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「手紙……か」

 一体、誰に何を書いたら良いのだろう?

『約束! 手紙、ポストに入れてね!』

 香月君の声が頭の中で再生される。
 優し気に微笑む要さんと、嬉しそうに笑う香月君。
 私が望んでいた光景がそこにはあった。

「兄さん……」

 要さんが、兄さんだったら。香月君が私だったら。とうの昔に諦めたはずの想いがまた溢れだす。
 気付いたら、ペンを持って書き出していた。


 どうして名前を呼んでくれないの? 
 どうして顔も見てくれないの?
 どうして褒めてくれないの?
 どうして愛してくれないの?
 どうして。どうして。どうして。どうして。


 溢れてくるのは、兄さんや母さんを責める言葉ばかり。


『父さんへ

 何で死んでしまったの? 
 あなたが死ななければ、今私はこんな思いをしていないのに』


 しまいには父さんを責める言葉が波のように溢れ出す。
 決壊した感情のままに書き殴って、存在しない父さんを責めて。

「……違う。こんな事が言いたいんじゃない」

 香月君も、相手を害する事は書いちゃダメって言っていた。
 書き殴った紙を丸めて捨てる。
 憎しみや絶望。その根底にあるのはきっと、認めてほしいという欲求。
 そして、その相手である兄さんや母さんを愛する感情。諦めることで、今まで心を保ってきたけれど。



『兄さんへ

 ここまで、育ててくれてありがとう。
 本当の気持ちを言うと、私は、兄さんがずっと怖かった。
 できるなら兄さんに頭を撫でたりしてほしかった。
 名前を呼んで、笑いかけてほしかった。
 兄さんに、認めてもらいたかった。
 けど、もういいの』



 そう、感謝。酷いこともたくさん言われたけれど私は兄さんを恨んでなんかいない。
 ただ私という存在を認めてもらいたかっただけ。

「……やめよう」

 遺書みたいになってしまったそれを、丸めてゴミ箱に捨てる。



『母さんへ

 私のせいで、辛い想いをさせてごめんなさい。
 母さんや兄さんが言うように、私が死ねば父さんが帰ってくるのなら、私は喜んで死ぬと思う。
 でも、そうはならないから、だから、ごめんなさい。母さんは私の事が憎いのかもしれない。
 でも、私は母さんに、名前を呼んで、抱きしめてほしかった。私を見て欲しかった』



「……だめだ」

 やっぱり遺書みたいになってしまう。
 それはきっと、どこかで私が死ねば良かったと思い込んでいるからかもしれない。

 兄さんや母さんに愛してもらおうとか、認めてもらおうなんて、とっくの昔に諦めたつもりだったのに。
 諦めることで二人を憎んだりしないようにと、その言葉に傷つかないようにと心を守ってきたつもりだったのに。

 書く事で少し気持ちの整理ができた。
 どうして愛してくれないの、と責める気持ち、その根底にある感情も思い出せた。
 でも、だからどうしたというのか。
 何をしても認めてもらえない。顔も合わせようとしない。

 私の存在すら記憶の片隅から消し去ってしまったような母さんや、敵視してくる兄さんに、今更何を伝えたら良いんだろう。

 書いては丸め、書いては捨てて。
 気づけばゴミ箱は溢れていた。

 レターパッドも最後の一枚。書き損じはもうできない。
 悩むほど、言葉は出なくて。
 でも、現状を何とか変えたくて。
 どうしようもなくて。

 やっと言葉を絞り出して短い、とても短い手紙を書いた。



 翌日の放課後。その手紙を持って廃墟に来ていた。
 配達人なんて話、信じてはいない。
 だから手紙なんて書かなくても良かったのだろうし、持ってくる必要もなかったのだけれど。
 梨花以外の人と喋ったことがほとんどない私にとって、『約束』はとても重いものだった。
 何より、あんなに私を気遣って笑いかけてくれていた香月君の顔が、私が約束を破ることによって曇るのを見たくなかった。


 その廃墟の噂は、私でも知っていた。
 走り回る足音が聞こえたとか、白い子供を見たとか、黒い影のようなものに追いかけられたとか。
 心霊スポットとして有名で、クラスの子達が本当に見たと騒いでいるのを聞いたことがあった。
 色々な意味で危険な夜に来る事はないだろうと思って、日が暮れないうちに来たのだ。香月君も夜に行かなきゃダメとは言ってなかったし。


 山道との境界がわからなくなるほど雑草が生い茂った駐車場跡を通り抜ける。
 駐車場の入口はロープが一本張ってあるだけで、簡単に侵入できた。正面にその廃墟の入口も見える。
 廃墟とは言うが、建物自体はそれほど古くはない。壁の損傷はなく倒壊の危険はないように見える。
 マナーの悪い人達がガラスを割ったり、落書きをしたりしたのだろう。
 そういう意味では荒れていて、ゴミだらけだった。

 入口は自動ドアだったのだろうが、もちろん動くことはなく。
 ただ、最初に訪れた人が割ったのだろう。ガラスは砕け散り枠だけがそこにあった。


 ゴクリ、と唾を飲み込むと、意を決して中に踏み込んだ。

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