第五話 ハットリさん、森で検討する
ニンニニンと森を駆ける。
道筋は騎士たちの血が遺している。それを伝い、走りゆけば見えてきたのは異形の姿。
「あれがキリングベアーか」
木を登り、高所から観察する。
体高は立ち上がった状態でおよそ三メートルくらい。グリズリーとほぼ同じ大きさで、それほど巨大には見えなかった。
「巨大と言うから、十メートルほどあるのかと思った」
魔法があるので、そう言う規格外もいるものと思い込んでいたが、常識的なサイズでホッとした。恐らく騎士たちが巨大と表現したのは、あくまで普通の熊と比較しての事だろう。
後に聞いたが、普通の熊は立ち上がっても一メートルちょっとしかないらしい。それと比べたら倍以上のキリングベアーは確かに巨大だった。
さて、その大きさ以外のキリングベアーの特徴だが、大きなのは腕が六本生えている事だろう。
しかし阿修羅のように同一の腕が六本ではない。
まず普通の熊を思い浮かべて欲しい。そいつの肩の付けね部分から胸へ向かって人間の大人の腕と同じくらいの腕が生えている。
そして同じく肩の付け根の上部分から顔へかけて、人間の子供の腕と同じくらいの腕が生えている。
前へ伸びている腕と上へ伸びている腕は作業用らしく、仕留めたのであろう鹿を太い腕で解体しつつ、前へ伸びる腕がその補佐をし、上へ伸びる腕で肉塊を口へと運んでいる。
熊のクセに随分と器用だ。
「しかもあの細い腕一つでも、人間を易々とくびり殺せそうだ」
食べやすいように生肉を細い方の手のみで引きちぎる様を見て、油断は大敵だと考える。
こいつの最も強力な武器は左右に伸びる太い腕だろうが、他の腕も人間が捕まったらひとたまりもない。あの器用さと力強さなら、太い腕が機能しないほどの接近戦でも相当強いだろう。
忍者的にどう対処するか。
まず私一人で倒せるかと考えるが、すぐさま無理だと結論を出す。
体に傷が見えるのは騎士たちが行ったのだろう。明らかに刀傷めいた裂傷後が見える。しかし傷は浅いのか、血をダクダクと流しながらも食事を続けている。こう言った手合いに慣れているであろう騎士がこの程度しかダメージを与えられていないのだ。彼らの持つ武器よりも小さな武器しか持たない忍者ではダメージそのものを与えられない可能性が高い。
忍者の技術は主に対人用だ。
「天然の鎧たる毛皮と皮下脂肪で身を守っているのか。これを私だけでどうにかする術は少ないな」
一つもない、と言い切らないのは毒殺なども含めればあるいは、という話である。
「いざとなればそれも考えるが……」
今回、騎士たちは訓練で全体の一割程度しか来ていない。装備も不十分だろう。そんな彼らはキリングベアーに敗戦を喫したが、しかし装備が万全で人数もそろった場合、これを倒すのは容易だろうと判断できた。劣勢で誰一人失っていないのが彼らの練度の証左だろう。
一通り観察し、考えを巡らせたあとで報告の為にキャンプ地へと戻る。
姫君はすでに治療を終えたようで、今はこの訓練隊の隊長と今後について話をしているようだ。
「姫様、どうか何卒お戻りください!」
「嫌です」
なんと不毛な会話だろうか。
「ここは危険なのです。我々が時間稼ぎを行いますので、どうかいち早くお戻りになり、討伐隊の編成を具申して下さい」
「お断りします」
我が姫君は可憐で素直な見た目に反して、人の生き死にに関しては頑なな方なのですよ。
それはあなたも分かっておいででしょうに、隊長殿。
いや、分かっているからこそこの心優しい姫君には無事でいて欲しいと願っているのだろう。
ほとほと困った様子の隊長殿に助け舟を出すわけでもないが、姫君に報告する為に私は姿を現す。
「あら、ハットリ。お帰りなさい」
「ハッ!」
音もなく現れた私に驚く事のない姫君。器の大きさを感じさせる。
一方の隊長殿は少しだけ驚いていたが、しかしさすがは隊長を任されるだけの事はある。動揺は最小限だった。
「ハットリ殿! どうかあなたも説得して下さい」
「そう言われましてもね。そもそもここへお連れしたのは私ですから」
「さすが、ハットリは話が分かりますわ!」
姫君の無事を願う側。
私の立場をそう判断してのヘルプ要請だったが、しかし彼とは立場が微妙に異なる。
人々を守る騎士たる彼は、姫君をカゴの中の鳥のように扱う。
一方私たち見守り派は、かわいい子には旅をさせるタイプだ。
大事に思う気持ちは同じでも、考え方は違う。そして領主様は後者のタイプであり、隊長殿のようなタイプは少数派。
結果、この言い合いはすぐに決着がついた。
「我が家名にかけて、私は領民を、騎士たちを見捨てはしません」
「ハッ! さすがです我が君」
「はぁ……」
不安そうな隊長殿にそっと耳打ちをする。
「いざとなれば私が姫君を抱えて逃げます」
そう言うと、ようやく彼は納得してくれた。
そう言う訳で、今いるメンバーで熊討伐と相成った。
隊長、私、そして姫君の三人で作戦会議を行う。
「姫様のお陰で動けるものは増えました。しかしそれでも我々だけでは……」
一度敗退している以上、隊長としては無理をしたくないのだろう。引き腰の意見が多い。
我が姫君はと言えば
「半数だけで戦います」
と、この様子である。
「姫君、私は状況がよく分かっていないのですが、その半数に絞る理由はなんでしょうか?」
「はい、それは彼らの体力によるものです。彼らの消耗では戦わせるのは無理ですね」
「え!? 部下は全員治ったのではないのですか!?」
隊長殿は初耳だったらしく狼狽えた声を出している。
私はと言えば、そういう事かと納得する。
「体力のない彼らを伴って森を移動すれば、最悪熊に追い付かれてより悲惨な結末を迎える可能性がありますか」
「ええ、そうです。さすが我が、我が……シノビ? ですね? シノビって何?」
「どう言う事ですか?」
「姫君が何やら混乱気味なので私ことハットリがお答えしましょう。簡単に言えば彼らは傷が癒えても血は戻っていない状態なのです。つまり貧血ですね。そんな状態で森を歩かせたらどうなるか、お判りでしょう?」
姫君は普段、館にいる。だから治療は館に運ばれた時に行なわれる。そして治療された者はそのまま休む。その為に今まで治療を受けた直後の者がこのような状態だったのに気づかなかったのだろう。
青ざめた様子の隊長殿に、姫君が微笑む。
「逃げれば確実にこの場の半数を失います。最悪は全員が共倒れです。この場で憂いを断つのが最善なのですよ」
ロジカルに言えば、そういう事なのだろう。
しかし、では満数でも勝てなかった相手に半数で勝てるのかと言えば、ロジカルに考えれば無理だと結論が出る。それは姫君も分かっているはずだ。
では一体何を思って、彼女は勝算高いと踏んでいるのか。
この場における新規要素と言えば、私と姫君しかいない訳で。
つまるところ、過剰なる信頼が私の両肩に重くのしかかっている訳で。
「我がシノビ、ハットリがきっと何とかしてくれます!」
キラキラとした目で姫君がこちらを見つめてくる。
そんな私の答えは、こうだ。
「いえ、無理ですけど」
「ハットリ!? (シノビって一体……勇者や英雄の同類ではないの……?)」
「手立てはあるのですよ? でも場所も条件もそろわないと無理でして」
あまりガッカリさせたくなくて、つい思い描いていた作戦を少し話してしまった。
その作戦は至ってシンプルで、私が熊を引きつけ、罠にはめ、騎士たちが身動きの取れない熊を一方的に叩くと言うもの。
ただし人員以外の被害が出る。
その被害の一つがこのキャンプ地なのだ。
このキャンプ地は何代も前の領主様が命がけで切り開いた場所だと聞く。それなりに由緒正しい場所。そこを踏み荒らし、使い物にならなくなるような作戦、きっと受け入れられない。
そう、油断していた。
「その作戦で行きましょう!」
姫君は、即決だった。