声楽と医学のクロス
或斗との出会いの日から3日後、電話があった。
「新しい仲間増えたわよ~♪ 挨拶しようね~♪ 場所と時間は~」
或斗は会う場所と時間を伝えたらすぐに電話を切った。自分は忙しくない身ではあるが、こういう場合は相手の予定も聞くべきじゃないのかと思った。
大学一年生の内は専門科目の講義は少ない、教養科目と呼ばれる、どの学科の生徒もやって来る講義を受ける事が多い。具体的には化学科の俺には必要性を感じない音楽、家庭科、言語等の文化の講義だ。自分が受けている講義自体はあまり面白くないが、中には食べ物食って感想を言うだけの講義もあるらしい。
さて、自分が受ける今日の講義が全て終わって夕方5時頃、指定された施設の教室に向かった。大学内は今にも壊れそうな見た目の古い建物が多く、夜になると非常に怖く見える。そこいらの建物からマジで幽霊が出そうだ。完全に心霊スポットにしか見えない。
そんなことを思いながら教室までたどり着き、そこに或斗と見知らぬ男がいた。おそらくあの見知らぬ男が新しい仲間だろう。見た目は自分より頭一つ抜けた身長だ。190cmぐらいかな、運動部でもやっていたのか、いい体つきしている。顔はなんというかクールで寡黙といった感じか、普通に黙っていても女の子にもてそうな感じがする。
「全員揃ったみたいね。まずお二人さん自己紹介してちょうだい」
「えーと、塩川です。よろしく」
「おれは馬上……、よろしく……」
「……」
「……」
なんというか自分はしゃべるのが苦手でこういう時はなにを話せばいいのか分からない。馬上という男も見た目通り無口そうで、恐らくこちらが何も言わなければ何も言わないタイプだろう。気まずい空気が今流れている。そんな空気を入れ替えるために、或斗が換気扇となった。
「ちょっと、お互い下の名前も言いなさい」
自分はあんまし下の名前を言いたくないのだが、或斗に強く言われたら言うしかない。
「……聖夢です」
「
「……」
「……」
またも気まずい沈黙の時間が生まれた。
「おほん! 馬上くんは私が医学部のキャンパスで勧誘してきたのよ」
或斗が気を利かせて会話のきっかけを作った。
「えっ、医学部のキャンパスって、こことは別の場所だろ? なんつうか行きづらくなかったか?」
「そんなことないわよ。普通にしてれば私はただの学生よ。だから医学部キャンパスにいてもなんの問題もなかったわ」
女装した男子生徒がただの学生というには無理があるんじゃないのか? と俺は心の中でツッコミを入れた。
「彼を勧誘した理由は声質ね。彼はまごうことなきベースの声だわ。セーム君にやったみたいに音域も確かめたから間違いなし」
「ベースって確か、男の声の低い方だっけ?」
ややうろ覚え気味な記憶を頭から引き出した。
「そう、前にも言ったけどセームくんの声質はバリトン。そして彼はバリトンよりも低いベース。」
言われてみれば彼の声質は低い。
身近に極端に低い声をもったやつはいないから貴重な人材だろう。
「声の低さ・高さは声帯の大きさで決まるんだけど、この手の話は馬上君の方が詳しいかな?」
馬上はこくりと頷いた。
「声帯の大きさは……個人個人違う……声帯が大きいほど低い声が出やすい……逆に小さいと高い声が出やすい……」
「そう、人間の身体って楽器なのよ。ソプラノリコーダーとアルトリコーダーは扱かった事があるでしょ」
「ん? ああ、アルトリコーダーはでかいから扱いずらかったな、あっ! そういう事か!」
自分は或斗が言わんとしている事が分かった。
「そう、アルトリコーダーは大きい分低い音を出しやすい構造なのよ。ソプラノリコーダーはその逆ね。馬上君は身体が大きい分低音を出しやすい構造になっているのね」
「そうか、だから自分は……」
出かかった言葉を止めた。これは言ってはならないと思った。
「そう、セームくんは身体が小さいから高音を出しやすいのよ♪」
「皆まで言うな!」
なんかこの雰囲気嫌だ! 話題を変える作戦で行こう。
「そうだ、馬上くん、或斗の誘いにOKした理由を聞いてみたいな。合唱やっていたのかな?」
「……断る理由がなかったから……」
「へ?」
思わぬ答えに、嘘? と思った。
「まあ歌うのが好きには見えなかったから、納得はいくわ」
いやいやいやいや、納得するか!? というかこの馬上には意見というものがないのか! 嫌とか好きとかそれで誘いに答えを出せよ!
「馬上くん、あなたは歌うのは得意かしら?」
「……特に努力もしてないし、下手だと思う……」
「安心なさい! ここにいるセームくんも合唱初心者よ! 私がみっちり鍛えてあげるわ!」
「まて、或斗は合唱を教えられるのか?」
「こう見えても音楽科の生徒よ! 高校でも声楽はみっちりやっているから基礎は教えられるわ」
「えっ、そうなのか。自分も正直合唱まともにやるの初めてだし、大丈夫かな~と思っていたが少し安心したな……」
「……ご教授よろしく頼む……」
「あっ、そうだ馬上くんには宿題を出しておくわ。医学部のあなただからこそお願いしたいことよ!」
そういって或斗は馬上にメモを渡した。メモを馬上は軽く見て、
「……わかった……一週間以内にやる」
「もしかして自分も宿題ある?」
「ないわね。馬上くんに渡した宿題は医学的に声楽のレポートを書いて欲しいって内容よ。歌は体を使うし、医学的なアプローチも大事だわ。これはセームくんには難しいと思うわ。セームくんもなにかやりたいの?」
「まあ、一応なにもやらないのは罪悪感がちょっとあるしな」
「そうね、テノールとベース、私がアルトをやるなら女性が欲しいわね。最低あと一人は勧誘しないといけないからそれを優先しようかしら。でもセームくんにそんな営業的なことをやらせるのはまず無理そうね」
その通りなんだけどな、本人の前ではっきり言わんでくれよ。少し不機嫌になった。
「よし、私は勧誘活動を引き続き行うからセームくんには手元をお願いするわ! といっても雑用係ね」
「えっ……」
「あっ、嫌といっても無理やり従わせるわ」
出会ってから日にちがたっていないのもあるが、この怪しいやつと一緒の時間を過ごすのは非常に嫌だ。しかし、素直に従ったほうがいいだろうと自分の動物的な直感が判断した。翌日より、或斗と共に勧誘活動を行うことになった。
用件も済んで、馬上と別れて、或斗といっしょの帰り道である。横で一緒に歩いてて気付いたが馬上も或斗もたっぱはあるからなおのこと自分が小さい事が強調されるようだ。
「ちなみにあなたコミュ障なところあるけど今のうちに直しておいた方がいいわよ。私は最終的にサークルを利益を得て運営していくような団体に変えていこうと考えているの。嫌でも営業的な仕事をお願いするとは思うから努力はしといてね」
「と、いわれてもなぁ……」
「社会人になってお金を稼ぐようになったら人付き合いを選べないのよ。嫌でも人格崩壊者の上司を持つことだって大いにありうるんだから」
先々が不安だ。本当にやっていけるのだろうか? 或斗は音楽もよくわかっているし、コミュニケーション能力もある。馬上はよくわからんが、声質も見た目も良し、医学部だし地頭もよさそうだ。対し自分は凡人、いやそれ以下か。後々劣等感に悩まされそうな予感がした。