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「配達人?」
「そう。配達人」
郵便局の人とかだろうか?
香月君は悪戯が成功したかのような顔でニッコリと笑った。
「あ、もうこんな時間。夏樹、夕飯食べてってよ」
時計を見た香月君が慌てて立ち上がりながら言う。つられて時計を見ると、十八時を指していた。
「家の人が何か用意してる?」
「ううん、今日は兄さん遅くなるって言ってたし大丈夫」
そもそも、うちでは食事は用意されない。
普段は、兄さんがお金を置いて行くのでコンビニのお弁当やパンで済ませている。
「じゃ、決まり。良かったぁ、一人で食べるの寂しかったんだよね」
首を横に振りながら答えると、香月君は嬉しそうに笑った。
やっぱり、この家もなかなか複雑なのかもしれない。
何も聞かなくて正解だと改めて思う。
夕飯を食べて行くよう勧めてくる香月君が、とても嬉しそうなので断るのも憚られた。
ならばせめて準備くらいは手伝おう、と慌てて立ち上がる。
「手伝うよ、何かすることある?」
部屋を出る香月君の後についていくと、綺麗に片付いたキッチンがあった。
「じゃあ、夏樹はサラダ作ってー」
ゴトゴトと冷蔵庫から野菜を取り出し、ボウルとお皿を寄越してきた。
渡された野菜をミニトマト、サニーレタス、キュウリと順に洗って切っている間に、香月君は踏み台をコンロの前に置くと慣れた手つきでご飯を炒め始める。
ボッと火を点ける音にビクっとしてしまった。
手伝う、とは言ったものの、実は料理はほとんどできない。
火が怖いのだ。
私の背中を焼いた火。それは赤黒くとても嫌な匂いがした。
最近はキッチンコンロの小さな火くらいなら平気になってきたけど、まだ少し怖いと思う。
色も匂いも違う、これは安全な火、と思い込むことでだいぶ克服したつもりだったけど。
サラダを作っている間に、香月君は手際よくオムライスを三人分作り上げていた。
それにインスタントのスープにお湯を注いで食卓へ並べる。
「さっき言ってた、配達人って?」
「ん? ああ。そういう話がね、学校で流行ってるの。郵便局とかが請け負ってくれない手紙を運んでくれるんだって。手紙を書いて、山の上の廃墟の地下室にあるポストに入れてくるの」
モグモグと口の中の物を飲み込んでから、話を続ける。
「度胸試しみたいな遊び方をしてるんだけど。普段言い辛いことを手紙に書く事ですっきりするの。実際にその手紙が届いたって慌ててる子もいたけど。だからね、夏樹も、誰にも言えないっていうなら、手紙に書いて、廃墟のポストに出したらどうかな? って」
「でも、手紙なんて……出す相手もいないし……」
「誰でも良いんだよ。家族でも、この世にいない人でも。書くって事が大事なの。悩みや辛いことは、溜め込まないで吐き出した方が良いって
「要?」
「僕の……親……?」
何で疑問形? とは聞けなかった。
小学生の男の子にしては大人びている香月君。
洗濯にアイロンに料理と家事をこなすその慣れた行動や、小さい子が遊ぶような物が何一つ置いていない片付きすぎた部屋。
似ているのだ。家族の愛情が欲しくて、必死に努力をしていた頃の私と。
あの頃の私は、とにかく「いい子」でいようと家事をこなした。
おもちゃやお菓子などを強請ることもしなかった。
その想いに応えてくれる事はついになかったけど。
だからだろうか。人付き合いが苦手なはずなのに、香月君とは普通に話せている。
食事を終える頃、ガチャガチャと音がして男性が入ってきた。
「ただいまー……って、お客さん? いらっしゃい」
「あ、お邪魔してます」
「夏樹だよ! お帰り、要!」
「そうか。ははっ、かつきとなつきなんて、姉弟みたいだね」
香月君と同じことを言ってる……。
要と呼ばれた男性は、微笑みながら香月君の頭をクシャリと撫で、香月君も嬉しそうに笑っている。
「夏樹さん、香月が無理を言ったみたいで悪かったね。遅いから送っていこう」
時計を見ると、もう二十時を過ぎていた。常識的に考えれば確かに遅い時間だ。
「あ、服……」
まだ借りた服のままだ。
「こんなおじさんの服でよければ、そのまま着ていって構わないよ」
要さんは、とても優し気な男性だった。
ずっと兄さんが基準で、男性は怖い人しかいないと思っていた。
香月君もそうだけど、要さんも、苦手と感じさせない。
複雑な家庭であるのは違いないのだろうけれど、香月君と要さんは仲が良さそうだった。
「じゃあ、夏樹、約束! 手紙、ポストに入れてね!」
強引に約束させられて、香月君の家を出た。
すっかり暗くなった夜道を、要さんは車道側に立って歩いて家まで送ってくれた。
「越してきたばかりで、香月にはまだ友人がいないんだ。誰かを連れてきたのは夏樹さんが初めてで。これからも、香月と仲良くしてやって欲しい」
そう言ってとても優しい顔で微笑んだ要さんは、夜闇の中帰っていった。