第五章 抗争
翌日。
学校に行くと、先に玻瑠南が隣の席に座っていた。
僕も教室の一番後ろの窓際の、自分の席に座る。
玻瑠南は僕が教室に入ってきた時からずっと、そして今も僕を見つめている。
「や、やあ、おはよう」
玻瑠南は無表情のまま、まだ僕をじっと見つめている。どうしたのだろう。
「えっと、何か……」
すると、無表情だった玻瑠南が、急ににっこりと微笑んだ。
「やっと元気になった」
今度は僕が、玻瑠南の顔をじっと見つめる。
やっと、って言われた。
そんなつもりはなかった。
僕がうわの空だったのは、シュニーが死んだ後の一日だけだったはずだ。
キュイアの家に行ってからは、もう元通りになっていたはずだ。料理は間違えなくなったし、学校で給食を食べている時だって普通に食べていたはずだ。変わったところなんて、何も見せていなかったはずだ。
でも、結局、そう思っていたのは僕だけだったのか。
自分一人がわかっていなかっただけなのか。
玻瑠南は、ずっと待っていてくれたのか。
僕が戻ってくるのを。
「うん、ありがとう」
自然と口に出て、それから思い出した。
愛里が言っていたお礼って、これのことか。
でも、どうして愛里が教室での僕のことを知っているんだ?
◇ ◇ ◇
僕は一足先にフレアの部屋に来ていた。リュンタル側の他のメンバーは、あとで一緒に来る予定だ。
いつものようにフレアが入れてくれた紅茶を飲む。最近はキュイアの家で甘い濃厚なゼッケト茶を飲んでばかりいたから、シンプルかつ上品なフレアの紅茶が懐かしく感じる。
「それで、今日行くところだけど」
フレアも向かい側の席で紅茶を飲みながら話す。冒険をする場所の詳しい内容について説明をしてくれるのだ。僕だけが早めに来た理由でもある。
「『キロンジェンの穴』っていう、垂直に地下に伸びる巨大な穴があるんだけど、そこにしようかと思って」
「垂直に、って、そんなとこどうやって下りていくんだよ」
「壁に沿って螺旋状の道があって、そこを進むのよ。途中で壁に人が通れるくらいの穴がいくつもあって、そこがダンジョンの入口になっているの。深いダンジョンほど強いモンスターが出てくるから、今日は浅いダンジョンにするつもり」
「ということは、垂直の穴自体がダンジョンってことではないんだね」
「それはわからないわ。底にたどり着いた人が誰もいないんだもの。途中から濃い霧が立ち込めていて、先へ進めないのよ。だから、穴の底がただの地面なのかダンジョンなのか、それとも別の何かがあるのか、誰も知らないのよ」
「そうなのか……」
そう言われると、気になってしまう。いつか挑戦してみたい、という気持ちがふつふつと湧いてくる。
「行ってみたい? 底まで」
まるで僕の心が見えているかのように、フレアは言った。
「そりゃあ、行ってみたいよ。フレアだって行ってみたいだろ?」
「そうね、リッキと二人で行ってみたいわ」
「え? ふ、二人で!?」
本物のリュンタルで、フレアと二人っきりになった時のことを思い出した。大変な目に遭ったけど、二人っきりになっている間に魔獣に襲われることはなかった。でももし『キロンジェンの穴』の底に行くことになったら、きっとそうはいかないだろう。
僕が戸惑っている間に、フレアはティーカップを口に運んだ。空になったティーカップをソーサーに置く。
「……と言いたいところだけど、二人で行けるほど甘い場所じゃないだろうから、本当に行くんだったらちゃんとパーティ組まなきゃね。それに、リッキとラブラブになるのはもっと人目につく場所がいいし」
「ラブラブって……」
「ま、それはそうと」
フレアはポットの取っ手に指を掛けた。二杯目の紅茶をティーカップに注ぐ。
「やっといつものリッキが戻ってきたって感じね。やる気、出てきてるじゃない」
「そんなにひどかった? 最初はともかく、それからは普通のつもりでいたんだけど」
「あれで普通だと思っているんだから、全然普通じゃないわ」
自覚はしていなかったけど、やっぱり僕はいつもの僕じゃなかったみたいだ。玻瑠南だけじゃなく、西畑――フレアも待ってくれていたんだ。
「ずっと心配していたけど、こうしてまたリッキと森に行くことができるようになってよかった」
「迷惑かけちゃったな。心配してくれてありがとう」
「お礼なら愛里ちゃんに言ってよ。沢野君がおかしくなっちゃった時、私も牧田さんも全然事情を知らなかったから、愛里ちゃんに教えてもらったのよ。本物のリュンタルで何かトラブルに遭ったらしくて落ち込んでいるけど、そっと見守ってほしいって言われて」
「え、えっと、それは、いつ……」
「だから沢野君がおかしくなっちゃった時よ。最初はただぼーっとしていただけだったけど、二日目はさすがにひどすぎたから、給食を食べながらメッセージで愛里ちゃんと話してたの。詳しい話を聞いたのは昨日の夜だけど」
「そうか、そんな早くから知ってたのか……」
思い返してみれば、二週間もの間ずっとキュイアの家で機織りに専念できたのは、他に何の用事も入ってこなかったからだ。メッセージも全く来なかった。僕が知らないところで周りが気遣ってくれていたということに、今になって気づくなんて。
「わかった。愛里にはあとでちゃんとお礼を言っておくよ」
メッセージが届いたのだろうか、フレアの右手と目が動く。
「ああもう! なんでこんな大事な時に!」
「もしかして、またあの鉱山?」
「当たり。最近特に増えてるのよ。NPCとパーティ組めるようになってから、NPCの傭兵を引き連れてくるようになって。極端な場合だと、一人のPCがNPCの傭兵六人連れてくることもあるし。モブの傭兵だから、あんまり頭が良くなくて単純に雇い主に従っちゃうのよ。もうキリがなくって」
フレアはテーブルに突っ伏してしまった。相当悩んでいるのだろう。
「じゃあアイリーたちが来る前に終わらせてしまおう。僕も協力する」
「でもこれはこっちの問題だから」
「いや、僕にも協力させてほしい。NPCにそんなことをさせるなんて許せないよ」
シュニーのお父さんがいた国の王がやろうとしていたことを思い出す。これは人形を戦争で使うのと同じだ。絶対にこのままのさばらせておきたくなんかない。こんなことのために、NPCはいるんじゃない。
「ギルド間の争いじゃなくて、NPCのために戦いたいんだ。こんなことをする奴、打ちのめしてやらなきゃ気が済まない」
じっとしていられず、立ち上がって一歩だけドアに向かって歩き、フレアを促す。
「リッキ、ちょっと暴走気味。部外者のスタンドプレイはやめて」
突っ伏した状態から顔だけ起こして、上目遣いでフレアは僕を見た。
「ごめん、つい熱くなっちゃって」
「でもね、私もリッキと同じ気持ち」
フレアは体を起こした。
「いい加減、徹底的に懲らしめてやらなきゃならないみたいね。リッキの参戦、歓迎するわ」
◇ ◇ ◇
「さっきメッセージくれたのはザームじゃなくて非戦闘員の子だから、ちょっと心配ね」
ゾトルハ鉱山に繋がる『
「それで、ギルマスのハンジャイクって男が問題なのよ。何考えてんのか全然わかんない奴で。人に嫌われるようなことでも平気でやるし」
「なんかもう……NPCがどうのこうのってだけじゃ収まらない話なんだな」
「でもFoMってこういう所なのよ。まったり楽しむんじゃなくて、やったりやられたりの世界だから。逆にFoM側から見れば、リュンタルはぬるすぎて物足りないと思う人もいるはず」
「僕はぬるいのは好きじゃないけど、殺伐とした世界はもっと嫌だな」
やっぱりこの二つは違う世界だ、ということを改めて感じた。
『門』の前まで行くと、ちょうど人が移動してきたところだった。頭にはウサギの耳がある。初めてギルドのホームに行った時にすれ違った女の子だ。
「フレア!」
「ピナ、大丈夫だった?」
「うん、逃げてきたのは私が最後。みんな無事だから」
「わかった。ホームで待ってて。私、今日は思いっきり暴れてくるから」
去っていくウサギ耳のピナの姿を最後まで見届けることなく、僕とフレアは『門』に乗った。
仄白い光が下りる。『門』の前を左右に通る道を、右へ走る。ゾトルハ鉱山へとつながる道だ。
鉱山に入ると、人の姿はなく、ひっそりとしていた。
利用者はみんな避難したからいないのはいいとして、『黒獅子党』の奴らもいないのはおかしい。
「ちょっと様子が変ね……」
フレアも不思議がっている。
「もっと奥のほうにいるのかも。そっちがダンヒウスとつながっているから」
そう言いながらフレアは大岩や土の山の間を通って、さらに先へ進んで行く。僕もフレアから離れないようについて行く。
すると。
突然、ゴゴゴゴ……という音とともに地面が揺れ出した。
「なっ何だ? 地震?」
「違うわ! 閉じ込められた!」
周囲の地面が徐々に盛り上がり始めた。加速して盛り上がった地面はそのまま土壁となって、鉱山と森とを完全に隔ててしまった。見上げるほどの高さにまでなった土壁は、とても越えられそうにない。
「逃がすつもりはないってことのようね。関係ないわ。こっちだって戦いに来てるんだから。どうしたの! 出てこないの?」
フレアの大きな声が響き渡る。
すると、前にある大岩や土の山の陰から、人がわらわらと現れてきた。
みんな同じ中肉中背の男たち。着ている鉄の鎧や持っている剣もみんな同じで、かなり安物であることが見て取れる。ざっと見て、二十人から三十人くらいの人数だ。
「NPCの傭兵よ」
言われるまでもなく理解できた。
無個性な傭兵たちはなんの工夫もなく、真っ直ぐ僕たちに斬りかかってきた。
僕は長剣を抜き、傭兵の攻撃を受け止めた。大した攻撃ではない。別の傭兵が右から襲ってきた。正面の傭兵の剣を払い、そのまま右を向いて剣を受ける。
フレアはミニボムを爆発させたり、短剣で鎧が覆っていない脇腹や脇の下を突いて攻撃している。すでに何人かはフレアの手によって消滅していた。
「リッキ! 受けるだけじゃなくて、ちゃんと攻撃して!」
「でもNPCはやらされてるだけだし、悪い訳じゃ」
「そんなこと言ってたら負けちゃうって!」
フレアはそう言うけど、悪いのはNPCの傭兵じゃない。『黒獅子党』の奴らだ。自分は岩陰に隠れて傭兵たちに先に襲わせ、僕たちが消耗したところで出てくるつもりなのだろう。
「フレア、一旦下がろう」
「どうしてそんなこと!」
答えながらミニボムを投げつけるフレアは、明らかに苛立っている
「距離を取るんだ。岩陰に隠れている奴らを引っ張り出す」
「そんなことしなくても、傭兵を全滅させればいい話でしょ!」
「フレア! 頼む!」
やっぱりリュンタルの僕とFoMのフレアとでは、考え方が合わないのか?
「……わかったわ」
フレアはためらいながらも、ミニボムを投げつけようとしていた手を引いた。
少しずつ後ずさりながら、傭兵を引きつける。距離を取れば、途中の岩や土の山に遮られて、向こうからは僕たちの姿が見えなくなるはずだ。戦況を確認するためには、どうしても岩陰から出てこなければならない。もし隠れたままでいるのなら、できるだけ傭兵を手前に引きつけてから回り込んで行けばいい。隠れているPCに気づかれずに、死角から襲えるだろう。
フレアが言っていたようにPC一人とNPC六人のパーティなら、隠れている『黒獅子党』のメンバーは五人くらいだろう。だったら勝負になる。それに、NPCだけでパーティを組むことはできない。PCを一人倒してしまえばパーティは自動的に解散となり、NPCは戦力ではなくなる。
そう考えていた、その時。
僕とフレアの間のわずかなすき間を、何かが猛スピードで駆け抜けた。
二人で顔を見合わせ、そして振り向く。
一本の矢が、地面に刺さっていた。
「逃げようったって、そうはいかねえよ」
「誰だ!」
声の方向を見る。
すると、大岩の向こう側から声の主であろう人物がよじ登ってきて、上に立った。イヌ耳に触らないように右手でオレンジ色の髪を掻き上げる。左手には弓を持っていた。
「サブマスのククナクよ」
フレアの表情が険しくなる。
手にしている弓に矢をつがえ、ククナクが僕たちを見下ろす。
「あー、そっか。脅したりなんかしないで、いきなり射抜いちまえばよかったんだ。どうせ逃げられないんだしな」
いたずらっ子のようにニヤリと笑い、ククナクは矢を放った。
とっさにしゃがむ。矢は僕の髪の毛をかすめて、後ろへ飛んでいった。もしそのまま立っていたら、胸に穴が空いていたところだ。
やっと『黒獅子党』のメンバーが姿を現した。でも作戦は失敗だ。大岩の上からなら遠くからでも僕たちの様子がわかるし、遠距離攻撃ができるなら近づく必要もない。
僕の考えが浅かった。やっぱりフレアが考えるように、まず傭兵を全滅させるしかないのか?
「ちょっとククナク!」
今度は女の声がした。ククナクが振り向く。
「フレアは生け捕りにしろって言われてるでしょ! なんで攻撃するのよ!」
「ちげーよ! 男のほうを攻撃したんだって!」
大岩の向こうに誰かいるようだ。振り向いたククナクが下を見て叫んでいる。尻には犬の尻尾が生えていた。
「知らないわよ! ここからじゃはっきり見えないんだし! もういい、私がやる!」
「お、おい! リャンネ!」
大岩から、リャンネと呼ばれた女が赤毛を振り乱して飛び出してきた。ククナクと違い、こっちは普通の人間の姿だ。ただ、僕よりもさらに背が高く、がっしりとした体格をしている。背負っている剣も、その体格に見合った巨大さだ。
リャンネは大剣を抜き、筋肉が盛り上がった両腕で振り上げたまま突撃してきた。細身の長剣で受けたら折られてしまう。大剣が振り下ろされるタイミングに合わせて後方にジャンプして躱した。
「あーもうしょうがねえ。全員突撃」
ククナクが真上に矢を放った。笛のようなヒューという音が響く。
それを合図に、大岩や土の山に隠れていた『黒獅子党』のメンバーたちが一気に現れ、僕たちに襲いかかってきた。十人……いや二十人か? 思っていたより多い。
NPCの傭兵と『黒獅子党』のメンバーが入り混じって、僕たちに剣を向けて突っ込んできた。
僕はフレアと一緒に後退しながら襲いかかる剣を躱し、払いのけた。さすがにこの人数が相手ではまともに戦えない。
「ごめんフレア、僕が攻撃をためらったせいで」
「これじゃ作戦以前の話よ。こんな大人数で来ているなんて思ってなかった」
フレアがミニボムを投げつける。さすがにこの人数をミニボムだけでは倒せない。煙の中から傭兵が、そして『黒獅子党』のメンバーが現れ、また僕たちに襲いかかってきた。
モンスターの群れとは訳が違う。まともに戦うことができず、僕たちはズルズルと後退していった。背後には土壁。本来ならここにある出口から逃げることができるのに、今はできない。完全に追い込まれた。
土壁を背にした僕とフレアを、『黒獅子党』のメンバーと傭兵が取り囲む。
その囲みを割って、痩身の男が現れた。くっきりとした目鼻立ち。黒の長髪と同じ色のネコ耳。黒のロングコートの裾がなびく。両側に、ククナクとリャンネを従えている。
「こっちの勝ちだな」
落ち着いた低い声。近づきづらい雰囲気の男だ。身長はリャンネと同じくらいあり、見下ろされることによる圧力を感じる。
「…………ハンジャイク、あんたまで来ていたとはね」
やはり、こいつがギルマスのハンジャイクか。両手のすべての指に指輪を嵌めている。魔法使いだ。それにしてもこんなにたくさん指輪を嵌めている魔法使いなんて見たことがない。虚仮威しでないならば、相当な力を持っていることになる。
「お前がいつもここに来ているから、俺も来てやろうと思っただけだが」
「私は別にあんたに来てもらわなくてもよかったんだけど。っていうかこんなことする奴らにはみんな来てほしくないんだけど。あと、負けたつもりもないんだけど」
「捕らえろ」
ハンジャイクの低い一言で、ククナクとリャンネが前に出る。
僕の足が、自然と前に出た。
「来るな」
フレアの前に立ち、剣を構える。
「あー、何? お前」
ククナクの口元が歪み、ヒヒッという笑い声が漏れる。
「リッキはギルドメンバーじゃないんだから関係ないわ。下がって」
「そうはいかないだろ。僕のほうから頼んでここに来たんだし、それにフレアを見捨てられるはずがない」
「いいから逃げて」
「どっちみち逃げ道は塞がってるだろ」
「リャンネ、その男を斬れ」
僕たちの事情など無視したハンジャイクの命令に、リャンネの大剣が振り上げられた。大剣の影が、僕に重なる。とっさにフレアの手を掴んで横に跳んだ。大剣が振り下ろされ、僕が一瞬前にいた地面に食い込む。体勢を崩した僕が剣を構え直した時には、リャンネの大剣もまた頭上に振り上げられていた。
「リッキ、もういいから」
フレアが僕の前に出ようとした。
「ダメだ、僕の後ろにいて」
「そうだ、こっちに来い」
いつの間にかククナクが後ろに回り込んでいた。弓ではなく剣を手に持ち、フレアに突きつけている。
「おとなしく捕まってくれりゃあ悪いことはしねーよ。少なくとも、俺はな」
また、ヒヒッという笑い声が漏れる。
「リッキは逃がしてくれるんでしょうね」
「あー、その男? ま、いいんじゃないの? 逃がしてやるよ」
「ダメだフレア! そいつの言うことなんか聞くな!」
「わかったわ。投降する」
「フレア!」
今すぐにでもククナクに斬りかかりたい。でも少しでも動きを見せれば、リャンネの大剣が僕を真っ二つにするだろう。
ククナクがフレアの後ろ手に魔法の手錠をかけた。そこから伸びた魔法の鎖が、ククナクの左手に握られている。
「これでリッキは自由よ」
フレアはハンジャイルを睨みつけ、そしてリャンネを睨みつけた。
「何してんの? 早く剣を下ろしなさいよ!」
「その男を斬れ」
フレアの叫びに、静かな低い声が重なった。
「どういうことよ! リッキは開放する約束でしょ!」
「悪りぃな。俺は逃がしてもよかったんだけどよ、ハンジャイクは斬れってさ」
「そんな!」
リャンネが頭上から大剣を振り下ろした。横に跳んで躱す。さらに横薙ぎの攻撃を後ろに跳んで躱す。
「ぐっ!」
着地しようとした瞬間、背中に衝撃を受けて倒れた。背後にいたククナクが蹴りを入れたのだ。起き上がろうとした僕にククナクの蹴りがさらに浴びせられ、仰向けのまま立つことができない。
「ククナク! やめて!」
フレアの叫びがなんの効果もなく響く。
そしてまた、まるで広がる青空を両断するように、リャンネの大剣が振り上げられた。
「動くな!」
その青空から、声が響き渡った。
リャンネは大剣を振り上げたまま、顔を上に向けた。リャンネだけでなく、『黒獅子党』の誰もが、そしてNPCの傭兵までもが、声の主がいる空を見上げた。
真昼の太陽を背に、白い翼を羽ばたかせる一人の剣士。
急降下してきたスピードを、そのまま剣に乗せてククナクに斬りかかった。かろうじて剣で受けたククナクは受け止めきれずに足をもつれさせ、左手の鎖を放して斜め後方に飛び退く。
剣士は白い翼を閉じ、フレアを背にしてククナクに剣を向けた。
「てめえ、お嬢に何をした」
ザームの口から出たとは思えない程の、怒りに満ちた低い声だった。
体勢を立て直した僕はフレアを挟んでザームと背中合わせになり、長剣をリャンネに向けて構える。
状況は……あまり変わっていない。相変わらず圧倒的に不利だ。
「俺は何もしねえよ。あとでハンジャイクがいろいろとするかもしれねえけど。新しく作った魔法の効果を試す、とかさ」
背後でザームとククナクの会話が続く。
「てめえら全員ブッ殺してやる」
「冗談を言える状況だと思っているとは笑えるね。おっと、冗談が面白くて笑っているんじゃないってこと、勘違いすんなよ?」
「冗談だと思ってるほうが笑えるぜ」
「……なんなのお前。なんかムカつく。全員、こいつにとつげきー」
ふざけた声でククナクが命令を下した。
ククナクが退き、入れ替わりでNPCの傭兵たちが押し寄せる。傭兵たちは半円に弧を描いてザームを囲み、一斉に斬りかかろうとした。
すると。
爆発音が轟いた。驚いた傭兵たちが動きを止める。
でも、どこにも爆発は起きていない。
「なんの音だ?」
ククナクが疑問の言葉を口にした。リャンネも辺りを見回して状況を把握しようとしている。『黒獅子党』の仕業ではないのか?
また爆発音。鳴っているのは土壁の向こう?
やっぱりそうだ。頭上からパラパラと細かい土がこぼれ落ちてきている。さらに爆発音が何度も鳴り響き、その度に土壁から土がこぼれ落ちた。
「わからねえのか? お嬢の仲間は俺だけじゃねえってことが」
仲間? ということは、これは『星と翼』のメンバーが?
また爆発音。土壁に亀裂が走り、大きな土の塊が剥がれ落ちる。
「崩れるぞ! 下がれ!」
ククナクの指示で、リャンネや他の『黒獅子党』のメンバーたちが土壁から離れる。空いたスペースに僕たちも逃げる。繰り返される爆発音。土壁にはさらに大きな亀裂が走る。そしてついに土壁は形を保てなくなり、逃げ遅れた傭兵を巻き込みながら大きく崩れた。
土ぼこりが舞う。
崩れた土壁が作った土の山の上に、人影が浮かんだ。
人影から炎の玉が放たれた。『黒獅子党』の集団の中に落ちた炎の玉が爆発し、叫びを生む。爆発音の正体がこれだったことを全員が理解した。
土ぼこりが晴れていき、人影の姿が露になる。
そこには、上から下までピンクの衣装の女の子が、魔法の杖を振りかざしていた。
「アイリー! 来てくれたのか!」
「私だけじゃないよ」
アイリーの後ろからシェレラとアミカが現れた。それに……あのウサギ耳の女の子もだ。
「ピナ! なんで戻ってきたの!」
「私だけじゃないよ」
フレアの問いに、ピナはアイリーと同じ言葉を返した。
ピナの後ろから、ぞろぞろと人が現れてくる。
「ホームで待ってるなんて、やっぱりできない。私だけじゃなくて、みんなが」
『星と翼』のメンバーが、臨戦態勢で集結していた。
「あいつがリーダー?」
アミカが弓を構えた。光の矢が出現する。放たれた光の矢は一直線にハンジャイクへと迫った。ハンジャイクが左手をかざす。光の矢が手を射抜こうとした瞬間、ハンジャイクの手に闇の盾が出現した。光の矢はそのまま闇の盾に吸い込まれるように消えていった。
それを皮切りに『星と翼』のメンバーたちがなだれ込んできて、ゾトルハ鉱山は大乱戦の戦場と化した。
アイリーとシェレラ、そしてアミカがこっちに駆け寄ってくる。それを見たザームが「お嬢を頼む」とだけ言って戦場へと加わっていった。
「大丈夫だった?」
アイリーが心配そうにフレアに寄り添う。シェレラはフレアを後ろ手に拘束していた魔法の手錠を破壊した。
「大丈夫。来てくれてありがとう。厄介事に巻き込んじゃってごめんね」
「私のほうから来たんだから気にしなくていいって。それよりお兄ちゃんが百人くらいぶった斬ればよかったのにできなくてごめんね」
「アイリー! いくらなんでも無茶すぎるだろ! それに百人もいないって!」
確かにちょっと失敗はしたけど、アイリーにそんなことを言われる筋合いはない。
「はいはい。あと、キュイアも来たからお兄ちゃんよろしくね」
「えっ? キュイアも来てるの?」
振り向くと、土の山の上にはピナたち『星と翼』の非戦闘員と一緒にキュイアも控えていた。
「キュイア! なんで来たんだよ!」
正直、こんな戦場はキュイアには見せたくなかった。
「リッキのことが心配でつい……。力になれないことはわかっていますが、じっとしていられなくて」
そう言われてしまうと、これ以上は怒れない。
幸いなことに、戦況はこっちに勢いがある。人数的にはほぼ同じだけど、『黒獅子党』はすでに後退し始めていた。
「キュイア、こっちに来て」
手招きをして、キュイアを呼ぶ。
「なんでしょうか?」
土の山を降りてきたキュイアに、僕は言った。
「僕の後ろにいてくれ。僕の戦いを間近で見ていてもらいたいんだ。大丈夫。キュイアにはかすり傷一つ負わせたりはしない。絶対に守る」
真剣にキュイアの瞳を見つめる僕を、キュイアも見つめ返す。
そして、キュイアは微笑んだ。
「特等席へのご招待、ありがとうございます」
僕は小さくうなずいた。そして、
「行くよ! しっかりついて来て!」
両軍入り乱れる戦場へ突っ込んでいった。
土壁が突破されて援軍が来るとは思っていなかったのだろう。『黒獅子党』からは混乱した様子が窺える。『星と翼』が死角が多い地形を利用して数人が別々の方向から攻撃をしているのに対し、『黒獅子党』は全く連携が取れていない。ハンジャイクやククナクが後方から指示を出しているけど、メンバーがそれに対応できずにいた。
『星と翼』の剣士に追いやられた『黒獅子党』の魔法使いが、岩陰から僕の目の前に飛び出してきた。すかさず長剣を振り下ろす。魔法使いの左肩に食い込んだ刃が、そのまま右脇腹へと抜けていった。続けざまに左から傭兵が斬りかかってきた。ひとりでただ突っ込んできただけの傭兵なんか敵ではない。長剣で受け止め、そのまま右足を振り上げて傭兵の腹に蹴りを食らわせた。倒れた傭兵を無視して、前へと進む。
最初に攻撃を受けた場所よりもさらに先へと進んだ。流れは完全にこっちのものだ。後退していく『黒獅子党』のメンバーが、『星と翼』のメンバーの攻撃を受けて次々と姿を消していく。『黒獅子党』はどんどん人数が減っていき、ついにハンジャイクとククナク、リャンネの三人のみとなった。
『星と翼』のメンバーが、三人を取り囲む。
「ここまでのようね」
フレアが告げた。
「普通にここを使うなら構わないと思っていたけど、ここまでの争いになっちゃうとそういう訳にはいかないわね。『黒獅子党』はもう二度とこのゾトルハ鉱山には立ち入らないこと。それを認めたら逃がしてあげる」
ククナクとリャンネは苦い表情を浮かべているけど、ハンジャイクは最初からずっと表情が変わらず、何を考えているのかがよくわからない。
「何か言ったらどうなの!」
「……フッ」
ハンジャイクはため息を漏らすように笑った。
「何がおかしいのよ!」
「俺がこの程度で負けを認めると思っているとは、ずいぶんと見くびられたものだ」
ハンジャイクは右手を軽く前に出した。その動きに合わせて、指輪から青白い光が揺らめく。
パチン、と指を鳴らした。
その瞬間、地面から氷の刃が一斉に生えてきた。ハンジャイクを中心に円形に生えた氷の刃が、取り囲んでいた『星と翼』のメンバーたちを串刺しにする。
フレアとザームは一歩前へ、そして僕やアイリーたちリュンタルの人間は囲みの後ろにいたから助かったけど、円周上にいた『星と翼』のメンバーのうち半分以上が姿を消してしまった。
「やってくれるわね!」
フレアはパチンコを構えた。二股の枝に張られた幅広の網に、ピッパムをセットして引く。ピッパムはりんごに似た果物だけど、このピッパムは色が真っ青だ。
「そんな攻撃が通用すると思っているのか」
ハンジャイクの言葉を無視して、フレアは引き絞ったパチンコから手を放した。青いピッパムはハンジャイクではなくリャンネに向かって飛んでいく。自分に放たれるとは思っていなかったのだろう、リャンネはとっさに大剣でピッパムを叩き割ろうとした。
「バカ! 避けろ!」
ククナクに言われてハッとしたリャンネが慌てて大剣を引っ込めようとしたけど、勢いがついていて止まらない。
「しまった!」
大剣に当たった瞬間、青いピッパムは爆発した。非常に強い炭酸を含むピッパムは、強い刺激を受けると爆発する危険な果物だ。
青黒い飛沫が、リャンネの顔や体に飛び散る。
「あんたがバカで助かったわ。どう? 毒リンゴの味は。もっとも、毒だけじゃなくていろいろ付け足しておいたけどね」
リャンネはふらついて倒れてしまった。立ち上がろうとしても、手足がもつれてなかなか立てない。毒だけではなく、麻痺の効果もあったようだ。
「こいつがバカだってところだけ賛成するよ!」
ククナクがフレアに斬りかかってきた。
「てめえは俺が相手してやる」
ザームがフレアの前に出て、ククナクの剣を受け止める。
「ザーム、悪いけど私は守られるだけなんて嫌よ」
フレアは短剣を手に、ククナクの背後に回り込んだ。
ハンジャイクの左手の指輪が白く光った。リャンネを状態異常から回復させるために左手をかざす。しかしハンジャイクはすぐに体を反転させ、左手を前に突き出した。闇の盾が広がる。不意を突いて放たれたアミカの光の矢が、闇の盾に吸い込まれていった。同時にハンジャイクの右手が背後に伸びる。回り込んでいたアイリーが放った炎の玉が、ハンジャイクの右手から吹き出す吹雪に打ち消された。
今しかない。
「ちょっと危ないから、下がって見てて」
キュイアにそう言い残し、僕はハンジャイクに斬りかかった。両手が塞がっているハンジャイクは受けることができず、後方に飛び退いた。間を詰めてさらに斬りかかる。ハンジャイクは体を反らせて紙一重で躱した。次々と剣を繰り出すも、ハンジャイクは時には下がり、そして時には体術で躱し続ける。アミカとアイリーも攻撃を続けた。それでもハンジャイクは魔法と体術を巧みに組み合わせ、攻撃を受け付けなかった。
○ ○ ○
倒れているリャンネに、生き残った『星と翼』の剣士たちが襲いかかった。ハンジャイクの回復魔法を受けられなかったリャンネは体が思うように動かず、膝立ちになって闇雲に腕を振り回す。運悪くリャンネの拳が当たってしまった剣士の鎧にヒビが入り、恐れた他のメンバーが攻撃を一瞬躊躇した。その隙にリャンネは震える手で回復を試みる。しかし、ポーションのアイコンに触れようとしたその手に、剣士の後ろにいた魔法使いが放った炎が直撃した。焼けただれたリャンネの右腕が、何もできないままだらりと下がる。これを見た剣士たちが再び襲いかかった。四方八方から斬りつけられたリャンネは、毒の効果も相まってHPをすべて失った。その瞬間、リャンネの姿は音もなく消えた。
○ ○ ○
ザームとククナクが剣を交えるたびに火花が散り、甲高い金属音が響く。互いに一歩も譲らない応酬が続いた。ザームが斬りかかり、ククナクが剣で受ける。弾き返したククナクがザームに斬りかかろうと迫る。
しかし、ククナクは突然その足を止めて真上にジャンプした。小さな円形の物体が飛んできて、靴底と地面の間を通り過ぎていく。着地したククナクが剣を構えたまま顔を後ろにやると、その先ではフレアがヨーヨーを手にしていた。
「さっきまで短剣を持っていたんじゃなかったっけ? いきなり装備替えて遠距離攻撃してくるなんて、怖いねえ」
「完全に見切っていたくせによく言うわ。それにあんただって弓も剣も使うじゃない」
「いやいや、さすがにこの距離で弓は使わないって」
「あんたの言うことなんて、私は何も信用しないけ――」
フレアが最後まで言い終わらないうちに、また甲高い金属音。
「よそ見してんじゃねえぞ」
「ちゃんと受けたじゃねーかよ」
斬りかかってきたザームの剣を、ククナクが弾き返す。
「フレアとの会話で気を逸らせておいて、その隙に斬ろうってんだろ? 何が『よそ見してんじゃねえぞ』だよ。そっちこそよく言うよ」
「うるせえ! 黙って斬られろ!」
またザームが斬りかかる。
「つまんない男だなあ。そんなんじゃあ、フレアに嫌われるよ?」
まっすぐ突っ込んできたザームを待つことなく、ククナクも前に出た。また剣を交えようとしたその時、ククナクが地面の土を蹴り上げた。
「くっ……」
小石混じりの土が舞い、ザームは目を閉じた。
その隙にククナクが斬りかかる……ことはなかった。
「そう来るよな、フレア」
足を絡め取ろうと飛んできたヨーヨーを、ククナクはかかとで蹴り上げた。宙に浮いたヨーヨーを左手で掴み取る。ザームが攻撃されないようサポートしたつもりが、完全に読まれていた形だ。
フレアの顔に焦りの色が浮かぶ。
ククナクはヨーヨーを思い切り引っ張った。そしてつんのめるように引き寄せられたフレアの顎に、ククナクの左肘が叩き込まれた。
意識が飛んだフレアの膝が崩れ、仰向けに倒れていく。
右手に握られたククナクの剣が、ヨーヨーの紐を切った。
「ちょっと、おとなしくしていてくれよ」
「てめえ! よくもお嬢を」
土ぼこりが収まり、ザームがうっすらと目を開ける。
「心配は不要だ、ザーム。お前は今、死ぬ」
ククナクは振り向きながら、左腕を水平に振り抜いた。握られていたヨーヨーが手を離れ、ザームの顔面に迫る。ザームは右腕をかざしてガードした。その一瞬、ザームの視界が遮られる。迫りくるククナクの剣が、ザームには見えていない。
「…………ぐっ」
ガードを解いたザームの視界に入ってきたのは、悶絶するククナクの顔。首には紐が何重にも絡みついていた。剣を落としたククナクの指が、必死に紐を解こうとする。しかし紐は首に深く食い込んでいて、指をかけることができない。
「なん……、で……」
かすれた声が、ククナクの口から漏れる。
ククナクの後方で、フレアがしっかりと立っている。ククナクの首とフレアの右手は、ピンと張られたヨーヨーの紐で繋がっていた。
「ザーム! 今よ!」
フレアの声に反応したザームが、剣を真っ直ぐ前に突き出した。ククナクの左胸を刺した剣が、背中に突き抜ける。ククナクの顔がさらに歪んだ。
「ククナク、てめえの負けだ」
ククナクの姿が消え、首に絡みついていたヨーヨーが地面に落ちた。
「あの人、あたしのこと忘れてた」
二人の元に、シェレラが駆け寄ってきた。
「忘れてたっていうか、最初からシェレラのことなんて考えていなかったみたいだけど」
「シェレラ、お嬢を助けてくれてありがとう。おかげでククナクを倒せた」
「うん、あたしのおかげ」
「自分で自分のおかげって言うのどうなのよ? っていうかシェレラだけ? 私が予備のヨーヨーを持っていたこともちゃんと褒めたら?」
「おう! お嬢もすげーよな、ちゃんと予備のヨーヨ……」
ザームのみぞおちに、フレアの拳が……かすかな音もしないくらい、軽く当たった。
「言われてから褒めるなんて遅い!」
「お、おう、結局どうすればよかったんだ? 俺は……」
◇ ◇ ◇
ハンジャイクは僕たち三人の攻撃を受け付けなかった。アミカの光の矢も、アイリーの炎の玉も、そして僕の剣も、完全に防ぎ切っている。それでも僕たちは攻め続けなければならない。ハンジャイクが反撃をあきらめていないことは、目を見ればわかる。だから自分を守るために攻撃し続けるしかない。攻撃し続けながら、チャンスを待つしかない。
そして、そのチャンスがやってきた。
ククナクとの戦闘を終えたフレアとザーム、そしてシェレラがこちらに駆け寄ってくる。さすがに六対一なら勝てるだろう。
しかし、それを横目で見たハンジャイクが大きく後方へ飛び退いた。そしてそのまま走り去っていく。
その先は……地下への入口だ。
「追うわよ!」
フレアが号令を下して走る。僕も後を追って足を踏み出す。
「あ、あの!」
後ろからの声に、踏み出した足が止まった。
「私も……行っていいですか?」
振り向くと、キュイアが僕を見つめていた。
「ここでずっとリッキの戦いを見ていました。危険なのはわかっています。でも、この先も見たいんです」
答えに迷う。でも、いつまでも迷ってはいられない。
「……キュイア、本当は僕もキュイアと一緒に行きたい。でもやっぱり」
「連れて行ってあげようよ」
僕の隣で、アイリーがポンと背中を叩く。
「大丈夫だって。みんないるじゃん。ちょっと予定とは違っちゃったけど、この七人パーティで行こうよ」
周りを見る。僕の決断を、みんなが待っている。
こうなったら、答えはひとつだ。
「……キュイア、一緒に行こう」
「はい!」
駆け寄ってきたキュイアの手を、しっかりと握った。
◇ ◇ ◇
七人でゾトルハ鉱山の地下へと進む。生き残った『星と翼』のメンバーは地上に残り、『黒獅子党』の増援が来た場合のために備えている。周囲を遮っていた土壁は、いつの間にかすっかり消滅していた。
洞窟が青白く光る『リュンタル・ワールド』とは違い、FoMではオレンジ色に光る。なんとなく温度に差があるように思えてしまうけど、実際には違いなんてない。
かなり深い。百段くらいある階段が下へと伸びている。地下の構造は迷路タイプではなく、地上と同じような四角いフィールドだ。身長よりずっと高い大きな岩があちこちから突き出ているのも、地上と同じだ。その他に岩でできた柱もあちこちにあって、まるで高い天井を支えているかのように見える。階段の高い位置からならある程度は全体を見渡すことができるけど岩陰も多く、ハンジャイクの姿を見つけることはできなかった。
長い階段を下り、でこぼこの地面を踏む。
「ここが地下一層。このあたりのモンスターはかなり弱くて、こっちが強ければ向こうから避けてくることがほとんどね。地下に行けば行くほど強いモンスターがいるけど、その代わり採れる素材アイテムもレアだったり純度が高かったりするのよ。階段の位置はバラバラだから、下りるためにはモンスターと戦いながら階段がある場所まで移動する必要があるの」
フレアが地下の仕組みについて説明した。
「じゃあ、ここだけじゃなくて結構深くまであるってこと? 何層くらいまであるの?」
「私は八層まで行ったことがあるけど、その先どこまで続いているのかはわからないわ。最下層には世界が買えるほどのお宝が眠っているとか、最下層につながる秘密の『門』が存在するとか言われているけど、根も葉もないうわさ話よ。少なくとも、誰も最下層に到達していないっていうのは確かね」
「何層まであるのかわからないのか……。それじゃあハンジャイクを見つけるのもちょっと大変そうだね」
「大丈夫。私が八層まで行った時は六人パーティでギリギリ届いたって感じだったし、いくらハンジャイクでも一人じゃそんなに深くは行けないはずよ」
「ねえ、どうして一人だって言い切れるの?」
パーティの後ろのほうからのんびりした声が聞こえてきた。
僕とフレアが振り向くと、それを待っていたかのように、シェレラは話し続ける。
「待たせていた仲間と合流したのかもしれないでしょ?」
シェレラの口調は優しい。でも言っている内容は厳しい。
鉱山の地下に仲間を潜ませているというのは、十分考えられることだ。
フレアの顔が険しくなる。
「行くわよ!」
フレアは前を向いて走り出した。
「あ、ちょっと待って」
アイリーに呼び止められ、走り出したばかりのフレアが止まって振り向く。
「どうしたのアイリー、急がなきゃ」
「フレアとザームはキュイアとは初めてだし、自己紹介とかしながらゆっくり行こうよ。どうせどこ行ったらいいのかよくわかんないじゃん」
「それは……そうかもしれないけど」
「おじょー、はちは?」
「お嬢って言うなこのロリっ
「ごめんなさい。私がついて行きたいなんて言い出したからですよね。私のせいで遅れてしまって」
「いや、それはその、気にしなくていいから」
キュイアが感じてしまった責任を、フレアが手を振って否定する。
「まあまあとにかくゆっくり行こうよ。お兄ちゃんだけはちゃんと前見て歩いて。もしモンスターが出たら一人で倒して」
「なんで僕だけ!?」
「キュイアにいいとこ見せるために決まってんじゃん!」
そう言われると……なんだか反論できない。
結局僕が先頭に立ち、二列目にフレアとザームとキュイア、三列目にアイリーとシェレラとアミカという並び方になり、二列目の三人の自己紹介が始まった。キュイアのことは、フレアはアイリーから事前に聞いていたみたいだけど、ザームはNPCだということ以外は何も知らなかったようだ。機織り職人であることや前回が初めての冒険だったことなどを、興味深そうに聞いていた。僕はアイリーからちゃんと前を見て歩くように言われたけど、やっぱり三人の話が気になって、ちらちらと後ろを見ながら歩いていた。
「あの……もし機織りをやってみたいのなら、教えてあげてもいいですけど」
「機織りねえ……。いや、やめとく。お嬢以外の女の人と二人っきりって訳にはいかないしな」
「私はそんなこと全然思ってないけど? むしろザームと二人っきりなんてなりたくないけど。でも、キュイアと二人っきりってのもキュイアに迷惑だからやめて」
「あ、あの、私は迷惑だなんて思いませんよ」
「心配しなくていいぜ。お嬢は本当のことを言うのが恥ずかしいん……ぐふっ」
ザームの腹にフレアの拳が裏拳で叩き込まれたのを見て、キュイアの体が一瞬ビクッと震えた。
「大丈夫、なんですか?」
「気にしないで。いつものことだから」
「お、おう、これくらいで参ってるようじゃ、お嬢の相手は務まらないぜ」
八重歯をキラッと輝かせて、親指を立てるザーム。
「は、はあ……」
キュイアはどう反応したらいいのか、戸惑っているようだ。
「あ、リッキ、あの左のほうに大きな岩があるでしょ。その裏に階段があるから」
フレアはザームを見ることもなく、指を差して進む方向を示した。
地面から生えてくるように現れたモグラのモンスターを、僕一人で倒す。僕より何倍も大きな体をしているけど、フレアが言ったように、かなり弱い。向こうから避けることがほとんどだとフレアが言っていたように、一層でモンスターが出現したのはこの一回だけだった。全く問題なく、僕たちは地下二層への階段にたどり着いた。
また百段くらいある階段を下りながら、二層を見下ろす。大きな岩や柱。一層と特に変わりはないけど、中央に特に巨大な岩があって、その向こうが全く見えないのが、特徴といえば特徴だ。
フレアがその巨大な岩を指差した。
「あの大きな岩は、上に登れるようになっているの。そこから全体を見てみることにするわ」
「いいねー、なんか眺めが良さそうだし」
アイリーはこんな時ですら景色が大事なのか。
それはともかく、僕たちはまず中央にある大岩に向かうことにした。
二層のモンスターも僕たちの敵ではなく、大岩には簡単にたどり着くことができた。大岩にはつづら折りの道があった。登ることを前提としているようだ。僕たちは難なく岩のてっぺんまでたどり着くことができた。てっぺんは広く平らになっていて、僕たち七人が登ってもまだまだ余裕がある。
「うわー、すごい眺めだねー」
やっぱりアイリーは景色を楽しんでいる。
「こんな茶色い岩と土だけなのに、どこがすごい眺めなんだよ」
「だってほら、前も後ろも全部見れるし」
「だったら景色を楽しんでなんかいないで、ハンジャイクを探せよ」
「ああそっかそっか。そうだったね」
当然だけどアイリー以外のみんなは、どこかにハンジャイクが隠れていないか必死で探している。僕の隣でも、キュイアが遠くまで目を凝らして異状を見つけようと頑張っている。
「私は戦えないから、せめてこんな時くらいみなさんの役に立ちたいんです」
「ありがとう。でも、無理しちゃダメだよ」
周囲に柵がある訳でもなく、身を乗り出して足を滑らせてしまっては大変だ。万が一の時のために僕はキュイアの背中に手を回し、一緒にハンジャイクを探した。
しかし、それらしき姿は見当たらない。
「お嬢、もっと下に行っちまったんじゃないのか? 仲間がいるのかどうかわかんねえけど、あいつだったら一人でも三層くらい問題ないだろうし」
「……どうやら、そのようね」
ザームの提案に、フレアも同意する。
「もうちょっと探してみようよ」
アイリーはそう言っているけど、ただ単にもっと眺めていたいってだけだ。相手にする必要はない。
でもフレアはまじめに反応した。振り向いてアイリーに問いかける。
「アイリー、何か見つかりそうな感じがあ――」
細い光線が、通り過ぎた。
何が起きたのか、よくわからなかった。
しかしその光が通った証として、フレアの右頬に細い傷が走っている。
指で触って、確認するフレア。そして、
「みんな! 伏せて!」
フレアが叫んだ。
キュイアの背中に回していた手に力を込め、二人で倒れ込む。
一瞬遅れて、伏せた僕たちの一メートル上を光線が通り過ぎた。
「ハンジャイクよ。遠距離用の魔法で精度はそんなに高くないの。でも、危うく死ぬところだったわ。褒めたくはないけど、さすがハンジャイクね」
伏せた姿勢から、フレアが低くつぶやく。
この場所は周囲を見渡すことができる。それはつまり、周囲から見られやすい場所でもあるということだ。ハンジャイクはそこを狙ったんだ。
もしフレアがアイリーに振り向いていなかったら、きっと直撃していただろう。
少し顔を上げ、光線が飛んできた方向を見る。人が隠れるには十分な大きさの岩が、いくつも不規則に並んでいる場所があった。この高さから見ても死角は多い。そこに身を隠しているのだろう。
「お嬢、行くんだろ?」
「当たり前よ」
僕たちは低い姿勢のまま大岩のてっぺんから下り、駆け足でつづら折りの道を下った。
「あたし、あっちだと思うんだけど」
光線が放たれた場所へ向かっていると、シェレラがそことはやや離れた場所を指差した。その先には大きな岩がある。さっき僕たちが上った岩よりは小さいけど、他の岩と比べればかなり大きい。
「こっちで間違いないわ。どうせうわの空でよく見てなかったんじゃないの?」
フレアはシェレラを否定した。
でも、そう考えるべきではない。
シェレラはシェレラなりにちゃんと考えて行動している。ただそれが周りの人たちと噛み合わないことが多くて、ちゃんとした行動が取れていないと思われてしまっているだけだ。特に何かを深く考えている時は、周りからはそれが「うわの空」に見えてしまうことがある。
絶対に、何かある。
「シェレラ、どうしてそっちだと思ったの?」
僕はフォローを入れた。
「だって、今度はあそこから攻撃してくる」
それを聞いた途端、フレアの表情が険しくなった。シェレラが指し示した大岩を見つめ、振り向いてシェレラを睨んだ。
「だったらあんたはそっちに行けばいいでしょ? 私はこのまま行くわ」
そう言って本来の目的地に向かって歩き出してしまった。
「お、お嬢、待ってくれよ」
ザームがその後を追い、そのまま歩いていく。
大事な時だというのに、仲間割れを起こしてしまうなんて!
「フレア! 喧嘩しないで! 戻ってきて!」
僕は二人を連れ戻そうと、足を踏み出した。しかし後ろから服を掴まれ、その足が止まる。
僕を止めたのは、アミカだった。
「どうしたのアミカ。早く二人を連れ戻さないと」
「だいじょうぶ」
そう言いながら、アミカは両手の人差し指を突き合わす仕草をしている。
「ハンジャイクを、はさみうちにする」
「え……」
シェレラはうなずいている。
「ハンジャイクはあたしたちをあの岩だらけの場所におびき寄せて、大きい岩の上から攻撃しようとしているから、先回りする。戻ろうとしてもフレアが後ろから詰めてくるから無理」
ちょっと頭がついていけない。
「いや……でもさ、フレアはそんなこと、何も言ってなかったじゃないか」
「でも、挟み撃ちにすればいいでしょ?」
「それはそうだけどさ、ちょっと待って、メッセージしてみるから」
「お兄ちゃん、しなくていいって」
今度はアイリーが僕を止めた。
「私が行ってくるよ。お兄ちゃんはこっちにいて」
「お、おい、アイリー」
フレアを追って走って行くアイリーを、僕は呆然と見送るしかなかった。
「本当に……大丈夫、なのかな」
「大丈夫ですよ」
今度はキュイアが僕に言った。
「でも、リッキのそういうところ、私は好きです」
「あ、ありがとう」
そういうところ、というのは一体どういうところのことを言っているのかわからないけど、僕はキュイアの言葉を素直に受け取った。
僕とシェレラ、そしてアミカ、キュイアの四人は、ハンジャイクを待ち伏せるべく大岩へと向かった。
◇ ◇ ◇
本当に来た。
僕たちがいる大岩に向かって、本来の目的地であった岩だらけの場所から、岩の間を縫うように近づいてくるパーティの姿が、はっきりと見える。中央の大岩にいたときにはわからなかったけど、ハンジャイクが隠れていた辺りの岩は盾のような平面の形になっていた。角度を変えたこの場所からだと、いくら岩陰に隠れても姿は丸見えだ。
「シェレラが言ったとおりだ。仲間と一緒にいる」
「うん、あたしが言ったとおり」
先頭にハンジャイクがいる。それに続くのは『黒獅子党』のメンバーだろう。人数はハンジャイクと仲間が五人で合計六人。ということはNPCはいないのかもしれない。
目的地である大岩の上から僕たちに見下されていることに、全然気づいていないようだ。振り返って後ろの様子を気にする素振りは見せても、前のほうには注意していない。注意してすらいないのだから、影に隠れて様子を窺っている僕たちに気づくはずがない。
今が攻撃のチャンスだ。そして、攻撃方法はこれしかない。
ハンジャイクがフレアにしたことを、そしてこれからしようとしていることを、逆にこっちからしてやるんだ。
アミカが弓を引き絞った。光の矢が、弓につがえられた状態で出現する。
一呼吸を置き、照準を合わせる。
小さな右手が、弦を放した。
光の矢が、一直線にハンジャイクの左胸を目指す。
そして。
体が地面に倒れた音は、遠すぎてここまでは聞こえてこなかった。
ハンジャイクは……立ったままだ。
光の矢はハンジャイクではなく、その後ろを歩いていた男を貫いた。ハンジャイクは命中する直前で攻撃に気づいたものの、闇の盾を出す時間がなく、とっさに避けたのだ。
倒れた男の体が、そのまま消えていった。
他のメンバーたちが動揺する中、ハンジャイクだけがこっちを見ている。表情は遠くてよくわからないけど、それでも鋭い眼光を感じる。
アミカがさらに光の矢を放つ。ハンジャイクはゆっくりと闇の盾を掲げた。光の矢が闇の盾に吸い込まれていく。やはり攻撃することがわかっていたら、簡単に防がれてしまう。
ハンジャイクたちが引き返していく。ハンジャイクの指示というよりも、仲間の四人が逃げ出したのをハンジャイクが追っている、というように見える。
僕たちは追撃に向かうため、大岩を下りた。
「ハンジャイク! どこだ!」
大岩を下りている間に、ハンジャイクを見失ってしまった。上から見下ろすのとは違って、地面からではやはり死角が多い。ハンジャイクが戻っていった二層の角に向かって歩きながら、ハンジャイクを探す。
「呼んだら逃げられると思うけど」
「ごめん。つい、声が出ちゃって」
シェレラに指摘されて、思わず頭を掻く。
声を出すということは、自分の居場所を伝えるのと同じことだ。相手に逃げるための重要なヒントを与えることになってしまう。
「それに、呼ばなくてもどこにいるかわかると思うけど」
「シェレラはどこにいるかわかるの?」
「わからない」
「……えっと、わかるんじゃないの?」
「たぶん、こっち」
シェレラが行こうとしているのは、ハンジャイクが光線を放った岩だらけの場所からは少しずれた方向だ。
「今はわからないけど、すぐに教えてくれるから」
「教えてくれるって……誰が?」
あいかわらず、シェレラが言っていることはよくわからない。でもシェレラが言っているのだから間違いないだろうと思い、その方向へ歩く。
突然、前方から爆発音が鳴り響いた。
「なっ、何だ?」
「ほら、やっぱりこっち」
ということは、あそこにハンジャイクがいるということなのか?
「リッキ、はさみうち」
アミカに言われて、ハッと気づく。
あの場所で、フレアたちがハンジャイクを待ち構えていたんだ。
「急ごう! キュイア、掴まって」
僕はキュイアに手を差し出した。
冒険慣れしているシェレラやアミカと違って、キュイアは岩の間を通りながらでこぼこの地面を走るなんていう経験はないはずだ。
しかし、
「大丈夫です」
キュイアは僕の助けを借りようとはしなかった。
「私は一人で走れます。先へ行ってください」
「キュイアを置いて先へ行くなんて、そんなことはできないよ」
キュイアに断られても、僕は手を引っ込めなかった。
僕に迷惑をかけてしまうと考えているのかもしれないけど、僕にとってはキュイアと離れてしまうことのほうが、あってはならないことだ。
「じゃああたしが連れていってもらうね」
なぜかシェレラが僕の手を握りしめてしまった。
「ダメだよ、シェレラは自分で走って」
とは言っても、シェレラは走るのがとても遅い。僕についてくることはできないだろう。たとえ僕が手を引いたとしても、シェレラの足ではやっぱり無理だ。
「じゃあ、シェレラとキュイアはあとで一緒に来て。もしかしたら襲われるかもしれないから、アミカも一緒にいて」
「やだ! アミカはリッキといっしょがいい」
アミカも僕の腕を両腕で抱え込んでしまった。
右にアミカ、左にシェレラ。
これでは身動きがとれない。
また爆発音。急がなければならないのに。
僕はまず右を見た。
「でもさ、もしかしたらキュイアがモンスターと遭っちゃうかもしれないだろ? そうしたらモンスターを倒せるのはアミカだけじゃないか」
「……うん」
渋々といった感じではあったけど、アミカは手を離した。
そして左を見る。
「シェレラにはキュイアを守ってほしいんだ。僕は大丈夫だから。そんな簡単に死んだりはしないさ」
「うん、わかった」
シェレラはパッと手を離した。そして勝ち誇ったようにアミカを見下ろす。いや、そういう時じゃないだろ、今は。
「じゃあ、先に行くから。みんなもゆっくりでいいから急いで」
また爆発音が聞こえた。その場所へ向かって、僕は走り出した。
向こうから人が近づいてくる。ハンジャイク……ではない。ハンジャイクの仲間の四人だ。かなり慌てているようだ。後ろを振り返りながら走るその様子は、目的地があって進んでいるようには見えない。
四人の背後で爆発が起きた。逃げる四人が、前にいる僕を見つけて立ち止まる。
爆発の炎が消えると、その向こうには見慣れた姿があった。
「あ、お兄ちゃん」
アイリーだ。
「そいつハンジャイクの仲間だから。やっつけちゃって」
「わかってるって!」
まずはこの四人を挟み撃ちだ。アイリー一人の攻撃に逃げ惑うようなやつは、何人いようが敵じゃない。僕は剣を抜いた。
「た、助けてくれ。俺たちはただここで星屑を集めていただけなんだ。そうしたらハンジャイクが来てパーティ組まされて……。外で何かあったのか? 俺たちは何も知らないんだ。頼む、見逃してくれ」
男が一人、声を震わせながら命乞いをしてきた。きっとこいつらはククナクやリャンネとは違って、下っ端のメンバーだ。本当に何も知らされていなかったのかもしれない。
それだったら、見逃してやらないこともない。無駄な戦闘はしたくない。
「お兄ちゃん、事情はどうでもいいから。外で戦ってた時だって、ただのメンバーでも斬ってたじゃん。それに、ただ星屑を集めていただけって言ってるけど、本当にそうなのかな? 他の人に嫌がらせをして追い出して、自分たちだけで星屑を採ってたんじゃないの?」
「し、してない! してない!」
「でも、どうせここで見逃しても、外に出た時に見張りの人たちが許さないでしょ」
「確かに……それもそうだな」
アイリーが言うことはもっともだ。ちょっとかわいそうかもしれないけど、やっぱりここでやっつけてしまおう。
剣を握り直し、この男に剣先を向けた。
「う……うわああああああっ」
逃げられないと悟った男は、剣を振りかざして襲いかかってきた。声はやはり怯えていて、やけくそで突っ込んできている感じだ。僕は剣を受け止めて跳ね返すと、そのまま男を斬った。その勢いで別の男も斬り、さらに残る二人に襲いかかる。二人は震えながら僕に背を向け、逃走しようとした。しかしそこにはアイリーが待っていた。アイリーの火炎魔法を正面から浴び、二人のHPはゼロになった。
四人の姿が消え、僕は剣を収めた。
アイリーが辺りを見回している。
「ところでさ、お兄ちゃんなんで一人なの? 見捨てられたの?」
「…………そうじゃないって」
実際にそんなことが起きたらどうしよう、と一瞬考えてしまった。
「シェレラたちは後から来るよ。どうしても走る速さが違うからさ」
「じゃあ、お兄ちゃんだけでも来て。フレアとザームが、ハンジャイクと戦っているから」
僕の返事を待つことなく、アイリーは走り出した。僕も後について走った。
走りながら、アイリーと話す。
「場所はあの岩だらけの場所じゃなくて、ちょっとずれたところだから。よくわかんなかったけどフレアがこっちだって言うから一緒に行ってそこで待ってたら、なんか慌てた感じのハンジャイクのパーティが来ちゃって」
ということは、フレアは最初からハンジャイクがどこに逃げるのかがわかっていたんだ。
喧嘩別れしたはずのシェレラとフレアなのに、完璧に連携が取れている。そもそも、挟み撃ちにするなんて、一言も言っていないのに。
「僕はもう、何が何だかわからないよ」
「お兄ちゃんはそういうところを覚えなきゃね」
「でも、アイリーだってわからなかったんだろ?」
「それとこれとは違う話だから」
「何が違うんだよ」
「まあいいからいいから」
アイリーが言っていることもよくわからないけど、これ以上ツッコんではいられなかった。
走りながら振られたピンク色の杖から、炎の玉が飛んでいく。
その先では三人が戦っていた。フレアとザーム、そしてハンジャイクだ。ザームは剣で、その後ろからフレアが毒針を仕込んだ羽根を投げて攻撃している。しかしハンジャイクは剣を巧みに躱し、毒針は風を起こして吹き飛ばしている。この辺りは岩が少なく、三人の戦闘を邪魔するものはない。
そこへアイリーの炎の玉が迫る。ハンジャイクは左手を向けた。ザームの剣を体術で躱し、フレアの羽根を左手から起こした風で吹き飛ばしながら、右手から吹雪を発生させる。炎の玉は吹雪に阻まれ、ハンジャイクに届くことなく消えてしまった。
「アイリー! リッキ!」
フレアが名前を呼び終わらないうちに、僕はハンジャイクに斬りかかった。飛び退いたハンジャイクに、今度はザームが迫る。さらに飛び退こうとしたハンジャイクの行く手を、僕が遮った。ザームはハンジャイクの左胸めがけて剣を突き出す。ハンジャイクは体を反らせた。水平になったハンジャイクの上体のわずかに上で、ザームの剣が空を突く。ハンジャイクは反った体勢のまま、右手から吹雪を放出した。直撃を避けてザームが下がる。それを見たハンジャイクは吹雪を止め、体勢を立て直した。詰め寄ろうとした僕に右手を向け、いつでも吹雪を放出できるのだと見せつける。僕はそれ以上、足を前に出すことができなかった。
焦るな、と思っても焦ってしまう。剣を握る手に、余計な力が入る。
対照的に、ハンジャイクは無表情だ。四人に囲まれているというのに、完全に落ち着いている。
誰も動かないまま、数秒が過ぎた。
無表情だったハンジャイクの口が小さく歪んだ。静寂の中、フッ、と小さな笑い声を漏らす。
「何がおかしいのよ!」
「お前は見ていない。いや、見ようとしていないから見えない」
僕に右手を向けたまま、ハンジャイクはフレアと話す。
「は? 何それ? ずっと変なやつだとは思っていたけど、やっぱりあんた、わけわかんないわ」
「だからお前は俺には勝てない」
「うるさいわね!」
フレアはパチンコを手にした。ピッパムがハンジャイクに放たれる。しかしこんな単純な攻撃が通用するはずがない。完全に軌道を見切ったハンジャイクは、最低限体を反らせるだけで攻撃を躱した。ハンジャイクの体をかすめそうでかすめることなく通り過ぎていったピッパムが、遠くの地面で爆発した。
今度はアイリーが炎の玉を放った。しかしこれもハンジャイクが放った吹雪に阻まれ、全くダメージを与えられない。
「アイリー、そんな攻撃をしてもあいつには効かないって」
「お兄ちゃんがぼーっとしてるからでしょ! 一緒に攻撃してよ! みんなで一緒に攻撃すれば、とりあえず何か当たるでしょ」
「! そうだな、わかった!」
アイリーに促され、僕はハンジャイクに斬りかかった。さっきまで僕を制止していたハンジャイクの右手は、今はアイリーの攻撃を防ぐために使われている。向こうからはザームが突っ込んできた。アイリーの言う通り、いくらハンジャイクでも、左手一本で二人の剣を止めることはできないはずだ。
前後から迫りくる剣を、ハンジャイクは左に跳んで躱した。しかしそこにはフレアのヨーヨーが投げられていた。着地するより先にハンジャイクの足を絡め取ろうと、ヨーヨーが迫る。ハンジャイクは左手から風を放ち、ヨーヨーの軌道を変えた。ハンジャイクが難なく着地する。ヨーヨーは何もすることができず、ただフレアの右手に戻っていった。
再び放ったアイリーの炎の玉がハンジャイクを襲う。僕とザームも距離を詰める。ハンジャイクは後退しながら右手で吹雪を放ってアイリーの魔法を防いだ。
「絶対逃がさねえからな!」
後退したハンジャイクがそのまま下がっていく。ザームがハンジャイクを追う。僕もザームについて行く。しかしハンジャイクも走る。差は詰まらない。
「逃げるな! ハンジャイク!」
ザームが声を荒らげる。
でもハンジャイクは逃げているんじゃない。適度な距離を保っているんだ。こっちの様子を窺いながら、スピードを調整して走っている。
「ザーム、気をつけるんだ。ハンジャイクは反撃の機会を狙っている」
「んなこたわかってるさ! だからって、行かねえっていう選択肢はねえだろ」
ザームは走るスピードを緩めない。その後ろから僕が、そしてフレアとアイリーが続く。
前方に、この辺りでは珍しく岩があった。身長の何倍もの高さがあり、上のほうが大きく広がっている。まるでキノコが巨大化したような岩だ。
先を走るハンジャイクが、その岩の左側を走り抜けようとした時。
岩の上部が、突然砕けた。
大小の割れた岩が、ハンジャイクの周囲に豪雨のように降りそそぐ。
逃げようとして間に合う時間も、そして距離もない。
ハンジャイクはまともに岩の礫を浴びた。全く減ることがなかったハンジャイクのHPが、大幅に減っていく。
「今だ!」
ザームがハンジャイクに突撃する。ハンジャイクは左手で頭を押さえていて、その場から動こうとはしない。そして右手は……。
青白い光が、ゆらめいた。
「止まれ! ザーム!」
反射的に叫んだ僕同様、ザームも気づいたのだろう。僕が言い終わる前に急ブレーキをかけて飛び退いた。一瞬遅れて目の前の地面から氷の刃が一斉に生える。もしそのまま突撃していたら、間違いなく串刺しにされていたはずだ。
頭を押さえているハンジャイクの左手から、白い光が漏れた。ハンジャイクのHPが回復していく。右手からは青白い光がゆらめき続けていて、僕たちが近づくことを制止している。
「せっかくチャンスだったのに!」
「でも、これでわかった。ハンジャイクは物理的な攻撃を防げない」
悔しがるザームを落ち着かせるように、僕は言った。
ハンジャイクは、魔法攻撃には魔法で対抗して打ち消していた。でも剣による攻撃は躱したり逃げたりするだけだった。今の様子から見ても、物理的な攻撃に対しては防御する手段を持っていない、と考えるのが妥当だ。
そして、それにいち早く気づいていたのが――。
「やっとおいついた」
後ろからではなく、右から足音が聞こえてきた。
アミカとシェレラ、そしてキュイアの三人が駆け寄ってくる。
「ありがとうアミカ。あんな大きな岩を遠くから一撃で砕くなんて、アミカの弓はすごいね」
僕はアミカの頭をなでた。アミカの薄紫色の髪の毛はふわふわで、いつなでても気持ちいい。
アミカはとろけそうな笑顔を僕に見せてくれた。
「うん! まほうはつうじないとおもったから、いわでこうげきしたよ。ほかにいわがなかったから、とおくからでもよく見えたし」
障害物がない地形、そして走って追ったことでアミカたちがいた場所により近づいたこと、そして何よりもアミカの判断が、この攻撃につながったと言える。
「あたしがあそこを射るように言ったんだけど」
そこへ、シェレラが割り込んできた。言い方はいつものように優しいけど、ちょっと大人げない。
「ちがうもん! アミカがそうしようとしたら、シェレラがおなじことを言ったの!」
「あーはいはい、わかったから、喧嘩はやめて」
この二人が言い合うのはいつものことだから、本気で止めに入ったりはしない。あくまで形式的だ。
「キュイア、大丈夫だった?」
シェレラとアミカの喧嘩のことなんかより、キュイアが心配だ。
「はい、一回だけモンスターが出ましたが、アミカがすぐに倒してくれました」
「そうか、ありがとうアミカ」
「あたしがモンスターを見つけたんだけど」
またシェレラが割り込んできた。
「アミカだってわかってたの!」
さっきと同じ理由でまた喧嘩が始まった。どうしてこの二人はいつもこんな小さなことで喧嘩するんだろうか。
「悪りぃが、茶番は後にしてくれ」
ハンジャイクを睨んだままの、ザームの低い声。普段ではありえないけど、今この場で一番真剣に戦っているのはザームだ。シェレラもアミカもしゃべるのをやめ、回復を続けるハンジャイクをキッと見つめた。
そこへ、後ろから駆けつけたフレアとアイリーが合流して、再び七人パーティとなった。
ハンジャイクを取り囲む。
もう逃がさない。が、うかつに突っ込めば地面から生える氷の刃に貫かれてしまう。
「キュイアは絶対に僕の後ろにいて。横に並ばないで」
「はい、わかりました」
氷の刃はハンジャイクから一定の距離に生える。もしキュイアが僕の横にいたら、僕が攻撃された時に巻き添えになってしまう。それに、もし吹雪やあの光線のような魔法を使ってきたとしても、僕が前にいれば盾になることができる。
ところが。
シェレラも僕の後ろに来ようとしている。
いつもパーティの後ろにいて、魔法で他のメンバーのHPを回復させるのがシェレラの役割だ。でも今はそんな時じゃない。
「シェレラ! そこを動いちゃ――」
遅かった。
シェレラが移動したことでできた囲みの穴から、ハンジャイクが走り去っていく。
「みんな! 追うわよ!」
フレアが叫んだ。またシェレラやキュイアが遅れてしまうけど、仕方がない。全力で走る。
「ごめん、シェレラのわがままのせいで」
僕と並んで走っているフレアに謝る。
「違うわ。シェレラの作戦通り」
作戦?
「ハンジャイクは誘導に乗って逃げさせられた。この先の場所へ行くことは、ハンジャイクとしては避けたかったはず」
この先の場所――。
フレアの顔を見ながら走っていた僕は、また前を見た。
岩が多くなっていく。
フレアは走りながらパチンコを構え、ピッパムを飛ばした。ハンジャイクの頭上を大きく越えていったピッパムが、柱のような高い岩に当たって爆発した。砕けた大小の岩が、茶色い砂を撒き散らしながらハンジャイクの行く手を遮る。さすがに同じ手を二度は食わない。ハンジャイクは左へ大きく迂回することで、岩の直撃を回避した。
でも、この先その方法は使えない。
左側は、壁になっているからだ。地下二層エリアの壁が、ハンジャイクに岩が多い場所を通ることを強いていた。
背が高い岩の林の中を、ハンジャイクが縫って行く。逃すまいとフレアがパチンコでピッパムを飛ばし、アイリーが魔法の杖で炎の玉を投げ込み、アミカが光の矢を放って岩を破壊し、礫の雨をハンジャイクに浴びせた。
もうもうと砂煙が舞い上がる。
回復魔法の白い光が、砂煙の中に見えた。しかしそれもだんだん見えなくなっていく。濃密になっていく砂煙のせいなのか、それとも……。
「下がって!」
後ろから声がした。遅れていたシェレラとキュイアが、こっちへ走ってくる。
「反応がある!
シェレラが言い終わらないうちに、僕たちの前に雪玉が出現した。雪合戦で投げるような雪玉が、いくつも空中に浮かんでいる。
その雪玉が、一瞬震えた。
強烈な衝撃。
雪玉が一斉に爆発したのだ。
見た目の大きさからは考えられない量の雪が、爆風となって僕たちを襲った。吹き飛ばされた僕の体に、雪玉に混じっていた氷の粒が傷をつける。
「みんな! 大丈夫?」
雪煙でみんなの姿が見えない。僕のこの声も、届いていないかもしれない。こんなことで死んでしまうような仲間ではないけど、それでもやっぱり仲間だ。気になる。
HPが回復していく。シェレラの回復魔法だ。シェレラは後ろにいたから雪玉の攻撃を喰らわなかったのだろう。そしてそれは、キュイアも無事ということも意味している。
雪煙が落ち着き、みんなの姿が見えてきた。雪玉の爆風で飛ばされ、あちこちに散ってしまっている。でも全員がシェレラの回復魔法を受けたようで、ダメージが残っている人はいない。
「シェレラ、ありがとう」
シェレラのすぐ前まで飛ばされてしまっていたアイリーが、振り向いてお礼を言った。
でもシェレラはアイリーを見ない。真っ直ぐ前を見据えている。
岩の瓦礫で覆われた地面に、ハンジャイクが立っていた。右手を広げ、掌を下にして水平に前に出している。五本の指それぞれに嵌っている指輪のうち、中指と薬指の指輪が青白く光っている。
アイリーが炎の玉を放った。ハンジャイクは避けない。右手を前に出したまま、その場に立ち続ける。炎の玉がハンジャイクに当たり、爆発した。ダメージを受けてなお、ハンジャイクは右手を前に出したまま動かない。
何をする気だ。
「リッキ、早く行って!」
ハンジャイクを見つめたままのシェレラが叫ぶ。
え? 行く?
「右手を斬り落として!」
反射的に僕は走った。手を斬り落とせだなんて、理由もなくそんな物騒なことを言うはずがない。何かがある。急がなければならない何かが。
ハンジャイクの口元が、かすかに笑った。
右手が振り下ろされ、二つの青白い光の残像が二本の線を描いた。同時に僕の剣が、右手が伸ばされていた場所で空を斬る。
僕は振った剣をさらに突き出した。ハンジャイクは後方に跳んで回避した。さらに斬りかかるために踏み込む。
「フッ」
ハンジャイクが、またかすかに笑った。
同時に後ろで叫び声。思わず振り返る。
氷柱だ。
大量の氷柱が空から降り注ぎ、みんなの腕や足を切り裂き、貫いている。この魔法を使うために、アイリーの爆裂魔法を避けなかったのか。
……空から?
そんなバカな。
ここは地下だ。空なんてあるはずが――。
見上げると、空中に雲が立ち込めている。雲は次から次へと氷柱を産み、地面に向けて発射していた。
空に雲を作るのならわかる。
でも、ここは地下だ。空がない場所で雲を作る魔法なんて、聞いたこともない……。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
僕の攻撃が間に合わなかったせいで、こんなことになってしまったんだ。僕がもう少し早く、ハンジャイクを攻撃していれば……。
雲は厚く立ち込め、鋭利な氷柱を吐き出し続けている。後ろでシェレラが必死に回復魔法をかけているけど、追いついていない。それにシェレラ自身も氷柱でダメージを負っている。
「手を休めるな!」
太ももに氷柱が刺さったままのザームが、降り注ぐ氷柱を剣でなぎ払いながら叫んだ。
「自分の近くでこんな大技は出せねえはずだ。お前はとにかく攻めろ!」
そうだ。僕が今できることは――。
僕はまた、ハンジャイクに斬りかかった。ハンジャイクは後ろへ飛び退いた。同時に右手から吹雪を放った。僕は回り込んで直撃を避け、また斬りかかった。僕が攻撃している間は、ハンジャイクは他のみんなに魔法を使う余裕がないはずだ。
「リッキ!」
キュイアが雲が覆う範囲から抜け出し、僕のところに駆け寄ってきた。マントのような大きな布を頭からかぶって、全身を覆っている。
「キュイア、大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
キュイアが返事をする間にも、僕は剣を振ってハンジャイクを攻撃した。
「その、かぶっているものは?」
「これは寒さに強い布です。氷の攻撃ならこれで防げると思って」
キュイアはそう言っているけど、それくらいのことでハンジャイクの攻撃を防げるとは思えない。おそらくいた場所が雲の範囲の外れだったことと、シェレラがそばにいて守ってくれたことが、抜け出せた理由だろう。
相変わらず雲は氷柱を吐き続けている。ハンジャイクは僕の攻撃を避けているだけだ。つまり、あの雲は出現したら自動で動くタイプだ。僕が今いくらハンジャイクに攻撃し続けても、氷柱が降り止むことはない。そしてハンジャイクは僕に魔法を放ってこない。大きな魔法を使ったから、次の魔法を使うまでに時間がかかるんだ。
だったら早く仕留めなきゃ。
「キュイア、後ろで見ていて」
「はい!」
身長の何倍もある高さの岩の間を、ハンジャイクが抜けていく。僕はその後を追い、剣を振る。でも数人がかりで戦っても倒せなかったハンジャイクだ。一人で攻撃しても、剣は空を斬るばかりだ。ハンジャイクの右手の指輪が、また青白い光を帯び始めている。早く、早く倒さなきゃ。
「氷柱の勢いが弱まってきました」
背中越しにキュイアの声。もう少しで、また全員攻撃ができるだろう。でも指輪の青白い光も、強さを増している。また強力な魔法を放ってくるだろう。
とにかく今は隙を与えないことだ。魔法を発動する一瞬すら与えない攻撃をし続ければいいんだ。
僕は一歩踏み込んで、剣を突いた。
同時に、ハンジャイクの左手が、僕に向けられた。
これまで戦ってわかったことは、ハンジャイクの魔法は右手が攻撃、左手が防御や回復だということだ。僕の剣はずっと体術で躱し続けていたけど、左手を出したということは、もしかして剣を受ける魔法も使えるということなのか? 物理攻撃は防御できないんじゃなかったのか?
そんな僕の考えを簡単に裏切り、ハンジャイクの左手から吹雪が吹き出した。踏み込んだ僕の体が押し戻される。これまでしていなかっただけで、決して左手で攻撃できない訳じゃなかったんだ。
うかつだった、と思う間もなかった。
吹雪は勢いを増し、僕は吹き飛ばされてしまった。
後ろにいたキュイアに、背中が当たる。キュイアが僕を受け止められるはずもなく、そのまま二人重なって後ろの岩に飛ばされ、激突した。
「ぐっ…………」
喉の奥から絞り出された、およそ女の子の声とは思えない呻き。
「キュイア!」
すぐに振り返って、キュイアを抱きかかえた。
「…………げほ、げほっ、……だ、だいじょうぶ、です」
「ごめん、僕が後ろで見ていてほしいなんて言わなければ、こんなことには」
「いえ、戦っていればこんなこともあります。リッキは悪くありません」
「キュイア……」
「リッキ、早く立って、前を向いてください。リッキは一人じゃありません」
足音が近づいてきた。雲の効力が切れ、みんなが集まってくるのが見える。
ハンジャイクにも足音は聞こえている。再び攻撃すべく、振り向いて右手をかざした。その動きに合わせ、指輪の青白い光がゆらめく。
ハンジャイクの意識が、僕から逸れている。
次の魔法が発動する前に、今のうちに、攻撃しなきゃ。
僕は前へ駆け出した。
しかし。
「……え? な、何っ?」
後ろで聞こえた、不自然な声。
「いやーっ!」
突然、キュイアが戸惑いの悲鳴を上げた。
思わず足を止め、振り返る。
目に飛び込んできたのは、動きを封じられ、悶えるキュイアの姿。
背後の岩から触手が生え、キュイアの全身に絡みついていた。
「キュイア!」
慌てて引き返し、触手を斬るために剣を構えた。しかしその剣を握る左手にも触手が伸び、僕は攻撃を封じられてしまった。
キュイアの体が、岩の中に沈み込んでいく。
そんなバカなことが、あるはずがない。でも現にキュイアの姿は徐々に見えなくなっていく。
「リッキ、助け……」
僕への言葉を言い終わらないうちに、キュイアは完全に姿を消してしまった。
何が起きたのか把握する間もないまま、僕の体にも触手が伸びる。攻撃ができない僕は、なす術なく全身の動きを封じられてしまった。触手は僕の体を岩へ引き寄せた。
そして僕の体もまた、岩の中に沈み込んでいく――。