文化祭とクリアリーブル事件㊷
文化祭当日 朝 都内某所 路上
―――やべぇ・・・時間が。
結人は今、一人で学校へ登校していた。 仲間には『心配だから迎えに行く』と言われたが『お前らは文化祭を優先しろ』と言い渡したので、今この状況なのである。
後輩にも同じようなことを言われたが『折角の文化祭なんだから、最初から楽しんでこいよ』と言い、彼らの申し出も断った。
そして結人はあまり早くは歩けないため、余裕を持って予定より30分程早く、病院を出たのだが――――
―――こんな調子じゃ、間に合わねぇ。
身体は昨日と同じような感覚でちゃんと動いているのだが、この時間は通勤通学する者が多く足を前へ進めると何度も人とぶつかってしまう。
そのたびにバランスを崩し、そして何とか態勢を保つのだが、それは結人にとってかなり苦しいものだった。
そしてやっとのことで沙楽学園の正門に到着すると、仲間である二人が結人のことを迎えに来てくれる。
「お、ユイ! こっちこっち!」
「一人でよく来れたね。 もう少し、時間がかかるのかと思った」
椎野と北野だ。 だがこの二人がここにいることに違和感を感じ、素直にそれを口にした。
「おう。 つか、どうしてお前らはここにいるんだ?」
「俺たちの組はもう終わったんだよ。 じゃあ、俺が先生を連れてくるから北野と一緒に教室まで行っておいて!」
―――・・・あぁ、もう3組の合唱は終わっちまったのか。
結人たちは椎野の言ったことを素直に従い、教室まで足を進めていく。 結人の歩くスピードに、北野は合わせてくれていた。 1年の各クラスの出し物の順はこうだ。
3組、2組、4組、5組、1組の順番になっている。 ということは、今頃2組が出し物をやっているということになるのだろうか。
結人たちが教室に着いてすぐ、担任の先生が現れた。
「色折来たか! 身体の方は大丈夫か?」
「見ての通り、大丈夫っすよ」
「そうか。 それならよかった。 じゃあ、色折の衣装はこれだ。 これを着て体育館まで来てくれ」
「はーい」
この後一言二言を交わし、先生は再び全校生徒がいる体育館の方へと戻っていく。
―――・・・つか、椎野戻ってこねぇな。
―――どこへ行ったんだろう。
そんなことを思いつつも、北野に手伝ってもらいながら劇の衣装に着替えていった。 結人の身体は思うように動かないため、脱ぐだけでも精一杯である。
「そういや、合唱の方はどうだったんだ?」
着替えながら、結人は聴くことができなかった合唱について北野に尋ねてみた。
「合唱は大丈夫だったよ。 思い残すことなく、完璧に終わった」
「そっか。 そりゃあよかったぜ」
「でもね、椎野は入院していてあまり練習できていなかったでしょ?」
「あぁ・・・。 そうだな」
「だから、歌っている最中に椎野が思い切り音を外してさ。 椎野の周りにいるみんなは、その音を聞いて凄く笑っていたよ」
「はは、何だそれ。 流石椎野だな。 北野はその時、椎野の歌を聞いていたのか?」
「聞いていたよ。 あまりにも音を外すから、笑うどころじゃなくて逆に驚いちゃったよ」
椎野の話題で北野と盛り上がっていると、ようやくその本人が教室へ戻ってきた。 だが椎野だけでなく、彼の後ろには二人の男子――――いや、女子がいる。
「ユイー、連れてきたぞー」
「?」
一瞬誰を連れてきたのか分からず、着替えながら思考が停止する結人。 だがそんなことには気にせず、椎野は再び口を開く。
「体育館へ行ったらもうすぐで2組の男装女装コンテストが終わりそうだったから、ついでに二人も連れてきた」
―――ということは・・・。
「・・・え、お前らもしかしてコウと優!?」
「何だ、気付いてなかったのか?」
今の新事実に素直に驚く結人に対し、キョトンとした顔で返事をする椎野。
―――えー・・・マジかよ。
―――それにしても、見た目変わり過ぎじゃね?
「・・・俺、着替えてくる」
「あぁ、待て待てコウ! 折角美人なのに勿体ないって!」
コウと椎野の会話を聞き流しながら、結人は頭の中で今目の前にしているものを整理する。
優は想像していた通り、女装が物凄く似合っておりとても可愛らしい雰囲気を醸し出していた。
水色のドレスがとても似合っていて、ショートヘアのウィッグをつけた彼は今誰が見ても女子に見えるだろう。 もちろんメイクもしている。
一方コウに関しては、彼の性格や雰囲気を上手に掴んだクール系な衣装だ。 紫色のドレスにロングヘアのウィッグをつけた彼は、凛とした女性で色っぽくも見える。
二人を見ると優は今とてもニコニコしているが、コウは今の自分の姿が気に入らないのか不機嫌そうな顔を終始していた。
「コウはそのままでいろ、マジで! つか、お前その姿でも女子から人気があったろ! 見ていたぞ、朝何人かの女子にツーショット写真を一緒に撮るよう、頼まれていたところを!」
椎野は相変わらず着替えようとするコウを止め、説得し続けていた。 そんな彼らを見て、やっと整理ができた結人は笑顔でこう口にする。
「何だよ、すげぇ似合ってんじゃねぇか。 優の女装は流石だなって思ったけど、コウも思った以上に似合っていてびっくりした。
こーんな女性が実際いたら、藍梨からコウに目移りしちゃうかもなー?」
「・・・最後の発言は嘘でも止めておいた方がいいぞ、ユイ」
結人の最後の言葉を本気で捉えたのか、あるいは冗談で捉えコウなりの突っ込みを入れたのかは分からないが、コウは結人から目をそらし静かにそう口にする。
それからしばらく男装女装コンテストについて話をしていると、優が結人に向かって話しかけてきた。
「あ、そう言えばユイは体育館へ行かなくていいの?」
―――・・・ッ!
―――やべ、話に夢中ですっかり忘れていた。
いつの間にか着替えが既に終わっており、コウたちの話を聞いているうちに時間を忘れていた結人は、急いで教室の壁にかかっている時計を見る。
「今は4組の劇だろ? 次の出番は5組だ。 そろそろ行くか」
椎野の言葉を合図に、結人たちは教室から出た。 走りたくても走れない身体に、結人は自分のことを本当に惨めで駄目な奴だと改めて思い込む。
―――そういや・・・未来が『4組の劇はユイには楽しみにしていてもらいたい』って、言っていたっけ。
―――・・・最後だけでも、見ることができるかな。
「あ、そうそう」
「?」
椎野が突然思い出したかのように、結人に向かって声を上げる。
「ユイって風紀委員だろ? その仕事、藍梨さんだけじゃ大変だからって真宮も一緒に手伝ってくれていたぜ。 ちゃんと感謝しておけよ」
「あぁ・・・。 おう。 分かったよ」
―――そうだった。
―――真宮にも、お礼を言わないとな。
体育館前に着き、ゆっくりと一歩を踏み出し中へと入る。 そこはステージが目立つようにカーテンが全て閉められていて、中はとても暗かった。
照明が綺麗に照らしてくれていて、前の方にいる生徒が目立ってよく見える。
そして他の生徒は、ステージ前にある綺麗に並んだパイプ椅子に座って出し物を鑑賞していた。
先程まで明るかった場所から突然暗い場所に来て、しばらく結人はその場で立ち止まる。 そしてやっと目が慣れてきたところで、ステージの方へ目をやった。
―――・・・なッ、今の出番5組じゃねぇか!
「あれ、もう4組終わったのか」
この光景を見てのんびりとしている椎野に対し、結人は今の状況に物凄く焦っている。 それは当然――――
―――早く俺も行かねぇと。
そう思い、5組のみんながいるステージへ足を進めようとした、その途端に――――誰かに声をかけられた。
「ユイ、来んのおせぇよ!」
「よかった、無事に来れたんだな」
未来と悠斗が結人を発見し、わざわざ体育館の入り口まで足を運んできてくれたのだ。 二人は劇の衣装のままなのか、カジュアル系の私服を身に纏っていた。
「ユイには劇を見てほしいって、予め言っておいただろ!」
「未来、ユイは今から劇に行かなきゃだから」
結人の目の前で両手を腰に当て見るからに怒っている未来に対し、この状況をすぐに察してくれた北野が止めに入ってくれた。
5組の劇は既に進んでおり、もうそろそろ中盤の演技に差しかかろうとしている。 前半にももちろん結人の言う台詞はあったのだが、上手くカットしてくれたのだろうか。
「悪いな、未来。 後でどんな劇だったのか俺に教えてくれ!」
結人は未来に向かってその言葉を投げながら、ステージの方へ足を進めていく。
「あ、結人くん来た!」
丁度ステージの下に降りていたクラスメイトの女子が結人の存在に気付き、周りの生徒にも広めてくれた。
「色折くん! よかった、本当に来てくれたんだね」
結人が来たということをいち早く聞き付けた学級委員は、走ってこちらまで来てくれた。 嬉しそうな表情をしている彼に、思わず笑顔になる。
「当然だよ。 でも、遅くなっちまって悪いな」
「大丈夫だよ! ほら、もうすぐで色折くんの出番でしょ。 行っておいで」
「あぁ、ありがとう」
そう言って通り道を開けてくれた学級委員の横を通り過ぎ、ステージへ向かってゆっくりと近付いていく。
―――・・・真宮と櫻井は、今出番なのか。
―――丁度対決のシーンだな。
―――俺の出番まであと少しといったところか。
脇から見て思う。 セットも完璧に直されていて、ステージに立っている櫻井も堂々としている。 その光景を見て、結人は思わずまた微笑んでしまった。
「結人!」
他のクラスメイトからも歓迎されながらステージに近付いていると、目の前に一人の女子の姿が現れる。 ――――藍梨だ。
「・・・藍梨」
「結人、来てくれたんだ! よかった・・・。 本当によかった・・・!」
「おいおい、まだ劇終わってねぇんだから泣くなよ?」
今にも目が潤んで泣きそうな藍梨の頭を優しく撫でながら、言葉を返す。 そして続けて、彼女である藍梨に言葉を綴った。
「藍梨・・・。 色々と迷惑をかけてごめんな。 委員会の方も、全部藍梨に任せちまった」
「ううん、大丈夫だよ。 委員会の方は、真宮くんが手伝ってくれたから。 ・・・あ、そうだ! 結人の台詞、私が代わりに全部言ったんだよ。 ちゃんと褒めてよね!」
その言葉を聞いて結人は一瞬少し目を丸くするが、すぐに苦笑いをして返事をした。
「えぇ、マジかよ・・・。 ありがとな、藍梨。 台詞いっぱいあんのによく頑張ったな。 今度何か、お礼させてくれ」
そう言いながら先程よりも気持ちを込めて、藍梨の頭を撫でてあげた。 結人と藍梨の台詞内容は大して変わらない。
王と妃の役だから、全て妃が台詞を言っても違和感なんてものはあまり感じられないのだろう。 結人の言葉とその行為に満足したのか、藍梨は笑顔で頷いてくれる。
「・・・あ、そう言えば結人。 劇の台詞はちゃんと考えてきたの?」
「劇の台詞?」
―――・・・あ、忘れてた!
―――考えよう考えようとは思っていたけど、結局はちゃんと考えていなかった・・・。
藍梨のその言葉に結人は返事ができなくなり、自然と彼女から目をそらしてしまう。
「結人、もしかして考えていないの?」
「色折くん、そろそろ出番だよ! こっちへ来て!」
心配そうに結人の顔を覗き込んでくる藍梨。 そして同時に、ステージのすぐ傍にいて結人に向かって声をかけてくる男子。
―――あー・・・もうこうなったら仕方ねぇ。
―――考える暇がないんなら、アドリブでいってやるさ。
「大丈夫だよ、藍梨。 ちゃんと考えてあっから。 んじゃ、また後でな」
藍梨を心配させないよう精一杯の笑顔をこの場に残し、ステージへ足を向ける。 今から行う結人のシーンは、櫻井と二人きりの場面だった。
―――・・・櫻井の前でなら、大丈夫だよな。
―――昨日櫻井は色々と大変だったけど、無事に文化祭を迎えることができたんだ。
―――そんな大切な今日という日を、台詞を考えていなかった俺なんかのせいで壊すわけにはいかねぇ。
―――・・・きっと、成功するよな。