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第六話 ハットリさん、クマと戦う

 神殿、というものをご存知だろうか。
 厳かな空気をまとう神聖なる場所。神に祈りをささげる場所。
 それが神殿。

 唐突になぜ、神殿の話をしたかと言えば、それが職能に深くかかわっているから。
 世間一般に置いて、神殿とは何かを問えば、上のような答えは大体帰ってこない。
 世間では、神殿とはジョブを賜る場所だからだ。

 ジョブとはただの職業ではない。
 神から与えられた恩恵だ。
 その者の特性を活かしたジョブは、更には職能/スキルとなって現れる。

 そう、職能である。
 魔法を使えない私が求めてやまない異能力。嬉し恥ずかしの異世界らしさである。

 私のジョブは当然『忍者』。
 ありとあらゆる忍者的スペシャリスト。それが『ジョブ:忍者』である。

「何を言っているのか全く分かりません」

 ジョブを賜った当時のメイド長の冷めた突っ込みにもめげず、私は己を鍛えた。

 鍛え直したと言うのが正しいだろう。

 口伝でのみ伝えられてきた秘儀の数々。てっきり創作物かと思っていた先祖が使っていたというジュツの数々。
 しかしそれは驚くほどジョブとかみ合い、伝え聞いていた通りの力となって私の元へと舞い降りた。


「その力を今、開放しましょう」

 現代日本人である私は、獣の解体すらしたこともなく、それどころか見たこともなかった。
 そんな私だが、遠からず、血生臭い事にも手を染める必要があると思っていた。

 この世界は過酷だ。
 前の世界での人知を超えた力である魔法と職能があるのに熊一匹すら倒せない。
 人間が人間以上の力を持つのに対して、野生動物もまた、動物の枠を超えた力を持つ。それがこの世界だ。
 言うなれば、一人一人が銃を持っているが、装甲車並の野生動物が闊歩しているのでそれでも足りないのだ。文明レベルが低いのも、命の危険が強く身近にあるからだろう。

「魔王もいますからね」
「え? それ初耳なのですが!?」

 とにかく、そういう事らしい。
 そんなわけで、戦わなければ生き残れない。そんな世界だ。

 今回の戦いは、そんな私の異世界デビュー戦。
 少しばかり気合いを入れて行きましょう。




「ヘイヘーイ!」

 熊の元へと辿り着き、挑発を行う。
 体の前で腕を大きく振り、大げさなほどに手でシンバルする。
 その様はまるで壊れたオモチャのおさるシンバル。
 バンバンバーン。バンバンバババババババババババババババ……。

「グ、グルァァァァァァァァ!!」

 私の反復運動にイラッと来た熊が立ち上がる。
 作戦の第一段階は成功だ。ヤツを挑発しておびき出す。簡単だが、命がけだ。油断はしない。

 残る段階は三つ。

 第二段階はヤツの誘導だ。
 うまく騎士たちが隠れている場所を迂回してあのキャンプ地まで誘導する。
 それは……、楽勝だった。

「ハイハイハーイ!」

 時折挑発するように石を投げ、このようにあおってやれば熊は勝手に追いかけてくれる。
 あわよくばと思って目に向かって針を投げ命中させたが、角膜に傷すら入らなかった。やはり忍者では異形に真っ向からぶつかるのは難しい。

 瞬く間にキャンプ地へと辿り着く。元々熊のいた場所からここまではそう離れていなかったから計算通りではあるが、同時に冷や汗も出る。もし隊長殿の思う通り帰り支度をしていたら、その隙を狙われて全滅していたかもしれない。

 やはり人の上に立つ者には、期を読む力も必要なのか。
 現代日本でその期を逃し最後まで時代遅れの忍者をしていた私としては、なんとも羨ましい力だ。

 さて、目的地には誘導できた。
 ここからが本番、第三段階である。
 この作戦の要、足止めだ。
 忍者的には真正面からぶつかるような今までよりも、よほどに楽だろうか。

 右ひざを地面につき、片ひざ立ちとなる。
 突進してくる熊を睨みつつ、右手を地面に叩きつけるように振るい、スキルを発動させる。

「はぁぁ! 『土遁』のジュツ!」

 途端、土煙が舞い熊の視界を塞ぐ。
 しかしそれだけでは熊は止まらない。耳もあるし、鼻もある。伊達に野生で生きていないようで、五感の発達が著しい。
 熊は迷いなくこちらへと走り出し、次にはその巨体を消す。


 忍者のジュツは基本的に、そのどれもが敵を倒すためのものではない。
 道具を使い、地形を使い、相手の足止めやかく乱を行うもの。
 決まった形はなく、臨機応変に相手をあざむく。それが忍者だ。

 今回の土遁は目くらましの土煙と落とし穴だ。
 落とし穴は事前に掘った。スキルを使いあっという間だった。ジュツを使いあっという間に掘れた巨大な穴を見て、今思えば、あの時がもっとも異世界していたような気がする。

 罠にはまった熊はと言えば、ギッチギチの横幅にギッチギチの縦幅でとても窮屈そうだった。それもはまった姿勢がかなり悪い。太い腕を万歳したような形だ。前に伸びていた細い腕は折れてひしゃげている。

 作戦が完璧に決まった。
 私は残る指示を騎士たちに下す。

「さぁ、見ての通りヤツの脅威はあの細腕二本だけだ! 騎士たちよ、後は頼んだね」

 熊に対してお尻ぺんぺんしてからニニンとその場を去る。
 激昂し暴れる熊は、しかし万歳ポーズから何も変わらない。

 騎士たちも罠の安全性を認識したのか、森から次々と現れた。
 その様子を確認して、私は姫君の元へと舞い戻る。

「ご苦労でした、ハットリ」
「お褒めの言葉、恐縮です。しかし姫君、事はまだ終わっておりませぬ。油断めされぬようお願いします」
「ええ、分かっています」
「それでは私は引き続き作戦を継続します」

 コクリ、と頷いた姫君の元を去る。

 これで終わりと思った?
 いいえ、違います。
 相手は腕が六本もある非常識な熊であり、非常識な生命力を持つのも聞いている。たった五人の騎士たちの、急遽作った槍では致命傷を作れない。森の中なので長手の武器を持ってきていないのだ。

 このままでは熊を倒せずに、いずれヤツは穴から這い出て殺戮を行うだろう。
 しかし作戦は第四段階まである。
 今はまだ、第三段階なのだ。
 私は熊を騎士たちに任せ、第四段階の準備へと入る。

 トドメの一撃を見舞う為に、私は走る。

「ここをこうして、次はこう……」

 木々をぬい、鋼鉄製のワイヤーを枝へとかけていく。
 計算しつくされたその軌跡は森にアートを作り出す。それはさながら蜘蛛の糸のようで、からめとった獲物を絶対に逃がさない確殺の糸の布陣だった。
 そして同時に高等な織物のようで、枝葉の合間から降り注ぐ光を浴びて、絹の如き眩さを放っていた。

 現代忍者の初仕事。
 それがこのワイヤー設置だ。

 なおこのワイヤーはテントに用いられていたり、荷物のくくりに使われていたりする。贅沢な鋼鉄のその使い方は、さすが正規軍だと感心する。使い込まれてもなお頑丈さを維持する手入れが行き届いている様子は、その正規軍が高価な装備を使うに足る存在だと主張している。

「達人は道具を知ると言うが、隊全体でこうなのだから、やはり熊程度本来は楽に相手出来るのだろうな」

 今回は偶々兵歴の浅い者たちを連れた訓練行軍だったが故の不運だろう。
 作業を終えて騎士の様子を見るとほら、そうだろう?

「たった五人でよくやりますね」
「ええ。五人が互いに連携し、常にあの二本の腕を翻弄し、残りが確実にダメージを与えています。急増の隊でしょうに、見事です。彼らが我が家の騎士であるのが誇らしいです」

 側へ立つ私へと語った姫君の瞳は、言葉以上に雄弁にそれを物語っていた。
 頼もしく、そして美しい。
 八歳の少女ではあるが、さすがは貴族。この方にお仕えし続けられるのは幸運以外の何物でもないだろう。まぁ、正確には私は彼女の父上の所有物でしかないのだが。

「という訳で、こちらをどうぞ」

 ドレイの身分を思い出し少しばかりおセンチになりつつ、目的のブツを姫君に渡す。
 それは一本の縄。
 姫君がそのお手をケガされないように布を巻いてある。これは先ほど私が設置したワイヤーへとつながっており、その仕掛けを作動させるための最後のスイッチのようなものだ。
 それを姫君は迷うことなく右手でつかみ取る。終端を輪っかにしてあるのでそこに指を入れた形だ。念のために残った騎士たちに姫君の事を任せる。

「それでは、行ってまいります」

 ニニンッとその場から消え、次の瞬間には熊の頭上へと現れた。

「おお、ハットリ殿! 準備は終えられましたか!!」
「ええ、作戦の第四段階です。皆さん、離れて下さい」

 騎士たちにチクチクとされイライラが募っている熊へと上から襲い掛かる。野太い腕をかき分け、肩に乗っている細い腕を蹴り飛ばし、私は熊の首にワイヤーの終端をひっかける。
 こちらもまた輪っか状にしてある。
 首にしっかりハマった所で、キュッとしぼり輪っかを狭め抜けないようにする。きれいに顎にかかったようで、強く引っ張っても首から離れる様子がない。

「グォォォォォォ!!」

 熊が叫ぶ。
 己の死期を察したのだろうか。腕を振り回してどうにか私を排除しようとする。
 しかし甘い。忍者はその程度では捕まらない。

 なぜならば、忍者だからだ。
 むやみやたらと暴れまくる熊の腕を掻い潜っての退避。
 去り際にワイヤーを補強する土遁を使うのも忘れない。

「姫君! 今です!」

 合図を出せば、待っていましたと言わんばかりに振り下ろされる姫君の右腕。

「これで、仕舞です!!」

 可憐な声が響く。
 すると次の瞬間、私の仕掛けたカラクリが作動し


 熊の首がチョンパされた。
 我々の、勝利である。

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