約束の場所
私は手紙を読み終えると、急いで片瀬とともに遊園地の外に出た。ご飯を食べ終わって外に出るともう3時を過ぎていた。太陽はもうかなり傾いて西側にある山に近くづいている。片瀬が事前に借りてきてくれていたレンタカーに乗り込んで、県境にある小さな教会に向かってもらう。
高校1年の時の洸の誕生日。洸の家族と私の家族で旅行を兼ねてお祝いした。隣の県の真ん中にある温泉街まで行って2泊3日もした、当時の私たちにとっては冒険みたいな遠出だった。その帰り道に寄ったのが山側の県境にある小さな教会だ。
窓の外に流れる景色をぼんやりと眺めながら私はあの日のことを思い出していた。
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「綺麗だな」
「うん」
小さな教会に入ってすぐに目に付くのは、大きなステンドグラスだ。ちょうど良く太陽の光が当たっていて、綺麗な虹色の光が床に映っている。
私と洸は、言葉も出ないままその綺麗な光をじっと見つめていた。何かを話したらこの綺麗さが失われてしまうようなそんな馬鹿なことを頭の片隅で考えていた。
「なぁ」
洸が不意に口を開く。そのままそっと、丁寧に言葉を紡ぐ。
「ここで結婚式しような」
「は?」
空いた口が塞がらないというのは、今の私のことを言うんだろうと思う。洸の思い描く未来に自分がいる嬉しさと、そのことを堂々と言われた恥ずかしさと驚きで私はまともな反応すらできずに、固まってしまう。
「え、だめ?」
途端に困り顔になって眉を下げる洸がおかしくて、私は大きな口を開けて笑った
「何笑ってるんですか」
不機嫌そうな顔になった洸の頬をむにむにとつままれて、笑いを無理やり止められる。なんでもないよ、と返しながら、私はまた涙が出るまで笑い転げた。
「いいよ、ここで挙げよう、結婚式」
やっと笑いが収まったから、未だに不機嫌そうな洸にそう返す。
「おう、約束な」
「うん、約束」
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あの時した指切りの、手の暖かさも指の細さも未だに覚えているのに、洸はもういない。唐突に未来のことを話し始めたり、不安になった夜に電話をかけてくれるような、そんな馬鹿で優しい洸は、もういない。
「夏恋チャン」
「なに?片瀬」
「綺麗になったね」
突然、片瀬に褒められてぽかんと固まる。片瀬は一瞬だけこっちを見てまた前に視線を戻すと、柔らかく笑いながらもう一度、「綺麗になったよ」と言った。車はいつの間にか乗っていた高速を降りて、下道に入っていく。この道は前にここに来た時にも通ったことがある道だと、不意に思い出す。ナビが右に曲がれと指示を出して、その指示通りに曲がったところで、片瀬はまた口を開いた。
「メイク、上手くなったし」
「そう?」
「うん、高校の時よりずっと」
「そうかな」
「うん、進んでるんだよ、ちゃんと。
方向は前じゃないのかもしれないけど」
「……進んでなんかない」
片瀬の真っ直ぐな言葉に耳を塞ぎたくなる。
本当はずっと、分かっていた。
私の世界はちゃんと時を刻んでいることも、止まっているつもりでも、私はどこかへ進んでいることも。動けないのではなくて、止まってほしいと願っているだけなことも。
前に進むことと、忘れることは違うのだとなにかの本で読んだ。でも、今の私にはその違いがわからない。前に進んでしまったら、きっといつか洸の手の温度も、私を呼ぶ優しい声も、忘れてしまう。私はそれが嫌で、私を押し流そうとする時の流れに必死に逆らおうとしている。でも、そんなことは出来ないから、私は「動けないんだ」と一生懸命にに叫ぶことしか出来ない。
横目で片瀬を見ると、片瀬はじっと前を向きながら何かを考え込んでいた。
峠をふたつ超えてたどり着いた教会は、前に来た時よりも少しだけ古びいたけれどまだ、そこにちゃんとあった。私は近くに車を停めてもらって、車を飛び降りる。ちょっと重たいこげ茶色の木の扉を開けると、そこには記憶の中、そのままの教会があった。真ん中にある通路の両側に並んだ木の背もたれ付きの長椅子。その先にある神父さんと新郎新婦が立つんであろう高くなったところと、譜面台。そのさらに奥にある大きなステンドグラス。今日も、ちょうど良く日が入って虹色の綺麗な光を床に落としている。
あの時と同じ、この空間が声を出したら壊れてしまいそうでそっと黙ってその光に見入っていた。目を閉じたら、洸に会える気がして目を閉じてみるけれどそこに広がるのは真っ暗な闇だけで、もう、二度と会えないんだと突きつけられる。胸が鋭く痛む。
「夏恋チャン、結婚式しようよ」
入口のところでじっと黙っていた片瀬が、私の方にコツコツと足音を立てながら歩いてくる。
「え?」
「今ここで」
「なんで」
何を言っているのか意味がわからなくて、片瀬に問いかける。
「俺のこと、坂崎だと思ってさ」
やりたかったんでしょ?と、私を追い越した片瀬が振り返りながらいう。私は、どうしたらいいのかわからなくて、目をそらす。
「ほらやろう」
片瀬に手を引かれて、少し高くなったところに上がる。片瀬は大真面目な顔で神父さんのセリフを言い始める。
「新郎、坂崎洸は新婦、姫崎夏恋と病める時も健やかなる時も、えーっとずっと一緒にいて愛すると誓いますか?」
途中で分からなくなったのか、片瀬はかなり短めに短縮すると、今度はすこし低くした声でおもおもしく「はい、誓います」と答えた。全然似ていないけれど、多分洸の真似だ。
「新婦、姫崎夏恋は新郎、坂崎洸と病める時も健やかなる時も、ずっと一緒にいて愛すると誓いますか?」
また少し声を高くして、大真面目な顔になった片瀬が私に問う。返事なんて最初から決まっているのに、こういう時ばかり片瀬と洸が被らなくて、言葉に詰まる。私が誓いたいのはこの人じゃない、と心が叫ぶ。
「ごめん、片瀬」
ごめん、と震える声でもう一度片瀬に謝る。
当たりにもはっきりと、私の望むものはもうないんだと突きつけられて、胸が鋭く痛む。嗚咽と共に透明な雫が、床に向かってこぼれ落ちる。
片瀬は私の肩をそっと抱き寄せると、あやす様に背中をぽんぽんと優しく叩いてくれる。
__違う、これじゃない。
また、心が叫ぶ。私が求めてやまない温かさはこれではないと、また涙が溢れた。
「こう、こう、洸!!」
名前をどんなに呼んだって、洸は現れない。片瀬はぎゅっと私を抱きしめる力を強めた。
「聞こえてるなら、会いに来てよ、ばかぁ」
どんなに、心の底から願ったとしても洸はもう二度と会いに来てはくれない。片瀬の温もりがそのことを強調していて、また涙が溢れて止まらなくなる。
あの日みたいな魔法はもう、かからない。
どのくらい、そうやって泣いていたんだろう。
泣きすぎて頭がずきずきと痛むくらいには、泣いてやっと涙が止まる。私の嗚咽が、止まったのを感じたのか片瀬は私を抱きしめる力を緩めると、私の目の淵に溜まった涙の残りをそっと拭った。