻り、そこに並ぶ小部屋の一つに入っていく。
小部屋の先には転移装置。それは来た時は違う転移装置なので、通常は管理側の許諾が必要になるのだが、プラタであればそれは問題ないらしい。
確かここの小部屋から転移出来る先は、水中の街に在る拠点だったか。
「ご主人様。これを」
転移装置を起動させる前にそう言ってプラタが差しだしてきたのは、腕輪型の魔法道具。これは水中でも活動出来るように魔法が組み込まれたもので、プラタが創ったものだ。
ボクはそれを受け取り、腕に嵌める。転移した先の拠点の転移装置が置かれている小部屋には空気が在るのだが、その小部屋の外は水中だ。
転移装置が設置してある小部屋にだけ空気が在るのは、転移した者が準備を忘れていても溺れないようにというのと、こちらから中継地点へと転移する者が準備を忘れて窒息してしまわないようにという為らしい。つまりは事故防止。
転移先である水中の街の拠点に住まうのは水生の住人なので、陸上ではあまり活動が出来ない。その逆に、陸上で暮らしている者達は水中では活動出来ないので、それを克服する為にプラタが魔法道具を創って双方に渡していた。
そのおかげで、陸上と水中の種族同士の交流もそれなりに盛んに行われているという。今までは互いに交わる事がなかったので、まだ探り探りの交流ではあるらしいが、それでも順調に交流が進んでいるとか。
それはいい事だとは思うが、プラタとしてはもっと気軽に交流が出来るようにしたいらしく、わざわざ魔法道具を身に付けなくとも交流出来るような場所の構築を模索しているらしい。
つまりはそれだけ大きな魔法道具を作製しているという事なのだろうが、個人的にはそちらの方に興味があった。
まぁ、まだ構想段階らしいから、それが実現するのはもう少し先だろう。
ボクはボクで自作の魔法道具で水中を自由に行動出来るようにしたいところ。現状でもそれは大分完成しているのだが、まだ持続時間の方に少々不安があるので、完成とは呼べない代物だった。
プラタから渡された腕輪を嵌めた後、プラタと共に転移する。
転移した先は、他の拠点と変わらない地味な色合いの小部屋。拠点の造りは基本的に何処も同じなので、違いと言えば縮尺ぐらい。拠点によって住んでいる者の体格が異なるので、それに合わせて拠点の縮尺が変わってくる。
ここの拠点で働いている住民は、水中に住む種族の中でも人間に近い大きさをしているので、拠点の縮尺はボクが住んでいる拠点と同じぐらいだ。
プラタが前に出て小部屋の扉を開ける。引かれた扉の先には、水の壁が在った。
以前にもこの拠点には来た事があるのでこの光景は初めてではないが、廊下に取りつけられている魔法道具の明かりを反射させているその水の壁は、何度見ても幻想的で美しい光景だ。
小部屋の前の廊下には窓がないのだが、これが窓がある廊下であれば、外から太陽光が入ってきて、これとはまた違った美しさを演出してくれる。
たまに窓の外に魚が泳いでいるが、それはあまり見られないらしい。魚は水生の住民の食糧であるというのもあるが、この海の中にはそこまで多くの魚が居る訳ではないらしい。
この辺りは少しずつ改善していっているらしいので、近いうちに魚を目にする機会も増えることだろう。ただ、街の中にはあまり大きいのは入って来られないようになっているので、そこまで変わらないかもしれないが。
小部屋を出て水の中に入る。腕輪を付けているので水中でも違和感はないが、水の壁に入る時に薄い膜の中を通った様な感覚があった。
他に水の中と外での違いは、水中だと涼しい事か。暑い時はここもいいな・・・まあ普段は地下に居るので、あまりそれも関係ないが。
水中という事を除けば、ここも造りは同じ。だが一ヵ所だけ違いがあり、それは各階の廊下に外への出入り口が設置されているところ。それは水の中ならではで、二階以上からでも泳げば直ぐに外に出る事が出来た。その代り窓が開かない。これはどこも同じなので違いではないか。
ただ、外に出るのは簡単だがそうではないようで、各出入り口には当然のように魔法道具が取り付けられており、使用者は魔法道具によって監視されている。その為、登録されていない者は扉を使用する事が出来ない。無理に使用しようとすれば、一緒に取りつけられている魔法道具によって攻撃される。
だが、登録されている者にとっては何の問題もなく気軽に使用出来る扉であるので、あまり気にする事もないようだが。
他はまぁ、同じらしい。建物の材質とか罠の位置とか細かなところは違うらしいが、気にするほどではない。
水の中をプラタの案内で進んでいく。水中だが普通に呼吸が出来るので、腕輪を付けているとそれを忘れそうになる。歩いていても陸上と変わらないし。いや、僅かに身体が軽い気もする。
ここでも誰ともすれ違わない。窓から外を見てみれば、確かに住民は居るのだが。
優雅に泳いでいる姿は、水中で活動するための魔法道具開発の参考になる。中には魚を大きくしたような者も居るが、以前あれは住民であって魚ではない、とプラタに説明された。違いは小さな手らしきものが身体の横に生えているかどうかぐらいか。
昔、魚に手足が生えたような種族が居ると聞いたが、あれとはまた別の種族らしい。
廊下をプラタの後に続いて進んでいき、前回来た管理者の部屋に到着した。
プラタは扉の前に立つと、軽く叩く。それに扉の中から返事があり、プラタが扉を開いて中に入る。
中には美しい一人の女性。ただ、下半身は魚類を思わせるもので、とても泳ぎやすそうだ。
上半身に関しては人間とあまり変わりはない。唯一違うのは、首元に魚と同じエラがある事か。
遠い昔には陸上でも暮らしていた種族らしいので、一応肺呼吸も出来るとか。だが、もうそれも大分退化していて、長時間は無理らしい。
海に居た頃は、たまに水上に顔を出して水上の様子を窺っていたとか。特にこの管理者さんは変わり者だったらしく、毎日のように意味も無く水上に顔を出しては水上の様子を見ていたとかで、おかげで他の同胞よりも陸上での呼吸が得意という話を聞いた。ここの責任者に任命されたのもそれを評価したからだと、以前にプラタから聞いたな。まぁ、事務仕事も優秀らしいが。
そんな管理者さんと軽く挨拶や報告、世間話をした後、部屋を出て移動を開始する。因みにこれから何処に向かうのか、ボクは知らない。
それにしても、終始恐縮したような態度なのは何処も同じなのでもう慣れたが、ここの管理者さんはそれでいて楽しそうなんだよな。言葉が解らない設定なので、その辺りを訊く事は出来ないが。
・・・いや、ここに関しては本当に言葉が解らない。海の中の種族達が用いている言語は種類は少ないが聞いた事がないものばかりだったので、ここを訪れた後、プラタからその辺りも習い始めたばかり。
相変わらずプラタは当たり前のようにその言語も使えていたが、いくら長い事世界を監視していたとはいえ、本当に凄いなと思った。ボクなら無為に時を過ごしていただろう。そんな残念な確信がある。
前方で会話をしているプラタと責任者さんを見ながら、そう思う。何を話しているのか解らないと、途端に不安になってくるな。
もっとも、解ってもボクでは意味のない場合がほとんどなのだが。
暫くそのまま廊下を進むと、この階の廊下に設けられた出入り口に到着する。
ここで何をするのかと思ったら、その扉を開けて責任者が外に出た。
「我らも外に出ましょう」
それを眺めていると、プラタが振り返ってボクにそう告げる。
「分かったよ」
それにボクが頷くと、プラタも扉から外に出た。
ボクは初めて泳いで外に出るので緊張しながらも、見様見真似で扉の縁を蹴って外に飛び出す。
扉の縁を蹴って外に出ると、スッと滑るようにして前に出た。そのまま少し前に出て止まると、重力に従って落ちる事無く、その場に留まる。
足が何にも着いていないというのは不安になってくるも、今すぐ落ちてしまいそうな感覚はない。何かに包まれている様な不思議な感じ。
ボクが外に出ると、背後で扉が閉まる。音は無かったが、水の流れで何となく解った。
扉が閉まると、責任者が泳いで移動を始める。それにプラタが続き、ボクがその後に続く。
泳ぐのはまだ慣れてはいないので不格好ではあるが、それでも前に進めているので十分だろう。泳ぐ速度も随分配慮されているようだし。
今回は周囲に人が居ないという事はない。流石に街中ではそうはいかなかったのか、突発的な予定なのかは知らないが。
それでも近くではなく離れた場所に少し居る程度なので、それなりに人払いはしているのだろう。
これから何処に行くのだろうかと思いながら泳いでついて行く。眼下には街並みが広がっているようだが、海の中の建物は、ボクが知る陸上の建物とは少し違うようだ。
陸上の建物は、言ってしまえば四角い箱に扉と窓が取り付けられているようなものだが、水中の建物は、岩の中をそのままくり貫いて使用しているような感じか。
陸上の建物と違って、水中の建物は全体的に揃っていない。しかし、建物自体はバラバラではあるが、配置に関してはある程度整然としているので、この辺りは指導されたのかもしれないな。それともプラタ達が造ったのだろうか。
とはいえ、水中の移動は大抵泳ぎなので、住民は建物の上を泳いで移動している。なので整然と並んだ建物は上から見て楽しむ以外にはあまり意味はないかもしれない。道も目印になるモノが在ればそれで事足りるだろうし。
まあそれでも、見た目がいいからいいか。それに、全員が全員泳いで移動している訳ではなく、中には歩いて移動している者も居る。数はそれほど多くはないが。
それかもしくは、陸上から来た泳げない者達の為にこうして整然とした街並みを用意したのかもしれない。であれば、今後使うようになってくるだろう。これから陸上と水中の交流もますます盛んになって行く予定なのだから。
それに向けて、プラタも色々と頑張っているようだし。ボクも魔法道具で何か貢献出来ればいいが、まだ完成していないからな。完成すれば量産も出来るようになるのだが。
などと、これからのことについて思いを馳せながらついて行くと、責任者が泳ぐのを止めた。
それに続いてプラタとボクも止まる。そこは街外れに在る一軒の店の前で、その店は細長い柱の上に建っていた。柱があまりにも細いので、まるで空中に浮いているようだ。
プラタと責任者が何事か言葉を交わした後、プラタがこちらを振り返る。
「本日はここで昼食を供したいとの事です」
「分かった」
プラタの言葉に頷く。別に何処で食べても構わないが、そうか、もう昼過ぎか。
水の中の街並みが奇麗だったし、泳いでの移動に緊張したりで、すっかり時間の感覚が抜け落ちていた。そして、それを取り戻したら空腹を覚える。
プラタに連れられて店内に入っていく。
店内はそこまで広くはないが、それでも広さだけでいえば十人ぐらいであれば一緒に食事が出来そうだ。しかし、やはり中には誰も居ない。
店の中は、石の机が一つにそれを挟むように椅子が二脚。それがそれぞれ三組分置いてあるだけ。机は小さいが、それでも三組も置かれていれば窮屈な印象を受けた。
ボクはプラタが案内してくれた席に腰掛ける。石の椅子なので硬いかと思ったが、水中だからかそれほど気にはならない。
席に着くと、責任者さんが奥へと向かう。料理を取りに行ったのだろうが、そんなに早く出来ているものなのだろうか? 事前に連絡していたのかな?
待っている間は暇なので、窓の外に目を向ける。といっても、壁に四角い穴が開いているだけで、ガラスが取り付けられているとかはないのだが。
少し高い場所に店が在るから、見晴らしは良い。上から太陽光が線となって降り注ぐ様子は神秘的で美しく、それを見ているだけで結構な時間を潰せそうだ。
しかし改めて考えてみても、こうして水中に居るというのは不思議なものだ。人間界に居た頃は海さえろくに知らなかったというのに、今ではその海に住んでいた種族と、こうして水の中で交流しているのだから。昔であったら考えられなかった事だな。
もっとも、この海擬きの湖ではなく、本物の海にはまだ行った事はない。まだ外出に関してはプラタに止められている。案内人無しではこの街ですら不安があるから、まあしょうがない。まずはこの国の何処かの街を散策することが目標かな。
我ながら低い目標だとは思うが、まだろくに外に出た事がないのだからそれもしょうがない。それに、そもそも人間界でもそこまで街に出ていた記憶もないしな。