2 勇者が現れた、文字通りの意味で。
塔の広大な敷地の中にある校庭。
そこを、リディアは走っていた。そう、走っていた。あれから1か月、ずっと。
転入・入学、とにかく塔1年目の生徒たちは、朝から晩までひたすら走らされている。
なぜ走っているのか? それが授業だからである。
「いいこと? 人は体が資本よ。何よりもまず、体作りが基本。だから走りなさい。朝から晩まで、限界まで走りなさい!」
というのが、授業初日の教えである。
もちろん、反論しようとしたものもいた。そりゃあそうだろう、リディアだってまさか走らされるとは思わなかった。ひたすら高度な座学だと思っていたくらいだ。
だが、己の目の前を、微笑みを浮かべながらドレス姿で優雅に華麗に走る姿を見せられ、……誰もが沈黙した。するしかなかった。
リディアにいたっては、戦慄すらした。
この塔に入った生徒の半数以上は平民である。貴族もいるにはいるのだが、そのほとんどが男子生徒であり、貴族のお嬢様というのは非常に珍しい。
よって、ドレス姿で走ることのすごさを、リディアは誰よりも理解していると言っていい。
ちなみに自慢じゃないが、リディアは体力がない。
もちろん初日に、誰よりも早く倒れたのはリディアである。が、負けず嫌いでもあるので、今ではそれなりに走れるようにはなっていた。
「大丈夫ですか? リディア様」
「……や、やったわ。今日は最後まで、立ってられたわよ!」
「はい、すごいです!」
己のことのように喜び拍手しているネイラだが、彼女は同じことをしているというのにケロリとしている。
彼女が言うには、前世から体力には自信があるそうだ。前世から体力にはまったく自信がないと胸を張るリディアとは大違いである。
基礎体力って重要ね、としみじみ思ったものだ。
その夜。
夕食を終え、自由時間をいつものようにのんびりと自室で過ごしていたリディアは、持っていたカップをことりとテーブルに置き、ネイラを見つめた。
「……? どうかしましたか?」
「そうね、別にどうということでもないんだけど、聞いてもいいかしら?」
「はい、どうぞ?」
「あなた、乙女ゲーム以外って、してた?」
脈絡のない質問だと思うのだが、リディアは真剣だった。
ちなみにリディアは、RPGも好きだった。というか、レベル上げが好きだった。ガンガン上げて、敵を瞬殺するのが。
それはさておき。
「……どう?」
「そう、ですね。いろいろやりましたよ? たとえば、……乙女ゲーム要素のある、RPGとか」
「魔王が復活しちゃった、とか?」
「宣託が下りた、とかですね」
「……。……」
「……。……」
リディアの言いたいことは、察してくれたらしい。
視線が辺りをさまよったのち、リディアに向けられる。
……まさか、ですよね?
……ない、ないに決まってるじゃない?
ですよね――。
そうよ――。
そんな会話をアイコンタクトでしたのち、不自然なほど脈絡なく、ほかの会話へと移って行った。
それから数日後、リディアは視線を感じていた。この数日常に感じていた、こちらを観察するような視線。気のせいだと思いたいのだが、隠す気もないらしいので丸わかりである。
だが、気づかなかったことにしたいのが本音。
「……リディア様」
「……言わないでちょうだい」
授業を終え、自室への帰り道、いまだ纏わりつく、いやどんどん強くなる視線に、ネイラが縋るようにリディアを呼ぶが、リディアとしてもあまり余裕がない。
これはまずい。
なにがまずいって、なにもかもがまずいのだ。
関わってはいけないと、本能が警鐘をガンガン鳴らしまくっている。
「…………」
徐々に早まる足。
ついてくる足。
すでに強歩並みの速度になっているのだが、相手の速度も落ちない。
「……ネイラ」
「はい!」
即座に意図を察し、角を曲がった途端全力で走り出す。学園にいたころに比べれば格段に早くなった足で、とにかく走って走って自室に駆け込む。
ガチャガチャっ! ←鍵&チェーンまでかけた。
ドンドンドンっ! ←だが関係ないとばかりに叩かれる。
「ははははっ! 逃げるなんて酷いじゃないか! 開けたまえ!」
「いやぁぁっ! なにこのデジャブ!? もういらないわよ!!」
「ごめんなさいリディアさまぁ!! これ超怖いっ!」
しがみつくネイラ。だが、リディアも何かにしがみつきたい。
どうして私は気絶とか器用なことができないの!? と意味不明なことを胸中で叫びながら、泣く泣く、扉を開ける。
だって、周りに迷惑がかかる。というか、もう何事かと人だかりができ始めている。
「あ、やっとあいっ」
「いいから早く入って!」
だが見なかったことにして、元凶をひきいれた。
だって私、悪くない。はず。
「名乗らなくても知っているだろうが、私の名はレティア・タルト。とある勇者の名だ」
そう、胸を張って彼女が言い放った瞬間、ネイラが泣きながら崩れ落ちた。リディアもつられかけたが踏ん張り、だが意識だけは彼方へと飛んでいく。
人間、直視したくないことを突きつけられるとこうなる、という見本であった。
『あなたの想いが私を強くする』というRPG要素を含んだ乙女ゲームがある。
物語は、留学していたヒロインが呼び戻されたところから始まる。なんと魔王が復活し、己に勇者として旅立つ宣託が下ったのだという。驚きと不安を持ちながらも、一緒に旅立つ攻略者や、途中で会う攻略者たちと、まあいろいろありながら魔王討伐を目指す、というゲームである。
……そういうゲームがあったのだ、前世で。
なにが言いたいのかというと、そのゲームのヒロインにそっくりな外見をした少女が目の前にいることから察してほしい。
「やっぱり転生者か! いるはずのないヒロインと悪役令嬢が一緒にいるから、まさかとは思ったのだけどね!」
ははは! と快活に笑うその姿に、もはや言葉もない。
どうして知ろうか、ヒロインの留学先がこの『塔』だなんて。
いったい誰が想像できるというのか、まさか違うゲームが関わっているなんてっ。
いくら同じメーカーのゲームだからって、それはないじゃない!
「確かに、やったら厳しい学校だったって、描写はあったけどっ!」
「……無理ですよ、リディア様。あんな会話の一文だけで察しろなんて……」
先ほどまで泣いていたネイラは、もはや悟りを開いたかのように静かに笑みを浮かべている。
いいなぁその境地。
だが、リディアまでそこにいってしまったらもう、収拾がつかない。
「いやあ、私としてもまさかこの学校が、あの恥ずかしい囁き乙ゲーの国にあるとは思わなかったよ! 世間とは狭いものだね」
狭すぎるわっ! とはリディアの心の叫びだ。
「それにしても、性格違いますよねー」
ぼそっと、ネイラが呟く。
確かに。
あのゲームのヒロインは確か「私、みなさんのために頑張ります!」という健気さを前面に出した感じだったはずなのだが、目の前のヒロインは「ははは! 私に任せたまえ!」とでもいうような男前である。健気さの「け」の字も感じられない。
前世の影響だろうか。
なんにせよ、何かがガラガラと崩れる感覚は否めない。
「それでまあ、君たちの事情も聴きたいところではあるが、まずは言っておこう。私は魔王が復活しようが宣託が下りようが、ガン無視する気なんだがいいだろうか?」
爆弾発言である。
もちろん、いいわけがない。魔王なんて放置されても、困る。
だが。
「無視するんですかー、魔王」
「するとも」
「……宣託下りるのに?」
「あんな胡散臭いものどうでもいい」
はっきりと言い切る。
正直、リディアもネイラも、逃げてきた身であるので何も言えない。
けれど。
「あなただったら、魔王なんか軽く倒せそうな気がするんだけど?」
そう、笑いながら近所に散歩に行くかのごとく出かけて、スパッとやって帰ってきそうな、そんなイメージが。
「うーん、確かに剣には自信があるし、魔王を倒しに行くのは別にいいんだ」
いいのか。
「え、じゃあ何が嫌なんですか?」
「攻略者たち」
即答だった。
「私より弱いやつらなんて邪魔」
実はこのゲーム。最初こそ攻略者たちに守られているのだが、レベルが上がるにつれ、立場が逆転してしまう。回復メインのはずなのに、ヒロインのほうが強い。むしろヒロイン一人で回復も攻撃もこなせるくらいに、強くなる。
なんでこいつらいるんだろう……、とは全プレイヤーが思ったことだろう。そんなゲーム。
なので、理解はできる。
「いらないだろう? 私に守られなくちゃならない騎士たちなんて」
ですよねー。そりゃあ、私だっていらないわー。
「それに私にはもう、将来を誓い合った旦那がいるから彼らは用済みなのさ」
「「……え」」
さすがに、固まった。
だが、レティアは笑ってさらに爆弾発言。
「一応攻略者の一人の幼馴染ではあるんだが、同じく転生者かつ前世の旦那様なんだ」
「…………ええと、幼馴染って、あの暑苦しい剣術バカ代表みたいなの?」
失礼極まりない言い方だが、これほど正しい表現もない。
確か、子供のころから剣術大好きで「大丈夫だ! 俺が守ってやる!」が決め台詞の体育会系だった、はず。
「いいたいことはわかる。でも前世の性格もあるんだけど、ほら、私が剣術大好きだったから。君たちが知ってるキャラとは、まったく別人だよ。まあ、私としては前世通りの性格なんだけどね」
ははは、と笑う彼女はとても幸せそうである。
「……どうしてでしょう、リディア様。なんか、こう……」
「……言わないで、なんか悲しくなるから……」
ゲーム的には彼女のほうが大変そうだというのに、すでにハッピーエンドを迎えたかの様な幸せ感。同じ転生者だというのに、どうしてこんなにも状況が違うのだろうか。
「で、私としての希望はまあ、呼び戻しを無視するのが理想なんだが、そうすると世界的にというか君たちにも迷惑がかかりそうだから……そうだな、せめて攻略者たちをどうにかできれば、魔王を倒しに行ってもいい」
「……つまり、私たちがいなければ魔王を放置する気だった、と」
そんなにいやか、攻略者たちが。
心の声が聞こえたのか、レティアがにっこりと笑う。
「いやだとも」
「……まあ、私も嫌ですけど……」
ネイラが複雑そうに同意する。
もちろんリディアも、その意見に異議はない。ないのだが。
「そんなわけで、知恵をかしてもらえないだろうか? とくにリディア」
「なぜ!?」
よりにもよって、ご指名。
意味が分からない。
そんなリディアにレティアは当たり前のことのように告げる。
「だって、君、何とかしてくれそうなオーラを振りまいてるじゃないか」
「意味が分からない!」
とっさにネイラを見るが、なぜか視線をそらされた。だが頷いている。
え、そんな風に見えてるの? 振りまいてるの? 何を!?
「だから、頼むよ。リディア」
「…………」
1年先までに、己のゲームの攻略者たち対策を立てなくてはならないのに、どうして他のゲームの攻略者対策まで立てなくてはならないというのか。
だが、どうにかしなくては勇者が魔王を倒してくれない。
「…………もう泣きたい」
それしか、言葉はなかった。